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2011年3月30日 (水)

テオ・アンゲロプロス(4)

今回観た3本の作品の中では、『エレニの旅』が最も大作で、完成に2年を要したとのことです。最初から最後まで、『悲劇』に翻弄されるエレニという一人の女性の半生を描いた映画です。たった一つのシーンのために、『これは大変な費用と手間がかかっているな』と梅爺でも想像できる箇所がいくつもありました。黒澤明監督も、同じようなこだわりでスタッフを悩ませたと聞いたことがありますので、自己主張の強さは『巨匠』の証なのでしょう。梅爺のように、『まあこの程度で良いだろう』とすぐ妥協するような人間は『巨匠』にはなれません。

最近の映画では、実写では金がかかるシーンは、『CG(コンピュータ・グラフィックス)』で対応するのが主流で、騙すほうも、騙される方もそれを楽しむ風情がありますが、テオ・アンゲロプロスや黒澤明からみると、『世も末』ということかもしれません。

『エレニの旅』が大作であることは、梅爺にもわかりますが、3本の中の梅爺の好みは『永遠と一日』です。

『永遠と一日』は、年老いた一人暮らしの詩人が、難病を宣告され、明日から入院ということになって、再び退院することはないと『死』を悟り、身の回りの整理に奔走する一日を描いた映画です。一緒に暮らしていた愛犬を、娘夫婦に預けようとしますが、体(てい)良く断られ、その上、亡き妻との思い出が残る浜辺の別荘も、娘の亭主によって売りに出されていることなどを告げられ、孤独感がつのります。車に愛犬を乗せて、引き取り手を探してさまよううちに、密入国しているギリシャ系アルバニア人の少年と、ひょんなことで知り合い、奇妙な『老人と少年の交流』が展開します。人生を表現するのに、老人と少年を対比させる手法は出色です。

妻や家族、仲間との幻想的な回顧シーンと、現在が交差しますが、どのシーンでも主人公は、現在の黒いコートを着た老人として画面に登場します。この表現手法が、現在の老人の孤独感を一層際立たせます。

詩人は、『自分の言葉を見つけ、自分の世界に深入りすればするほど、他人との距離は遠くなる』というようなセリフをつぶやきます。それほど深刻ではありませんが『梅爺閑話』もそのような一面があるなと、身につまされました。

タイトルの『永遠と一日』は、亡き妻との回顧シーンで、『明日と言う時間はどのように定義したら良いのか』と詩人が妻に質問し、妻が『永遠と一日』と答えることから採られています。物理的には、単なる『一日』であることは明白ですが、個人にとっては、無限の可能性を秘めた『永遠』とも言えますので、なかなか味わいの深い表現です。

失ってしまった『絆』を、見知らぬ少年との交流に見出そうとしたり、昔を回顧して確認しようとしたりする老人の『孤独』がひしひしと伝わってくる映画で、同じく老人である梅爺には、胸に迫る映画でした。『明日』を『永遠』と感ずることができるのは、若い人の特権です。そう言えば梅爺にもそのような時代がありました。

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