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2011年3月16日 (水)

当事者能力の欠如(1)

梅爺は、今回このブログを書くことに逡巡(しゅんじゅん)がありました。大地震・津波災害の報道番組を観ていて、明らかに、問題の本質を理解できていない『当事者能力を欠いた』アナウンサー、コメンテーター、現地レポーターが、馬鹿げた質問をしたり、根拠のない思いつきや想像に基づく発言を無責任にしたりするのに接して、腹立たしく感じましたが、そういう梅爺も『当事者能力を欠いている』点では、同類であるという矛盾を抱えているからです。

人間を理解するには、人間の脳が『情』と『理』で反応することを知っている必要があると何度も書いてきました。

今回のような災害を体験すれば、誰もが『情』で、『苦しい』『悲しい』『やりきれない』と感じ、『恐怖』『不安』というストレスを抱え込みます。そして『少しでも良い方向へ転じて欲しい』と『願い』『祈り』ます。しかし、残念なことに『願い』や『祈り』は、問題解決には直接つながりません。オバマ大統領から『お悔やみのメッセージ』が寄せられることは、ありがたい話ですが、本質的な問題解決とは無関係です。

人は『恐怖』『不安』のストレスを受けると、自分でそれを何とか『回避したい』『緩和したい』と本能で感じます。そのためには、手掛かりとなる『情報』はないかと探します。『情報』の取得能力、解析能力の多寡(たか)が、生死を決することにもなりかねません。生物進化の過程では、これで『勝者』が生き残ってきました。報道メディアが、災害に関するできるだけ多くの『情報』を流すことは、その意味で重要なことですが、『情報』を受ける方が、対応能力を欠いていると、『情報』は次なる『恐怖』『不安』を産みだし、増幅してしまうことにもなりかねません。

『できるだけ生の情報をそのまま大衆へ届ける』ことと、『コントロールした情報を大衆へ届ける』ことの、どちらが結果として『良い結果』をもたらすかを判断することは一般論としては難しい話です。為政者は、往々にして『大衆は情報対応能力を欠いているので、生の情報は社会パニックを引き起こす』と判断し、『コントロールした情報』を流そうとします。大衆は、自分に情報対応能力があるかどうかは棚に上げて、『真実を隠すのはけしからん』と叫びます。それでも、テレビ時代の怖ろしく、また素晴らしい所は、『コントロール情報』を発表する人の、落ち着きのない素ぶりや目つきを観て、視聴者は『何か、後ろめたさがある』と嗅ぎ取ることもできてしまうことです。『落ち着きのない素ぶりや目つき』も『情報』なのです。

『恐怖』『不安』を解消、緩和する方策は、人間の『理』で考えだされるものであることを、理解することが重要です。『情』だけに駆られて、『困った』『何とかしろ』と怒鳴ってみても、具体的にものごとは好転しません。そして、多くの場合『理』で対応を考えるには、高い専門知識やノウハウが必要になります。原発の事故は由々しき事態であることは、誰でも『情』で感ずることができますが、今起きている事態を好転させるには、専門知識を持った『当事者』を必要とします。梅爺は、この件に関しては『当事者能力』を保有していません。

緊急事態が発生した時には、『当事者能力を持つ人またはグループ』が誰であるかを特定し、更にその人たちが進言する『対応策』を実施するかどうかの『決断』をする『決定責任者』を特定し、明らかにすることが重要です。梅爺が会社の時代に、責任者として緊急事態に遭遇すれば、そのように対応してきました。それ以外の人たちは、『当事者能力を欠いている』わけですから、『当事者』『決定責任者』を信じ、邪魔をしないように振舞うことが求められます。それが厭なら、会社の場合は、会社を辞めるしかありません。

原発の事故に関して言えば、『当事者能力を持つ人たち』『決定責任者』が誰なのかが判然としないところが、大衆の不安、イライラの要因になっているように思います。東京電力のスポークスマンとしてテレビに出てくる人たちは、記者の質問にも的確に答えられずにしどろもどろしてるわけですから、明らかに『当事者能力』を欠いているとしか梅爺には思えません。そうでなければ『お茶を濁してこい』と誰かに命令されて出てきたとしか思えませんが、それにしては演技不足です。梅爺がもし東京電力の経営者なら、恥をさらし続けることに耐えられず、即刻体制や人材を変えるように指示するでしょう。

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