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2011年3月14日 (月)

梅爺の逃避奮闘録(2)

東京駅で、午後7時過ぎに、『JR東日本は、首都圏の電車の運行は終日行わないことを決定した』というアナウンスが、早々とありました。余震の二次災害を懸念することが強い要因と推測でき、『しかたがない』と思いましたが、足止めされて、途方に暮れていた多くの人の一縷の望みが断たれました。梅爺も、これは駅で徹夜になるとあきらめ、行列が並ぶ『立ち食いそば屋』で、なんとか夕食を取りました。

そのうちに、営団地下鉄の銀座線やその他の一部路線で、運行再開のアナウンスがあり、うまくいけば地下鉄で、東京から新宿までは移動できるかもしれないという望みが湧いてきました。帰宅は明日になるとしても、どうせ徹夜なら新宿でも良いと考えたからです。二次災害を恐れて早々に運行中止を決めたJRより、なんとか復旧を早めようとする地下鉄や私鉄の姿勢に、困っていた梅爺は親近感をおぼえました。人間は常に自分の都合でものごとを判断するということなのでしょう。そこで、JR東京駅から、地下鉄丸ノ内線の東京駅へ移動し、地下道の一部の空きスペースを見つけて、多くの人たちと一緒に座り込み、状況の変化を待ちました。夜中の12時ごろに、地下鉄路線の中ではもっとも遅く丸ノ内線が動き始め、とりあえず新宿へ移動しました。

新宿へ着いて、今度は西武新宿線が動けば、青梅線の拝島(はいじま)まではいけるかもしれないと、望みがわき、西武新宿線の新宿駅へ向かいました。ここでも長蛇の列ができていて、それでも1時間くらい並んで待つうちに、幸運なことに電車の運行が開始され、夜中の1時過ぎに『拝島行き』に乗ることができました。『拝島』には2時すぎに到着し、ここからは歩くしかないと覚悟を決めて、1時間半夜道を歩き続け、3時半過ぎに、帰宅できました。

地震発生から約12時間半で、都心から青梅へ帰り着くことができたわけですから、結果的に最も効果的な判断をし、行動したと言えそうです。こういう行動ができたのも、単独に自分の決断だけに従ったからで、連れや仲間がいる場合は、それぞれの事情や価値判断が異なり、なかなかこうはいかなかったのではないかと思います。『ホテルは予約できないか』『タクシーはひろえないか』『1時間以上歩き続けるのは無理』などと色々な意見の調整で、右往左往することになったのではないでしょうか。人生で自分だけの判断、責任で行動できる機会は意外に少ないものです。

帰宅して、テレビを観て、被害の大きさを改めて知りました。実は、数日前(8日)に、思い立って亡父の実家近辺を一度訪ねてみたいと、土浦に住む長兄に道案内を頼み、鹿島灘に面する場所へ梅婆ともどもドライブしてきたばかりでした。実家やお墓が今度の津波でどのような被害を受けたのかが気がかりですが確認できていません。偶然とは言え、実によいタイミングで、『梅爺のルーツ探訪』を実行していたことになります。

『地球のしくみ』からして、地震は避けられないものとは言え、巨大な自然の力の前には、人間がほとんど無力であることが分かります。日本のような文明国で、比較的裕福な国でも、人間が講ずることができる『防災手段』には、残念ながら限度があることも思い知らされます。それにしても、政治的、経済的に混乱を極めている最中のこの災害は、日本にとっては『泣きっ面に蜂』で、暗い気持ちになります。生きていると色々なことを体験するもので、背負いきれないほどの『冥土の土産』がどんどん増えていきます。

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コメント

梅爺様
 私は丁度中央線四ッ谷駅でこの地震に遭遇。タイミングよく停車中ではありましたが揺れはかなり大きく、その内東北で震度8の地震発生とのアナウンス。線路の安全を点検するためしばらく停車します、とのアナウンスについうっかりその言葉を信じてしまったのが運のつき。これ迄にない大きな揺れでしたから「しばらく停車する間に線路の点検などできる訳ない」ことに頭が廻りませんでした。即座に外へ出てタクシーを拾うか、ホテルを探すべきでした。30分ほど経過してから車内待機中の乗客全員が降ろされ地上へ。その時には既にタクシーは一杯。東京駅方面に歩きながら途中のホテルをチェックしましたが軒並み満室。会社で泊まる覚悟でやっと浅草に帰着。都合3時間。結局浅草で空いているラブホテルをやっと一軒見つけてそこに宿泊した次第です。非常時ではインタネットの強さがひかり、携帯のもろさが露呈。yahooが最悪で、NTTDが最強であることも判明。いずれにしてもお疲れ様でした。

投稿: 下村祥介 | 2011年3月15日 (火) 15時10分

下村さん、コメントありがとうございます。
そして、お疲れ様でした。
生きている間に、このような日本の状況を体験するとは想像していませんでした。
私が、一時退避していた東京駅でも、ほとんどの人たちが、自分勝手に騒いだりせず、冷静に対応していました。
日本人の資質に対して、多くの国々から称賛の声が上がり始めています。犠牲になった方々のことを考えると、言葉もありませんが、苦難を全員で分かち合おうとする不屈の姿勢を崩さずに、対応を継続していきたいですね。

投稿: 梅爺 | 2011年3月15日 (火) 19時38分

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