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2011年3月 3日 (木)

映画『秋のソナタ』(1)

スウェーデンの映画監督イングマール・ベルイマン(1928-2007)が、『野いちご』『沈黙』など数々の優れた映画を制作したことは、知っていましたが、梅爺は今まで彼の作品を観たという定かな記憶がありません。

NHKBS第二チャンネルで放映された彼の作品『秋のソナタ』を録画して観て、圧倒されました。まさしく、見事な脚本(ベルイマン自身)と演出で、計算しつくされた舞台劇をみるような梅爺好みの映画でした。

母親の愛情を得たいと願い、幼い時から母親の云う通りに振舞って、我慢して耐え続けてきた娘が、ついに母親の自分勝手さに耐えられなくなり、今度は、憎しみの対象として母親をののしると言う壮絶な愛憎劇が、ノルウェーのフィヨルドを見下ろす田舎の牧師館を舞台に繰り広げられます。母親は、母親なりの考えで『全て娘に良かれと思ってしたこと』と思っていることが、娘には、『自分を傷つけるひどい仕打ち』と受け止められるという、個々の価値観の違いが引き起こす悲劇です。

このようなことは、世の中の人間関係でも、よくあることですが、母と娘という、本能的な愛で結ばれるはずの間柄で、愛と憎悪が逆転した時のすさまじさが、観る人を圧倒します。

年齢的に老境に差し掛かっている美貌の母親はピアニストで、若いころから、外国への演奏旅行で明け暮れ、結婚して二人の娘を産みますが、育児や家事には無関心で、時折、他の男と家出をしたりと、奔放な性格の女性です。幼いころの娘姉妹は、なんとか母親の愛情を得たいと、母親に近づこうとしますが、そのたびに、ピアノの練習の邪魔になるなどという理由で冷たくあしらわれます。さらに、不幸なことに妹の方は、脳性麻痺の病気にかかり、施設へ預けっぱなしの状態で、遠ざけられてしまいます。

母親には似ず、美貌の持ち主でない娘(姉)は、内向的で屈折した心の持ち主として成長し、牧師と結婚します。やがて、一人息子を産みますが、幼くしてこの息子は海で溺れて死んでしまい、前以上の暗い心の持ち主へと戻ってしまいます。夫の牧師も息子を失って、悲嘆にくれますが、それでも妻の全てを理解しようと、優しく接し続けます。

姉は、夫(牧師)の了解を得て、施設にいた脳性麻痺の妹を牧師館へ引き取り、自分で看病を始めます。そして、7年間会っていない母親に、自分が妹を引き取って看病していることは伏せて、牧師館を訪ねてこないかと招待の手紙をだします。これは、単なる招待ではなく、母親を精神的に追い込んでいく復讐劇の始まりであることを、映画を観ている人は段々知ることになります。

ちょうどそのころ、一緒に生活していた男に死なれて、寂しかった母親は、気晴らしにと、深く考えずに娘の招待を受け、高級車を自ら運転して、陽気に牧師館へ現れます。そして、表向き慇懃(いんぎん)に迎えた娘の執拗な母親批難の劇の幕がきって落とされます。

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