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2011年3月29日 (火)

テオ・アンゲロプロス(3)

『冷笑』や『蔑(さげすみ)の笑い』でない『笑い』は、人間の精神や時に肉体を健全に保つために有効な手段と考えられています。脳が無意識に要求するストレス解消の手段であるからではないでしょうか。『笑い』の対象を、人は『喜劇』に求めますが、高尚な『喜劇』は、観ている人に『あなたも、滑稽な対象の一人ですよ』とこっそり教えます。つまり、人間は誰もが『ちぐはぐで、滑稽な面を持っている』ということをあらためて思い起こさせます。梅爺は、自分の滑稽さを認めて、笑いの対象に出来る人が大好きです。逆に、『自分は笑いの対象ではない』と思いこんでおられる方は苦手です。

生きることの代償として、人生には『悲しさ』『寂しさ』という苦悩が付きまといます。生きるためには『耐えなければいけない』ことは『理』では分かりますが、そう簡単にはいかないように人間の脳はできています。この峻厳な本質を、『喜劇』で表現するか、『悲劇』で表現するかは、表現者の『好み』です。『悲しさ』『寂しさ』を『悲劇』で表現する方が、直截的であり、ぐさりと本質に迫ることができるのは間違いありません。

人間に『悲しさ』『寂しさ』をもたらす要因は、多くの場合『絆の喪失』です。愛する人や自分の『死』は勿論その最たるものですが、『周囲が自分を必要としていない』『自分は周囲に役立つ存在ではない』と感じた時も同様に『絆の喪失』となります。生物進化の過程で『群をなして生きる』習性を遺伝子として受け継いできた人間にとって、『絆の消失』は、『不安』『恐怖』と感ずるように、脳はできています。『孤独』が人間をもっとも蝕(むしば)みます。

更に『絆の喪失』をもたらすものは、『人間にとって避けがたい要因』と『人間自身がつくりだした要因』に分類できます。『老いて死ぬ』『天災で命を落とす』などは前者で、『戦争』『差別』『貧困』『他人を顧(かえり)みない自分中心の考え方』などが後者に相当します。

テオ・アンゲロプロス監督は、全ての『絆の喪失』に由来する『悲しさ』『寂しさ』を取り上げて描いていますが、特に、戦争などの、人間がつくりだした要因による『絆の喪失』の不条理を強く訴えているように感じました。

『ギリシャの内戦』『ロシア革命でロシアを追われたギリシャ系難民』『ギリシャへ不法入国するギリシャ系アルバニア人の浮浪児』などが、映画の背景に取り上げられています。

しかし、映画を観終わって、単なる『反戦映画』であるというより、『人間は、悲しさ、寂しさと無縁には生きられない』という、『理』では解きようがない事実を、そのまま放りだすように提示していることに気付きます。そこには『強く生きろ』とか『神に救済を求めろ』とか、説教がましいことは何もありません。生きることにつきまとう『どうしようもないこと』には、自分で対応するしかないということなのでしょう。それが人間の宿命であるということなのでしょう。

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