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2011年3月 6日 (日)

悲劇の中の善意(1)

『事実は小説より奇なり』と言いますが、単なる稀な偶然が引き起こした『不思議な話』というだけでは済ますことができないものもあります。関連する人々の価値観の食い違いが、『へー、そんなことになってしまうんだ』というような、小説家も思いつかないような展開になることがあります。

人は誰でも、『信念』や『価値観』を保有していて、これで周囲の事象へ対応しようとします。『信念』や『価値観』は、自らの『理』で考え抜いて獲得したものばかりではないところが、人間を厄介な存在にしています。『信念』や『価値観』の中には、『好き嫌い』といった『情』に根ざすものがあり、『何故嫌うのか』と問われても、答に窮するものが少なくありません。『情』の多くは本能に由来しますから、『理』で説明しようとしても、こじつけになるばかりです。ある人を『あいつは、なんとなく厭な奴だ』と毛嫌いする背景は、冷静に分析すれば、『嫉妬』『侮蔑』『優越感』などの感情が無意識に働いているに違いありませんが、本人は咄嗟にそれを意識していません。人間も他の生物と同様に、『自分に都合の悪いこと、嫌いなことは咄嗟に回避しようとする』本能を持っているということなのでしょう。人間は『理』と『情』の高度な組み合わせで、ものごとを考える生物に進化してきましたが、原点といえる『都合の悪いものは排除する』という本能は強固に継承していると、梅爺は推測しています。

更に、具合の悪いことに、周囲の事象に対処しようとしても、自分の中の複数の『信念』『価値観』がせめぎ合って、どれを優先して良いのか判断がつかないことが大半です。日常、『迷う』『悩む』のはそのためです。

女性が『どちらのハンドバッグを買おうか』と『迷う』程度のことは、他愛のない話ですが、『信仰』を優先するか、『自分の子供の命』を優先するか、というような深刻な相克に遭遇すれば、他愛のない話とは言えなくなります。

『イスラエル兵の誤認で射殺されたパレスチナ人の子供の臓器が、難病に苦しむ他の子供の治療に提供され、臓器の提供を受けた子供の中にはイスラエル人(ユダヤ人)も含まれる』という『事実』に、関係者はどのように対応するのかを追ったドキュメンタリー番組が、NHKBS第一放送で放映されました。

2010年度の、優秀ドキュメンタリー番組の賞を受賞したもので、梅爺は『自分がもし当事者であったら、どのように振舞うのであろうか』と、思い悩みながら番組を観ました。

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