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2011年3月 4日 (金)

映画『秋のソナタ』(2)

この映画は、年老いても未だ現役のピアニストである母親、二人の娘(姉は牧師の妻、妹は脳性麻痺で身体や口が不自由)、そして姉の夫の牧師の4人だけが、フィヨルドを見下ろす荒涼たる田舎の牧師館で繰り広げる人間ドラマです。昔の回想シーンなどが時折挿入されますが、全体は舞台劇の風情です。

勿論主役は母親と娘(姉)で、二人を演ずるイングリッド・バーグマンとリヴ・ウルマンの演技は出色です。ただただ美しかった若いころのバーグマンとは異なり、年老いたバーグマンは演技派女優に変身し、違った魅力を醸(かも)し出しています。

何事も自分の考えで律し、自信たっぷりな母親と、対称的にオドオドと控え目に振舞うようにみえる娘ですが、娘は、母親の冷酷な本性を暴くために、色々なしかけで、母親を追い詰めていきます。その最たる行為が、『脳性麻痺の妹を、施設から引き取って、自分がここで看病している』ことを突然告げることです。母親は、思いもよらない展開にたじろぎ、不快感をあらわにしますが、そのたじろぐ姿を見たさに、娘が仕組んだことを感づきます。しかし、表向き母親は病床の娘(妹)を見舞い、『会いたかった』などと良い母親を演じようとします。

その夜、娘(姉)はお酒を飲みながら、積年の恨みつらみを容赦なく母親へ浴びせかけます。まるで、今までのオドオドしていた人間とは思えない変貌ぶりが映画を見る人を圧倒します。母親は、懸命に『自分には自分なりの考えがあってのこと』と弁解しますが、太刀打ちできないと観念し、最後は『自分を許して欲しい』と泣いて娘に嘆願します。

いたたまれなくなった母親は、翌朝、牧師館に別れを告げます。母親が去った後、娘は、自分の言動が行きすぎであったと悔い、『未だ母親を許せる可能性は残されている』とつぶやきます。

人間の崇高な行為は『許す(赦す)』ことであるというメッセージでこの映画が終わると思いきや、ベルイマン監督は、最後に、演奏旅行へ向かう列車の中で、マネージャーと、何事もなかったように談笑する母親のシーンを挿入します。泣いて娘に許しを乞うたのは『演技』であったともとれますし、『人間の本性はそう簡単には変わらないものである』というメッセージであるともとれる結末で、梅爺はベルイマン監督の人間に対する洞察力の深さに、感服してしまいました。『愛』と『憎』は一対のものであり、人間はきわどいバランスでそれを操っていること、そして人と人とが『心を通わせる』ということは、言葉で云うほど易しいものではないことが実感できる映画でした。

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