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2011年1月31日 (月)

パウロ・コエーリョ『The Fifth Mountain』(5)

善良無垢な人が、事故や病気や戦争や天災で、亡くなってしまうという現実と、『神の意図』とはどのような関係があるのかという問いは、特に神を信じている人には重い問いです。

残された人が、自分には不可解なこのような現実も、何かしらの深い『神の意図』によるものだと自分に言い聞かせようとしても、亡くなった人の霊(もしあるとすれば)は、『他人(ひと)のことだと思って、お前だけ勝手に得心したりするな。もしお前が私のように理不尽で不公平な仕打ちをうけたら、それでも神の意図だとうけいれることができるのか』と叫んでいるかもしれません。

つまり、この問題は『亡くなった人』と『残された人』では立場が異なり、両方を納得させる論理を見出すのは難しいのではないでしょうか。

それでも無理に説明しようとすれば、人生における『運の良さ』『運の悪さ』には、『神』や『神の意図』は関与していない、人間には非情にみえる出来事は、実は冷酷な自然の摂理や偶然に依るものに過ぎない、というものでしょう。自然の摂理は、私たちに『生を与える』ものであると同時に『生を奪う』ものでもあるということになります。

しかし、この説明は、徹底した『理』が行き着く帰結であって、『情』の支配を強く受ける『人間』は、『なるほどそうか』と簡単には受け容れることが困難です。特に、『神』の存在に疑いをむけるこのような説明は、多くの方には抵抗を感じさせることになるのではないでしょうか。

パウロ・コエーリョは、この本の中で、旧約聖書のヤコブに関する逸話を引用し、『残された人』の対応は、『神を疑い、神と対決し、神と死闘を繰り返し、そして最後に神の祝福を受ける』ということではないかと示唆しています。神の祝福は、ただ『信ずる』者ではなく、『疑い、対決し、死闘をくりかえした』者にのみ与えられるという逆説的な示唆です。信仰は神とのバトルであり、生易しい生き方では得られないと言うことになります。すさまじい心の葛藤なしに、心の安らぎは得られないという主張です。

しかし、さすがのパウロ・コエーリョも『亡くなった人』の立場を説明はしていません。神の御業(みわざ)には『不条理』や『理不尽』は無いとすれば、死は『亡くなった人』『残された人』双方に不可解であっても、神にとっては必然であるということになります。神の愛の証(あかし)が死であるという話は、凡人には受け容れがたいものです。

こんなに悩んでみても、分からないとしたら、やっぱり『神の意図』などは存在しないとした方が、手っ取り早いと、梅爺は考えたくなる誘惑にかられます。パウロ・コエーリョがこんな『梅爺閑話』を読んだら、『安易に逃げるな。神と死闘をしろといっているのに、それが分からないのか、この罰当たりめが!』と言うのかもしれません。

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2011年1月30日 (日)

パウロ・コエーリョ『The Fifth Mountain』(4)

フェニキアからイスラエル王国へ嫁いだ王妃イゼベルは、ユダヤの民衆に、彼女が信奉する『バール神』を信ずるように強い、これに反対する『エリア』のような『唯一神』を信ずる人間を皆殺しにしようとします。『エリア』は命からがらイスラエル王国を逃れ、フェニキアの交易都市アクバルの寡婦の家に身を寄せます。アクバルの人たちは、イスラエル王国からの逃亡者をどのように扱うか議論しますが、『何かの時に人質として役立てようと』ということで受け容れます。住民は当然『バール神』を信仰する人たちで、郊外には『The Fifth Mountain』と呼ばれる山があり、この山頂には『バール神』が住んでいて、近づくものは神の火で焼きつくすと信じられています。

『エリア』は世話になっていた寡婦の幼い一人息子が病死した時に、一人『The Fifth Mountain』に登り、『唯一神』から『死んだ子供を生き返らせるように』という命令を受け、アクバルに戻って実行します。人々は、『エリア』が『The Fifth Mountain』に登っても『バール神』に焼き殺されることがないばかりか、死人を蘇らせたということで、『エリア』が信ずる神の方が、『本当の神』ではないかと考えるようになっていきます。

やがて、アクバルは、アッシリアの軍勢に攻められ、『エリア』は和議を結ぶことをアクバルの人たちに進言しますが、受け入れられず、結局戦争となって、男たちは殺され、女、子供、老人だけが残る廃墟の町になってしまいます。『エリア』の世話をしてくれていた寡婦も、戦火の中で亡くなります。『エリア』は絶望のあまり、『唯一神』にイスラエル王国へ戻って、布教活動をしたいと願い出ますが、神はそれを許さず、アクバルに残るように命じます。

『エリア』は、女、子供、老人たちと、アクバル再興を成し遂げ、ついに『唯一神』の許しを得て、イスラエル王国へ戻ることになる、というのがこの小説の粗筋(あらすじ)です。

この小説では、このようなストーリー展開が重要ではありません。『エリア』が、『自分の願い』と『神の意図』が一致しないことに悩み、神を疑い、神を忘れ、背こうと努力しますが、それでも神から逃れることができないと苦闘するところがポイントです。『人間』の存在と、『神の意図』との間に存在する『関係』とは何かを、作者のパオロ・コエーリョは描こうとしているのだと梅爺は感じました。不慮の事故や、天災、時には人間同士の殺し合いの中で、善良無垢の人の命が絶たれるということを体験すると、『神の意図』などは存在しないかのように思えます。それでもなお神は存在するとすれば、人間にとっては避けがたい不都合なことと、『神の意図』の関係を、どうにかして『説明』する必要があります。パオロ・コエーリョは、この難題に挑戦したことになります。

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2011年1月29日 (土)

パウロ・コエーリョ『The Fifth Mountain』(3)

ユダヤ教およびそこから派生したキリスト教、イスラム教の『一神教』の教義に詳しくない多くの日本人にとっては、『予言者』とは一体何者なのかについて馴染みが薄いのではないでしょうか。『予言者』は、単に将来を予告する『占い師』ではありません。

『一神教』では、ローマ法皇のような高位の聖職者は、信者の尊敬の対象になりますが『予言者』ではありません。聖職者は信者の中のリーダーで、信者を統率し、教義の布教に関与しますが、『予言者』とは呼ばれません。教義は原則として与えられたものであり、聖職者がこれを都合よく解釈することは許されません。キリスト教の信者は『使徒信条』を無条件に受け入れることを求められます。

仏教の影響を強く受けてきた日本人には、『一神教』は分かり難い世界です。『一神教』では、『神と人は別物。当然人は神になれない』が教義の前提ですが、仏教では、『人は修行を積んで悟りを開けば、仏になれる』ということですから、両者には天と地ほどのひらきがあり、仏教の考え方で『一神教』を観ても、分からないのは当然です。キリスト教でも『神と一体になる』という微妙な表現がなされたり、『聖人』とみなされる人がいたりしますが、『神になった』わけではありません。『唯一神』は『絶対者』であり、論理の上でも、これに人間がなれるはずはありません。

仏教は、釈迦の説いた最初の教えと、その後の布教で各地の土着宗教と融合したために変容してしまった内容とが、必ずしも同じでないために、これまた分かりにくいところがありますが、基本的には、『自分の中にある仏へ近づく』ことを重視しています。誰もが自分の中に仏を持ちながら、煩悩が邪魔をして、仏になれないか、仏を持っていることさえ気づかずに生きていることになります。高僧は、より仏に近づいた人ですので、信者は、高僧の説話を、自分も仏に近づこうと拝聴します。仏教の高僧と、『一神教』の聖職者の立場は、このように微妙に異なっています。

『一神教』の『予言者』は、神と交信ができて『神の意図』を知ることができる『特別な能力を持った人間』であると考えられます。問題は、『予言者』の云っていることが本当に『神の意図』なのかどうかを、他の人は知る術(すべ)がないことです。仮に本物の『予言者』がいるとしても、偽物の『予言者』と区別することが困難です。歴史上、『我こそは予言者なり』と主張した人は沢山います。基本的に周囲はは『信ずる』か『信じないか』の選択を迫られます。

そこで、多くの『予言者』は、『奇跡』を演じて見せて、自分が『特別な能力を持った人間(神の意図を伝える能力をもった人間)』であることを示すことになります。『一神教』の予言者には、何らかの『奇跡』がつきまといます。『モーゼ』は、海の中に道を作ったり、神の書いた『十戒』の石板をシナイ山から持ち帰ったりします。イエス・キリストは『神の子』で、『予言者』を超えた存在とされていますが、やはり『奇跡』が周辺に存在します。その最たるものが『自らの死後の蘇(よみがえ)り』です。

『The Fifth Mountain』という小説の中でも、予言者『エリア』は、一度死んだ子供を生き返らせるという『奇跡』を、神の意図に従って行います。

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2011年1月28日 (金)

パウロ・コエーリョ『The Fifth Mountain』(2)

パウロ・コエーリョの小説は、『人間の精神世界の不思議さ』がテーマですから、主題を提示するために用意される物語(ストーリィ)は、必ずしも現実味(リアrティ)が追及されてはいません。ゴッホの『ひまわり』は、写真のように精巧に描写されたものではなく、むしろデフォルメされ、突飛な色使いですが、むしろ本物の『ひまわり』以上に、観る人に『生命』や『存在』を感じさせるのと同じ話です。

パウロ・コエーリョの小説は、時代背景が『現代』であっても、読む人に『別世界』をのぞき見ているような印象を与えます。それは子供が『童話』に接している時の感じに似ています。彼の小説は、簡素なタッチで描かれた『大人の童話』のような印象ですが、問いかけてくるテーマは深遠です。

今回読んだ『The Fifth Mountain(五番目の山)』は、ユダヤの大予言者『エリア』が主人公で、古い昔が時代背景(BC870年頃)の小説ですから、パウロ・コエーリョが一躍有名になった『The Alchemist(錬金術師)』と同様に、『大人の童話』の印象が一層強いものでした。

『エリア』は、ユダヤ人、ユダヤ教にとっては『モーゼ』とならぶ大予言者で、キリスト教の旧約聖書にも登場しますから、西欧の人たちにはなじみ深い人物です。『エリア』は、イスラエル王国へフェニキア(現在のレバノン)から嫁いだ王妃イゼベルが、彼女が信仰する多神教の神『バール神』をユダヤ人に拝むよう強いたことに、『唯一の神(ヤーヴェ)』以外は神ではないと敢然と反対したことで有名です。旧約聖書に現れる『エリア』は、『バール神』を信奉する対立者を皆殺しにするなど、激しい人物として描写されていますが、『The Fifth Mountain』では、神の意図が理解できずに悩み、時に神に背こうとしたりする親しみやすい『青年』として登場します。

パウロ・コエーリョは、この小説の『エリア』を介して、『人生に待ち受けている、不条理、不都合に見える避けがたい出来事を、人はどのように受け止め対応すればよいのか』という問題を提示しています。

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2011年1月27日 (木)

パウロ・コエーリョ『The Fifth Mountain』(1)

ブラジル人作家のパウロ・コエーリョは、4年前に偶然読んだ『錬金術師(Alchemist)』以来梅爺のお気に入りになり、本屋の洋書コーナーで、彼の小説(英語版ペーパーバック)を見つけると購入する習慣が身についてしまいました。

彼の小説が何故梅爺を惹きつけるかは簡単な話で、一貫して人間の精神世界の不思議さをテーマとしているからです。梅爺流に表現すれば『脳の情と理の摩訶不思議な絡み合い』がテーマであり、『究極の心の安らぎとは何か』というような疑問が小説の中で提示されるからです。当然『愛』『善良』『神』というような、抽象概念の本質へ迫ろうとします。『梅爺閑話』をお読みいただいている方には、梅爺の興味の対象と極めて似ていることに気づかれることでしょう。

梅爺は、『梅爺閑話』を書き続けて、自分の興味の対象が、世の中の多くの方々のそれに比べると『ズレている』ことを思い知るようになりました。元々『少しはズレている』と感じていましたが、これほど『ズレている』とは、予想していませんでした。多くの方々の興味の対象は、『事実としての知識を得る』ことであったり、『世相(政治、経済、事件)はどうなるのかを予測、批判する』ことであったりで、梅爺もこれらに無関心ではありませんが、それ以上に『脳の情と理の摩訶不思議な絡み合い』に強く惹かれてしまいます。しかし、もし梅爺が若い頃にパウロ・コエーリョの本に出会っていたら、これほどの関心を示さなかったのではないかと思います。人の興味の対象は、年齢とともに変わります。

確かに、『愛』『善良』『神』について、いくら考えてみても万人が納得する回答(知識)は得られないことは、梅爺でも『理』では分かって、『時間の無駄ですからお止めなさい』という忠告はごもっともと思いますが、哲学者が、あまり実生活に役に立たない問題に引きずり込まれていくのと同じで、生まれつきの性格として受け容れるしかないと観念しています。

しかし、梅爺が『ズレている』とすれば、パウロ・コエーリョも『ズレている』はずですが、彼の小説が、世界中でベストセラーになるのは、どういうことなのでしょう。本当は誰もが梅爺のような興味を持っていながら、普段はそれを隠しているということなのでしょうか。『隠れ梅爺』が意外に多いということなのでしょうか。

今回は『The Fifth Mountain』という小説を読みました。

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2011年1月26日 (水)

ヒトはいつサルと決別したのか(4)

エチオピアでは、『アルディ』より更に古い、570万年前のヒトの歯や骨のかけらが見つかり、『アルディピテクス・カダバ』と命名されていることを番組は伝えていました。調査結果が明るみに出るには、『アルディ』同様、数十年の月日を要することになるのでしょう。しかし、人類考古学は、着実にヒトがサルと決別した時期をジワジワと追いつめていることになります。

チンパンジーやゴリラが、数百万年のあいだ大きな進化をせず、ヒトだけが、画期的な進化を遂げたのは何故かと昔梅爺は疑問に思っていましたが、『生物進化』の本質を理解すれば、これは単純に説明がつきます。つまり、『進化』は、『環境の変化』に適合した突然変異種が生き残って起きるということで、環境が変わらなければ『進化』は進まないということに過ぎません。深海にすむシーラカンスは、深海の環境が同じであるために、数億年前と同じ生態を継続しています。チンパンジーやゴリラは、ジャングルの樹上生活という同じ環境が継続できたために、昔のままの生態を継続していることになります。

ヒトが生き残るために、それまでの生活環境とは異なった環境へ進出せざるをえない状況を強いられたのは、何が原因かは興味の対象ですが、結果的に環境の変化への対応は、『知恵』を必要とし、脳の進化が起きたのではないでしょうか。しかし、ヒトの脳が何故画期的に進化し、言葉や抽象概念を操って、相互にコミニュケーションを行う生物に進化したのかは、現代科学をもってしても、全て解明されているわけではありません。脳科学には、未知の領域が沢山残されています。

多くの生物種は、環境が変われば対応できずに絶滅します。ヒトもその宿命を帯びていますが、それでも、次々に襲いかかる環境の変化に耐えて、生き延びてきたことになります。生物は安泰を維持しようという本能を持ち合わせていますが、ヒトは獲得した理性で、あえて安泰ではないことにも挑戦しようとする特殊な生物に変化したとも言えます。脳の進化のきっかけも、『偶然による突然変異』であったことは確かですが、環境への対応にこれが効果的に作用し、獲得した高度な『言語』や『知恵』が、更なる進化へ拍車をかけたのではないでしょうか。

一歩間違えば、絶滅したであろう状況を、幸運にも切り抜けた先祖に、私たちは感謝しなければなりません。現生人類は、『偶然』と『必然』のきわどい綱渡りの末に、現在に至っていることがわかります。

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2011年1月25日 (火)

ヒトはいつサルと決別したのか(3)

復元された猿人『アルディ』を見ると、身体はチンパンジーより、少し大柄ですが、頭の大きさや脳容積は、ほぼチンパンジーと同じ程度です。全身が体毛に覆われていて、少なくとも顔つきは、人間よりもはるかにチンパンジーに近いものです。

しかし、チンパンジーと決定的に異なっているのは、既に『直立2足歩行』をしていたことが、骨盤の骨格から明白なことと、チンパンジーやゴリラの特徴である『ナックル歩行』の痕跡が見当たらないことです。『ナックル歩行』というのは、四肢を使って歩行する時に、手の握りこぶしの外側(甲の部分)を地面につけて歩く特徴のことです。ところが、『アルディ』の足の骨をみると、チンパンジーと同じように親指で物をつかめるような構造になっています。このことから、『アルディ』は、通常は地上を直立2足歩行していて、それでも木の実をとるような時には『木登り』もしていたと推測できます。

ヒトがサルと決別するきっかけは、樹上生活から地上生活へ生活環境を変えた(変えざるをえなくなった)ことであり、ヒトの特徴である『直立2足歩行』はこれで始まった、というのが人類考古学の今までの『仮説』です。

この『仮説』を検証するために、国際調査隊は、『アルディ』の骨が埋まっていた同じ地層の、他の動植物の化石も採取し、当時の環境を再現します。その結果、『アルディ』は、灌木しかないサバンナ地帯ではなく、『豊かな森林』の中で生活していたことが判明しました。樹上生活が可能な環境で、既に『直立2足歩行』をしていたということですので、従来の仮説を再考しなければならない画期的な『事実』が明るみに出たことになります。現在灼熱の荒れ地であるエチオピアの調査場所は、440万年前は、豊かな森林地帯であったということです。

ヒトの脳が、急速に発達し、容積が増え始めるのは、200万年くらい前からと考えられていますので、『アルディ』よりずっと後のことです。『脳の進化』と『直立2足歩行』は『関係している』と推測されていますが、『直立2足歩行』を開始してから、かなりの時間(2~3百万年の間)脳はそれほど進化していないのは、何故かという疑問が残ります。脳の進化を促した決定的な要因は他にもあると考えたくなります。『2足歩行』という点では『恐竜』もそうですが、何億年もの生息期間に、人間のような高度な脳を獲得した形跡はありません。

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2011年1月24日 (月)

ヒトはいつサルと決別したのか(2)

ヒトの祖先の骨の化石としては、1974年にエチオピアで発見された『アウストラロピクテス・アファレンシス(通称ルーシー)』と呼ばれる320万年前の女性の骨が従来『最古』でしたが、1981年に、同じくエチオピアで、440万年前のヒトの先祖の『大臼歯』が一つ見つかり(発見者は、東大教授の諏訪元教授)、その後国際調査隊が、10年をかけて付近からバラバラになってしまっていた『同じ個体の他の骨』を拾い集め、『アルディピテクス・ラミダス(通称アルディ)』と命名されました。『アルディ』も女性であったと推定され、猿人に属します。

バラバラになっていて、触っただけでも粉々になってしまう可能性のある骨の部分を、丹念に地層の中から採取する作業を、猛暑の中で10年も継続する科学者の『根性』には頭が下がります。更にその後10年をかけて、16ケ国40人の学者が協力して、この骨を『立体ジグゾーパズル』のように復元し、現在では、『多くの新事実』が明らかになってきました。

この発掘から復元へいたる過程を追ったドキュメンタリー番組がNHKBSハイビジョンで放送され、興味津津(きょうみしんしん)の梅爺は、録画して観ました。

最初の発見者の東大の諏訪教授は、今でも国際調査チームの主要メンバーの一人ですし、仮想復元に不可欠なマイクロCTスキャン装置などは日本にしかありませんので、日本は研究に多くき貢献しています。コンピュータ・グラフィックなどの最先端技術を駆使しても、復元に10年かかる仕事ですから、いかに根気を要する大変な作業であったかが想像できます。

骨もこれくらい古いものになると、それ自体で『年代測定』が困難らしく、骨が埋まっていた地層の地質学調査で、440万年前が特定されました。岩石に含まれている微小なアルゴンガスの量で測定するというもので、誤差はプラス・マイナス5万年ということですから、科学の威力には驚かされます。

生物種として、ヒトはいつサルと決別したのかは、500~800万年前と推定されています。現生人類とチンパンジーの進化を後戻りでたどれば、『同じ祖先に到達する』であろうという推測ですが、復元された440万年前の猿人『アルディ』からは、チンパンジーの典型的な特徴が、必ずしも確認できないことから、ヒトとチンパンジーの祖先が『同じ』とは、単純には言えないと番組は説明していました。更に遠い祖先に遡れば、ヒトとチンパンジーの祖先は同じとは言えますが、ヒトの近い祖先にチンパンジーの先祖を位置づけるのは、間違いかもしれないという話です。

しかし、遺伝子工学の分野では、現生人類とチンパンジーの遺伝子の違いは3%程度と言うことも判明しており、生物種として近い関係にあることは事実ですので、人類考古学と遺伝子工学が、今後総合的にどのような矛盾の少ない説明を見出すのかは注目に値します。

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2011年1月23日 (日)

ヒトはいつサルと決別したのか(1)

5000年前には、現生人類の脳の基本能力は、現在の私たちとほぼ同じレベルに進化していたのではないかと思います。ピラミッド建設当時のエジプトの赤ん坊を、タイムスリップで現代に呼び寄せ、しかるべき訓練や教育を施せば、成人になって違和感なく現代の社会に適合できるのではないでしょうか。ピアノを弾き、車を運転し、携帯電話やパーソナル・コンピュータを使いこなすでしょう。

生物としては同じレベルであり、脳の基本能力もほぼレベルであるにも関わらず、生活環境が大きく異なっているのは、私たちが豊富な『科学知識』を獲得し、それを利用する知恵の量が格段に違うからです。しかも、その違いは、ここ2~3百年の短い期間に急に顕著になりました。永い永い人類の歴史の中で、現代に生きている私たちは、『非常に特殊な時代を経験している人間』なのです。

勿論、5000年の間に、宗教、哲学、思想、芸術なども、洗練の度合いを高めて、人間に影響を及ぼし続けてきましたが、科学の影響に比べれば、大きいとは言えません。現代のような科学知識を持たない5000年前の人たちも、『脳の推論能力』は、私たちと変らないと考えれば、宇宙や人間の創生について、『こうであるに違いない』と考え、やがて『そうなのだ』と信ずるようになったことは、特に驚くべきことではありません。梅爺が、不可解な事象に対して、先ず『こうなのではないか』と思いつき(想像し)、その後あまり矛盾に遭遇しなければ『やっぱり、これに間違いがない』と確信を深めていくのと少しも違いがありません。

しかし、科学が事実を明らかにすると、それまでの『こうである』と信じていたことが、完全に覆ってしまうことも起きます。『地動説』『生物進化論』『相対性原理』『ビッグバン』などがその代表例です。

特に、ダーウィンの『生物進化論』が、人間に与えたインパクトは量り知れません。現在でも『生物進化論を信じない』『人間を冒涜する生物進化論を子供に教えてはいけない』と主張する人が世界には沢山います。特に宗教関係者は、人間と神との関係をどう説明するのかで困惑することになってしまいました。『神が、神に似せて人間を創った』という説明がしにくくなってしまったからです。

ダーウィンの頃は、『ヒトはサルから進化した』は、確証のない『仮説』でしたが、現在では、エチオピアで、3~5百万年まえの、人類の祖先の化石が見つかって、『生物進化論』は、実証されつつあります。

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2011年1月22日 (土)

闇に鉄砲

上方いろはカルタの『や』、『闇に鉄砲』の話です。

闇にまぎれて見えない獲物や敵へ向かって、鉄砲を撃ってみても、しとめる可能性が低いことから、手段は間違っていないにしても、目的を達成するには効率が悪いことを人は知らず知らずにやっていることがある、と皮肉っています。

しかし、この状況は、自分が相手を倒さなければ、自分がやられてしまうという、『恐怖心』が背後に存在しているように思えます。強い『恐怖心』に襲われると、人は理性で自分を抑えることができなくなり、一見バカなことをしでかしてしまうものだという意味が込められているような気がします。

人間の脳は、人間の素晴らしさの根源で、高尚なものであると考えられがちですが、生物進化の過程で、必ずしも高尚ではなかった時代の、野生的、動物的な資質も受け継いで保有していることを無視はできません。これらの資質の多くは、本能的な『情感』で、自分では理解できない、得体のしれないものに『恐怖』を感ずるのはこのためです。

『得体のしれないもの』に対しては、『逃げる』『闘う』『動かずじっとしている』などの選択判断を即座に行わないと、生き残れないために、『恐怖心』は、極めて重要な本能であることが分かります。

後に人間は『理性、知性』を獲得し、『得体のしれないもの』を解明して安心しようとするようになりました。このことにも動物的な『好奇心』という本能が働いています。『好奇心』は相手を識別し、自分の行動を決めるためのもので、これも生き残りには必要な本能です。『科学』や『哲学』はこれによって発展しました。『科学』や『哲学』は、『疑う』ことから出発しますが、『信ずる』ことから出発する『宗教』も、同じように人間が『得体のしれないもの』に『理性、知性』で対応したものであろうと梅爺は考えています。

人間の脳は、外部の情報に対して、まず『情感(本能)』処理で対応し、そののちに『理性』が働くようにできているように見えます。人間の脳が進化してきた過程を考えれば当然のことと納得がいきます。問題は、『情感』の反応が強い時には、『理性』が鈍ってしまうことです。『恐怖心』に駆られて『闇に鉄砲』を撃ってしまうのはそのためです。

『情感』の興奮度が高いと、冷静な『理性』の判断を欠くことから、『平常心』が重要だと、多くの場合云われます。しかし、平常でない環境で『平常心』を保つことは、易しくはありません。梅爺も、『平常心』が好ましいとは思いますが、現実には、事あるごとに右往左往しながら生きています。多分今までに沢山の『闇に鉄砲』を撃ってきたにちがいありません。

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2011年1月21日 (金)

ヘレン・ケラー(4)

ヘレン・ケラーが、人間らしい『精神世界』を獲得していく経緯は、人類が『精神世界』を獲得していったプロセスを知る手掛かりになると昨日書きました。

『合図』『警告』『威嚇』などの手段であった『言葉』に、『具象物の名前』『行動することの名前』『抽象概念の名前』とそれらを結びつけて表現する『時制』『文法論理』なども取り入れ、『人と人の絆』を共通に確認できる現在の『言語』にまで、進化させてきたことが分かります。特に『抽象概念の名前』を思いついたことが、人間の『精神生活』を無限に近い広さへ押し広げたと言えます。高度な『抽象概念』を共通の理解としてコミュニケーションに利用しているのは、生物の中で人間だけであるような気がします。

この番組で、『京大赤ちゃん学センター』の小西行郎教授が紹介され、梅爺は嬉しくなりました。このような研究の成果が、梅爺が願っている『幼児の情操教育』に活かされる可能性を感じたからです。

小西教授によれば、人間が最初に獲得するコミュニケーション手段は『触覚』で、赤ちゃんは胎児の時から、これで周囲を探ろうとしているとのことでした。逆に、赤ちゃんには、できるだけ『触れてあげる』ことが、いかに重要な意味を持つかが分かります。母親と授乳のときに、肌と肌で触れ合うことも、赤ちゃんにとっては『心の安らぎ』を得ることにつながります。こういう触れ合いを十分に体験しなかった赤ちゃんは、情緒が不安定な子供、大人に育っていくとしたら、母子教育を義務付けてまでも、これを徹底すべきです。日本を『思いやりに満ちた国』にしたいのなら、こういうレベルからの対応を必要とすることを、何故政治家は気付かないのかが梅爺にはわかりません。『子供手当』より、こちらが優先事項ではないでしょうか。

ヘレン・ケラーは、後に秘書となったピーター・フェーガンと恋に落ち、結婚して子どもも欲しいと願いますが、ヘレン・ケラーの母親の反対でかないませんでした。ピーター・フェーガンが、人種差別反対論者であったことが、アラバマ州の保守的な母親には受け容れてもらえなかったからです。『人と人との絆』の障害になるものが、人間の『信念』や『価値観』の相違であることが分かります。このようなパラドックスの中で、私たちは生きていることになります。

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2011年1月20日 (木)

ヘレン・ケラー(3)

ヘレン・ケラーが、どのようにして外の世界と会話できるようになっていくのかを観ると、人類のコミュニケーション手段獲得の経緯や、本能的な希求が何であるかが推察できるような気がします。

サリバン先生に出会う前は、野獣のように荒れ狂い、家族は途方に暮れていました。他人とコミュニケートしたいという欲求が満たされない苛立ちのためと考えられます。『人と人の絆』が確認できない時、人間は『不安』のストレスを強く感じます。生き残りの可能性を高めるために『群で行動する』習性を本能で獲得した人間は、『孤独』が最大のストレスになります。言葉を話し始める直前の幼児が、よく『夜泣き』をするのもこのためと考えられています。『伝えたいのに、伝えられないもどかしさ』は、人間にとって想像以上のストレスなのです。『人と人の絆』を失ったり、他人と思うようなコミュニケートができないと感じた時に、『自分のことを理解し、受け容れてくださる神や仏』を信ずることで、『心の安らぎ』を得ようとします。宗教の本質的な意義はここにあるような気がします。

有名な逸話として語り継がれてきたように、ヘレン・ケラーは、少女期にポンプの水に手をさらしていて、突然『ものには名前があること』を認識します。サリバン先生が、何度も何度も掌に、『WATER』とアルファベットを『触覚手話』で書き綴った時のことです。この時の雷に打たれたような感動を、後年彼女は『心が解き放たれた』と表現しています。

その後彼女は、『愛』という言葉の意味を苦労の末理解し、『抽象概念』にも名前があることを知ります。この時から、彼女の『精神世界』は一気に広大なものになり、大学で哲学を学んでデカルトに惹かれていきます。『全てのことは疑わしいが、全てのことを疑わしいと考える自分の存在だけは確かなものだ』という有名な『われ思う、故に我あり』を学び、健常者が見聞きしていることも、必ずしも『確かなもの』ではないことを知って、勇気づけられます。東大の福島智先生(盲聾者)も、『いつも座禅を組んでいるようなもの』と、ご自分を表現しています。『心の眼』は、実際の眼より、『広大な世界』を観ることができるのかもしれません。

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2011年1月19日 (水)

ヘレン・ケラー(2)

ヘレン・ケラーは『奇跡の人』ではない、という表現は誤解を生みかねません。『盲聾者』は、条件がそろえばヘレン・ケラーのようになれる可能性を秘めているということで、誰もがヘレン・ケラーのようになれるわけではありません。

人間の脳が、障害を克服するために、対応機能を柔軟に変えていく資質を保有しているという事実には勇気づけられますが、『盲聾者』の教育・訓練には、施設や多くの人手が必要になりますし、社会生活をするには、四六時中付き添う『触覚手話通訳』を必要となります。当事者だけの経済的負担では対応が困難です。『裕福な国』『福祉制度が充実している国』『文明レベルの高い国』でないと、ヘレン・ケラーは出現しません。日本には、現在『盲聾』の障害を抱えながら、東大教授である福島智先生がおられます。このことは『日本の誇り』ですが、日本が更に、障害者福祉を政治の最優先課題の一つとして充実させる国家であって欲しいと梅爺は願います。『専従通訳者』になることを目指す若者が増えるような社会体制を実現してほしいとも願います。

『盲聾者』が、外の情報を取得する最大の手段は『触覚』です。『健常者』は、視覚情報、聴覚情報を脳の『視覚野』『聴覚野』で処理し、更に『言語野』を使って会話をしています。普通に考えれば、『盲聾者』の『視覚野』『聴覚野』は、『未使用状態』のはずですが、最近のハーバード大学の研究は、『盲聾者』が『触覚手話』で会話している時に、『視覚野』『聴覚野』が活発に機能していることを突き止めました。

これは一体どういうことなのでしょう。実際には『見ていない』『聴いてない』ことを『盲聾者』の脳は、『見ている』『聴いている』ように対応していることになります。情緒的な云い方をすれば、『心の眼、心の耳』で、見聞きしたものを、情報として処理していることになります。勿論、実際の眼で見たものと、心の眼で見たものは、情報内容が異なっているはずですが、処理はどちらも『視覚野』で行われるというところに脳を解明するヒントがあるように思います。

脳の一部に損傷をうけた人が、リハビリで機能回復していくのは、脳の別の部分が代替機能をはたすようになるためと聞いたことがありますが、観方をかえれば、この『盲聾者』の例も、『脳の柔軟な代替対応機能』を示す例なのでしょう。

人間の脳が、どのような進化の過程を経て現在に至っているのかを重ね合わせて考えると、何故脳は『柔軟な対応能力』を秘めているのかの謎が解明されるような気がします。人間は、脳と言う未知なるものを保有し、その未知なるもののお陰で生きているという不思議な存在なのです。

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2011年1月18日 (火)

ヘレン・ケラー(1)

NHKハイビジョン放送で、『私は”奇跡”ではない』という、ヘレン・ケラーに関するドキュメンタリー番組があり、録画して観ました。

女優の大竹しのぶさんが、アメリカ、アラバマ州のヘレン・ケラーの生家を訪ねるなど、番組の進行役を務めています。大竹さんは、永年舞台劇『奇跡の人』で、サリバン先生役を演じてきて、英語のアルファベットの簡単な『触覚手話表現』もできるようでした。

ヘレン・ケラーは、アラバマ州の富豪の娘として生まれました。生誕130年ということで、昨年記念の番組が作られたのでしょう。産まれた時は健常者でしたが、1歳7ケ月の時に熱病に冒され、視覚と聴覚を失います。幼児期になり、外界との意思疎通ができない苛立ちから粗暴を繰り返し、途方に暮れた両親は、ボストンの盲学校の若い先生アニー・サリバンを養育係として雇います。

ヘレン・ケラーにとって幸運だったのは、個人養育係を雇えるほどの富豪の娘として産まれたことと、このサリバン先生が、卓越した能力の持ち主であったことと言えます。同じ盲聾(もうろう)の不幸を背負った多くの子供は、幼児期の粗暴な振舞いから『精神異常者』と判定され、不幸な扱いを受けたに違いないからです。

ヘレン・ケラーが『奇跡の人』と呼ばれるようになったのは、その後ボストンの盲学校から、『ラドクリフ・カレッジ(ハーバード大学の女子部)』へ進学し、哲学を専攻して、卒業後は、自伝を出版したり、貧困と差別の撤廃を訴えて、世界中を飛び回ったりしたためです。勿論、日本へも来ています。

人間は、視覚と聴覚で、外界のほとんどの『情報』を取得していますから、これなしの生活は、どのようなものかさえも想像が困難です。にもかかわらず、ヘレン・ケラーは、健常者でも難しいと思われる『認識』『表現』『思考』ができるようになったわけですから、『奇跡の人』と呼ぶ以外にないと考えられてきました。しかし、最近ハーバード大学の脳科学者が、『盲聾者(もうろうしゃ)』の脳の働きを研究し、ヘレン・ケラーのようなことが何故可能になったかについて、原因を明らかにしました。

この脳科学者は、『ヘレン・ケラーが奇跡なのではなく、人間は誰でもそのようなことが可能になる脳のしくみを保有していることが奇跡なのです』と語っています。

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2011年1月17日 (月)

アンジェイ・ワイダ(3)

『アンジェイ・ワイダ』は、社会主義のポーランド政府から見ると、『好ましからざる人物』であったに違いありません。『夜の終わり』では、抑圧された社会の若者達の生態を描き、背景の音楽にポーランドでは『アメリカ資本主義の退廃の象徴』であるとされるジャズさえも使っています。政府が、苦々しく思いながら認めざるを得なかったのは、『アンジェー・ワイダ』が、世界中から高い評価を得てしまっていて、皮肉なことに、それはポーランドの名誉でもあったからではないでしょうか。こんな有名人を政府が抑圧したら、世界中から『人権問題』として非難されることも承知していて、迂闊に手が出せなかったというのが実情でしょう。『アンジェイ・ワイダ』は、社会主義政権末期に、反政府で立ち上がったワルサの『連帯』を支持することも公言していました。

それでも彼は、直接的に社会主義を非難する映画は、勿論作りませんでしたが(実態は、作りたくても作れなかった)、国威発揚の『ちょうちん持ち映画』も作りませんでした。多くは『ナチに侵略された時代』やそれ以前のポーランドを時代背景として、『不条理』に巻き込まれる人間を描いていますが、観かたをかえれば、『スターリンの侵略』や、社会主義ポーランドの『不条理』を暴いていることにもなります。

『アンジェイ・ワイダ』は、学生時代に美術を専攻したこともあり、見事な『映像美』が特徴ですが、何よりも『人間の描き方』で傑出しています。黒澤明の『赤ひげ』や『椿三十郎』のような、個性や能力を誇張するが故に現実味を欠くヒーローを登場させたりはせず、どこにでもいそうな人物の『臆病なのに勇気を振り絞る』『良心を押し殺してでも欲得に走る』姿を、的確に描き出します。キャスティングも見事で、それらしい振る舞いの人物には、それらしく見える役者を割り振っています。リアリズムを重視するタイプの監督なのでしょう。

何気なく見える『しぐさや台詞』の中に、『矛盾だらけの人間』をうまく表現していますので、『アンジェイ・ワイダ』という人の人物観察眼、人間の本質を洞察する能力が、特段に秀でていることが分かります。

梅爺は前に、梅爺が選ぶ『五つの映画ランキング』をブログで紹介しましたが、その頃は『アンジェイ・ワイダ』を知りませんでしたので、彼の作品は含まれていませんでした。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_7602.html

今なら、間違いなく『約束の土地』などが、上位にランクインします。

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2011年1月16日 (日)

アンジェイ・ワイダ(2)

『アンジェイ・ワイダ』のすごいところは、その代表作の大半を、ポーランドが共産主義体制下にあったときに、監督制作していることです。政府が制作費を出すと言う特典があるのかもしれませんが、脚本レベルからの徹底検閲を受け、『社会主義イデオロギーに反するもの』『西欧、特にアメリカの退廃文化を是認するもの』は全て削除され、ひどい場合は、出来上がった映画の撮りなおしを強要されたり、エンディングを脚本とは全く異なったものに変更するよう命じられたりしたと、『アンジェイ・ワイダ』は後に述懐しています。彼は、80歳半ばの年齢ですが、今も健在です。

これほどの『手かせ足かせ』の中で、世界の映画人が『ウーン』と唸る映画を制作したわけですから、もし『手かせ足かせ』が無かったら、どんなことになったのだろうと想像してしまいますが、ひょっとすると『制約』が反って『研ぎ澄まされた才能』を開花させたのかもしれません。不思議なことに、人間は『制約』や『逆境』を跳ね返し、糧にして、飛躍することがあります。貧しい家庭から偉人が出てくる確率が高いのも、その証左です。

資本主義社会では、映画はビジネスですから、どんなに芸術性に優れ、一部の批評家が絶賛しても、『興行収益』があがらなければ、失敗ということになります。ビジネスでは、この『ボトム・ライン(最終結果)』の責任を負うことが経営者の務めですから、リスクを避けて『大衆迎合作品』に映画界は走り勝ちです。そこで『大スペクタクル』『痛快活劇』『陳腐な勧善懲悪』『薄っぺらいお涙頂戴』『性と暴力』の映画が増えますが、大衆もまたしたたかで、これを見抜き、必ずしも単純に受け容れたりはしません。この『ボトム・ライン』と『大衆のしたたかさ』の『せめぎあい』の中で、映画文化は、進化していきます。

『アンジェイ・ワイダ』にとっては、政府の検閲が最大難関で、それを潜り抜ければ『ボトム・ライン』は気にせずに映画を作れたのかもしれず、それが結果的に『すばらしい映画』を産み出すことにつながったのかもしれません。

『アンジェイ・ワイダ』の作品は、西欧の映画祭で最高の賞を総なめしましたので、当時の社会主義ポーランド政府としては、『外貨獲得』『国威発揚』ともなり、彼のわがままに、仕方なく目をつむることを余儀なくされたとも考えられます。ほんものの才能は、どんな制約の中でも輝きを放つものだという典型かもしれません。

『地下水道(モノクロ)』『灰とダイヤモンド(モノクロ)』『夜の終わのに(モノクロ)』『約束の土地(カラー)』を梅爺は、今までに録画して観てきました。どれも甲乙つけがたいすばらしい映画です。梅爺が知性を感ずる映画監督は、『エリヤ・カザン(アメリカ)』『ルキノ・ヴィスコンティ(イタリア)』ですが、『アンジェイ・ワイダ』はそれ以上かもしれません。日本の黒澤明とは、作風が異なりますので、単純な比較は難しいのですが、『人間を洞察する鋭い感覚』では、『アンジェイ・ワイダ』が上のような気がします。

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2011年1月15日 (土)

アンジェイ・ワイダ(1)

テレビが普及する前の時代は、『劇映画』が最高の大衆娯楽でした。梅爺が高校生のときに、新潟県の長岡でもテレビ電波が受信できるようになり、我が家に、初めてモノクロ・テレビが設置され、大興奮したことを今でも鮮明に覚えています。それ以前の小学校、中学校時代は、映画館へ行って『映画』を観ることが、最大の楽しみで、映画館の中で、日常とは異なった別世界に、ただただうっとりしていました。

大学時代は、下宿住まいの侘しさを紛らわせるために、時折映画館へ出向きましたが、就職後は、映画館で映画を観る機会はほとんどなくなりました。そのかわり、テレビで放映される映画をテープに録画して観ていましたが、当時のテレビは小画面の上に、テープ録画したものは画質も悪いものでした。それでも、『テレビ画面で、テープ録画の映画を観るということは、こんなものだ』と思っていましたので、特段不満を感じていたわけではありません。

現役引退後は、奮発して梅爺専用のハイビジョン対応テレビを購入し、ハイビジョン録画も可能な録画環境も整えましたので、映画館並みとはいかないまでも、かなり鮮明で迫力のある映像を独り占めして楽しめるようになりました。これ以外にも、封切された話題の映画は、シネマ・コンプレックス(映画館)へ出かけて観ています。シニア向け料金1000円というのも、ありがたい話です。

というようなわけで、最近は、テレビで放映される面白そうな映画を、片っ端から録画して、観るようになり、少々映画中毒になりかけています。ソファーにふんぞり返っているだけですから、不健康と言えばそのとおりですが、年金爺さんの娯楽としては、こんな安上がりなものはありません。

人生経験を積み、外国も少しは見聞し、その上屁理屈爺さんになっていますので、子供のときのように、映画の中の別世界にうっとりするというような初々しさは無くなり、荒唐無稽を、さも現実のように見せようとする演出には、『おいおい、それはないだろう』などとブツブツ独り言を言いながら、批判精神旺盛に映画を観るようになりました。

期待して観たら面白くなかったり、あまり期待せずに観たら、めっぽう面白かったり、映画は、本を読むのと似たところがあります。そうこうするうちに、好きな作家が見つかるのと同様に、好きな映画監督も自然に見つかります。

梅爺は、ポーランドの映画監督『アンジェイ・ワイダ』に惹かれるようになりました。

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2011年1月14日 (金)

古希に達す

本日(1月14日)で梅爺は満70歳の誕生日を迎えました。『古希(古来稀なり』ということで、数世代前の日本人なら『永生きの爺さん』ということになりますが、現代の日本では、有難いことに医学の進歩のお陰もあり、あまり珍しくない『普通の爺さん』の部類に属します。それでも、同年輩の知人、友人の中には、既に冥界入りされた方もおられますので、70年間生きて来られたことは、幸運で感謝以外のなにものでもありません。

『お前は与えられたただ一度の命の価値を輝かせるように、精一杯生きてきたと言えるか』と問われれば、自信をもって『ハイ』とは答えられませんが、さりとて、『周囲をだましてチャランポランに生きてきたとは思っておりません』程度の答えはお許しいただけそうな気がします。『おまえは、おまえで丁度良い』という『仏さまの言葉』なるものを、まえに紹介したことがありますが、梅爺の今までの人生は『分相応か、分以上のもの』であったと感じています。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_e6f5.html

現生人類の歴史は、地球や生物の歴史に比べれば、非常に短く、たった17万年です。更に、文明と呼べるものを獲得してからは、5000年程度しか経っていません。その間、多くの人間は、生まれてから死ぬまで、ほとんど変わらない環境での人生を送ってきました。むしろ人生で激動期、変革期に遭遇した人の方が少ないと言えるのではないでしょうか。

梅爺の今までの70年は、そこそこ激動期、変革期の部類に属するように思います。太平洋戦争勃発の年に生まれ、4歳で敗戦となり、戦災で家財をすべて失ったために、生きることがやっとの幼年期を送りました。もし、梅爺が10~20年早く生まれていたら、もっと直接的に戦争に巻き込まれ、全く異なった人生になっていたにちがいありません。これにくらべれば、梅爺ごときの体験は、本当の『激動期』とは言えないのかもしれません。

その後の『世界が目を見張る日本の復興』の中で人生を送ることになった梅爺は、子供の頃は想像もしなかった環境を、今当たり前に享受して生きています。『自分の車を保有し運転する』『新幹線に乗る』『海外を訪れる』『自分のコンピュータを保有し、インターネットを利用する』『ハイビジョン・テレビの受信と録画環境を利用する』『携帯電話、デジタルカメラを保有する』『最先端の医療技術で診断や治療を受ける』などは、子供の頃は思いもよらないことでした。そして、何よりも『宇宙の始まり』『生命の起源と進化』『生命や脳のしくみ』『情報処理技術』などに関して、70年前とは比較にならない質と量の『知識』を、梅爺でさえもが保有しています。

科学技術の急速な普及にくらべれば、社会制度の変化はそれほどドラスティックではありませんが、それでも、政治、経済、教育の環境の変化を梅爺は体験して生きてきました。

日本人として、現代に生まれ育ち、一生の間に、これほど多くの『変化』を体験した梅爺は、まことに『幸運な人類』の一人と言えそうです。

色々な課題を抱えてはいますが、日本は、世界の中では、相対的に『最も進んでいる国』の一つです。65億人の世界の人口の大半は、日本人が想像できないほどの『貧困』『飢餓』『抑圧』の中で、現在生活しています。『日本人だけが幸せなら良い』との考えは、今や成り立ちませんが、少なくとも『日本は、恵まれた環境である』ことには感謝すべきではないでしょうか。

心身がそこそこ健康である間は、ブログを書き続けようというのが、古希の梅爺のささやかな抱負です。

 

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2011年1月13日 (木)

ミステリー小説『Child 44』(4)

王侯貴族や資本家による国家支配を排除し、労働者による理想的な国家建設を目指した、社会主義、共産主義が何故挫折したのかについては、色々な見方ができます。目的そのものに無理があったのか、推進した方法に無理があったのかは必ずしも明確ではないように思えます。

国家体制を維持するために、障害となるものは、すべて排除し、内外に向かって『自分たちの体制』の素晴らしさを喧伝し続けるのは、別に共産主義国家に限った話ではないことは、日本も『国体護持』を掲げ、『神国日本』を喧伝した過去があることから明らかです。国家体制維持を最優先すべきという主張は、正しいか正しくないかは別にすれば『理』による論理です。しかし、この結果、個人の自由な精神活動や欲望が抑圧され、それは個人の『情』に苦痛をもたらします。自分の『情』に苦痛をもたらすものは、『あってはいけないこと』『正しくないこと』と、今度は都合よく『理』で考え、国家体制維持のためなら、なんでも許されるという考え方は『間違い』という結論に多くの人たちはたどり着きます。

『理』だけで『情』を抑圧すると、人間は苦痛を感じたり、意欲を失ったりし、社会の活力が減じてしまうことになります。いくらきれいごとを並べてみても、活力を失った社会は、魅力的ではありません。一党独裁の共産主義国家である中国が、個人の経済活動(金儲け)を認めることで、活力を得ているのは皮肉な話です。やがてこの矛盾は、抑えきれなくなるのではないでしょうか。

個人の欲望を野放しにしてもダメ、抑圧しすぎてもダメと、人間は実に厄介にできています。

このようなことを書いても、梅爺は『国家反逆罪』で摘発されたり、処刑されたりしないわけですから、日本はなんともありがたい国家であることを、この小説を読んで再確認しました。

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2011年1月12日 (水)

ミステリー小説『Child 44』(3)

梅爺は、幼児期に戦争(焼夷弾被爆)と悲惨な戦後生活を体験してはいますが、その後は幸せなことに『思想、信教、言論の自由』が個人の権利として認められている民主国家日本で生活してきました。

従って『思想、信教、言論の自由』を『当たり前なこと』としてきましたので、これが抑圧される社会が、どれほど苦痛で、耐えがたいものであるかは想像するしかありません。つまり、本当の痛みを知らないことになり、能天気に体制を批判したり、宗教を論じたりする『梅爺閑話』のような駄文を書くことができる有難さも、実は分かっていないことになります。

特定のイデオロギーや宗教を受け入れない人間は、『反逆者』『異端者』として処刑されるという社会は、確かに『ひどい話だ』と思いますが、社会の秩序や権威を守るために、個人がどの程度我慢しなければならないかという一般論になると、その程度は曖昧になります。前に『個と全体』についてブログを書きましたが、基本的に『個』だけでは生きていけないように宿命づけられている人間という生物が、『全体』との調和をどのように保つかは、難しい話です。『個』の主張や欲望が『全体』の存続を脅かし、ひいては『個』の存続も危うくするという論理を理解できる人は多くはありません。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-d70c.html

『思想、信教、言論の自由』が抑圧される社会では、自由な表現ができない精神的苦痛もさることながら、もっと恐ろしいことは、他人を不信の目でしか見ることができなくなることではないでしょうか。

ベルリンの壁の崩壊以前の、ソ連、東欧で、『秘密警察』が行っていた思想弾圧のすさまじさを、民主化への移行後、公開された東ドイツ『秘密警察(シュタージ)』の膨大な資料などが明らかにしています。政治犯、思想犯として投獄されていた人たちが、解放後公開された自分の調査記録を見て、自分を密告した人間が、親兄弟、配偶者、親しい友人であったことを知り、深い心の傷を負う話は、繰り返しドキュメンタリー番組などで紹介されてきました。国家の弾圧もさることながら、信頼していた人の裏切りは、人の心に耐えがたい傷を負わせることになります。

恐怖政治が生みだす、密告社会の陰湿さは、この小説でも、『もう結構』と言いたくなるくらい、これでもかこれでもかと描かれています。

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2011年1月11日 (火)

ミステリー小説『Child 44』(2)

小説の面白さの一つは、プロット(筋書き構成)にありますが、あまりに凝り過ぎると、『そんなことが、そんなうまいタイミングで、またはそのような組み合わせ条件で起きるはずがない』と読者も白けてしまいます。小説はそもそもフィクション(作り話)なので、『なんでもあり』と割り切ればそれまでですが、ミステリー小説は、リアリティ(現実味)と恐怖感や探究心を煽る対象物との組み合わせが取り得ですので、凝り過ぎがあだになりかねません。

ミステリー小説を読むのは、大人が遊園地の『お化け屋敷』をのぞくようなところがあり、最初から、これは『作りもの』であることを承知で、疑似の『恐怖体験』や『謎とき』を期待するわけですから、『作り物のお化けは怪しからん』と言うのは大人げない話ですが、それでも、『薔薇の名前』のような、低俗な『お化け屋敷』とは程遠い深い知的満足を一度経験してしまうと、ついそれをまた期待してしまいます。

この小説は、巧妙に設定されたプロットが面白さの源泉になっていることはたしかですが、梅爺の好みで判断すると、『少々凝り過ぎ』に感じます。面白さのためにリアリティが犠牲になっています。

スターリン圧政下のソ連を時代背景に、子供が次々に被害者になる『猟奇的連続殺人事件』が発生し、主人公が、この犯人を追い詰めていくストーリー展開になっています。

主人公は、パイロットとして英雄勲章を授与された赤軍兵士で、除隊後モスクワの有能な秘密警察員になります。国家反逆罪で逃亡中の犯人を追っている時に、この犯人の逃亡を幇助(ほうじょ)したという嫌疑で、ある家の夫婦が幼い子供たち(姉妹)の見ている前で、主人公の部下によって射殺されます。主人公が、『撃つな』と制したにも関わらず、部下が射殺したことに腹を立て、部下を殴りつけ、他の部下の前で叱責します。このことを根に持った部下が復讐のために主人公を罠をかけ、主人公夫婦が今度は国家反逆罪に問われて、地方へ追放され、ついには逃亡生活を余儀なくされます。

自分たちの逃亡と、連続殺人犯探しという、絶望的な二重苦の中で、主人公が知恵と勇気で困難を克服し、最後は、自分を陥れた部下への復讐も果たすという物語展開になっています。

梅爺は、筋書きそのものより、横暴な国家権力支配に、息をひそめて耐えるソ連の市民生活の実態を想像して、暗い気持ちになりました。

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2011年1月10日 (月)

ミステリー小説『Child 44』(1)

本屋の洋書コーナーに、『2009年ミステリー小説No.1』という貼り紙が添えられて、『Child 44』という英語版ペーパーバックの本が沢山陳列してありました。『No.1』とか『ベストセラー』とかいう宣伝に弱い梅爺は、早速購入しました。著者のTom Rob Smithという人は、ケンブリッジ大学卒業で、ロンドン住まいという紹介があるだけなので、それ以上どのような人物なのか梅爺には分かりません。著者の最初の作品ということですから、勿論梅爺にとっても最初の遭遇になります。

その年のミステリー小説No.1に選ばれた作品では、1991年の『薔薇の名前(ウンベルト・エーコ)』が、燦然たる輝きを放っているのではないでしょうか。『薔薇の名前』は、単なるミステリー小説として分類するのは不適当な、深い内容の小説です。梅爺は、『薔薇の名前』でウンベルト・エーコを知り、他の小説やエッセイも読むようになりました。購入して、未読のままになっている彼の本が、今も数冊書棚に並んでいます。現代を代表する偉大な作家の一人で、その知性、博識、洞察の深さには圧倒されます。ウンベルト・エーコの文学論については、前にブログで紹介しました。

『2009年ミステリー小説No.1』に選ばれた『Child 44』は、『薔薇の名前』に匹敵するようなすばらしい小説かもしれないと、多大な期待で読みましたが、残念ながらその期待は裏切られました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_8405.html

ハラハラドキドキのプロットが展開するということでは、この程度のミステリー小説は他にも沢山あり、特別に優れているとは思いません。ただ、この小説が特異なのは、スターリン圧政下のソ連が舞台になっていることです。想像を絶する革命前の飢餓、貧困、革命後の容赦ない思想弾圧を背景に、おどろおどろしい物語が展開します。この時代と場所の設定は、梅爺にも新鮮でしたが、『薔薇の名前』のような大衆娯楽小説の領域を越えた小説ではありませんでした。

もっとも『薔薇の名前』は近代文学の金字塔の一つであり、これを越えるものの出現を期待することは無理難題なのかもしれません。

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2011年1月 9日 (日)

日本は『ガラパゴス』か(3)

世界が認める優秀な技術を保有する日本の中小企業を紹介して、『ここに生き残りのヒントがある』などと、テレビで得意げにコメントする経営評論家や大学の先生をみると、へそ曲がりな梅爺は、つい『そんなことは分かっている』と言いたくなります。確かに、理想に近い解決方法であることはまちがいありませんが、『こうすれば、松井やイチローのようにメジャー・リーグでもやっていける』と言っているようなもので、大半の特別な技術を持たない中小企業の経営者は、途方に暮れるだけではないでしょうか。

『厳しい競争に打ち勝って生き残れ、リスクを恐れるな』ということは、『惨めな敗北や、現状より悪化することを覚悟しろ』ということと同じです。勿論梅爺は『競争』が『向上のための決め手』であることは承知していますし、『七転び八起き』を体験しながら生きてきました。しかし、『競争』の陰の部分を覆い隠して、手放しに礼賛はできないと言いたいだけです。

評論家の先生の主張する『日本の生きる道』を選択すれば、特別の能力を持たない普通の人の多くはストレスが更に増し、自殺をする人、鬱になる人、ひきこもる人が今よりも増える可能性を覚悟する必要があります。

そうではなく、ごく一部の優秀な日本人に、日本を救ってもらい、その他の人は、何もしないで恩恵だけにあずかろうというのなら、ごく一部の優秀な日本人を輩出するしくみを認める必要があります。事業仕分けで、日本の科学技術開発の費用を削るなどと言うことは愚挙ということになります。優秀な日本の経営者が世界市場で成功し、野球やサッカーは世界で勝ち続け、名だたる世界の音楽賞を日本人音楽家が独占し、日本人の科学者がノーベル賞を受賞し続ければ、『誇らしい、嬉しい』ことにちがいありませんが、普通の日本人が、それで偉くなったわけではありません。

日本を救う方法は、『ごく一部の優秀な日本人』に頼ることだけではなく、『平凡な普通の日本人でも可能な意識の改革』も一緒に進めることではないでしょうか。この両方のバランスをとることが政治の役割です。

『平凡な普通の日本人でも可能な意識の改革』は、『生きるということは、異なった価値観を認め共存すること』であると、自分に言い聞かせることではないでしょうか。それは他人の言いなりになることではなく、自分で物事を考えて、他人と自分の違いを認識することを意味します。日本人は知識を得ることには熱心ですが、自分で考える訓練に欠けているように思います。教育の基本姿勢を変える必要があるのではないでしょうか。そうすれば、自分を大切にすることは、他人も大切にすることだと気付くはずです。

梅爺は、『日本はガラパゴスだ』という云い方に反対ではありませんが、普通の日本人の意識を変えることで、もう少し今より外に開かれた『ガラパゴス』に日本を変えることはできるように感じています。考えようによっては、個人も国も、自分の価値観で外と対応しようとするという点では、全て『ガラパゴス』になる習性をもっています。多くのアメリカ人は『イスラム教は邪悪』と信じていますので、アメリカも滑稽な『ガラパゴス』であると言えないことはありません。

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2011年1月 8日 (土)

日本は『ガラパゴス』か(2)

『ガラパゴス』の外の世界との関係で生き残ろうとしている日本の企業は、今や製造業だけではありません。流通サ-ビス業や、国家の庇護がなくなってきた金融業も続々と海外進出を開始しています。明治以降貿易を担ってきた総合商社は、もともと海外との関係が本業ですから、言うに及びません。

しかし、流通サービス業や金融業は、製造業が最初に経験した異文化ショックを今体験しているとも言えます。全てが順調に推移しているわけではありません。一部の成功例が大きく報道されることがありますが、その陰に多くの挫折もあることを知る必要があります。

問題は、日本の製造業の97%を占めると言われる中小企業で、優秀な大企業の下請け企業の一部や、独自の技術、製品を有する企業は、既に海外展開を実現しています(中にはアジアの大企業に買収されたものも少なくありません)が、特に際立った技術を持たない多くの企業は、需要の減少で大企業からは見放され、文字通り路頭に迷う状況に追い込まれています。

このような困難の原因を全て『景気の悪化』のせいにすることは、マチガイと、この番組のゲスト出演者の藻谷浩介氏(日本政策投資銀行参事役)は指摘しています。日本の年齢層別人口分布が、バブルの時代とは異なり、老人層に大きく偏っていることが真の原因と言うわけです。車や酒類の消費が伸びないのは、老人型消費構造に日本市場がなっているためで、これはご指摘のとおりでしょう。これでは景気が回復しても需要が伸びるとは限りません。一方現在の中国は、バブル期の日本と同じように、中年層人口比率が最も大きく、活発な消費の要因の一つはここにあるとみることができます。

それでは一体『日本の生きる道』はどこにあるのでしょう。同じくこの番組にゲスト出演したノーベル化学賞の受賞者根岸英一氏(バデュー大学特別教授)は『悲観的な議論からは何も生まれない。前を向いて建設的に考えるべきだ』と発言されました。不退転な気概で挑戦すれば、幸運さえも呼び寄せることができるとも言われました。成功者の弁ですから、誰も反論ができないごもっともな話です。米倉精一郎氏は、日本しかできない『ソリューション(問題解決手法)』を売り物にすべきと、藻谷浩介氏は、世界に先駆けた特徴ある製品、技術を『薄利多売』ではなく『高利少売』で世界に売り込むべきだと主張されました。これもまた、大変ごもっともな話です。

しかし、これらは、『もし、日本人に知恵と能力があれば生き残れる』と言っているわけですから、知恵も能力も持ち合わせない、多くの日本人はどうすればよいのかが釈然としません。新春なので、明るい前向きな番組にしたいことは分かりますが、普通の日本人は、『松井やイチローのようにすれば成功する』と言われても、『なるほど』と納得することはできません。

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2011年1月 7日 (金)

日本は『ガラパゴス』か(1)

1月1日夜のNHK番組『ニッポンの生きる道』を何気なく観ていましたら、出演者の一人の米倉精一郎氏(一橋大学イノベーション研究センター長・教授)が、『日本はガラパゴスになりつつある』という例え話をされ、梅爺は『ウーン、やっぱりそうか』とつぶやいてしまいました。

『ガラパゴス諸島』は、南米エクアドルから海上900キロメートル離れた、南東太平洋上の島々で、『隔離された環境のため独自の生態系を残し、生物進化を検証するには絶好の場所』とされています。ダーウィンが『生物進化論』の着想を得たのも測量船ビーグル号でこの地を訪れたことがきっかけです。

『日本がガラパゴスになりつつある』というのは、日本の社会構造、文化構造、経済構造、政治構造が、日本以外の世界とはかけ離れた独自の道を歩みつつあるということでしょう。インターネットや衛星テレビ中継で、世界各地の出来事に容易に接することができる時代に、『日本が隔離された環境』であるというのは、『いくらなんでも、それはないでしょう』と言いたくなりますが、米倉氏が言いたいのは、『日本人の精神構造』のことではないでしょうか。外の世界とは、できるだけ距離を保ち、自分の世界だけでなんとか生きていけると思い込もうとしている、という例えならば、悔しいことですが、かなり当たっている様な気がします。

日本で、とっくの昔に『日本だけに固執していては生き残れない』と覚悟し、決死の思いで海外市場へ進出を試みたのが、日本の大企業(製造業)です。これに関わった企業戦士と呼ばれる日本人とその家族は、否応なく『異文化』の中へ放り込まれ、文字通り生きるか死ぬかの修羅場を経験しました。『世界のトヨタ』『世界のソニー』は、『良い商品なら売れる』というような単純な理由で現在の地位を獲得したわけではありません。挫折、障害を乗り越えた『語るも涙』の苦い体験を経ています。そのような日本の大企業(製造業)が、今世界の市場で、韓国や中国の大企業と競争して苦戦しているのは、日本のやり方を模倣してきた韓国や中国の大企業の経営者が、日本より速い経営決断(リスクを負った決断)をする資質を保有しているからです。異文化を理解しようとしてきた日本の大企業も、日本本社の経営体質の中に、『無難で慎重な決定』を優先する習性が残っていることが災いになっています。勿論、日本の大企業は、既にこの自分の欠点を認識していますので、優秀な企業は『国際的視野で、速い経営決断ができる人』を経営者に登用する体質に生まれ変わろうとしています。

番組にゲスト出演していた、経団連副会長の坂根正弘氏(コマツ会長)もアメリカの現地法人のトップを経験され、アメリカ企業を買収するなど辣腕をふるわれた方で、『コマツでは、海外ビジネス経験のない人は経営者にはなれない』と語っておられました。

ごく一部の企業戦士や、芸術家、スポーツ選手が、『ガラパゴス』ではない世界で『競争』して生き残ろうとしていますが、大半の日本人は『ガラパゴス』だけが世界と思いこんで、その中で生き残れると根拠なしに思い込み、『ガラパゴス』だけで通用する『紅白歌合戦』に酔いしれているのかもしれません。そして最も『ガラパゴス』といえるのが日本の政治の世界ではないでしようか。

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2011年1月 6日 (木)

平野啓一郎と聴くショパン(5)

ジョルジュ・サンドと別れたショパンは、パリへ戻りますが、胸の病気が悪化し、体力を消耗していきます。それでも、友人たちに勧められて、死の前年(1848年)に『ラスト・コンサート』を開催します。このコンサートでのショパンの名演は語り継がれていますが、プログラムの詳細記録が残っていないため、平野啓一郎氏が、諸事情やショパンの心情を推量して『こうであったであろう』というプログラム構成を想定し、それにそって番組では曲が紹介されました。

中には、ショパンが『二人以上の聴衆の前では演奏してはいけない』と指定していた『舟歌』も含まれています。『ラスト・コンサート』はショパンの理解者だけが聴くという前提で、ショパンは自らの『掟』を破って演奏したのかもしれません。

ショパンは、プログラムをこなすだけで、体力を使いきってしまい、アンコールに応える力も残っていなかったと言われています。文字通り命がけの演奏であったのでしょう。翌年ショパンは39歳の若さで亡くなります。

ショパンは、自らが名ピアニストであったことから、ピアノ曲の作曲にこだわったものと思います。超絶的なテクニックを要求する作品と、誰にでも弾けそうな作品が混在しているのもショパンの特徴です。誰にでも弾けるといったのは、形式的な話で、誰もがショパンがその曲を弾くようには弾けないことをショパンは承知していたはずです。繊細なピアニシモの表現は類をみないものであったろうとと推測できますが、当時の録音が残っているわけではありませんので、推測にとどまります。音楽を少しでも経験したことがある人なら『ピアニシモ』という表現がいかに難しいかをご存知のはずです。『ピアニシモ』は『弱い音で演奏する』こととは限らず、時には『荘厳なピアニシモ』『生命力にあふれたピアニシモ』もあるからです。ショパンの作品に抒情的な曲が多いのは、『音楽は美しくなければならない』というショパンの基本的な価値観が反映しているためなのでしょう。

平野氏は、ショパンの生涯を追うために、当時のことを日記風に『日割り』で記録し、その時々のショパンの心情を、作家の感性で追体験しようと試みておられます。小説『葬送』を書きあげるための下準備とはいえ、大変な時間と労力を注いでおられることに感服しました。おかげで、梅爺は短時間に平野氏の『ショパン論』のエッセンスを取得することができ、自分の考えも取り混ぜて、少しばかりショパンに関する理解が深まりました。

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2011年1月 5日 (水)

平野啓一郎と聴くショパン(4)

本能的に『人と人の絆』を求めるという習性を、人間は脳の進化の過程で獲得してきたと梅爺は推測しています。『他人に自分の存在を認めてもらう』『自分が他人の役に立っていると感ずる』ことは、『満足(心の安らぎ)』をもたらしますが、『誰も振り向いてくれない』『誰も自分を必要としていない』と感じた時には、『不安、寂寥(心にはストレス)』に襲われます。

『自己主張をする』『オシャレや化粧をする』などは、他人の眼を自分の方へ向けようとする行為でもあります。梅爺が『梅爺閑話』を書き続けるのは、『自己主張』でもあり『自己顕示』でもあります。何人の方が読んでくださっているのだろうかと気になるのもそのためです。

芸術家も人の子ですから、自分の中で『気になることを、とにかく表現したい』という欲求と、その表現を多くの人に受け容れてもらいたいという欲求の両面を持ち合わせているはずです。自分の作品が大衆から評価されないという現実を知った時には、『自分に落胆し絶望する』か『大衆の評価能力を否定する』かしかありません。ショパンも、ワルシャワから芸術の本場ウィーンへ出向き、『ピアノ協奏曲第一番』で、成功のデビューを夢見ますが、結果はおもわしくなく大衆の喝采は得られませんでした。ピアノの演奏音が小さいというのが、不人気の原因と言われています。当時は、力強くピアノを弾くことが流行であったのでしょう。

このことで、ショパンはウィーンを嫌い、その後パリへ移りますが、『コンサート嫌い』『繊細なピアニシモの演奏スタイルに固執』は、ウィーンでの挫折が強く影響しているのではないでしょうか。『自分の表現に固執する』『本当に分かってくれる人のために作曲、演奏する』という、内面指向が強まったのは、そのためと思います。もし、最初のウィーンで喝采を博していたらショパンの人生や作風も変わっていたかもしれません。

パリの社交界で、女流作家のジョルジュ・サンドと知り合い、二人はその後愛人関係を9年間続けます。性格も強く(肖像画をみても、きつそうなオバサンに見えます)、実子二人を抱えていたジョルジュ・サンドと繊細なショパンの組み合わせは、なんとも不釣り合いに見えますが、ショパンにとっては、自分の音楽の真の理解者を得たことが重要であったのでしょう。この9年間、二人はマジョルカ島やフランスのノアンの田園風景の中で暮らし、ショパンは多くの傑作を残しています。

しかし、一緒に生活すれば、『芸術の理解者』であるだけではすまされない、世俗的な関係の行き違いも生じますから、やがて二人の関係は破局へ向かい、ショパンが死の床にあった時も、ジョルジュ・サンドは見舞いにも行っていません。才能をもった男女は、強く引き付けられると同時に、反発する時のすさまじさもあるのでしょう。凡人が『もっと穏やかにできないのですか』などと言ってみても始まりません。

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2011年1月 4日 (火)

平野啓一郎と聴くショパン(3)

天才的な科学者や天才的な芸術家の『頭の中(脳)』は一体どうなているのだろうと想像してみても、皆目(かいもく)見当がつきません。凡人の梅爺には、文字通り『摩訶不思議な世界』です。

それでも、科学者は『理の追求と表現』に、芸術家は『情の追求と表現』に、凡人では及びもつかない能力を保有しているのであろうことは想像がつきます。表現の原点である『発想』をどうして思いつくのか、ということになると、凡人には手品師が帽子の中からウサギを取り出してみせるように見えて、ただただビックリするだけです。ひょっとすると、科学者や芸術家自身でさえも、自分の『発想』について、明解な説明はできないのかもしれません。

しかし、科学や芸術の分野で天才であっても、一人の人間として『世俗的に生きる』という面では、必ずしも凡人が及びもつかない能力を持っているわけではないところがしばしば不幸を招く原因になります。ある領域だけに天才的な能力を持つ人間や、ある領域だけ能力が欠落した人間は、全て平均的に凡人である人間より、生きることの困難に遭遇する度合が高いのかもしれません。モーツァルト、ショパン、ゴッホなどの人生はそれを示しています。梅爺は、全てに平均的な凡人であると云うことさえ、憚られる人間ですが、少なくとも、突出した能力の分野を持たないことに感謝すべきなのかもしれません。そのかわり梅爺はこじんまり幸せに生きることができるとしても、後世に残る作品を残す能力は持ち合わせていません。

ショパンの幼児期、少年期は『モーツァルトの再来』と言われたことでもわかるように『天才』です。4歳でピアノを弾き始め、6歳では一度聴いただけで音楽を演奏できるようになり、7歳でピアノ曲(ポロネーズ)を作曲しています。しかし、面白いことに、この作曲時には『楽譜を書けなかった』と言われています。文字が書けない少年が、口にしている言葉は、立派な詩になっているというような話です。

ショパンは『ピアノという楽器に何故特別に固執したのか』『ピアニシモ(小さな音での演奏)の表現を何故好んだのか』『コンサートを何故嫌ったのか』などが、ショパンの『頭の中』を垣間見る手掛かりになるのではないでしょうか。

少なくともショパンは、世俗的な成功をおさめることなどには興味が無く、ただ自分が『気になってしかたがない』ことを、自分が得意とするピアノ演奏で表現しようとし、その表現には『ピアニシモ』がどうしても必要であると『感じた』ということではないでしょうか。一般大衆から喝采を浴びることなどは、求めず、自分や自分を本当に理解してくれる人のためにのみ、作曲し、演奏しようとしたとのではないかと思います。

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2011年1月 3日 (月)

平野啓一郎と聴くショパン(2)

梅爺はブログで、人間の脳が創りだす世界は、『理と情の絡み合い』とみれば、合点がいくと何度も書いてきました。『理』は、論理で因果関係を見つけたり、推測したりすることで、『真偽』『善悪』『優劣』などの判断の基盤になり『理解』につながります。一方『情』は、何故か自分では分からないままに『好き嫌い』や『喜怒哀楽』を『感ずる』行為で、これには、生物種として進化の初期段階から継承してきた『生き残るための本能』が強く関与していると梅爺は推測しています。

個人個人で、この『理』と『情』の能力が異なっていることが、人間関係や人間社会を複雑にしています。つまり、同じ外部の事象に対応しても、誰もが同じレベルで理解したり、感じたりしていないということです。ところが、人間は、『他人も自分と同じように理解し、感じている、または、同じように理解し、感ずることができるはずだ』と『錯覚』し、悲喜劇が生じます。自分が判断の基準ですから、他人が自分と異なっていると気付いた時に、『あなたは間違っている』と非難したり、排除したりしようとします。『同じ価値観を持つ』などということは、大雑把には可能ですが、詳細レベルでは至難の業です。

『科学』は純粋な『理』の世界で、誰もが『真偽』『善悪』『優劣』に関する価値観を共有しやすい領域です。『絶対的尺度』を設定しやすい領域ともいえます。ところが人間の精神活動には、『情』が絡みますので、全てを『科学』のように律することはできません。しかし、ここでも人間は、『全てのことに絶対的尺度が存在する(存在するはずだ)』という『錯覚』を抱きます。宗教や芸術にも『理』は関係しますが、『理』だけで論ずることができない代表的な領域です。サンデル教授の『正義論』が有名になりましたが、人間が創りだした『正義』という抽象概念に絶対尺度を設定することは困難です。

平野啓一郎氏の『ショパン論』は、平野氏の優れた『理(理性)』と『情(情感)』とを駆使して到達した世界です。この内容が『絶対的尺度』でみて『正しいか、正しくないか』などと論じても始まりません。梅爺の能力では、到底到達できない世界を、有難いことに番組を観ることで一気に垣間(かいま)見ることができ、その中には梅爺の能力でも、理解、感受できる部分がありますので、『なるほど、ものごとの本質に、このように迫ることも可能なのか』と感心します。この番組が、梅爺にとっては『面白かった』のは、梅爺が新しい『知識』を獲得したからではなく、新しい『考え方』の基準を見つけた(見つけたような気がした)からです。

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2011年1月 2日 (日)

平野啓一郎と聴くショパン(1)

ピアノの詩人と呼ばれるショパンの生誕200年ということで、ショパンを紹介する放送番組が昨年は度々ありましたが、中でもNHKBSハイビジョンで放映された『平野啓一郎と聴くショパン:魂の旋律』は異色の面白さでした。

平野啓一郎氏は、1975年生まれの『芥川賞受賞作家』で、三島由紀夫の再来とまで言われる方ですが、梅爺は、今までに平野氏の著作を読んだことがありませんでした。それでも番組で、平野氏の清楚で好感が持てる語り口を拝見(拝聴)しただけで、梅爺程度の凡人にも、平野氏の頭抜けた才能は感じ取ることができました。才能ある若い日本人の存在を知ることは、梅爺にとっては無上の喜びです。

平野氏は10歳の頃からショパンの音楽に魅せられ、作家になってからショパンを主人公にした長編小説『葬送』を上梓(じょうし)しています。

番組は、ショパンの人生を三つの時代に区分して、平野氏が、『語り』でショパンの人物像を浮き彫りにしていくと同時に、その時期に作曲されたショパンの作品が演奏で紹介されるという形式でした。音楽番組であると同時に、文学番組でもあるところが、梅爺には新鮮で魅力的でした。

芸術作品は、基本的には『作品』そのものが、評価の対象になります。勿論、作者がその作品を創作する時に、『どのような状況に身を置いていたのか』『何を考え、何を感じていたのか』を知ることは、作品を理解する上で手助けにはなりますが、本質は作品そのものが独立して待つ価値ということになります。特に、聴覚情感に訴える音楽の場合は、その傾向が強いように感じます。作曲家が創作時に、『何を考え、何を感じていたのか』は、本人が詳細なメモや手紙を残してでもいない限り、第三者は『推測』するしかないからです。

この番組の面白さは、平野氏が文学者の情感や理性を駆使して、ショパンの『心』にあえて迫ろうとするところにあります。これは、科学における『仮説』同様に、『平野氏の推測』ですから、『正しい』かどうかは別問題です。しかし、『仮説』や『推測』の内容が『魅力的』であるかどうかは、大きな意味を持ちます。梅爺と比べ物にならない平野氏の『知識の量』と『洞察の深さ』に、梅爺は魅了され、啓発されました。

文学者の、音楽論、美術論は、文学者の頭の中を一部のぞき見ることができると言う点で、『芸術とは何か』を考える大きな手掛かりになります。平野氏の『ショパン論』は、そういう梅爺の野次馬精神を大いに刺激するものでした。

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2011年1月 1日 (土)

年始問答

八五郎『御隠居さん、あけましておめでとうございます』

梅爺『これはどうも八っつぁん、ご丁寧に。あけましておめでとうござます』

八五郎『とは言ってみたものの、どうもそれほどめでたい気持にはなれないってところが本音でござんすがね』

梅爺『ほぉ、一体どうしてだい』

八五郎『正月にふさわしい話とは言えやしませんが、このところ世の中ギスギスして、誰もが自分のことだけを考えて、人情ってぇものが薄らいでしまってはいませんか。昔はもうちっとお互いに思いやりってぇものがあったでしょう』

梅爺『暮らしが豊かになり便利になると、人の心がすさんでくるのは、たしかに困ったことだねぇ。それにしても、昔が良かったというのは、まるで年寄りの科白(せりふ)じゃーないかい。八っつぁんはまだそんな歳ではなかろうに。昔は昔で、良いことばかりではなく、それなりに困ったことがあったんではないのかい』

八五郎『そう言われてみると、昔は貧しさが一番の敵で、なんとかそこから抜け出そうと皆必死でござんしたなぁ。すこしばかり暮らしが豊かになるっていと、今度は、人情が薄れていくのはけしからんと言いたくなるところは、たしかに勝手かもしれませんなぁ』

梅爺『人は、現状に慣れると、それが当たり前のことになり、感謝を忘れて、次なる不満を口にするように、罰当たりにできているんだねぇ。それが、ある意味で向上するきっかけになることもあろーから、いつも不満を抱えているということは、必ずしも悪いとはいえない気もするねー』

八五郎『それにしても、自殺する人が増える、孤独な老人が増える、やたら簡単に人を殺す事件が増えるという世の中は、とても尋常とは言えませんぜ。御隠居さんは、これは豊かな暮らしのつけで、しかたがないとでも仰るのですか』

梅爺『豊かさが悪いてぇわけではなく、物や金の豊かさを求めることに熱心なばかりに、もう一つの大切なことである心の豊かさをおろそかにしてきたつけが回ってきたとは言えるんじゃなかろーかね。心の豊かさを欠くと、人は、厄介なことに自暴自棄になったり、殺伐になったりするもんじゃよ』

八五郎『御隠居さんの話は、こう観ればこう観える、ああ観ればああ観えると、どうもふんぎりが悪うござんすね。ズバリ心の豊かさを手にするとびきりの方策は無いんですかねー』

梅爺『心の豊かさにとって最も大切なものは、人と人の絆じゃな。したがって、人間にとって一番恐ろしいのは自分が孤独だと感じる時ということになるな』

八五郎『一々ごもっともでござんすが、どうもじれったいですな。要するにどうすれば良いと仰りたいんですか?』

梅爺『幼いころ、周囲の愛情を感じて育った人は、その後も人と人の絆を大切にすると言われておるじゃろう。子供を猫っ可愛がりすることは、必ずしも愛情を注ぐことではないので、若いおっかさんや、おとっつぁんに、適切な対応方法を伝授できるような、お上の政策が決め手のような気がするんだがねー。遠回りのようじゃが、思いやりの世の中にするには、急がば回れというわけじゃ。子供手当なんざ、これにくらべたら効果は薄いと思わんかね』

八五郎『御隠居さんのような話を、政治家の先生はあまり口にしませんなぁ』

梅爺『あまり深く考えてないか、選挙に有利な話とは考えていないか、どちらかにちがいありませんな』

八五郎『てーことは、今年もあまり期待はできないということでござんすか』

梅爺『ふーん。・・・』

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