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2010年11月20日 (土)

日本人のルーツ再び(3)

古代日本の生活に、大きな影響をもたらしたものに、『農耕(稲作)技術』『製鉄技術』『馬』があったのではないかと推察できます。最初に渡来した『弥生人』が、稲作技術をもたらしたとは考えられますが、『製鉄技術』や『馬』は、同時にもたらされたとは考えにくいように思えます。3世紀に中国で書かれた魏志倭人伝では、『日本には馬がいない』と記されていたり、鉄器が出土するのは、古墳時代になってからのことであるのが、そう考える根拠です。

それでは、製鉄技術や馬を伴った他の人種が渡来したのかというと、そうとは断言できないような気がします。むしろ、2300年前頃に稲作技術を持って渡来し、日本に住み着いた『弥生人』は、その後、朝鮮半島や中国と『交流』するようになり、その『交流』の中で、最初の渡来から数百年後に、製鉄技術や馬が、新しい文明、文化として日本へもたらされたと考える方が自然のように思えます。その後の『仏教』の伝来と同じような話です。

『日本人の祖先は、北方騎馬民族』とする、有名な江上波夫氏の説がありますが、新しい人種の流入と馬の流入は、別のことではないかと梅爺は推測します。ただ騎馬文化を持った少数の人たちが日本へ来て、弥生人社会で優勢を誇示し、豪族や天皇家の祖先になったという説は、可能性があるように思います。もし、そうであったとしても、その少数の人たちの血筋は、圧倒的多数の弥生人の中に溶け込んで、現在の日本人へ受け継がれているということでしょう。現在の日本人の『ミトコンドリアDNA』の35%は、弥生人からの継承という、科学が示す事実がそれを物語っています。

一方、現在の日本人の『ミトコンドリアDNA』に、10%の縄文人のそれが受け継がれているという事実は、弥生人が縄文人を完全に排除・殺戮しなかったことを示唆しています。局所的な殺戮行為はあったにしても、全体としては『融合(混血)』が行われたことを示しています。

弥生人が渡来した当時の、縄文人と弥生人の人口比率は、圧倒的に縄文人が勝っていたのが、何故逆転したのかは、『人口増加率』の差であると、考古学者は観ています。つまり、稲作文化に支えられる社会の方が、狩猟、漁業で支えられる社会より、『多くの人口を養うことができた』ということで、納得がいく話です。『人口増加率』の違いを想定して、いつ頃人口比が逆転したかも推測されています。

農耕文化に依存する社会が、その後の日本人の精神文化へもたらした影響の大きさは、申し上げるまでもありません。自然の中に『神々』を見出すアミニズムも、ここに起点がありそうな気がします。

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