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2010年10月16日 (土)

福岡伸一著『世界は分けてもわからない』(2)

福岡先生は、梅爺がほとんど知識を持たない『分子生物学』がご専門ですから、その分野のトピックスが、各章で紹介されるのは当然なのですが、福岡先生の福岡先生たるところは、単なる『科学解説』ではなく、読者が、本来ならば、難解で味気ない説明として受け取ってしまいそうなトピックスに、興味を抱くように、入念な仕掛けが施されていることです。そして、そのトピックスに関して、色々な見方からの洞察が加わります。その多くは勿論福岡先生の推測にとどまるものですが、どんな些細に見えることでも、『何故そうなのか?』と考えると、深遠な知的冒険ができるものであることを知ります。

私たちは、考えないで済まそうと、安易な道を選んで、知的冒険の楽しさを、自ら放棄しているのかもしれません。福岡先生の著作が、多くの人を惹きつけるのは、『知的冒険の楽しさ』と『美しい日本語表現』が同居しているからであろうと梅爺は思います。梅爺は、その虜になっている一人です。

たとえば、この本の第一章は、『ランゲルハンス島』の話です。島と言っても、地理のはなしではなく、人間の膵臓細胞の中に、大海に浮かぶ孤島のように点在する『ランゲルハンス細胞』のことであることが、読み進むに従って判明します。顕微鏡の中の世界を、大海と孤島という比喩で表現されただけで、読者は引き込まれていきます。

人間は、科学の力で、望遠鏡や顕微鏡を発明し、肉眼では観えないものまで観ることができるようになりました。人工衛星を利用したハップル望遠鏡では、132億年前の『宇宙』を観るまでに至りました。これはビッグバンの数億年後の世界です。その上、映画、テレビ、インターネットなどで、実体験ではない映像を観ることができるようにもなりました。しかし、それでも、世の中に存在するものの内、私たちが観ることができるものは、ごく一部で、とても『全体』とは程遠いものに過ぎません。『見えるもの』『見たいもの』しか見ていないにも関わらず、その範囲が『全体』であるとの錯覚に陥りがちな習性を私たちは持っています。

『観たもの』『推論で想像したもの』を総動員して、人間は『全体』を論じようとしますが、世の中には『まだ見たことが無い、知らないもの』『人間の想像能力を越えたもの』が現実には大半を占めている以上、人間が下す結論には『誤謬』が含まれているという弊害から逃れることができません。

しかし、人間はそれでも『誤謬』を恐れずに、『ああだろう、こうだろう』と『考え』『推論(想像)』をするようにもできています。それが『知的冒険』の楽しさです。福岡先生の本は、『知的冒険』の指南書でもあります。

『エンゲルハンス島』は、発見者もその存在目的を知らずに他界してしまったものですが、近年、血糖値を感知して、インシュリンを生産し、血中に送り込むための重要な役割を果たしていることが判明しました。他の細胞は、このインシュリンを感知して、血中の糖分(ブドウ糖)を、将来の飢餓に備えて脂質に変えて、体内に蓄えます。『エンゲルハンス島』が正常に機能しないと、人は糖尿病になり、命の危険にさらされることになります。血糖値が高いにもかかわらず、インシュリンが出ていない異常な状況を、自分で回避する手段を人間は体内に持っていません。

ここまでの説明なら、『科学解説』ですが、福岡先生のすごいところは、『人間は生き残りのために、飢餓に備える機能は進化の過程で獲得してきたものの、飽食に備える機能は獲得できていないのではないか』と推察するところです。

これは、生物進化に関する推察でもあり、文明批判でもありますので、梅爺はここで、『うーん、すごいな』と感じ入ってしまいます。見える範囲には限界があることを承知の上で、その中に含まれているメッセージを読み解こうとすることは、すばらしいことですが、残念ながら誰もが、福岡先生のようには、洞察できるわけではありません。洞察の基盤は、知識、教養、感性であり、これに関する人間の能力は、同じではないからです。

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