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2010年10月17日 (日)

福岡伸一著『世界は分けてもわからない』(3)

福岡先生は、素晴らしい研究経歴を持っておられる学者、大学教授ですから、梅爺ごときが、あらためて『頭がよい方』などと評するのは、おこがましい話ですが、テレビのインタビューを観、執筆される文章を読む度に、知性と感性の双方が高いレベルで結合し、醸し出す品格に圧倒されます。最近はやたらと安売りされることが多い『品格』ですが、本当の品格とはこういうものなのだろうと得心がいきます。

先生の『日本語の文章』の美しさに、梅爺は心酔していますが、その先生が心酔される作家がおられることを、この本で知りました。『須賀敦子』さんです。

須賀さんは、イタリアへ留学され、イタリア人と結婚をして、イタリア語の文学作品を日本語へ、日本語の文学作品をイタリア語へ翻訳する仕事で功績を積まれましたが、ご主人が亡くなられて日本へ帰国し、本格的な随筆執筆活動を開始されました。残念ながら69歳で亡くなられましたが、60歳を越えた頃から、筆が冴えわたったと言われています。人生で蓄積してきたものが、一挙に解き放たれ、開花するという面が随筆にはあるのかもしれません。70歳近くになって、一向に開花しない梅爺は、イライラするばかりですが、ひょっとすると蓄積がないからかもしれません。

梅爺は、須賀さんのエッセイをまともに読んだことがありませんが、それでも以前イタリアの聖地アッシジや聖フランシスコの足跡を紹介するテレビの紀行番組で、須賀さんの文章の一部が朗読されたのを見聞きして、感動を覚えたことを思い出しました。須賀さんは、カトリックのクリスチャンです。

福岡先生が須賀さんの文章について表現すると、以下のようになります。

彼女の文章には幾何学的な美がある。柔らかな語り口の中に、情景と情念と論理が秩序を持って配置されている。その秩序が織りなす文様が美しいのだ。

いかがでしょうか。梅爺が福岡先生の文章に心酔する理由がご理解いただけたでしょうか。美の根源を『情景と情念と論理の秩序』などという表現で言い当てることは、知性(理)ですが、文章全体は、品格のある美意識(情)であふれています。

文章はその人を映す鏡のようなものであることが分かります。梅爺はどんなに気取ってみても、梅爺以上の文章は書けないと観念しました。

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