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2010年10月28日 (木)

福岡伸一著『世界は分けてもわからない』(14)

この本のエピローグの最後を、福岡先生は以下の文章で締めくくっています。

この世界のあらゆる要素は、互いに関連し、すべてが一対多の関係でつながりあっている。つまり世界には部分が無い。部分と呼び、部分として切りだせるものもない。そこには輪郭線もボーダーも存在しない。
 そして、この世界のあらゆる因子は、互いに他を律し、あるいは相補している。物質・エネルギー・情報をやりとりしている。そのやりとりには、ある瞬間だけを捉えてみると、供し手と受け手があるように見える。しかしその微分を解き、次の瞬間を見ると、原因と結果は逆転している。あるいは、また別の平衡を求めて動いている。つまり、この世界には、本当の意味での因果関係と呼ぶべきものもまた存在しない。
 世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからないのである。

梅爺は、世の中に究極のルールと言えるものがあるとすれば、それは『自律分散処理システム』ではないかと、何度もおこがましくブログに書いてきました。創造(生まれる)、維持(生きる)、破壊(死ぬ)を繰り返すことも、このルールに関連しているように感じています。この世は、誰かがデザインし、そのあるべき姿へ向かって動いているのではなく、多数の要因の複雑な相関関係のもとに『動的平衡』を求めて変容しているものと受け止めています。このルールを産み出したものを『神』と呼ぶならば、梅爺も『神』を認めますが、この『神』は、宗教の教義が説く『神』とは異なっています。このルールは冷徹なもので、愛とか慈悲とかいう考えとは無縁です。

このように考える梅爺を、自分ではどうも変人らしいと感じていましたが、上記の福岡先生の文章を読んで、まったく同じような認識をお持ちの方が他にもおられることを知り、嬉しくなりました。勿論、梅爺と福岡先生の、表現力の違いは、上記の文章を見るだけで歴然ですが、基本認識が近い人に巡り合えた梅爺の喜びが一入(ひとしお)であることは、ご推察いただけると思います。

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