« 福岡伸一著『世界は分けてもわからない』(10) | トップページ | 福岡伸一著『世界は分けてもわからない』(12) »

2010年10月25日 (月)

福岡伸一著『世界は分けてもわからない』(11)

『生命の灯』は、『エネルギーと情報の流れ(動的平衡状態の維持)』であるとすると、いつの時点をもってある一人の人間の『誕生』や『死』と規定するかは、易しいことではなくなります。

『脳死』をもって『死』とみなす、とされていますが、『脳死』の後でも、人間の細胞の一部はある期間活動を継続します。死後でも毛髪やヒゲが伸びることがあります。

福岡先生は、『脳死』が『死』ならば、論理的な対極となる『脳始(福岡先生の造語)』が生命の『誕生』となるのか、と問いかけます。

ヒトの場合、受精後二十日前後で、神経系の基礎が細胞分裂で出来上がりますが、脳神経網ができあがって、脳波の検知ができるようになるには、受精後24~27週間ということになります。『脳始』がヒトの『生命の誕生』であるとすれば、それまでの受精卵の分割プロセスの間は、まだヒトではないという論理解釈になります。

一見屁理屈に見えるこの解釈が重要な意味を持つのは、受精卵を取り出して、各種の研究素材とし、これによって『ES細胞(万能細胞)』を取り出して、難病の治癒に供しようという試みがあるからです。受精卵が、受精直後からヒトであるとすると、これを利用することには生命倫理的な問題が生じますが、受精後24週間は未だヒトではないということになると、倫理的な呪縛から解放されます。卵子や精子にも勿論『生命の灯』は受け継がれていますが、この段階はヒトではないという少々強引な論理です。

『自分に授かった命の灯は大切にしなさい』という教えに梅爺は異論がありませんが、『あらゆる命の灯は神の恩寵(おんちょう)なので、これを消すことは神への冒涜である』と言われてしまうと、動植物を殺して食料とすること自体が冒涜となり、自分が生きられないという矛盾に直面します。そうかといって、『神がある種の動植物を人間の食料とするために創ってくださったのだから感謝して食せよ』というのも、人間本位の身勝手な論理のような気がします。

せめて『無用な殺生は控えなさい』程度にしていただかないと、にっちもさっちもいかないことになります。『生命の灯』は、人間の『精神活動』を産み出す崇高なものであるという見方と、それ自身は『エネルギーと情報の流れが生みだす物理・化学反応にすぎない』という味気ない見かたを双方肯定して、私たちは現実的に生きる術を考える他に手は無さそうです。

|

« 福岡伸一著『世界は分けてもわからない』(10) | トップページ | 福岡伸一著『世界は分けてもわからない』(12) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 福岡伸一著『世界は分けてもわからない』(10) | トップページ | 福岡伸一著『世界は分けてもわからない』(12) »