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2010年10月21日 (木)

福岡伸一著『世界は分けてもわからない』(7)

『生命の灯』が『エネルギーと情報の流れ』であるといっても、その仕組みは、発電所を中心とした送電ネットワークシステムや中央処理装置を持つコンピュータシステムのような『集中管理システム』ではなく、人間の場合、各細胞がミトコンドリアを利用した『エネルギーの生成、蓄積』を行い、さらに遺伝子でプログラムされたように情報処理を行う(結果的には物理・化学反応を行う)『超分散処理システム』ということになります。60兆個の各細胞は、言ってみればそれぞれ『発電所』と『コンピュータ』を内臓していると言えます。

インターネットは、人工的な大規模『超分散システム』ですが、60兆個の『サブシステム(細胞)』が連携して、全体(人間の身体)を構成する人間の『超分散システム』には遠く及びません。

情報を処理するのにもエネルギーを要しますから、『生命』の原点は、外部エネルギーを、自分で利用できるエネルギーに変える仕組みを『生命体』が獲得したことにあることが分かります。この仕組みも、情報処理を利用した物理・化学反応ですので、『エネルギーと情報の流れ』は最初から切っても切れない関係として存在していたことがわかります。

生命の無い『ありふれた材料』だけの世界に、何故突然『生命の灯』がともったのかは、現状では分かっていません。従って『偶然そのような環境が整った』『神がともした』など色々な仮説が考えられます。偶然であったとしても、あまりにも確率の低い現象ですので、『神が生命の灯をともした』という仮説を信ずる人が多いのも頷けます。

梅爺は、誰かの意図とは無関係な『偶然』であったであろうと想像しますが、『神の御業(みわざ)』説を否定できる能力は持ち合わせていません。

40億年前の地球環境がどのようなものであったのかを、想定し、気も遠くなるような繰り返し実験を行わない限り、この『偶然』を人工的に再現することはできません。科学が、誰をも納得させる形で、『偶然』による『生命の灯』を再現して見せない限り、『神の御業』説は、語り継がれるのではないでしょうか。

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