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2010年1月 9日 (土)

海を渡ったサムライ朝河貫一(1)

年末年始には、ドキュメンタリーの特別番組がいくつかテレビで放映され、BSTBSの『海を渡ったサムライ』もその一つで、梅爺は録画して観ました。

日本人として、初めてアメリカのアイビー・リーグに属する名門大学、イェール大学の教授(歴史学)に、戦前登り詰めた『朝河貫一』を紹介するものでした。浅学の梅爺は、この番組で初めて『朝河貫一』を知り、生い立ち、業績に感銘を受けました。

梅爺が驚いたのは、『並はずれた語学の才能』と『世界情勢を洞察する鋭い視点』の二つです。明治維新後、世界を視察して、ある程度西欧文化を理解し、日本人の啓蒙に努めた『福沢諭吉』のような人物も立派ですが、西欧文化の中に入り込んで、現地で頭角を現した『朝河貫一』は、さらに驚嘆に値します。拙(つたな)い英語力で、冷や汗をかきながら、アメリカの会社とのビジネス折衝に携わってきた梅爺の体験と達成レベルを比較すると、『驚嘆』は大げさではありません。

『朝河貫一』は、戊辰(ぼしん)の役で、官軍とまともに戦った二本松藩(現在の福島県)の藩士の息子で、東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業後、大志を抱いてアメリカへ留学した人です。貧乏な元士族(しかも戊辰の役で官軍に敗れた負い目のある)の子弟で、渡航資金はありませんでしたが、才能を見込んで、当時の著名人たち(大隈重信、徳富蘇峰、勝海舟など)が援助をしました。誰が見てもずば抜けて優秀な若者であったのでしょう。アメリカでは、ホテルの皿洗いなどをしながら大学(ダートマス大学)へ通いますが、すぐにその才能が認められ、推薦でイェール大学大学院に進み、最終的には、教授、名誉教授にまで登り詰めました。本人の能力、努力もさることながら、これを受け入れるアメリカの懐の深さは、残念ながら日本より上です。アメリカで成功後、一時帰国し、留学資金を援助してくれた人たちに、律義に借金を返済をしています。

彼の語学能力は、福島県尋常中学校(現在の県立安積高校)時代からずば抜けていて、卒業生総代の答辞は、『完璧な英語』で述べたと言われています。当時としては珍しく、英国人英語教師が学校にいたとはいえ、すごい話です。彼は、毎日『英英辞典』5ページを丸暗記し、破って食べてしまったという逸話も残っています。才能に加え、大変な努力もあったのでしょう。生前の彼を知るアメリカ人は、彼の英語が『完璧』であったと、口をそろえて述懐しています。梅爺は、自分の英語の能力を思い浮かべて、恥ずかしくなりました。

彼はアメリカ女性と結婚しましたが、最後まで国籍は『日本』でした。西欧の自由思想、合理主義を身につけながら、それでも最後まで日本のサムライのプライドを持ち続けた日本人であったのでしょう。『異文化を理解し、その上で日本文化を主張できる日本人』という、これからの日本人が目指すべきお手本のような人物が、100年前に存在していたことになります。

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コメント

一作年、鹿児島県
入来町を訪れて朝河貫一を知りました。このような人がいたことにおどろきました。安積歴史博物館にもいきました、BS朝日のドキュメント是非みたいです。

投稿: 松崎貴美男 | 2020年2月18日 (火) 19時38分

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