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2009年11月30日 (月)

ベルリンの壁が崩壊して20年(5)

『ベルリンの壁崩壊』は色々な視点で観ることができます。梅爺がこのブログで書いてきたように、主としてその歴史に巻き込まれた市民、個人への影響に興味を持ち、『人間(個人)』の普遍的な習性との関連で観ようとするのもその一つです。

しかし、多くは、『崩壊』そのものが、背景の政治や経済のどのようなプロセスで、何故起きたのかという『因果関係』を論ずるものが大半です。これに関しては、『ソ連自体の行き詰まり』『ゴルバチョフの政策転換』『ソ連による東欧、東ドイツ切捨て』が進む中で、『東ドイツ人の、ハンガリー経由オーストリアへの大量脱出』『ライプチヒ市の市民蜂起(7万人規模の無血デモ:壁崩壊の1ケ月前)』が直接的な引き金になったと見るのが一般的です。このことで、ライプチヒ市は、現在でも『英雄都市』とドイツ国民からは呼ばれています。

『壁の崩壊』を、もっとマクロに、近代史の中で、今日の世界情勢にまで及ぶ『重要なターニング・ポイント』と観る観かたもあります。ドキュメンタリー番組の中には、NHKがジャック・アタリ氏にインタビューしたものがあり、梅爺の頭もこれで大分整理されました。アタリ氏は、フランスのミッテラン首相の政治顧問であった人で、『EU創設』に深く関わりました。世界金融危機が起こるずっと前に、その著書の中で、それを予言していたこともあり『ヨーロッパの知性』とも呼ばれています。

アタリ氏の思考プロセスは、『壁の崩壊』『2大イデオローギーによる冷戦の終結』『アメリカ1極の世界支配(自由経済資本主義)』『ヨーロッパの防衛的な集結(EU)』『野放図なアメリカ型資本主義と、グローバル金融のしくみの破綻』が、ドミノ倒しのように、展開したという観かたです。

アタリ氏の発言の主旨は、人類が見出した体制の中で、『資本主義』『民主主義』に相対的に優るものはなく、これへ向けての動きは止められないが、『あまりにも野放図な自由』は、今回の金融危機のようなこと起こすのは必然なので、早急に、国際的な『規制ルール』を作る必要があるという、ものでした。

EUは既に、『一人の大統領』『一人の財務責任者』体制に移行して、『ルールの遵守徹底』を行おうとしています。鳩山首相の提唱する『アジア連合』が、この程度までに進むことを構想しているのかどうか梅爺は知りませんが、国際的な『ルール徹底』ということになると、究極は『世界統一国家体制』しかないという議論になるのかもしれません。

しかし、統制を1極に絞れば、人類は今より幸せになれるというような話は、あまりに『理』一辺倒な考え方で、梅爺の『好み』ではありません。『世界規模の金融システム規制』『戦争』『宗教対立』『地球温暖化対策』などが、1極統制ならば、『解決』できるというようには、『感じない』からです。結局人類は『多様性』を保ちながら、うまくすれば生き残り、下手をすると滅亡するのではないでしょうか。人類は、宇宙人から攻撃でもされない限り、1極統制に従順に従うというような、単純な存在ではないと考えるからです。

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2009年11月29日 (日)

ベルリンの壁が崩壊して20年(4)

元東ドイツの人々は、西との関係以外にも、『自分達の過去』とどう向き合うかという深刻な悩みがあることを知りました。

東ドイツ時代、壁を越えて西へ逃げようとした人を射殺した壁防衛の兵士は、国から優秀な兵士として表彰されましたが、国家統一後、一転して新しい国家の法律(西ドイツの刑法を継承)では、『犯罪者』として告発され、有罪判決を受けます。二つの異なった国家の、『法の考え方の違い』に、個人が翻弄されることになります。もし、東ドイツ時代、この兵士が、逃亡者を見て見ぬ振りをすれば、『国家反逆罪』で罪に問われ、重い判決を言い渡されたに違いありません。

元東ドイツの人々の、大きな苦悩は、『秘密警察(シュタージ)による恐怖政治の過去』とどう向き合うかにあることを知りました。壁の崩壊時、秘密警察の本部には、400万人以上の市民に関する『監視レポート』が残されていました。統一政府は、この資料を『永遠に封印』する方針を打ち出しますが、『公開を望む強い市民運動』に遭遇し、『公開』に踏み切ります。

恐怖政治の元では、『スパイ』『密告者』が暗躍していたであろうことは容易に想像できます。統一後、過去に秘密警察にとらえられ、拷問を受けた人たちが、公開された自分に関するレポートを閲覧して、愕然とします。なんと、自分を密告した人間は、親友と信じていた友人であったり、時には、自分の家族の一員であったりすることが判明したからです。親しい人から裏切られるというほど、人に大きなショックをあたえるものはありませんし、心の傷は簡単に癒えるものでもありません。

勿論、元秘密警察員であった人たちも、後ろめたい人生を送っていることになります。個人が歴史に翻弄されることは、避けられないこととは言え、元東ドイツの人たちの中に今尚残る悲劇は、悲惨です。

『壁の崩壊』は、マクロな歴史視点でみれば、『必然』ということが言えると思いますが、その歴史に当事者として立ち会った人たちには、永く消えない傷跡を残していることを強く感じました。北朝鮮も、やがて歴史の『必然』で、存続できなくなると予測できますが、ドイツで体験した人類の経験を活かして、翻弄される個人の悲劇を軽減してもらいたいものと願うのみです。金正日一族が、どのような末路を辿るか、などということより、こちらのほうが梅爺の関心事です。

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2009年11月28日 (土)

ベルリンの壁が崩壊して20年(3)

人間は、生まれ育った環境や社会の『価値観』に染まります。特に幼児期に接する親や先生の言動は、大きな影響力を持ちます。純真な人ほど、染まり方は強固で、大人になってからも『価値観』を変えることは困難になります。梅爺のような『へそ曲がり』で、他人の言うことを『鵜呑み』にしないと頑張る人間でさえも、日本人の価値観を基準に、外国を見ようとします。

東ドイツの人たちが、約30年間、外部の情報から遮断され、『共産主義、社会主義』の思想だけを叩き込まれた影響は、梅爺の想像をはるかに越えていることをドキュメンタリー番組を観て感じました。

東西ドイツが統一され、東ドイツの人たちが西ドイツの人たちの生活を見て、先ず仰天します。店舗に並ぶ品物の豊富さ、季節と関係なしに売られている果物や野菜、洗練された工業製品などを見て、目を丸くします。しかし、このような目に見えるものは、比較的早く『違い』を認識、受容できますが、『自由経済、資本主義』の原則に基づく『考え方、価値観、行動パターン』の違いには、ただただ戸惑うことになります。

こういう人たちを、西ドイツの人々は『オッシー(Ossi):東の人』と呼んで、時代遅れと蔑(さげす)みの目で見るようになって行きます。『集団的KY(空気読めない人)』といったところです。逆に西ドイツの人たちは『ヴェッシー(Wessi):西の人』と呼ばれ、優越感の対象となります。東の人が、西へ移り住み、進学、就職、結婚などをしようとしても、この目に見えないレッテル『オッシー』で差別され、失意のまま東へ戻るというケースも増えていきます。このように、同じ言葉を話す同一民族の中でも、『差別』は生まれるところを見ると、『差別』は、『人種』『宗教』など顕著な違いがなくても、発生することがわかります。人間が集団生活をすれば、必ず何らかの『差別』が生ずるのではないでしょうか。人間は、まことに厄介な生き物です。

30年間、異なった『価値観』で生きた人間同士が、違いを意識しなくなるまでにどれほどの時間を要するのか、梅爺にはわかりませんが、少なくとも20年経った現在でも、ドイツには『オッシー』『ヴェッシー』の差別色濃く残っていることを知りました。

梅爺は、これらのドキュメンタリー番組を観て、若い男女が両家の反対を押し切って熱烈な恋愛結婚をした後に、やがてお互いの『価値観』の違いから夫婦仲が疎遠になっていく、というような話を思い浮かべてしまいました。自分の『価値観』は大切なものですが、他人の『価値観』とうまく付き合えない人は、折角の人生をわざわざ楽しくないものにしてしまうものです。梅爺は『自己主張の強い奴』と言われてきましたが、他人の異なった主張を、はなから『怪しからん』とあまり思わない性格なので、何とかやってこれたのかもしれません。

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2009年11月27日 (金)

ベルリンの壁が崩壊して20年(2)

『ベルリンの壁』が崩壊する様子は、当時世界中にテレビ配信されました。歓声を上げる民衆の中で、誇らしげに壁の上でハンマーを振るう若者たち、東西のドイツ人が、抱き合って涙を流す光景などは感動的で、梅爺も、『これで永い間自由を束縛されていた人たちが解放された。正義が勝ち、悪は滅ぼされた。良かった良かった』と我がことのように嬉しい気持ちになったことを覚えています。

しかし、20年経った現在、テレビインタビューに答える元東ドイツの人たちの多くは顔色が冴えず、『こんなことになるなら、むしろ東ドイツ時代の方が良かった』と語るのを観ると、『壁崩壊時の、あの熱狂は一体何だったの?』と問いかけたくなります。

不満の最大の理由は、『経済的に生活が昔より苦しくなった』ということです。人は、その時点で自分を最も苦しめている要因さえ取り除くことができれば、他のことは我慢ができると思い込む習性があることが分かります。壁崩壊前の東ドイツの人々の苦痛は『自由の束縛』であり、これさえ取り除かれれば幸せになれると考えたのでしょう。最低限、それまでの生活レベルは維持できるものと、勝手に想像していたのではないでしょうか。しかし、統一国家の施策として、西側の『自由経済型資本主義』が適用されると、経済的な競争力では全く西側に歯が立たない東側は、『落ちこぼれ』となり、失業者が溢れて、以前の生活レベルも維持できない『貧民』になってしまいました。東ドイツ時代の国営企業の生産設備などは、西側から見るとただのガラクタで、何の役にも立たないことが判明しました。命を賭けて、『イデオロギーの束縛』を排除してみたら、今度は『過酷な資本主義の現実』が待ち構えていたという皮肉な話です。現在の人々の最大の苦痛は『生活苦』に変り、『むしろ昔が良かった』という身勝手に見える発言になるのでしょう。人の『不満のタネ』は、相対的なものですから絶えることがありません。人間は、『何もかもハッピー』などという体制を作り上げる知恵を未だ保有していません。従って、『あれもこれも叶える』ことはできませんが、人間は『あれもこれも叶うことがハッピー』と思い込むために、社会と個人の間の摩擦は絶えません。

もう一つの元東ドイツの人々の不満は、『元東ドイツ人というだけで、元西ドイツ人から、目に見えない差別を受ける』ということでした。物理的な壁を壊してみたら、今度は目に見えない『差別の壁』ができた、ということですから、これも大変皮肉な話です。人間は『自分は他人より優っている』と思いたい習性があり、『私の方が長生きだ』『私の方が金持ちだ』『私の方が学歴が高い』『私の方が物知りだ』『私の方が美人だ』と、何かの理由を見つけて『他人を差別視する』という根源的な問題があることを示しているように感じます。凡人である梅爺も、無意識にこのような考えを持っていることに気づいて嫌悪感を覚えることが度々あります。

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2009年11月26日 (木)

ベルリンの壁が崩壊して20年(1)

1989年の11月9日に、『ベルリンの壁』が崩壊して、丁度20年が経過したということで、これを扱ったドキュメンタリー番組が多数放映され、梅爺は、これらを録画し、まとめて10本以上の番組を観ました。

単にソ連、東ヨーロッパの『共産主義』が終焉を向かえ、『二極パワーによる冷戦』から、『自由経済を基調とした資本主義』『民主主義』が、世界の主流になるキッカケになったとだけ見るには、あまりにも多くの問題を包含していたことが分かります。多くの教訓と反省が得られたという点では、後々、『人類の歴史を変えたターニング・ポイント』と語り伝えられることになる『重大な事件』であったと言えます。

第二次世界大戦で日本同様敗戦国となったドイツは、西と東に分断され、東はソ連の統治下に置かれます。東ドイツに含まれるベルリンも、西と東に分断され、東ベルリンは同じくソ連の統治下に置かれ、西ベルリンが孤島のように、取り残されるという、複雑な形になったのはご承知のとおりです。更に『ベルリンの壁』が東ドイツによって敷設され、西ベルリンは、文字通り『孤島』になってしまっていました。

梅爺は、壁が崩壊した10年後の1999年に、ベルリンを訪れ、記念として残されている『ベルリンの壁』の一部を見ましたが、それから更に10年が経過したことになります。10年前は、既に外見上は、西ベルリンも東ベルリンも同じように見えましたが、良く観察すると送電柱などは、東ベルリンが貧弱で、社会インフラの格差の名残がまだあると感じました。

もし、日本も、敗戦後南北に分断され、東京も分割ということになっていれば、同じようなことが日本でも起きたであろうと考えると、『他人事(ひとごと)』ではありませんので、梅爺は、そうならなかったことを感謝しながら番組を観ました。

分断後、東ドイツは、ソ連の傀儡政権ともいえる、ホーネッカー率いる『社会主義統一党』が、一党独裁の体制を築き、多くの若者も、『理想国家』を実現しようと大きな夢をもって、国家再建に参加しました。一時は、繁栄するかに見えた時代もありましたが、ソ連同様、『秘密警察(シュタージ)』が国民の一人ひとりを徹底監視する、恐怖政治を絵に描いたような国家に、変貌していくことになります。『社会主義、共産主義』に反する言動は、厳しく弾圧され、全体のためという名目で、個人の自由はほとんど奪われる体制が強化され、『ベルリンの壁』は、その象徴として建設されたことになります。全体のために、個人のわがままを許さないということは、どんな社会でも勿論必要な時がありますが、限度を越すと、『人間は我慢できなくなる』という簡単なことを気づかない人たちが、後を絶たないのは何故なのでしょう。現在でも、北朝鮮は国家として存続しています。

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2009年11月25日 (水)

弱肉強食(4)

『人間種』は、約500万年~700万年前に、『猿種』から分かれて独立したと考えられています。しかし、頭蓋骨の化石から類推して、約200万年前までは、それほど顕著な『脳の大きさ』の増大は、見受けられません。200万年前から、急に『脳の大きさ』は増大を開始し、現在に至っています。この分岐点は、丁度『ホモ・XXX』と呼ばれる『ホモ種』の出現と一致しています。現生人類の私達は『ホモ・サピエンス』です。

科学者は、この『脳の大きさ』の増大は、『人間種』が『草食系』から『雑食(肉食を含む)系』に転じたからであると推定しています。現在、私達の『脳』は、体が必要とする全エネルギーの1/4を消費していますので、このエネルギーの補給のためには、エネルギー転換効率の良い『肉食』が必要であったという推定です。『肉食』は『脳の大きさの増大』を促し、『脳の大きさの増大』は、『知恵や工夫』を生み出す原動力になり、身体的には、必ずしも『強い』とは言えない『人間』が、『弱肉強食の世界』で、『強い種』として君臨をし始めることになりました。

私達は、生きるために『穀物』『動物や魚の肉』を食べていますので、それらの『生命体』の『命を奪う』ことを前提に生きています。自然な『生態系』だけでは、膨大な人間の数を養えませんので、『農耕』『牧畜』『養殖』などという、『知恵と工夫』で補ってきました。しかし、この『知恵と工夫』さえ限度に達しつつあり、ついに『遺伝子組み換え』などという、『自然の摂理』を人工的に変える手段さえも、考えざるを得ない状況になっています。人間は、現状の人口を肯定する限り、『自然な生態系』の中では、生き残れません。

五木氏の考えに従えば、『人間』は『勝者』であり続けるために、『悪人』であり続けなければならない『矛盾』をかかえて生きています。親鸞は、永年の修行で、煩悩を断ち切ろうとしますが、ついに自分の力では、それはかなわないことを悟り、『悪人』であることを『赦してもらう』には、『仏の慈悲』にすがるほかに方法がないという考えに到達します。

人間は、自らが考え出した『善』と『悪』という、『抽象概念』に縛られ、これから何とか逃れようと、『宗教』や『哲学』を高度に進化させてきたと、言えるのではないでしょうか。人間も基本的には『生物』の一つの『種』であり、その点では『特別な存在』ではないという『現実』と立ち向かうことは、重要なことですが、易しいことではありません。

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2009年11月24日 (火)

弱肉強食(3)

人間も含め、生物は生きるために何らかの『競争』を強いられます。ライオンの子供にとっては、獲物を捕らえる能力の差は、生き残りのために決定的な意味を持ちます。『弱者も個(人間)として生きる権利を持つ』という、優れた考え方を獲得したのは、生物の中で人間だけではないでしょうか。

動物も、弱い子供を親が保護したり、安全のために『集団行動』をしたりしますが、これらは、『種の存続』のための『本能』で、人間のように、『弱者の生きる権利』などという、普遍的な『抽象概念』を共有しているためではありません。

しかし、人間は、『生きるためには競争に勝たなければならない』と認めながら、一方で『自分が競争に勝つことは、誰かを犠牲にしたり傷つけることになる』という矛盾から逃れられないことになります。

『勝てば官軍』とだけ、単純に律することができる人は悩みませんが、『勝つことの後ろめたさ』を感ずる人は、悩むことになります。

作家の五木寛之氏は、戦後大陸から引き上げる時に、知らず知らずとは言え、同じ境遇にあった多くの善良な人達を犠牲者にして、自分のような者が、帰国できたことに『後ろめたさ』を感じ続けてきたと述懐されています。戦地で、優秀な戦友を戦死で失い、自分だけが生き残ったという兵士も、同じような悩みを口にします。

このことから、五木氏は、『自分の生きることの意味』の原点を、『勝つこと』や『成功すること』に求めずに、自分の『絶望感』『寂寥感』を見つめることから開始すべきだ、と述べておられます。

五木氏の中で、善良で優秀な人達が、はやく亡くなり、自分のような者が生きながらえているという『罪の意識』は、やがて自分は『悪人』であるという悩みになり、このような『悪人』を救ってもらえるのは、仏の『慈悲』にすがるしかない、という考え方に到達します。ここでいう『悪人』は、『犯罪者』といった皮相な意味ではありません。つまり、五木氏は、親鸞の『悪人正機』、『他力本願』の考え方に、深く共鳴するようになっていきます。

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2009年11月23日 (月)

弱肉強食(2)

台風や地震などの自然災害は、人間にとっては過酷なものです。『弱肉強食』という、自然の摂理も、同じく過酷な世界です。このような『自律分散処理』による『動的平衡』にいたる変化がもたらすものは、人間が大切にする『思いやり』などといった『情』とは無縁なものです。

これらを『過酷と感ずる』のは、生物の中で人間だけかもしれません。『情』と『理』を高度に組み合わせた脳の機能を進化の過程で獲得した、人間ならではの『認識』のしかたです。

自然災害や『弱肉強食』という『現象』そのものは、自然の摂理の中で、起こるべくして起こっている『現象』で、それ自体には『過酷』などという、考え方は内包されていません。人間が『過酷』と感じているだけです。

人間は、他の動物同様、本能で『自分に都合の良いもの』『自分に都合の悪いもの』の『区分け』を行い、この延長で、時に『善良な心』と『邪悪な心』、『神』と『悪魔』、『天国』と『地獄』などという、抽象概念の『区分け』を思いつき、これらを『言語』で表現し、仲間内の共通知識として継承してきたのではないでしょうか。『都合の良いもの』を選択することは、生き残るために、全ての生物が本能的に求めてきたことです。

更に、人間は『自分に都合の良いもの』は『本来そうあるべきもの』、『自分に都合の悪いもの』は『本来そうあってはならないもの』と考えるようになったのではないかと梅爺は推測しています。

生物としての生き残りのためには、『弱肉強食』は避けられないものですので、人間社会の中でも、姿を変えて同じようなことが今でも行われています。『強国』は『弱国』を威嚇したり征服したりしてきましたし、経済のグローバライゼーションなどもこれにあたります。スポーツも見方によっては『弱肉強食』を『美化』した形式かもしれません。フェアーな戦いにおける勝者は、『ヒーロー』と賛美されます。しかし、何を持って『フェアー』とするかは、容易に決めることは困難ですので、『勝つ』『成功する』の裏には、『誰かを敗者や犠牲者にする』という『後ろめたさ』がないわけではありません。

『弱肉強食』を『過酷』と感ずるのは、『敗者や犠牲者』が出現することを、人間が察しているからです。一方において、『弱肉強食』を肯定し、時には賛美しながら、一方において、これは『過酷』であり、『本来そうあってはならないもの』と感ずる『矛盾』を人間は抱え込みます。

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2009年11月22日 (日)

弱肉強食(1)

自然が作り上げた『生態系』を守ろうという、主張を度々耳にします。ごもっともな話に聞こえますが、よくよく考えてみると、生物の頂点に君臨している『人間』の独善的な主張にも見えてきます。

マクロに見れば、『生態系の維持』は、生物の『種』が、他の『種』を絶滅に追いやらない程度に、相互に『バランス』をとりながら、『種』として存続することですが、ミクロに見ると、その『バランス』を維持する手段の一つは『弱肉強食』であることが分かります。

つまり、自分より弱い生物を『餌食』にし、自分よりは強い生物の『餌食』になることを前提に『生態系』は成り立っています。『餌食』になっても『種』として絶滅しない条件は、食べられてしまう方は旺盛な『繁殖力』で補うか、食べる方は『種』のボリュームを制限するかしか、方法がありません。冷たい言い方で恐縮ですが、食べられる方の『種』は、生まれた子供のある割合は、いつか『餌食』になり『死ぬ』ことを前提に『繁殖行為』を行っていることになります。勿論、その『種』は、そのような運命を、『認識』し、『覚悟』しているわけではありませんが、マクロに外部視点でみれば、結果的にそうなっているということです。自律分散処理で『動的平衡』を保っていることになりますが、『平衡』が保てなくなった時に、『種』は滅亡します。

ところが、現在『人間』という生物は、『生態系のバランス』の常識をはるかに越えたボリューム(バイオマス)になっていて、その上、自分達は他の生物の『餌食』にはならないで生きています。勿論、今でも人間を『餌食』にしようとする生物が存在しないわけではなく、『病原菌』や『ウィルス』は、虎視眈々と狙っています、しかし、全体的に見れば、生物種の中で、『人間』は極めて『異例の存在』であることがわかります。

『人間』は最初から、このような存在であったかというと、そうではなく、原始社会では、人間も時に強い他の生物の『餌食』になることで、『生態系』のバランスを維持することに関与していたものと思われます。

やがて、人間は知性を発揮して、自分達は『餌食』にならずに『種』の存続を継続する方法を、人工的に考え出しました。農耕や、牧畜、養殖などがその手段であり、その後も『科学』や『医学』で、人工的な生存環境を拡大し続けて、ついに今日の『異例な存在』にまで、昇り詰めたことになります。

したがって、そもそも自分達の存在が、『生態系』にとっては、不自然なものであるという認識を持たずに、他の『生態系』だけは、現状のバランスを維持すべきだと主張することは、かなり『独善的』なものと言えます。もっと、はっきり言ってしまえば、『人間にとって都合の良い生態系は維持したい』『沢山の種を絶滅に追いやってきた罪を、これ以上重ねたくない』と言っているのではないかと勘ぐりたくなります。

とんでもない、『生態系の維持』は、自然保護、動物愛護の精神で主張しているのだと、反論される方もおられると思いますが、『生態系の維持』は、そもそも『弱肉強食』という、非情なルールで支えられているということを、抜きにしては考えられません。絶滅しそうな『種』を、『保護環境』で守るのは、当然のことですが、『保護環境』は自然な『生態系』とは言えません。自然な形で『種』が存続すると言うことは、きれいごとだけでは済まされない問題を孕んでいるというのが、梅爺の基本的な認識です。

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2009年11月21日 (土)

地獄の沙汰も金次第

上方いろはカルタの『ち』、『地獄の沙汰も金次第』の話です。

商人の町大阪を中心とする上方らしい諺です。金さえあれば、閻魔様に袖の下を使って、地獄行きを回避できるということらしいので、『つまるところ、この世は金』と言っているようでもあり、逆に『金が全てと思い込んでいる可哀想な奴がいる』とあざ笑っているようでもあります。

日本人の優れた諧謔精神は、一部『真実』を含む表現を用い、『それだけに固執するのはいかがなものか』と風刺する、凝った形式を採ることが多く、ひねくれものの梅爺は大好きです。本当はお金が欲しいにもかかわらず、お金が無い自分を、肯定するために『本当に大切なものは、金では買えない』などと、強がりを言うところが、滑稽です。

人は沢山の『強がり』を言いながら一生を送ることになりますが、それが『強がり』だと、自分で認識していれば、自分も滑稽の対象として笑い飛ばせます。しかし、『強がり』の内容が『絶対正しい』と思い込み始めると、周囲との関係がギクシャクすることにもなりかねません。

普段、『人生で大切なものは、金ではない』と言っていた人に、突然、思いもよらない大金が転がり込んできたら、必ずしも全員、『このような無駄な金は要らない』と全額寄付してしまうわけでもないでしょう。口では『強がり』を言いながら、こっそり宝くじを買ったりするような人がいるかもしれません。梅爺は、宝くじや馬券を買う趣味も習慣も持ち合わせていませんが、それでも、何かの拍子で購入した宝くじが当たれば、有頂天に大喜びするのではないかと思います。

金を軽蔑してみても、金が無ければ生きていけない『しくみ』に組み込まれて生活しているわけですから、その人なりの『ほどほどのバランス』で手を打つしかありません。どの『バランス』が正しいかという相対的な議論は不毛で、自分が選んだ『バランス』を謙虚に受け容れることの方が大切なような気がします。梅爺は、『守銭奴』にはなりたくないと、『強がり』で考えていますが、金は梅爺を『守銭奴』に変えてしまう魔力をもっていそうだということも薄々感じ、警戒しています。でも、今までの人生で、そのような警戒を実践する機会はありませんでしたので、今後もそのような機会なしに、一生を終えるのではないかとも、感じています。

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2009年11月20日 (金)

青木紀久子さんの室内楽演奏会

大学時代からの合唱仲間の畏友青木修三さんの奥様は、芸大を卒業された著名なピアニストの青木紀久子さんで、毎年、選りすぐりの共演者を招いて『室内楽演奏会』を開催されます。今年は、11月17日に、上野の文化会館小ホールで演奏会があり、大盛況でした。梅爺夫婦を含め、多くの仲間も、大半が夫婦同伴で拝聴しました。普段はアメリカ在住のIご夫妻も、タイミングよく来日中で参加されました。昨年の演奏会もブログで前に紹介しました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_5c74.html

今年のプログラムは以下でした。

ベートーヴェン ピアノ三重奏曲 変ロ長調作品11 『街の歌』
シューベルト  『アルペジオーネソナタ』イ短調 D.821
シューマン   民族風の五つの小品作品102
モーツァルト  クラリネット三重奏曲変ホ長調 『ケーゲルシュタット・トリオ』K.498

ウィーン国立歌劇場管弦楽団やウィーン・フィルハーモニーの団員でもあられた、チェロのアダルベルト・スコチッチ氏、東京芸大の准教授のクラリネットの山本正治氏が、今回の共演者でした。

このプログラムでは、18世紀の後半から19世紀の前半にかけて、西洋音楽の黄金期を築き上げた巨匠達の音楽を、同時に楽しむことができるわけですから、まるで、著名なシェフの有名な伝統料理が、複数皿同時に食卓に供せられたようなもので、音楽愛好家には、こたえられない演奏会でした。なんと、アンコールではブラームスの作品まで演奏されるという、更に一皿追加という贅沢さでした。

楽器の特性や、音楽理論を知り尽くした作曲家が、そういう『理』を駆使して、聴く人の『情』に訴える作品を作りあげたことになります。演奏者も卓越したテクニックと解釈で、これを最大限に表現しようとします。しかし、梅爺のような必ずしも音楽の『理』を全てわきまえているわけでもなく、技能も持ち合わせているわけでもない人間は、ただ目を閉じて、脳裏に浮かぶ情感を受動的に楽しめばよいわけですから、こんな楽な話はありません。芸術の創作、表現には、『理』が少なからず要求されますが、鑑賞者は『情』一辺倒で対応すれば良い、というのが梅爺の単純な考えです。クラシック音楽は難しいなどと、最初から食わず嫌いで忌避するのはもったいない話です。

青木ご夫妻は、先月の始めに、仲間内で出かけた『カンボジア・ベトナムへの旅』にも参加されました。演奏会を間近に控えておられた奥様は、8日間、全くピアノに触れないことになることを気にしておられました。『なるほど、プロ意識はさすがにすごいな』と梅爺は感心したものです。ご夫妻は、事前に調べて、ベトナムのあるホテルだけが、ピアノを利用できることを確認されたようですが、なんと台風でそのホテルは浸水し、他のホテルへ急遽変更ということになってしまいましたので、結局、『ピアノなしの8日間』ということになってしまいました。

そんな『精神的ストレス』を抱えながら、それでも、見事に演奏会を成功させた奥様に、これまた『プロはさすがにすごいな』と、再度感心してしまいました。

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2009年11月19日 (木)

出雲の国の謎(8)

著者関氏の卓見と梅爺が感じたのは、『古事記』『日本書紀』の編纂を進めたのは、藤原不比等であったであろうという見方です。藤原不比等は、自分の娘光明子を、聖武天皇へ嫁がせ、以降朝廷内で、絶対的な権力を手にした人物ですが、藤原氏の『正統性』を主張するために『記紀』に『潤色』を行ったという見方です。梅爺は、『記紀』は、『大和朝廷(天皇家)』の『正統性』を主張するために書かれたものと、単純に考えていましたが、そう言われてみると辻褄があうことが沢山あります。

不比等の父親は、中臣鎌足(天智天皇から藤原姓を賜る)で、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ:後の天智天皇)と組んで、蘇我入鹿を討ち、『大化の改新』を実現した忠臣であったとされています。一方、蘇我入鹿は、聖徳太子の息子を自殺に追い込んだ逆臣とされています。しかし、蘇我氏は『ヤマト建国』以来天皇を支えてきた重臣(出身は出雲という説がある)であり、藤原氏(中臣氏)はむしろ祭祀職からの『成り上がり者』ですから、藤原氏の立場を確固たるものにするために、不比等は、『記紀』に、巧みに手を加えたという関氏の見方には一理があります。

蘇我入鹿を『極悪人』に仕立てるために、『聖徳太子』を理想的な聖人とし、持統天皇(女帝:天智天皇の娘)の直系(曾孫の聖武天皇に娘を嫁がせる)を正当化するために、『天照大神(女性の神)』のイメージを、持統天皇にダブらせたという解釈です。

私達は、『記紀』の記述で、『聖徳太子は稀に見る賢い聖人』『蘇我入鹿は極悪人の逆臣』『天照大神は女性』と、思ってしまいますが、見方をかえれば、『本当はどうであったか分からない』ということになります。

関氏の見方は、卓見であろうと思いますが、一つの『仮説』としての卓見で、日本の古代史は、まだまだ謎に包まれています。

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2009年11月18日 (水)

出雲の国の謎(7)

著者の関氏が、提示する『古代史を考える時の視点』で、梅爺が、『なるほど』と思ったのは、当時先進文明を保有していた、『中国、朝鮮半島』との関係と、日本の『地理的条件』を合わせ考えるという見方です。

青銅器中心であった弥生時代の末期に、鉄器が、中国、朝鮮半島からもたらされ、これを保有した国内の部族が、武器としても、農耕器具としても、圧倒的優位に立ったであろうと推測できます。つまり、北九州地帯の部族が最初に優位な条件を手に入れたであろうということです。北九州の部族は、この自分が獲得した優位性を独り占めにするために、『関門海峡を封鎖』しようとしたであろうと、著者は推測しています。確かに、これで、瀬戸内海地域や畿内地域は、大陸との交通路を断たれ、不利な状況に追い込まれます。

しかし、朝鮮半島との関係を維持するための、『抜け道』が一つあり、これが出雲を中心とした山陰地方であったと著者は推理します。今でも、朝鮮半島のゴミが山陰地方の海岸へ流れ着いて問題になっていますから、当時船での行き来は、それほど難しくなかったと考えられます。『抜け道』で、鉄器が山陰にもたらされたというのが、関氏の推測です。弥生時代末期には、山陰から北陸にかけ、共通の『文化圏』が存在していたことが、遺跡から分かっています。

『ヤマト建国』時に、『ヤマト』は策略で『出雲』を強奪し、ここを拠点に、北九州への攻勢を強めたという推理です。ちなみに著者は、『ヤマト』の中心地は、奈良県の纏向(まくむき)遺跡と推定しています。中国の魏が没落すると同時に、北九州の部族は優位性を徐々に失い、これに乗じて『ヤマト』は、北九州や九州を制圧したのではなかという推理に発展します。神話の『神功皇后』の熊襲征伐は、これを伝承したものということになります。

もし、そうだとすると、神話で語られる、高千穂に降臨した皇祖神の子孫の神武天皇が九州から『東征』して、『ヤマト』を建国したという話とは、全く逆の話になります。

古代史に矛盾のない『ストーリー』を作り上げることは難しいことが分かります。今後も沢山の『仮説』が出現するにちがいありません。

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2009年11月17日 (火)

出雲の国の謎(6)

梅爺は、著者が述べる、日本人の宗教感には同感です。これは、梅爺もブログに何度も書いてきたことですが、日本人の『神(または霊)』の概念は、アミニズムから発したもので、自然万物には『霊』が宿り、死者も『霊』になるという考え方であろうということです。つまり、『八百万(やおよろず)の神』であり、この『霊(神)』は、人間には得たいが知れない『恐ろしいもの』で、時には人間に恵みも施してくれますが、同時に災厄ももたらすものと受け止められてきました。キリスト教のような『人間を愛し、見守ってくださる神』という概念からは、程遠いものです。現代流に表現すれば、『神は悪魔の側面も持つ』という認識です。

仏教が渡来して、宗教が高度な精神的思想体系であることを知った後も、日本人の中に、この『神(霊)を怖れる(畏れる)』という、プリミティブな感覚が、現代にまで受け継がれてきているように感じます。

何かの災厄に見舞われると、何かしらの『神(霊)』が、『お怒りになっているのでは』と考え、その『霊』に『じっとして、鎮まっていてほしい』と祈ることになります。幽霊にも、『どうか、出てこないでほしい』と祈ります。つまり『霊が祟(たた)る』ことを恐れることになります。神社は、『偉い先祖を祀る』という意味もありますが、『非業の死』や『無念の死』を遂げた人の『霊』が、『祟らないように』と、建立されたものも多数あるように思います。現代でも『乃木神社』などがその典型です。

この本の著者は、『祟りを恐れる』という感情が、古代では、『常識的に社会を支配していた』と指摘しておられます。全く同感です。この視点で見ると、出雲大社は、『大国主命(おおくにぬしのみこと)』を祀っていることになっていますので、『大国主命』は、何らかの『非業の死』か『無念の死』を遂げた可能性が高く、その『霊』が『祟らないように』と『ヤマト』が建立したのではないかと考えられることになります。『ヤマト』側が、『祟らないでほしい』と願ったのは、『何か後ろめたい事情』が裏にあるからで、つまり『記紀』で『出雲の国譲り』などと、『穏健な移譲が行われた』ように記述されているのは『嘘』で、本当は、『ヤマト』が、策略にかけて『大国主命』を殺し、出雲を略奪したのではないかという推測に行き着きます。昔から、『出雲は祟る』と、言い伝えられてきたことが、その傍証です。

梅原猛氏が、『法隆寺』は、聖徳太子の祟りを恐れて建立された『鎮魂の寺』ではないかと指摘されたのと同じ発想です。そういわれてみると、普通の神社と色々な様式が異なる出雲大社の『意味』が納得できます。

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2009年11月16日 (月)

出雲の国の謎(5)

著者の関氏は、考古学者や歴史学者ではなく、歴史作家ですから、判明している色々な事象を俯瞰したり、推理したりして、全体として妥当性が高い『ストーリー』を構築しようと試みます。松本清張氏が古代史に挑戦したのと同じような姿勢です。

結論を導き出すために、『AであるからB、BであるからC、CであるからD』というような、『推定論理』を積み上げていきます。個々の『推定論理』は、蓋然性が高くても、必ずしも『真』とは言い切れませんから、最後の結論も、それらの『推定論理』がすべて『真』であれば、という前提で導かれた『仮説の一つ』ということになります。探偵小説でも、名探偵がこの種の手法を駆使します。

この本でも、伊勢神宮の内宮に祀られる『天照大神』は、『武内宿禰(たけのうちのすくね)』、同じく外宮に祀られる祭られる『豊受大神』は、『神功皇后(じんぐうこうごう)』が、原型モデルであるという意外な結論が提示されます。梅爺は、従来の知識から『えっ!天照大神は女性ではないの?』と言いたくなりますが、『推定論理』のどこに無理があるのかを、言い当てる知識や能力を持ち合わせていませんので、何となく釈然としない感はありますが、これはこれで『一つの仮説』として受け容れることはできます。強いてあげれば、神話上の複数の人間を、『実は一人の同一人物である』という『推定論理』で話を進めていることに無理があるかもしれないと感じました。しかし、関氏が、多量の関連書物を熟読した結果保有しておられる情報量と、梅爺のそれとは、月とスッポンの差がありますから、関氏に敬意を表するしかありません。関氏の推論プロセスを詳細に知りたいとおっしゃる方は、本をお読みいただく方が早道です。

このように、『推定論理』を積み重ねて、論理が赴く先に意外な結論を見出すこともありますが、逆に、ある結論を得るために、都合の良い『推定論理』を採用するということもありますので、その点は、読者が用心してかかる必要があります。

この結論をどう評価するかとは別に、この本を読んで、梅爺の『出雲』に関する知識は増え、著者の提示する『歴史観』のいくつかには共鳴することができました。『梅爺閑話』では、推論プロセスの解説は避け、共感した『歴史感』にだけ触れたいと思います。

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2009年11月15日 (日)

那須に遊ぶ

Dscn8550 那須の紅葉

11月10日から11日にかけて、梅爺と梅婆は、一泊で那須へ遊びにでかけました。梅爺の大学時代の合唱仲間Wさん(故人)の奥様から、『東急ハーベストクラブ』というリゾートホテルの宿泊予約券を頂戴し、これを利用して、『那須国際カントリークラブ』に隣接する『東急ハーベストクラブ那須』に宿泊しました。何もかも豪華で、年金老人夫婦は、この時ばかりは、『日常』を忘れてしまいそうになりました。

今までにも、W夫人が、『東急ハーベストクラブ』の会員になっておられるために、便宜を図っていただき、W夫人、友人のUさんご夫妻、それに梅爺夫婦の5人で、軽井沢や鬼怒川に一泊旅行を楽しんできました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-05be.html

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-7b0a.html

今回は梅爺夫婦だけの旅なので、最初は蓼科高原に車で出かけようと思いましたが、予約した頃に雪が降ったことが分かり、このまま雪が残っていたりすると、老人夫婦の運転は危険と判断し、急遽、予約をキャンセルして那須へ変更しました。

10日は、天候に恵まれ、宇都宮で高速道路を降り、『日塩(日光塩原)もみじライン』を利用して、今が丁度見ごろの見事な紅葉を堪能することができました。11日は、一日中あいにくのドシャ降りでしたので、那須近辺の屋内観光施設をまわり、見学、食事、ショッピングをゆっくり楽しんで、夜、老犬が待つ青梅に帰宅しました。

Dscn0488 日塩もみじラインの紅葉

梅爺は、今まで那須は、仕事で出向いたことはありましたが、ゆっくりした観光は今回が初めてでした。カンボジア、ベトナム旅行の印象がまだ強く残っているために、『日本はなんと素晴らしい豊かな国なのか』と、強く感じました。『御用邸』があったり、明治の元勲達が競って別荘を構えたくらいですから、元々那須はすばらしい土地柄なのでしょうが、それにしても、景色はいうまでもなく、道路、観光施設とどれをとっても、驚くほど充実しています。

こういう旅行の欠点は、『つい、ハメをはずして食べ過ぎてしまう』ことですが、幸い、帰宅後測定した体重は、それほど増えてはおらず、ホッとしました。

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2009年11月14日 (土)

出雲の国の謎(4)

日本の古代史で、いつも脚光を浴びるのは、北九州と畿内です。『邪馬台国』の所在地をめぐっても、この二つの地方が、『当方こそ邪馬台国』と今でも主張しあって、明確な決着がついていません。

それに比べ、山陰の『出雲』は、『ヤマト建国』の折に、何らかのかかわりがあったらしいという程度の関心に止まってきました。それにしては豊富な『神話』の数々や、謎めいた風習や言い伝えが現在でも出雲地方に存在することが気になりますが、歴史事実を裏付ける考古学的に重要な遺跡の発見が従来少なかったこともあり、それほどの『日本史にとって重要な地域』とは、みなされてきませんでした。

ところが、1984年に、松江市の西方の斐川町で『荒神谷(こうじんだに)遺跡』が見つかり、なんと、銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6ケが一挙に発掘されるに及んで、『日本史の常識を覆す大発見』ということになりました。ちなみに、それ以前日本で発掘されていた銅剣の数は総数で300本程度でしたので、この遺跡がいかに特殊なものかがわかります。銅矛と銅鐸が一緒に見つかったという例もこの遺跡だけです。

更に、『荒神谷遺跡』のそばの『加茂岩倉遺跡』からは、39ケの銅鐸が発掘されました。こんなに沢山尾銅鐸が一箇所で見つかった例も、他にはありません。

更に、更に1988年に、今度は鳥取県で、『青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡』と『麦木晩田(むきばんだ)遺跡』が見つかり、人骨5500点、鉄製品270点などが発掘されました。一番驚くべきは、殺されたと思われる人間の遺体や、『弥生人の脳みそ』までが、かなり良い保存状態で発掘されたことです。

これらを総合すると、弥生期の末期に、山陰には『大きな勢力圏』が存在していたことは、今では明白と考えられるようになりました。青銅器ばかりではなく、鉄器が見つかっていることも注目に値します。しかし、『ヤマト建国』後、時代が古墳時代に移ると、出雲は何故か急速に衰退していったように見えることから、古代史にまた新たな謎が加わることになりました。

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2009年11月13日 (金)

出雲の国の謎(3)

日本に残されている、古代史にかかわる重要な文献としては、『古事記』『日本書記』『風土記』があります。『記紀(古事記、日本書紀)』は、6世紀中葉から8世紀にかけて、大和朝廷の貴族によって編纂されたと考えられています。『ヤマト建国』から200年以上が経った後のことということになります。

後に、『記紀』の内容は、『史実』であるという主張と、『作り話』であるという主張が繰り返されました。『史実』を主張して有名なのは、江戸時代の国学者本居宣長や、明治政府の歴史教育に関わった人たちであり、『作り話』を主張したのは、大正時代の津田左右吉などですが、第二次世界大戦に敗北して以来、多くの日本人は、完全な『作り話』とまでは言わないまでも、『伝承神話』であり、そのままを『史実』とは考えない風潮になりました。

『記紀』を、精読したことがない梅爺は、『「出雲」抹殺の謎』という本を読んで、『記紀』の内容の約2/3が、『出雲神話』を引用しているということを知りました。これは一体何を意味するのかと、著者の関氏ならずとも、疑問を抱くのは当然です。

単純に考えれば、『ヤマト』自身には、継承されている『神話』が無かったために、『出雲神話』を借用したとも思えますが、そうなのでしょうか。大体、『記紀』の著者(達)は、ヤマト建国当時、実際に『何があったのかの真相』を知っていたのでしょうか。『記紀』が書かれる200年以上前の事柄について、もしある程度の知識があり、その内容に、必ずしも『大和朝廷』にとって『好ましくないこと』が含まれていたとすれば、『大和朝廷』の正統性を主張するために、『内容を歪曲した、潤色した』と考えたくなります。『出雲神話』が多く引用されているということは、『出雲』が、この『歪曲・潤色』とどう関わっているのかを知りたくなります。

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2009年11月12日 (木)

出雲の国の謎(2)

考古学を追求する手段は、現在に残る『遺跡』『遺物』を手がかりにすることと、継承されている『文献』を解読することの二つがあります。人類が、『文字文化』を保有する前と後では、手がかりの量と質に、決定的な差があることがわかります。

中国に『魏志倭人伝』が残されていなければ、3世紀ごろの日本に『卑弥呼』という、シャーマニズムをベースにした女性の支配者がいたという『事実』は、『分からなかった』ことになります。『邪馬台(国)』も『卑弥呼』も、当時の日本人の発音を、耳で『聞いた』中国人が、『漢字』を当てはめたものですから、『ヤマタイ』『ヒミコ』が、日本の呼び名に『近かった』ものではないかと推測できます。中国は、周辺国家の名前の当て字には、わざと『卑しい意味を含む漢字』を用いましたので、たまたま『卑』や『邪』が使われただけのことです。

現在の日本人が、『ヤマタイ』は『ヤマト(大和)』、『ヒミコ』は『ヒノミコ(日の巫女)』でつまり『天照大神(あまてらすおおみかみ)』のことではないかと類推するのは自然なことです。この本の著者関氏は、伊勢神宮の外宮は、『豊受大神(とようけのおおみかみ)』を祀っていることから、『豊受大神』は、『ヒミコの宗女トヨ(台与)』のことではないかと、類推されています。しかし、後に大和朝廷が、編纂した『神話』で、自分達の『皇祖神』であるとした『天照大神』(伊勢神宮の内宮が祀る神)は、『ヒミコ』ではなく、歴史上の他の人物であると推定しておられます。

しかし、これは、『そうかもしれない』と思わせる『仮説』であって、真相は、今のところ分かりません。

ここで、重要なことは、『神話』は、『単なる作り話』と見るか、『何らかの事実が、姿を変えて伝承された部分を包含する』と見るかです。

『古事記』『日本書紀』を、どちらの視点で見るかは、江戸時代から現在まで、論争が繰り返されてきています。梅爺は、『作り話』か『作り話ではない』かという、両極端の議論はあまり意味のないことで、『作り話でもあり、真実の一端も包含している』と考えるのが、妥当ではないかと感じています。

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2009年11月11日 (水)

出雲の国の謎(1)

梅爺は、昔から、日本古代史の中で、『出雲』は、『何か、わけありの場所』ではないかと、『感じて』いました。古代史に深い知識があるわけではありませんから、文字通り『勘』で、そう感じていたことになります。

とはいえ、梅爺が不思議に思うことは、以下のような事柄です。

(1)出雲に、突然、歴史の古い大きな大社があるのは何故か。天皇家の正当な神社は『神宮』と呼ばれるのに、この壮麗な神社が、『大社』とされているのは何故か。出雲大社が、ことさら他の神社と異なった様式をとる(柏手の打ち方などや、しめなわの結い方など)のは何故か。
(2)日本中、10月は『神無月』なのに、出雲だけは、どうして10月は『神在月(かみありつき)』なのか。日本中の神様は、何故伊勢神宮に集まらずに、出雲大社に集まるのか。
(3)『大国主命(おおくにぬしのみこと)』とは誰なのか。大和朝廷とはどのような係わり合いがあるのか。
(4)そもそも、出雲には大和朝廷が成立する前に、大きな国(有力な豪族の支配)があったのではないか。日本の歴史で、出雲の重要性があまり論じられないのは何故なのか。

何気なく、本屋で書棚を眺めていましたら、『「出雲抹殺」の謎:関祐二著:PHP文庫』が目に入り、『ひょっとすると、梅爺の疑問に答えていただけるかもしれない』と買い求めました。梅爺は、『○○の謎』という本のタイトルに弱い一面があります。

著者の関裕二氏は、歴史作家で、ほぼ梅爺と同じような疑念を持たれ、永年独自に出雲に関する考察を続けられてこられた方であることがわかりました。

梅爺は、たった590円の投資で、関氏の永年の考察プロセスを、短時間で辿ることができるわけですから、こんなラクチンでありがたい話はありません。精神的な娯楽として、本ほど、付加価値の高いものは、そうはないことを思い知ります。『グーテンベルグさん、あんたは本当に偉い!』と言いたくなります。

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2009年11月10日 (火)

『遊び』とは何だろう?(4)

梅爺が月に1回参加している『横浜フォーラム』で、人類学者の尾本恵市先生が講演された(梅爺は残念ながらその回は欠席)後に、主催者のMさんから、先生の雑誌投稿記事のコピーをいくつか送っていただきました。その中に、人間を他の動物と区別する一つの要因として、『化粧をする、装飾品を身につける』ということが書いてありました。

『化粧をする、装飾品を身につける』は、明らかに『遊び心』の一種と思えますが、この一見些細に見えることが、実は、人間の本性の重要なことを意味しているのではないかと、梅爺は想像しました。

種の保存の目的で、異性の関心を惹きつけるための本能の発露という面もあろうかと思いますが、『自分を自分ではないものに変身させた時に、自分の身に起こるであろう変化を、予測できる能力』、つまり、因果関係を論理的に考えて、将来を推測できる能力を、人間が保有したことが、動物とは異なったこの習性を産み出したのでないでしょうか。

心理学では、『変身願望』などと表現されますが、人は外見を変えると、不思議なことに精神状態まで変わってくることが指摘されています。『お面(仮面)』をかぶる、などはその典型です。梅爺は、梅婆から、家にいる時も、身だしなみには気を配ってください、と言われていますが、面道臭さがりのために、なかなか励行できません。グータラの格好をしていると、グータラな生活になってしまう、ということは頭で理解できても、実践できないのですから、厄介です。『地位が人間をつくる』などというのも、外的な条件が、人間の精神生活に大きな影響を与えている証拠かもしれません。

単純な将来予測能力は、動物も保有していると思いますが、複雑な因果関係を想定して、将来を予測できる能力は、人間だけが獲得した能力のように見えます。この能力ゆえに、人類の文明のほとんど全てが高度化してきたといって過言ではないでしょう。科学は勿論のこと、芸術、宗教、哲学なども、この能力なければ、存在しません。

この能力は、人間をポジティブにしたり、幸せにしたばかりではなく、将来のネガティブなことまでも推測できることで、不安や恐れという代償ももたらしました。自分の思惑で周囲をみて、将来を推測しますので、ありのままに環境を受け容れることが難しく、煩悩を産み出すことにもなりました。散る桜を観て、人生のはかなさを知るなどという行為は、人間以外の動物にはできません。

そして、最大の悲劇は、『推測したこと』と『事実』を混同してしまいがちなことです。人生は、自分の推測とは関係無しに、多くの幸運や不運に遭遇するようにできていると、なかなか単純には達観できません。

梅爺も、先を推測する性向が強く、日常的に煩悩に苛(さいな)まれながら生きています。

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2009年11月 9日 (月)

『遊び』とは何だろう?(3)

『遊び』の意味は、幼児期、少年期、青年期以降で異なるのではないかと、梅爺は想像しています。幼児期は、周囲の環境に興味を抱き、好奇心から色々試行錯誤をして、認識の訓練や、経験の蓄積をしていくことが主目的で、そのたびに、未成熟であった脳神経細胞の接続が、成熟度を増し、大人になるための準備がなされるのではないでしょうか。従って、幼児期の『遊び』は、非常な重要な意味を秘めていることになります。最近、脳科学者の奥さん(オバーチャン)が、『前頭連合野』の刺激が幼児には必要と唱え、話題になっていますが、このことに他なりません。

人間ばかりではなく、動物も子供の時には、『じゃれる』というような、一見『遊び』に見える好意を行いますが、これも人間同様、脳神経細胞の接続完成度を高めるための準備として必要な行為ではないかと思います。

人間の青年期以降の『遊び』は、幼児期のような、手当たり次第の試行錯誤というより、行為の因果関係を知った上で、または結果を予測した上で、なんらかの『楽しみ』を求めていることに意味があるように思います。『楽しみ』の追求は、明らかに『楽しくないこと』を中和したり、緩和したりしたいという、脳のストレス・ヒーリングではないでしょうか。人間の身体は、怪我や病気を自分で癒そうという、基本能力が遺伝子で付与されているのと同様に、脳のストレスを癒そうとする基本能力が付与されているように感じます。楽しいことを考えて、嫌なことを忘れようとしたりするのも、基本的には『遊び』と共通した行為ではないかと思います。

こうすれば『楽しいこと』が得られるということを、経験で知っていたり、予測できるためには、かなり高度な脳の記憶能力、論理思考能力が求められます。大人になった動物が、『遊び』に興味を失うのに比べ、人間は大人になっても『遊ぶ』ことができるのは、この脳の発達レベルの違いのように思います。

人間の少年期は、幼児期と青年期以降の中間で、どちらの要素も含まれている時期と予測できます。

いずれにしても、人間にとって『遊び』は、重要な行為でありそうな気がします。『遊び』は人生の浪費(無駄)と、一方的に断ずることはできないのではないでしょうか。

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2009年11月 8日 (日)

『遊び』とは何だろう?(2)

言葉はその国の文化そのもので、その国の人たちの『ものの考え方』を如実に反映しています。日本語の『遊ぶ』も、広範な意味に使われますが、英語の『play』と一対一で対応するわけではありません。外国語を学ぶことは、その国の文化を学ぶことに等しいと分かりますが、同時に、深い理解が、いかに難しいことかも分かります。

英語の『play』は、『本来の自分ではないことを演ずる』ということから、思いもよらない体験を楽しむ、という意図が感じられます。一方、日本語の『遊ぶ』は、『自分の心を解き放って、その状態を楽しむ』というような、精神に関わる概念が基本にあるように感じます。言語学者ではない梅爺の直感ですから、間違っているかもしれません。

『心を遊ばせる』というような日本語を、英語にする時には、『play』は用いず、『free one's mind』などと表現するのではないでしょうか。つまり、日本語の『遊ぶ』を英語にしようとすれば、『play』だけで済ますわけにはいきません。

日本語の『ワビ』『サビ』などという感覚も、『遊びの境地』があって、初めて、感ずることができるもののように思います。日本人同士なら、一瞬にして共有できるこのような感覚を、外国人に、外国の言葉で理解してもらうことは大変難しいことです。『茶の本』を英語で書いた岡倉天心の苦労と、凄さが分かります。

『遊び』は、高尚な心に裏付けられている時は、限りない高みへ導いてくれる可能性を秘めていますが、刹那的な快楽の対象となる時には、限りなく低俗なものとなってしまい、事後に満足感どころか後悔の念が残ることになります。日本語の『遊び』は、この両極端な概念を全てカバーしているとは思いますが、人が生きていく上で、『遊び』は大切なもの、という感覚が根底にあるように感じます。時に『ドンチャン騒ぎ』もいいではないかと許容しながら、一方、一人月を見て涙することも、『遊び』としてとらえているのではないでしょうか。また、このことは繊細な心の人には、『繊細な遊び』があり、粗雑な心の人には『粗雑な遊び』があるということを意味することにもなります。

『車のハンドルに微妙な遊びがある』などと日本では表現します。この『遊び』をどう感ずるかは、ドライバーに任されますが、メーカーは、『無駄なもの、不必要なもの』を提供しているわけではありません。このようなことにまで、繊細な配慮をするのが日本の工業製品の特徴で、外国人は、驚いたり、時にあきれたりします。

『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)』は、世界共通ですが、『遊び』という言葉の概念は、国や文化で微妙に異なっていることを知る必要がありそうです。

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2009年11月 7日 (土)

『遊び』とは何だろう?(1)

梅爺は、哲学者のように、眉間(みけん)にしわを寄せて、深刻に悩む程ではありませんが、『人間は何故遊ぶのか』というテーマには興味をおぼえます。ホイジンガーが、人間の特性を『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)』と表現したのは、なかなかの慧眼ではないかと感心してしまいます。

世の中には、『遊び』という言葉を聞いただけで、忌避反応を示す謹厳実直な方がおられます。こういう方は『遊び』は、『無駄なこと』の代名詞で、『時間、金、人生、能力の浪費』と考えておられるのではないでしょうか。暗い部屋に一人閉じこもり、機械相手にゲームに熱中するオタクなどを思い浮かべれば、そう言いたくなる気持ちも分からないでもありません。従って、迂闊なことはいえませんが、人間にとって『遊び』は大切なことではないかと梅爺は感じています。例によって、DNAの話で恐縮ですが、生まれながらに『遊び』を指向するように、脳はプログラムされているように思います。つまり『遊び』という機能が、必要なこととして組み込まれていると想像できます。勿論『遊び』が目的ではなく、ある目的の手段として組み込まれている、という意味です。

幼児期や少年期に、『遊び』がいかに大切なことかは、脳生理学などの分野などで、明らかになっています。『遊び』による疑似体験によって、脳神経細胞の健全な接続が促されることが分かってきたからです。沢山遊んだ子供ほど、将来大人になった時に、実践で利用できる脳組織が豊富に形成されるということでしょう。この時期の『遊び』は、『時間の浪費』どころか、将来のための貴重な投資であることが分かります。遊び上手な子供は、大人になった時に、個性的な発想ができる人間になる確率が高いとも言えます。

梅爺が、面白いと思うのは、大人になった時の『遊び』感覚が、男と女でかなり異なっているように見えることです。部屋の中一杯に、列車模型が走るジオラマなどを作ったり、他人には価値の無い『モノ』を、懸命に蒐集したりと、実利のないことに熱中するのは、だいたいオジサンで、多くのオバサンは、こういうことにはほとんど興味を示しません。余程できたオバサンでないかぎり、こういう『遊び熱中オジサン』は、冷ややかに扱われます。オバサンからの総反撃を受ける前に申し上げれば、ここで言う『遊び』は、『一見実利を伴わない遊び』のことで、芸術を愛好するなどの『心を満たす遊び』については、男女差があると言っているわけではありません。

『種の保存』の観点から、この男女の資質差にも、意味があるのであろうと感じます。外で生活の糧を手に入れるには、好奇心を原動力に、色々な試行錯誤をする『遊び』の要素が必要で、家で子供を産み育てることには、『実利』が必要ということかなと、想像しますが、あまりにこの考え方は常識すぎて当てになりません。

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2009年11月 6日 (金)

古代エジプトの『死者の書』(3)

古代エジプト人が亡くなったときに、どのような儀式が行われたのかも、『死者の書』で知ることができます。ミイラの作り方も、現在では科学的に大半が解明されています。ミイラや棺には、『乳香』『もつ薬』『黄金』が使われており、エジプトでは手に入らないものを得るために、『海上交易』が行われていたことも分かっています。キリストが誕生したときに、東の3人の博士が、『乳香』『もつ薬』『黄金』を携えてはせ参じたなどという新約聖書の記述は、どうみても取ってつけたような話で、エジプトの『貴重品の話』を流用したとしか考えられません。また、キリスト教の祈りの最後に唱えられる『アーメン』は、ヘブライ語の『そのとおり』という意味で、ユダヤ教のしきたりを踏襲したものというのが通説ですが、言葉の響きは、エジプト的であるようにも感じます。古代エジプトの太陽神の名が『アメン』です。

『死者の書』は、全部で189章からなっていることが分かっていますが、死者の位や、所有している財産の多寡で、神官は、その中から適当にみつくろって『その人に適した死者の書』をつくっていたと考古学者は見ています。つまり『死者の書』は、神官の金儲けビジネスの対象であったことがわかります。

カトリックが腐敗し、宗教改革の原因になった『免罪符の発行』や、現在の仏教でも、高貴な文字を用いた『戒名』は高価であることを考えると、古代エジプト人だけを笑うわけにもいきません。

『永遠の楽園』『天国』『極楽浄土』にいけるかどうかが、儀式の規模や、僧職者に支払う金額の多寡による、という話は、誰もが『何となく変だ』と感じながら、それでも、確証の無い話なので、『もし本当であったら困る』と考え、現代人もそのように対応しています。大昔の人が考え出した話が、文明科学の現代でも、多くの人を支配し続けていることになります。

『文化財の保護』と『略奪』が、過去にきわどい表裏であったように、『魂の救済』と『金儲け』が、今でもきわどい表裏になっているように思います。聖職者と言えども、現世では霞だけを食べて生きていくわけには行かないことを考えると、ある程度のことはしかたがないと思いますが、時に『欲望が度を越す』ことがあるのは、いただけない話です。

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2009年11月 5日 (木)

古代エジプトの『死者の書』(2)

『死者の書』を解読すると、以下のような古代エジプト人の『死生観』が浮かび上がってきます。

(1)死後、人の魂は、永遠の楽園を求めて旅を続ける。ただし、人間を全て支配している『心臓』と、魂が蘇って宿るためのミイラが必要である。

(2)旅の途上、色々な神が、生前に罪を犯していないかどうか確認する関門があり、更に色々な恐ろしい魔物が魂を襲ってくる。これらに適切に対応するには『死者の書』を携えている必要があり、それに記載された適切な呪文を唱えること必要になる。

(3)最後の審判で、心臓の重さが秤で計量され、適切な重さなら、現世で罪を犯していないと判断され、永遠の楽園に到達できる。

これらの『死生観』は、たまたま新王国時代の『死者の書』に書かれていますが、この考え方は、旧王国時代(BC3500年)ごろから、受け継がれてきたものと推定できます。最初はファラオの魂の復活が対象であったと思いますが、新王国時代には、貴族や金持ちまでもが、『死後の魂の復活』を願う、一般的な儀式(形式)になっていたとものと考えられています。

大変興味深いことは、『肉体と魂は別』『最後の審判』『永遠の楽園』という概念は、多くの宗教で今日でも受け継がれていることです。人間は、『同じようなこと』を思いつくものだともいえますが、特にキリスト教には、古代ジプト人の考え方が色濃く影響していると、多くの学者は見ています。モーゼはイスラエルの民を率いて、『出エジプト』を行ったわけですから、エジプト人の考え方が、旧約聖書や、その後の新約聖書にも影響していると考えるのが自然です。現に、『死者の書』には、『現世でやってはいけないこと』が、42個記述されており、『モーゼの十戒』は全てそれに包含されています。

死後の魂が、次々に襲い掛かる試練や、魔物の攻撃を、適切な呪文で突破して、最後の栄冠を勝ち取るという話は、現在の多くの『ロール・プレイイング・ゲーム』が採用しているもので、梅爺も、『ドラゴン・クエスト』や『ファイナル・ファンタジー』などに昔熱中したことを思い出し、苦笑してしまいました。人間が、現実には存在が確認できない世界に対して、『空想』する内容は、数千年前と、たいして変っていないことになります。

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2009年11月 4日 (水)

古代エジプトの『死者の書』(1)

BS日テレで、アメリカの『ヒストリー・チャンネル』が製作した、ドキュメント番組を放映していて、なかなか面白いので梅爺は好んで観ています。最近、古代エジプトの『死者の書』に関するものが、連夜2回にわたって放送されました。

テーベ(ルクソール)に都があった新王国時代(BC1500年近辺)、ファラオの書記であったナニと言う人の『死者の書』が、ほぼ完全な形で発見され、ロンドンの大英博物館の学者(バッジ)が、あくどい手段で、これを現地で略奪し英国へ持ち帰った経緯をドラマ風に再現した内容でした。

文化遺産の密売は、今でも『国際的な闇のビジネス』で、日本も維新後や第二次世界大戦後のドサクサにまぎれて、沢山の文化遺産が海外に流出していますので、エジプトだけが被害者ではありませんが、特に植民地時代の欧米による『古代エジプトの文化遺産略奪』はひどいもので、ロンドンの大英博物館、パリのルーブル美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館を訪れた方は、『実態』を目にされておられることでしょう。欧米は『文化遺産の保護』であると強弁し、それは全くの嘘とは言えませんが、エジプト側は『略奪された』と主張していて、両者の言い分はかみ合いません。

大金が手に入る『密売ビジネス』に、ある種の人間は欲望に負け、倫理で自分を律することができないわけですから、この種の話は後を絶ちません。エジプトには、親子代々『盗掘』を『職業』としている人たちがいたと言われているくらいです。

『死者の書』は、パピルスにヒエログリフ(エジプト象形文字)と絵で記載された『死者の魂が永遠の楽園に到達するためのガイドブック』であることが分かっており、ミイラと一緒に壷に収めて埋葬されました。現在までに、約25000点の『死者の書』が発見されていますが、大英博物館が所蔵する『ナニのための死者の書』は、ほぼ『完全な姿』を留めている貴重なものです。巻物形式ですが全長24メートルにも及ぶ大作です。

人類が、精神世界を文字で表現した最古の書物として『死者の書』は、大変興味深いものです。キリスト教の『聖書』や、仏教の『経典』との関連も知りたくなります。

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2009年11月 3日 (火)

ブレる(4)

梅爺が契約している地元のケーブルテレビ会社が、パッケージで提供してくれるチャンネルの中に、その日行われた『記者会見』を主体に放映する『朝日ニュースター』というチャンネルがあり、このチャンネルで時折、『学問のすすめ』という対談番組が流され、とても刺激的な内容なので、梅爺はよく観ています。

対談者は『西部邁(にしべすすむ)』氏と『佐高信(さたかまこと)』氏で、お二人とも、梅爺とほぼ同年代ですが、現在日本を代表する『教養人』『論客』と言える方々です。特に『西部邁』氏は、東大の学生時代は、全学連の猛者として名を馳せた方ですが、卒業後は、『大衆社会批判』の鋭い評論で、むしろ保守的な論客に転身されました。学生時代から現在まで『ノンポリ』で、なんとなく通してきた梅爺とは、大きな違いです。

番組の中で、『佐高信』氏の鋭い質問に対して、『西部邁』氏は、『そうそう、今あなたの言葉で思い出したんですが・・・』などと前置きして、『深い内容』を、恥ずかしそうに話されます。梅爺は、そのたびに『なるほど』と虚を突かれたように驚き、この方の知識の量と、それを自分なりに再構成する能力は、一体どれほどのものなのだろうかと、畏れ入ってしまいます。『西部邁』氏は、『弁が立つ』とは言えませんが、本物の『論客』です。

その『西部邁』氏が、次のような内容の発言をされたのが印象に残りました。

『日本の知識人、哲学者、文学者が、自分のブレに悩むのは、欧米のように神という絶対的な視点を持つ習慣がなく、また、神という絶対的な視点を受け容れることも躊躇するからでしょう。日本の知識人の不幸の源泉がそこにあります』

確かに『神という絶対的な視点』をもてば、『ブレ』ないという論理は分かりますが、梅爺は、『ブレに悩む』のが人間の本性であり、いくらがんばっても、人間は『本当にブレない存在』には、なれないのではないかと、感じています。『絶対的な視点』を『信じて』しまえば、安堵感が得られますが、それは『疑う』という『理性』を放棄することでもありますので、『精神安定剤』による対症療法のようなもので、本質的な問題解決ではないように思います。『ブレは避けがたい』と観念したほうが、むしろ安眠できるような気がします。

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2009年11月 2日 (月)

ブレる(3)

人間が『ブレる』事に関して面白いのは、『ブレる』ことを自覚している人は、『理性』で『矛盾』が生じないかどうかを、瞬時に判断し、なんとか『ブレ』が表面化することを押し留めることができますが、それならば、『ブレる』ことを自覚していない人は、いつでも『ブレる』のかというと、そうとは言い切れないことです。

『単純な視点』でしかものを考えることができない人は、『理性による推論』の能力が劣っている人とも言えますが、皮肉なことに、視点が定まっていますので、むしろ『ブレない』ことになります。

一方、『理性による推論』の能力に秀でた人は、同じ現象をみても、『色々な可能性』を同時に推定できますので、『これもありうる、あれもありうる』と迷う度合いが高いことになり、『ブレ』やすいことになります。

つまり、『理性に劣る人』は、基本的に『ブレ』難い特性を持っていますが、一度『ブレ』てしまうと、それを押し留める能力に欠けるために、『ブレ』が表面化してしまいます。逆に『理性に秀でた人』は、基本的に『ブレ』易い特性をもっていて、つい『ブレ』そうになりますが、それまでの自分の言動との矛盾を、理性で即座に感知し、『ブレ』ていないように振舞うことができますので、表面的には『ブレ』が現れないことになります。なんともややこしい話です。

従って、『ブレ』ない人に遭遇したら、その人は、『単純な視点』しか持ち合わせていないために、単にそのように見える人なのか、そうではなく、『複雑な視点』の持ち主でありながら、『理性』で、『ブレ』の表面化を押し留めている人なのかを、見極める必要があります。こういう見極めができる人は、そもそも『複雑な視点』の持ち主であるということになり、これまた、ややこしい話です。

梅爺は、自分が『理性に秀でている』などと、とても言える人物ではありませんが、それでも、どちらかというと、『色々な可能性』を同時に考えたくなる性格ですので、『ブレ』やすい人間に属します。その上、往々にして、『ブレ』が表面化してしまうのは、制御能力が未熟であるということですので、それは『理性に秀でていない』証拠ということになります。まだまだ、修行が足りないと、痛感することが度々あります。

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2009年11月 1日 (日)

ブレる(2)

人間が、理性を介入させて、自分の言動が『ブレない』ように保って、尊厳を維持しようとするのは、すばらしいことです。しかし、瞬時に論理思考を働かせ、自らの言動をチェックするには、先天的な能力のほかに、日常の『訓練』も必要です。先天的な能力と、日ごろの『訓練』を欠いている人は、『失言』しやすいことになります。やたらと『失言』する政治家は、瞬時に総合判断する能力や、発言内容がもたらす影響を洞察できないわけですから、そもそも政治家としての資質を欠いていると言わざるをえません。

『ブレないようにしよう』という制御が働くのは、『ブレることは良くないことだ』という『価値観』が既に備わっているからにちがいありません。幼児が『天真爛漫』に振舞うのは、この『価値観』が未だ備わっていないからなのでしょう。

梅爺のように、『時と場合によってはブレるのもやむをえない』などと都合の良い『価値観』をもっている人間は、謹厳実直な方からすると、この上ない『いい加減な奴』ということになります。

『ブレることは良くない』という絶対的な価値観をお持ちの方は、更に、自分の中に『絶対ブレない中心』のようなもの、つまり『不動の自我』があるはずだと考えを推し進めます。

脳科学者も、脳の中に全てを制御する『中枢』のような部分があるのではないかと予測し、研究を進めていますが、今のところそのような『中枢』はみつかっていません。

梅爺は、脳は『超並列自律分散処理システム』で機能していると勝手に想像していますが、これが正しければ、『中枢』が見つからないのは当然のことです。絶対的な『中央制御センター』が無いのが『自律分散処理システム』の特徴なのですから。

『生物としての人間』は、そもそも『ブレる』ようにできていますが、人間がその後の進化の過程で獲得した、論理思考、類推思考、倫理観などを駆使する『理性』で、『ブレ』が表現化しないように、押しとどめる能力も保有している、というのが、梅爺の考え方(仮説)です。

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