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2009年10月31日 (土)

ブレる(1)

日本の首相の発言内容が『ブレる』ことが分かったりすると、ライバル政党、政治評論家、国民が、鬼の首をとったように大騒ぎをします。確かに国のリーダーの『信条』が、朝令暮改でコロコロ変るのは、ほめた話ではありませんが、一方において、『状況の変化』に対応できずに、いつもワンパターンの判断しかできないというのも、困る場合があります。ノーアウトのランナーがでたら、必ず『バントで送る』サインしか出さない野球の監督は、名監督とは称えられませんから、朝令暮改は悪い、『ブレる』のは悪いと、単純な決め付けはできません。

梅爺は、『自分は絶対にブレない』などという自信がありませんでしたので、現役の頃は、怪しからんと言われることの逃げ口上として、先回りして『私は朝令暮改することがあります』などと、開き直り、一層周囲の顰蹙(ひんしゅく)を買うことがありました。

ある個人が、同じ状況に遭遇すれば、いつも同じ反応をするのかというと、そんなことはありません。梅爺は、他人が少し気に障ることを言っても、体調がよければ、笑ってにこやかに対応できますが、体調がすぐれず、イライラしているようなときには、必要以上に腹を立てたりします。

どうしてこのようなことになるのかは、梅爺流に解釈すれば、以下のようになります。勿論、これは、『脳のしくみ』が未だ分かっていないことを良いことに、梅爺が勝手な『仮説』を述べているにすぎません。

『外部刺激』を受けて、脳がある『判断』に到達すると言う行為は、関与する脳内の複数の箇所が、『自律分散処理によって、ある動的な平衡状態を見つける』ということであるとすると、複数の箇所(サブシステム)のそのときの状態によって、どのような『動的平衡』に至るかは、予測が極めて難しいことに他ならないということであろうと思います。

脳の保有者本人にも、自分の脳の内部で何が起きたのかを把握できていない上に、サブシステムの状況はいつも同じとは限りませんので、『動的平衡の内容(対応の最終結果)』がその都度異なっても、不思議ではない、と言えます。

つまり、人間は、放っておけば、いつも同じ対応をするとは限らないので、『ブレる』ようにできている、と言ってしまえばそれまでですが、『ブレない』ようにするには、強力な『理性』の介入が少なくとも必要であろうと推測できます。

本能に従って行動する動物と異なり、人間は『理性』の介入で、『ブレ』を押しとどめることができ、これが人間の『尊厳』を形成しているのだと、思い当たります。『冷静沈着に判断できる人』『いつも他人の立場でものを考えることができる人』『運命を達観して受け止めることができる人』は、梅爺の尊敬の対象ですが、梅爺自身は、情けないことに、そのような境地からは、程遠い人間です。

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2009年10月30日 (金)

豆腐にかすがい

上方いろはカルタの『と』、『豆腐にかすがい』の話です。

『かすがい』を施せば、建造物の構造が強化されるという知恵を、豆腐に適用しても、豆腐がくずれるのを防げないという話で、同じく上方いろはカルタの『ぬ』、『糠(ぬか)に釘』と、ほぼ同様な内容です。

前に紹介した『二階から目薬』は、『やっていることは、まちがいではないが、やり方がわるい』という意味でしたが、こちらは『その目的には、その方法は役に立たない』と諭(さと)していますから、ニュアンスが少し異なります。

いずれにしても、人は、最終目的を考えると効果の無い『対応方法』を、『そういうものだ』と思い込んで、本人は大真面目でやっている、ということを笑いの対象にしています。

梅爺も、『健康に効く』といううまい宣伝につられて、色々な『サプリメント』を買い込んで服用していますが、本当に『効く』のかどうかは、定かではありません。ひょっとすると『豆腐にかすがい』を打っているようなものかもしれませんし、むしろ『健康を害する』原因になっているのかもしれません。

前に、『前立腺肥大』には、『ノコギリヤシ』が効く、といわれて服用しましたが、『ノコギリヤシ』程度では、対応できるレベルを越えていることが、判明し、結局手術で前立腺を摘出するにいたりました。

現在服用しているのは、『アロエ錠剤』『ウコン錠剤』『セサミン錠剤』などです。『アロエ』は、穏やかに便秘を回避するのに、『効いている』という『実感』があります。『ウコン』は、肝臓に良いと一般に言われていますが、最近『免疫力』が増すという話を、イランの民間療法の専門家から聞く機会があり、意を強くしています。『セサミン(ゴマのエキス)』は、老化防止に効くとの宣伝に乗せられているだけです。『サプリメント』同士の相互干渉による副作用で、実は健康に悪いことをしている『可能性』はありますが、今のところ、実感できる弊害は感じません。いずれも、自然植物の成分ですので、人工的に創り出した化学薬品よりは、『安全』であろうと、これまた勝手に判断しているだけです。

『ダイエット法』や『サプリメント』は、人の弱みに付け込んだビジネスで、陰で大儲けをしてニンマリしている人がいるのだろうと想像できますが、こんなビジネスが成立する日本は、豊かな国であることが分かります。しかし、地球上では10億人以上の人間が飢餓に苦しんでいるわけですから、能天気な国と言われてもしかたがありません。

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2009年10月29日 (木)

葛飾柴又散策

『サンフラワー夫婦の会』の昼食会が、柴又の川魚料理の老舗(しにせ)『川甚』で、10月27日に開催され、梅爺夫婦も参加しました。『サンフラワー会』は、梅爺の現役時代、同業他社4社8人(各社2名づつ)の集まりで、ほとんどが現役引退した後も、『亭主だけ』『夫婦同伴』『女房だけ』の会合が数ヶ月の1度の割合で続いています。時には、夫婦同伴で、国内外の旅行にも出かけることもあります。今回の参加は夫婦7組(14名)でした。

前日、台風の影響で関東地方は雨が降り、心配しましたが、当日は台風一過の秋晴れになり、清清しい一日を、『柴又散策』とおしゃべりに費やしました。

川魚料理『川甚』は、20年以上も前に、会社の忘年会で利用した記憶がありますが、建物もすっかり近代的に変っていて、昔の面影はありませんでした。食事は豪華で、『鯉』だけでも、『煮付け』『あらい(お刺身)』『鯉こく(味噌汁)』が振舞われ、最後の『うな重』はとても食べきれないために、1人前を梅爺、梅婆で半分づつ食べ、もう一人前は、お土産の『折』にしてもらいました。年寄りは、目だけいじきたない割には、直ぐに満腹になってしまうものです。

映画『男はつらいよ』で、全国的に有名になった『柴又』は、観光客で賑わっていましたが、平日の昼間ということで、梅爺たち同様の年配者が多いように見受けました。昔の風情が残る柴又は、たしかに年寄りには居心地の良い街です。『男はつらいよ』がもし作られなかったら、柴又は現在閑散とした街であったかもしれませんので、地元の人にとっては、『松竹様様』『山田洋二様様』『車寅次郎様様』『渥美清様様』に違いありません。京成電鉄の柴又駅の前には、『寅さんの銅像』が立っています。

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柴又駅前に立つ『寅さん』の銅像

060527v_011 帝釈天の境内

帝釈天題経寺に参拝をし、壁に施されている、お経の説話を表現した見事な木彫りや、お庭も見学しました。ベトナムのお寺を見て帰ったばかりですので、日本のお寺の『繊細な美』に、あらためて感銘を受けました。

観光客に解放されている旧家『山本亭』の屋敷や庭、江戸川の『矢切の渡し』を観光ガイドとおりに見学し、勿論、帝釈天参道の両側に並ぶお土産屋をブラブラひやかして、最後に『寅さん』で有名になった『草だんご』をお土産に買って、青梅に帰宅しました。

060527v_014 矢切の渡し

次の『サンフラワー会』は、年末に神楽坂で、『亭主だけの会合(十六夜会)』を開催する予定になっています。これは忘年会で、年が明ければ今度は新年会ということになりますので、会合の口実はいくらでもあることになります。

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2009年10月28日 (水)

ベトナム雑感(4)

Dscn0187 ベトナムの市場では、生きた『食用蛙』が売られている。『赤犬』の肉も、好んで食べられるらしい

今回の旅行は、好奇心旺盛な爺さん(婆さん)達なので、自分達の年齢や体力を少々忘れて、『折角だから、あれも、これも見よう』と盛り沢山な計画になりすぎたきらいがあります。7泊8日の行程で、2ケ国(カンボジア、ベトナム)をまわり(飛行機は計6回利用)、世界遺産5つを訪れました。訪れた世界遺産は、カンボジアでは『アンコール・ワット』、ベトナムでは『ハロン湾』『フエの王宮建造群』『ミーソン遺跡(聖域)』『ホイアンの旧市街』です。

団長のKさんが、『ホテルと食事は手抜きしないように』と旅行会社(阪急交通社)に頼んだこともあり、これまた老人達には過剰で豪華な食事が続いて、旅行中、消化器系の異常を訴える人も何人か出ました。現地の生水は飲まないように、全員注意はしましたが、衛生状態が完備した日本で普段生活している『かよわい日本人』には、『過酷な環境』なのかもしれません。しかし、このようなリスクを恐れていては外国旅行はできません。梅爺は、『危ない』と思ったときには、『正露丸』を飲みながら対応しましたので、事なきを得ました。

ホテルは、いずれも4つ星以上(1箇所だけ5つ星)で、梅爺は、『まあまあ』と思いましたが、仲間内には、現役時代に商社の役員を務め、退任後、お台場の日航ホテルの社長も勤めたことがあるSさんがいて、旅行後メールで、今回利用した各ホテルの『評価』をリストアップして送ってくれました。世界中を知り尽くし、ホテルのプロであるSさんの評価は、いずれも少々辛口でした。『配慮が行き届いたサービス』では、日本は世界一なのですから、こういう評価になるのは当然かもしれません。

ベトナムの通貨は『ドン』で、1米ドルが17000~18000ドンになります。梅爺は、ドンには換えずに、最後まで全て米ドルで押し通しましたが(概ねドルが通用します)、換金した人は、一時大金持ちになったような気分は味わうものの、桁に不慣れなため、買い物をするたびに『換算』に腐心していたようです。外国旅行者向けの御土産屋では、勿論日本円も通用します。

観光ガイドは、全て現地のガイドに頼りました(日本からの添乗員はなし)。カンボジアは日本人女性でしたが、ベトナムは、全て日本語ができる(というふれこみの)ベトナム人男性ガイドでした。経済的な理由で、日本へ行ったことがなく、ベトナムだけで習った日本語ですから、聞き取るのに、苦労することもありました。もっとも、当方は、ベトナム語ができないわけですから、贅沢が言える立場にはありません。

次回の旅行は、『すこしゆったりしたものにしよう』などと、皆口では言っていますが、喉もと過ぎると熱さを忘れるものですから、次もまた『盛り沢山の旅』にならないという保証は、今のところありません。

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2009年10月27日 (火)

ベトナム雑感(3)

Dscn0353 ベトナム、ホイアンの旧日本人街にある『日本橋』。鎖国令以前に、日本人が移り住んで残したもの

ベトナムが、今の調子で経済成長を続ければ、やがて日本に追いつき、追い越すときが来るだろうと予測される方もおられます。

梅爺が15年位前に、ソフトウェアの合弁会社を創立するために、頻繁に中国へ通っていた頃も、中国について同じような話が日本で囁かれていました。そこで、ビジネス・パートナーであった、東軟集団の総裁(CEO)、劉積仁氏に、中国人はどのように考えているのかを尋ねたことがあります。劉氏は、『中国のビル・ゲーツ』と言われ、大学教授から企業家に転じた若手の経営者で、アメリカ留学の経験も持っている中国の著名人です。

劉氏の答は、『経済指標のいくつかをとれば、そのようなことは起きるでしょう。しかし、中国の民度が、日本のそれに追いつくには、少なくとも50年以上はかかるでしょう。ひょっとすると追いつけないかもしれません』というものでした。

劉氏のいう『民度』とは、『教育』『芸術』『科学技術』『学問の各種分野』『医療衛生』『福祉制度』『各種産業』『貧富の格差』『犯罪率』『公平な裁判』『政治家や官僚の汚職体質』『国民の民主主義理解度』『自国と他国の違いの認識』『言論、思想、宗教の自由』『各種社会インフラの整備』『情報の共有』などの、『総合的なレベル』のことです。

劉氏は、日本人の梅爺にオベッカを言う人ではありませんので、本心であろうと思いました。そして、『ものごとがよく見えている素晴らしい人』が中国にもいるなと感銘を受けました。

多分、ベトナムについても、同じことが言えるのではないかと、梅爺は思います。ある特定分野で日本を凌駕することがあったとしても、『民度』で日本に追いつくのは、並大抵のことではないように感じます。

中国も、ベトナムも、今後この『民度』を向上改善していく上で、『共産党の一党独裁』がやがて、大きな足かせになるのではないでしょうか。

日本にも、色々な問題がありますが、日本は、世界の中で、相対的には極めて高いレベルの『民度』を達成し、保有していることを、外国を見るたびに感じます。梅爺はまだ訪ねたことがありませんが、アフリカや南米に出向けば、もっと強くこのことを強く思い知るだろうと想像しています。日本は、一部の日本人が自己嫌悪するほど、『ヒドイ国』ではありません。

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2009年10月26日 (月)

ベトナム雑感(2)

Dscn0267 ベトナムの古都フエに残る昔の王宮

ベトナムの王宮や寺院を見て、梅爺は日本人との『美意識』の違いを強く感じました。よく言われるように、日本人の『美意識』は、はっきりした四季の移ろいでもたらされる『豊かな自然の変化』によって培われてきたのではないでしょうか。『ワビ』『サビ』などの精神文化も、大本はこれに由来するものと思います。当然のことながら、気候や自然環境が、人間にもたらす精神文化の違いは、想像以上ではないかと思います。

勿論、ベトナムの王宮や寺院建築は、日本と同じく中国から影響をうけているわけですが、中国の壮大なスケールには及ばず、かといって日本の繊細さも持ち合わせていないように感じます。日本人からみると、よく言えば『素朴』、悪く言えば『粗野』な印象を受けます。

日本のお寺や仏像は、俗世間とは隔絶した厳かな別世界を私達に感じさせますが、ベトナムのお寺は、むしろ俗世間の延長の感じをうけます。中国や台湾を訪れて、道教のお寺を見た時も、梅爺は同じような印象を受けたことを思い出しました。日本人は主として『精神的な救済』をお寺に求め、ベトナム人は、『現世のご利益』を求めているのかもしれません。

『美意識』や『宗教観』で、日本が優れているというのは言い過ぎであるとおもいますが、日本の精神文化は、あきらかに『ユニーク』であるとは言えるのではないでしょうか。この『ユニーク』さを、私達日本人が、自ら気づき、大切にし、外国の人たちにも、分かってもらえるような努力をすることが、『日本の国際化』であろうと梅爺は思います。国際化は、日本人がアメリカ人のようになることでも、世界中が均一になることではありません。

ホーチミン市(サイゴン)の観光では、フランス時代に作られた、カトリックの大寺院や、中央郵便局の洋風建築が、ベトナム人ガイドから、誇らしげに紹介されます。これらは、ヨーロッパの都市なら、どこにでもあるような『ごく普通の建物』ですから、梅爺は苦笑してしまいました。古いものであれ、新しいものであれ、ベトナム人自身が作り上げた『ユニーク』なものを、外国人に紹介できる国に、ベトナムはいつななったらなれるのでしょうか。戦争に明け暮れたハンデがあるとは言え、国家や国民としての真の『自負心』をもった国になるには、まだ相当の年月を要すると感じました。

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2009年10月25日 (日)

ベトナム雑感(1)

Dscn0183 所狭しと駐車しているバイク。たわわにぶら下がる電線。

ベトナムの都会を旅していて、日本人が一番閉口するのは、走行するバイクの数が多く、おちおち道路も横断できないことです。交通信号機は、大都会の中心部にしかありませんから、梅爺たちも決死の覚悟で横断しました。夫婦が子供二人と一緒に1台のバイクに相乗りしているなどという光景も見受けますので、ハラハラしてしまいます。娼婦でさえも、つかまえた客をバイクに乗せて『目的地』へ移動するらしいので、バイクがなければ夜も日も明けない国になっています。

何しろ、人口9000万人弱に対して、バイクの数は3000万台とのことですので、そのすさまじさは、ご想像いただけるでしょう。15年ほど前の中国の自転車と同じような状況が、現在ベトナムではバイクで起きています。バイク事故で年間亡くなる人の数は12万人とのことですので、これもすさまじい数字です。保険制度が完備していませんので、事故で亡くなるのは『死に損』だというのも恐ろしい話です。

ほとんどのバイクは、ホンダ、ヤマハ、スズキといった日本ブランドですが、中には『HONGDA』などという、紛らわしい名前の中国製バイクも走っています。ベトナム人ガイド(聞き取りにくいこともありますが、一応日本語を話します)は、『HONGDA』を『ヘンダ(変だ)』と呼ぶことにしているとジョークを言っていました。『HONDA(ホンダ)』は10万円以上するのに対して、『HONGDA(ヘンダ)』は5万円程度で買えるのだそうです。ベトナムでは、バイク一般を、『ホンダ』と呼んでいます。それにしても、ベトナム人の収入を考えるとバイクは高い買い物です。ベトナム人にとっては、日本製のバイクや家電製品が、憧れの高級商品のようです。

急増する都会の電力需要に対応するためか、電柱には、必要に応じて付け足していったとしか思えないように、電線が『たわわに』ぶら下がっています。失礼ながら、共産主義の『計画経済』は、どうなっているのだろうと、疑ってしまいました。

経済成長に、社会インフラの整備が同調しないひずみは、やがてベトナムの大きな問題になると思います。それに、低所得を強いられているエリート共産党員の不満も、そのうち爆発しかねません。経済活動で、高所得をあげる非党員との『格差』を、いつまでも『ホー・チ・ミン』のような高潔さで、『武士は食わねど高楊枝』と、プライドだけで我慢できるとは思えないからです。急速な経済成長だけが、喧伝されるベトナムですが、克服しなければならない難題が山積していると感じました。

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2009年10月24日 (土)

ミーソン遺跡

Dscn8492 ミーソンの遺跡

ベトナム中部の港町ダナンから、車で1時間半走ると山の中に世界遺産『ミーソン(美山)遺跡』があります。梅爺はこの『ミーソン遺跡』に歴史の過去と現在(ベトナム戦争の爪跡)の両面をみて、興味を覚えました。

『ミーソン遺跡』は、今ではベトナムで少数民族となっているチャム族の祖先(チャンパ族)が、7から13世紀に作り上げたチャンパ王国の『聖域』であったと考えられています。日本で言えば、アイヌ民族が残した遺跡といったところです。石とレンガで作られた建造物(ヒンズー教の寺院)は10世紀ごろのものと推定されていますので、カンボジアのアンコール遺跡よりも古いことになります。サンスクリット語や古チャム語の碑文が残っていますので、インド文化の影響を受けていることも分かります。

ヒンズー教の『創造(誕生)』『維持(生命活動)』『破壊(死)』が繰り返すという思想と、『生殖行為』は深い関わりがあると古代の人間は考え、男女の性器を具象化した『神の像』が、ヒンズー教の『ご神体』としてここには祀られています。日本にも『五穀豊穣』と『性』を結びつけた祭の形式が残っていますので、遠い昔のルーツは同じなのかもしれません。

レンガで組み上げた壁の壁面に、彫像が彫られていますが、接着剤らしきものを使った痕跡がないのに、レンガとレンガの隙間がないほどの精巧さを保っているのは、何故なのかは、考古学者も未だ解明できていないとのことでした。梅爺は、レンガの表面を『鏡面研磨』して積んだのではないかと、勝手な『仮説』を考えてみましたが、勿論証明する能力はありません。チャンパ族が、極めて優れた建造技術を保有していたことは確かです。

20世紀初頭に発見されたときには、20メートルを越す塔などが残されていたことが当時の写真で確認できますが、ベトナム戦争のときに、ベトコンがここに立てこもったために、米軍の空爆対象になり、多くが破壊されてしまいました。人間は切羽詰ると『文化遺産の保護』などいう『きれいごと』を忘れてしまうものだということを思い知らされます。空爆でできた大きなクレーターや、掘り出された不発弾が、今でもここには残っています。

人間の『賢さ』と『愚かさ』を同時に観て、複雑な気持ちになりました。ベトナム戦争はまだ、生々しく記憶にのこっていますので、とても芭蕉のように『兵(つわもの)どもの夢のあと』などと、感傷にふける気持ちにはなれませんでした。

世界遺産に指定された『ミーソン遺跡』を維持するために、日本の『トヨタ財団』も資金提供をしています。

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2009年10月23日 (金)

ホー・チ・ミン

Dscn0162 首都ハノイにある『ホー・チ・ミン廟』

革命や民族独立には、『偉大なる英雄』が出現するもので、ベトナムの場合は『ホー・チ・ミン』がその人です。

多くの『偉大なる英雄』が、権力を掌握した後に、カリスマ性が『傲慢』『頑固』そして時に『強圧的な態度』に転じやすいことは、歴史上の人物にその例を多く見ることができます。しかし、『ホー・チ・ミン』に限っては、そのようなことがなく、生涯清貧に生き、他人が自分を英雄視することを嫌ったと言われています。ハノイにある、『ホー・チ・ミン廟』の近くにある彼が生活していた住居をみても、それは推察できます。彼は儒家の家に生まれたといわれていますので、儒教の影響を受けていたのかもしれません。残されている写真の多くは、粗末な衣服をまとった気取らないものですから、『ホー・チ・ミン』が『ホーおじさん』とベトナム国民から敬愛を込めて呼ばれるのも当然のように思います。

梅爺は、『ホー・チ・ミン』は、『民族統一独立』という『目的』のために、『共産主義』という思想を『手段』として選択しただけではないかと、想像していましたが、彼について調べてみると、そうではなく、『共産主義』を『理想社会の基盤』として『純粋に信奉していた』のではないかと思うようになりました。

人間は、青年期に『これは』と思うものを『信奉』しがちですが、人生経験を積むと、『何事にも表裏(光と影)がある』ことに気づき、『信ずる』ことと『疑う』ことの間で、揺れ動くようになります。『ホー・チ・ミン』のように、生涯『疑わずに信奉』できる人は、むしろ稀です。しかし、彼のようなタイプの人間が『大きなこと』を成し遂げる確率が高く、梅爺のように『ああかもしれない。いや、こうかもしれない』などと理屈をこねている人間は、ろくな成果を挙げることができません。

『ホー・チ・ミン』が、若い頃パリで『共産主義』を知り、モスクワで筋金入りの『共産主義者』になって、以後一貫してこの思想で『民族統一独立』に邁進したことが、今日のベトナム誕生につながりました。勿論、ソ連、中国、北朝鮮などの、軍事支援があってのことですが、北ベトナム人民を、『結束』させた彼の功績が最大です。

これに対して、南ベトナム側には、『ホー・チ・ミン』に対抗できる指導者が出てこなかったばかりではなく、トンチンカンな政策や汚職などで、国民からソッポを向かれるような人物ばかりが、歴代名を連ねたわけですから、勝負にならないのは当然です。アメリカは、自分がバックアップすれば、『アホな傀儡政権』でも大丈夫と、甘く考えたのかどうかは知りませんが、『リーダーの資質』『内政の重要さ』を軽んじた結果が、実質的な『敗北』につながりました。最近のイラクへの軍事介入にしても、サダム・フセインさえ倒せば、アメリカの望む民主国家ができると都合よく考えていたように見えます。日本のように、軍国主義から民主主義へ、鮮やかに転身できる国は、世界中探しても、そう沢山はありません。今までのところ、アメリカは『外交上手』とは、とても言えません。

『ホー・チ・ミン』は、『サイゴン陥落』の6年前に、一生の悲願の達成を自分の目で確かめることなく、この世を去りました。彼にとっては無念なことであったと思いますが、北ベトナムは、一層結束を高めたのではないでしょうか。死さえもが、北ベトナムの勝利に貢献したのかもしれません。

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2009年10月22日 (木)

ベトナム戦争(2)

Dscn0411 ホーチミン市の『統一会堂』(旧南ベトナムの大統領官邸)

ホーチミン市(サイゴン)の観光地の一つが、旧南ベトナム共和国の大統領官邸の建物です。今は『統一会堂』と呼ばれ、博物館として、昔の大統領官邸の内容がそのまま展示されています。ホーチミン市の中では、異彩を放つ立派な建物で、執務室、閣僚会議室、戦略本部などが残されていますが、大統領とその家族が庶民とはかけ離れた王侯貴族のような生活をしていたことがわかります。なんと家族専用の映画館や、ダンスホールなども設置されています。

1964年8月、ベトナム北部のトンキン湾内で、北ベトナム軍がアメリカの駆逐艦を魚雷攻撃をした『トンキン湾事件』で、アメリカは北爆を開始し、ベトナム戦争が開始されましたが、この『トンキン湾事件』はアメリカの捏造であったと今では言われています。当時のマクナマラ国防長官もこれを認めています。まるで、『盧溝橋事件』と同じような話です。

ケネディ、ジョンソン両大統領、マクナマラ国防長官の下で、推し進められた軍事拡大路線は、戦局が泥沼化し、アメリカ国内や国際世論が『反戦』に傾いて、ニクソン大統領、キッシンジャー国務長官は、『和平協定』『軍事撤収』を工作します。実質『敗北』を、『和平協定に基づいた撤収』という名目にして、アメリカは南ベトナムを見捨てたことになります。

1975年4月30日、北ベトナム軍の戦車が、サイゴンの大統領官邸に、ほぼ無抵抗で突入し、屋上に北ベトナム国旗を掲げて、サイゴンは陥落します。最後の南ベトナム大統領は2日前に就任したばかりの、ズオン・バン・ミンですが、彼は『降伏を受け容れた大統領』として、ベトナム国民に尊敬されていると現地のベトナム人ガイドが教えてくれました。これも日本で言えば、徳川幕府最後の将軍徳川慶喜のような話です。アメリカ人は、陥落前にヘリコプターで脱出しましたが、アメリカに協力してきたベトナム人も、脱出しようとアメリカ大使館に押し寄せた混乱振りは、ミュージカル『ミス・サイゴン』などでご承知のとおりです。

『統一会堂』の庭に、陥落時に突入した北ベトナム軍の戦車が2台『戦勝記念品』として展示されています。1台は中国製、もう1台はソ連製ですから、これをみても、ベトナム戦争が、アメリカ対ソ連(中国)の代理戦争であったことがわかります。

資本主義が共産主義に敗れたというより、『アメリカのまずい外交政策』が敗因ではないかと昨日書きましたが、これが梅爺の感想です。ベトナムは、民族独立(統一)のために、大国の思惑をうまく利用したとも言えますが、それにしては、ベトナム国民が支払った代償があまりにも大きすぎるように思います。

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2009年10月21日 (水)

ベトナム戦争(1)

Dscn0426 ホーチミン市(旧サイゴン)の市場、日用品を何でも売っている。観光客は油断をするとカモになる。

『ベトナム戦争』について、梅爺ごときが今頃になって評論するのは、おこがましい話ですが、激戦地であったダナンや、最後に陥落したサイゴン(現在はホーチミン市)を訪れてみると、アメリカの外交戦略的な『ミス・ジャッジ(誤判断)』が致命的な要因であったと感じます。

第二次世界大戦後、植民地であった各国の民族独立運動と、共産主義国家の誕生が同時進行することを、資本主義国家の盟主となったアメリカは恐れました。特にアジアがドミノ倒しのように、共産主義化することを懸念しました。南北に二分されたベトナムの南側を、フランスに代わって支援することで、共産主義の南進を食い止めようとしたことは、アメリカの外交方針としては理解できます。それでも、ケネディ大統領は、当初アメリカの直接的な軍事介入は避け、軍事顧問団を派遣するに留めました。しかし、アメリカはその後ズルズルと泥沼にのめりこむことになります。

アメリカの最大の『ミス』は、後押しした南ベトナムの指導者の資質を見誤ったことではないかと思います。最初の南側大統領、ゴ・ディン・ジェムは、『反共主義者』で『カソリック信者』と、一見アメリカに都合の良い人物のように見えましたが、南側の『共産主義者』や『仏教徒』を恐怖政治(秘密警察)で、弾圧したために、反って、国内の不安を助長することになり、国内に『南ベトナム解放戦線』という、反政府グループをつくる原因となってしまいます。仏教の高僧が、抗議の焼身自殺をしたのもこの頃です。勿論、『南ベトナム解放戦線』には北側から送り込まれた共産主義の工作員が関与、支援していたものと推測できますが、後々、南ベトナムは、内と外とを同時に敵に回して戦わざるをえないことになりました。

たまりかねたアメリカは、CIAが画策して、軍事クーデターを起こし、ゴ・ディン・ジェムは暗殺されます。このクーデター、大統領暗殺をケネディ大統領が容認していたかどうかは、今でも議論が続いています。後にケネディが暗殺されたのは『ゴ・ディン・ジェムの呪い』だという人さえいます。軍事政権も腐敗行為が多く、その後もクーデターが繰り返されます。その後、グエン・バン・チューが9代目の大統領に就きますが、これまた、麻薬の不正取引の元締めというような裏の顔を持つ人物で、国民の心は離れるばかりでした。

北側は、優れた指導者であったホーチミンの下に、『民族統一』『共産主義』で、鉄の結束ができていたわけですから、これでは、勝負になるはずがありません。アメリカの外交戦術の失敗で、北側に『つけいる隙』をわざわざ提供したようなものだと梅爺は感じます。

指導者の資質が、国家の命運を決める、という典型的な事例のように思います。

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2009年10月20日 (火)

ベトナムの歴史(2)

Dscn0279 市場で売られている南国らしい豊富な果物

後から日本列島へたどり着いた弥生人が先住の縄文人を支配(制圧)したかに見える古代の例を除いて、幸いなことに、日本は異民族の支配や植民地支配を受けたことがありません。日本が日露戦争で勝利したときに、西欧の支配下にあったアジア各国の愛国者は、『日本がアジアを救う救世主』であると期待し、インド、ベトナム、中国から多くの革命家が日本に援助を求めて渡来しました。しかし、日本は彼らの期待を裏切ることになりました。もし、その後日本が他国を植民地化する政策をとっていなかったら、胸を張って西欧の横暴な植民地政策を非難できたであろうにと考えたくなりますが、それは現在の価値観に基づくもので、当時は、『早い者勝ちの陣取り合戦』を当然とする考え方が先進国に蔓延しており、各国が植民地拡大を競っていたわけですから、日本政府や日本人が『日本も乗り遅れまい』『大国の仲間入りをしたい』と考えたことを、あながち非難はできません。仮に日本が『非植民地主義』を貫いていたら、列強からの別の『嫌がらせ』を受けたかもしれず、従って、その後の歴史は安泰であった、という保証もありません。

勿論、梅爺は過去の日本の行為を『正しい』といっているわけではなく、政治は、そのときの『価値観』『空気』で、大きく動くことがあると言っているだけです。『郵政民営化』で小泉自民党が大勝したり、『政権交代』で鳩山民主党が大勝したりするのも、似たような現象です。『正しい』か『正しくない』かは、後日に判明します。

19世紀の後半、フランスはベトナム王朝を脅して『保護国』という名の植民地政策を迫りました。当時の中国清朝は、『ベトナムの宗主権は俺のものだ』と抵抗しますが、清仏戦争に敗れ、結局フランスは、ベトナム、ラオス、カンボジアを『仏領インドシナ連邦』として手中に収めます。

1940年に、日本は『仏領インドシナ』へ出兵し、日本が第二次世界大戦で敗北する1945年まで、日本とフランスは『領有権』を巡って抗争をすることになります。

日本の敗戦で、ベトナムは再び不安定な状態になり、フランスは、ラオスとカンボジアの独立は認めたものの、ベトナムだけは最後まで『俺のものだ』と横車を押し続け、サイゴンに傀儡政府を樹立したりしますが、ホーチミン率いる『ベトナム民主共和国』は言うことをきかないため、ついに軍事介入して、『第一次インドシナ戦争』が始まります。中華人民共和国のバックアップを受けて、ホーチミンは1954年に『ディエンビエンフーの戦い』でフランスに勝利しますが、その後の『ジェネーブ協定』で、ベトナムは北緯17度で南北に分割されます。

その後、北の『ベトナム民主共和国』と南の『南ベトナム共和国』の間で、『ベトナム戦争』が起こり(厳密には、南ベトナム解放戦線との南ベトナム国内の内戦を含む)、北が勝利して1976年に、現在の『ベトナム社会主義共和国』として統一国家になりました。

『ベトナム戦争』の印象が強いために、私達はアメリカを『悪者』視しがちですが、このように見て来ると、ベトナムに関しては、フランスも負けず劣らずの『悪者』です。日本も、この地域に野望を持って行動した時期があったわけですから、残念ながら『悪者』の部類に属します。

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2009年10月19日 (月)

ベトナムの歴史(1)

Dscn0194 一人乗り自転車タクシー『シクロ』。値段は折衝次第。

梅爺は、恥ずかしいくらい『ものぐさ』なので、海外旅行の行き先の歴史を、事前に調べずに出かける悪い癖があります。今回のカンボジア、ベトナムにしても、『ポルポト政権(クメール・ルージュ)による大虐殺』や『ベトナム戦争』については、ある程度しっていましたが、何故そのような悲劇が起きたのかを体系的に理解していませんでした。梅爺は、歴史を『年表』で理解することは不得意ですが、『何故そのようなことが起きたのか』という背景については、異常なほどに関心を持つ性格です。多分、遺伝子のなせる業なのでしょう。

現地を肌で感じた後は、『好奇心』が『ものぐさ』を凌駕し、今度はいそいそと背景を調べることになります。『好奇心』から入って調べた方が、後々記憶に残るのだと、勝手に自己弁護しています。

大雑把に、ベトナムの歴史を俯瞰すると、以下のようになります。

(1)古代(紀元前時代)
(2)中国の支配下の時代(紀元前1世紀から紀元10世紀半ばまで)
(3)自国王朝の時代(10世紀半ばから1887年まで)
(4)フランス植民地時代(1887年から1945年まで)
(5)南北分裂時代(1945年から1976年まで)
(6)ベトナム社会主義共和国時代(1976年から現在まで)

勿論、この間、国の領土が現在の形であったわけではなく、(2)(3)の時代には、南部はチャンパ族(チャンパ王国)に支配されていたこともあります。

ベトナムの歴史に影響をあたえた外国は、沢山ありますが、特に中国、フランス、旧ソ連、アメリカが特筆すべき国でしょう。1940年から1945年まで、日本も軍隊がベトナムに進駐し、フランスと領有権を争っていましたので、影響を与えた国の一つです。『ベトナム戦争』は、『冷戦』を背景にした旧ソ連とアメリカの『代理戦争』とみることもできますので、その影響力は言うに及びません。現在のベトナム社会主義共和国は、『ドイモイ政策』で、外資の導入など一部経済の自由化を認め、華やかな発展が喧伝されていますが、基本的には共産党一党独裁の国家です。大都会には、『ベトナム万歳』『共産党万歳』のスローガンが、数多く掲げられています。今後、中国同様、この『共産党一党独裁』がどのような運命をたどるかが注目点であるように思います。

現地を体感すると、文化的には、中国とフランスの影響が今でも強いと感じます。元々『文字』は『漢字』を利用していましたが、フランス植民地時代にアルファベットを用いた表音文字に変り、現在も使用されています。文字の読み方を覚えるのには効率のよい方法ですが、内容を理解するには『漢字』の方が有効なのではないでしょうか。『漢字』を廃し、表音文字のハングルに変えた韓国でも同じ問題があることを、昔韓国人から聞いたことがあります。日本で、『ひらがな』や『ローマ字』だけしか使用できないとしたら、文章を理解するススピードが格段におちることを想像すれば、なるほどと推察できます。

料理にも、中国、フランスの影響が残っています。

ベトナムの田舎で、新築の家を見ると、競って、あまり実用的とは思えない飾りの『フランス窓やベランダ』を採用していることに気がつきます。フランスの植民地時代に、フランス人の家を見て『羨ましい』と感じたからなのでしょうが、梅爺の趣味からすると、あまりいただけるものではありません。

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2009年10月18日 (日)

アンコール・トム

Dscn0051_2 アンコール・トム内にある人面(仏面?)の彫刻

『アンコール・トム』は『アンコール・ワット』と並び称されるカンボジアの遺産ですが、『アンコール・ワット』より後代の12世紀後半にジャヤヴァルマン7世によって作られた、城郭の体裁を持つ仏教主体の寺院です。各城門には、東西南北の4面を向いた観世音菩薩の顔が彫られています。城の中には『東洋のモナリザ』と呼ばれ、微笑をたたえたようにみえる顔の彫刻があります。

ジャヤヴァルマン7世の治世下は、アンコール王朝の最盛期であったと言われています。『アンコール・トム』は仏教主体ではありますが、『乳海攪拌』やヒンヅーの他の神々の彫像も施されていますので、仏教とヒンズー教が激しい抗争をしていたというより、ヒンズー教が仏教の良いところを『とりこんだ』というように、梅爺には見えます。もともと、ヒンズー教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの『一神教』ではありませんので、『神様の数を増やす』ことに、あまり抵抗が無かったのではないでしょうか。しかし、これは梅爺の勝手な憶測ですので、間違っているかもしれません。

『アンコール・トム』の周辺には、『象のテラス』『瀬(らい)王のテラス』など、有名な遺跡が沢山あります。

ジャヤヴァルマン7世は、このほかにタ・ブローム寺院なども建立していますが、こちらは、その後生い茂った南国の木々のために、石造の寺院が、崩壊したり、根や枝で建物が覆いつくされたりして、異様な光景になっていることで有名です。人間がつくり、一見磐石(ばんじゃく)に見えるものも、自然の力でいとも簡単に壊れてしまうことを実感することができます。

Dscn0077 建造物に覆いかぶさる樹木の根

ヒンズー教の教えのように、『自然との調和』を考えない人間は、やがて、痛い目に会うという教訓なのかもしれません。

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2009年10月17日 (土)

アンコール・ワット(2)

Dscn0098 アンコール・ワットを見学する爺さん、婆さん達

アンコール・ワットの第一回廊の壁に、何代かにわたって彫られた膨大なレリーフ彫像群は、王様の偉業を称えたものの外に、カンボジア(クメール)人のその時代の宗教観、死生観を表現したもので、梅爺は興味深く観ました。

インドの叙事詩マハーバーラタの内容を具象化したものもありますが、梅爺は特にヒンズー教の世界観を表したものが面白いと感じました。

梅爺は、ヒンズー教に詳しいわけではありませんが、世界を『創造』『維持』『破壊』の繰り返しととらえていること、シバ神など重要な神はいるものの、そのほかにも無数といってよいほどの神々(中には人間にとって都合の悪い魔神も含まれる)が存在すること、従って、人間は『神々との調和』『人々(他人)との調和』『自然との調和』を保つことが重要としていること、などは断片的に理解しています。

キリスト教の『天地創造』にあたる話は、『良い神々と、魔神たち(阿修羅)との綱引きで、乳海が攪拌され世界ができた』というもので、『乳海攪拌』と呼ばれ、レリーフの中心をなしています。綱にみえるものは、実は魔神で7つの頭を持つ大蛇ナーガで、魔よけとして、門の飾りにもなっています。『海を攪拌して島をつくる』『複数の頭をもつ大蛇』などは、日本の神話にも登場しますので、ルーツは同じではないかと想像してしまいます。

梅爺が最も面白いと思ったのは、死んだ人が魔神の裁きで、天国行きか地獄行きが決まるという話を表現した彫像で、これは、まさしく仏教の閻魔大王の話そのものです。仏教がヒンズー教の影響を受けていることがわかります。『死による肉体と魂の遊離』『死後の審判』『天国(極楽)と地獄』という考え方は、世界中の主要な宗教に共通するもので、人間は、『同じようなことを考え出す』とも考えられますが、これらは、古代エジプトにも見られる宗教観ですので、ルーツはエジプトではないかと、これまた勝手な想像をめぐらしてしまいました。

宗教が説く、これらの基本的な考え方は、今のところ誰も真偽を証明することができません。従って、『信ずるか、信じないか』の対象ですが、現代世界でも多くに人たちが『信じている』わけですから、人類に影響を与え続けてきた大きな思想の一つであることには間違いがありません。

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2009年10月16日 (金)

アンコール・ワット(1)

Dscn0089 夕暮れのアンコールワット

現在、アジアで最貧国の一つカンボジアに、かつては、強大な『アンコール王朝』が存在していて、当時としては世界屈指の規模の都市と文化を誇っていたという歴史的事実は、そのあまりに大きな落差故に、観光客に『人の世の盛衰』を感じさせます。

9世紀のはじめから14世紀半ばまで、500年以上『アンコール王朝』は続きました。クメール人によるこの王朝は、西のシャム(タイ)、東のベトナム、チャンパ族などと、抗戦しながら、12世紀には、最盛期を向かえ、12世紀前半に、スーリヤヴァルマン2世によって、現在の世界遺産『アンコール・ワット』が建造されました。壮大な石造のヒンズー教寺院として30年をかけて建造されたと言われています。膨大な石材を50キロメートル離れた石切り場から運んだと考えられますので、そのことだけでも、この寺院の建造にどれだけの人たちが関与したかは推察できます。寺院周辺には、数十万人規模の人口を擁する都市が存在していたことになります。

15世紀の半ばに、王都がプノンペンに移り、『アンコール・ワット』は一時忘れ去られますが、16世紀半ばに、王様(アンチェン1世)による再開発が行われ、その後、仏教に帰依した王様(ソター)によって、仏教寺院に改装されました。現在の『アンコール・ワット』は、これらの各時代の痕跡を留めていますので、梅爺のような知識不足の人間には、回廊の壁に施された見事なレリーフ彫刻群が、何時の時代に作られたものなのか、また何を伝えようとしているのかを理解するのは容易ではありません。

17世紀半ば(寛永9年)に、日本人の森本右近太夫一房という人が、仏像4体を奉納するために、この地を訪れたことが、壁面に残された墨書で分かります。当時は、壮大な仏教寺院であり、右近太夫は、唐天竺の祇園精舎に到達したと考えたのかもしれません。ベトナム中部のホイアンにも、日本人街の跡、肥前焼の陶器、日本人がかけた橋(日本橋と呼ばれている)が残されていますので、鎖国令が発令される以前の日本人は、想像以上活発に海外にまで出向いていたことが分かります。

この世界的な文化遺産『アンコール・ワット』も、敗色が濃くなったポルポト軍(クメール・ルージュ)が、1979年に要塞として立てこもり、仏教遺跡を破壊しています。1992年に世界遺産に登録され、現在では、各国の援助で、修復が行われており、日本の上智大学なども、参道の敷石の修復に貢献しています。

人間が作り上げた『アンコール・ワット』は、その後、今日まで人間の歴史を見守ると同時に、人間の所業に翻弄され続けてきたことになります。

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2009年10月15日 (木)

かものはしプロジェクト(2)

Dscn8378 『かものはしプロジェクト』民芸品工場の外観

梅爺も、大企業とは言え、製造・販売に関わる仕事をしてきた経験がありますので、『新規ビジネスの立ち上げ』が、如何に大変なことであるかは、容易に想像できます。『ビジネス・モデルの立案』『関係先との折衝』『資金の調達』『施設・資材の確保』『製品開発』『従業員のトレーニング』『販路の確保』の全てを推進しなければなりません。『かものはしプロジェクト』の場合は、これにカンボジアという異文化、異言語の要素が加わるわけですから、ベテランでも二の足を踏みたくなるような環境です。

『理想を持たない現実は空虚であり、現実を省みない理想も空虚である』と言われますが、いくら高い理想を掲げた若者達とは言え、ここまで推進するには、現実は厳しかったことでしょう。日本にも、このような若者がいるということを知っただけでも、梅爺は胸が熱くなりました。彼らは、通常の日本人が一生かけても体験できないほどの経験を積んだことになりますので、その人生の財産は莫大です。

『数十人の女性を救って、カンボジアの少女買春撲滅にどれだけ貢献するのか』などと、したり顔で言う権利は私達にはありません。行動しない人が、行動する人を評論するのは、できるだけ差し控えるべきです。『かものはしプロジェクト』が、起爆剤になって他の『ソーシャル・ビジネス』のモデルになり、カンボジアで大きな輪になっていく可能性を、梅爺は期待します。

東大を卒業すれば、日本の体制の中で、無難に生きていけると誰もが思う中で、A・K氏は別の人生を選ばれたことになります。ご本人も、ご両親もその決断には、大きな心の葛藤があったことでしょう。人生は一度なので、自分の価値観で生きるべきだ、というのは『理』の話で、『情』のある人間は、そんなに簡単に『理』だけで、対応できないものです。

臆病に、無難な人生を送ってきた梅爺にいえることは、A・K氏の経験と能力を持ってすれば、今後、仮に他の仕事に転身されることがあったとしても、成功する確率が高いということです。無難に大学を卒業し、無難な人生を送る人よりも、もっと大きな未来が待ち受けているように思います。

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2009年10月14日 (水)

かものはしプロジェクト(1)

Dscn0026 『かものはしプロジェクト』で働くカンボジアの女性達

今回の旅行で、カンボジア観光には、丸1日(1泊1日)だけが割り振られました。早朝に、宿泊したシェムリアップ近郊農村にある、日本のNPO法人『かものはしプロジェクト』が経営する民芸品製造工場を訪問しました。

『かものはしプロジェクト』は、2002年に当時大学生であった3人(女性一人、男性二人)が、『カンボジアの少女買春をなんとか減らそう』と立ち上げた事業で、2004年に、NPO法人として認可された団体です。3人の共同代表のお一人が、今回の旅行に参加された、畏友Aさんご夫妻のご子息A・K氏であることから、今回の訪問が実現しました。Aさんの奥様は著名な室内楽のピアニストで、前にその演奏会の様子をブログに書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_5c74.html

A・K氏は、この事業に専心するために東大を中退されました。今回私達は、A・K氏ご自身に、現地をご案内いただきました。ご両親にとっても、ご子息の活躍の現場をご覧になるのは、初めてとのことでしたので、感慨深いものがおありになったことでしょう。

『かものはしプロジェクト』がカンボジアで展開している事業は、一般に『ソーシャル・ビジネス』と呼ばれるもので、貧しい人たちへの一時的な金品の贈与支援ではなく、『長期にわたって、生きていくために、手に職をつけてもらう体制を作り上げる』事業形態です。貧しい人たちへ、小額の事業資金を貸し出す『マイクロ・クレジット(ファイナンス)』と並んで、貧困国救済の『決め手』と、国際的に評価されはじめた事業形式です。

『貧困』は、『飢餓』『不衛生な環境での疾病』『教育を受けられないことによる社会からの落ちこぼれ』など、あらゆる社会的な悪循環の元になります。特に、近代社会のような、『富裕層』と『貧困層』が同居する社会では、『貧困』は、犯罪行為を生み出す温床ともなり、そのもっとも痛ましい犠牲者が、何も知らずに『売春行為』を強いられる幼い少女達です。深い心の傷を負うことになる彼女達のことを考えると、『薄汚い欲望』のために、『買春』を行う男達の罪は許しがたいものです。梅爺は、『客』の30%が外国人であるという実態を聞いて、日本人観光客が含まれないとは言い切れない現状に、心が暗くなりました。

『かものはしプロジェクト』は、貧しい農村の女性に、『民芸品』をつくる能力を身に着けてもらい、その製品を販売して、収入を給料として還元しようとしています。具体的には、カンボジアの『イグサ』を原料に、染色、織り、加工を全て自前で行う体制をつくりあげています。なにしろ、電気がない村での製造ですので、全てが、手動織機、足踏みミシン、手縫いで行われています。製品は、色鮮やかなブックカバー、ランチョンマット、ハンドバッグ、ペンケース、ボトルケースなどで、ホテルや空港のお土産売り場で販売されます。

この『民芸品製造販売システム』だけをとれば、現状はまだ『赤字』ですが、3年後には採算がとれる事業にしたいと、A・K氏は、熱っぽく話されました。『かものはしプロジェクト』は、資金確保のために、日本で『IT事業』を行い、日本の個人や企業から『サポーター』として継続的に寄付をしてもらうしくみを展開しています。概要は以下のホームページで知ることができます

http://www.kamonohashi-project.net/

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2009年10月13日 (火)

カンボジア、ベトナムへの旅(3)

Dscn0065 豪雨で水浸しになっているカンボジアのタ・ブローム遺跡

今回の旅行は、文字通り『台風の狭間(はざま)』をくぐり抜けるものでした。出発当日成田で、ベトナムでの滞在予定地の一つ中部のホイアンが、台風17号の直撃をうけ、ホテルが床上浸水して利用できないため、近接の都市ダナンのホテルへ変更するということを旅行社から知らされました。ホイアンでの予定ホテルは、『ビクトリア・ホイアン・ビーチ&スパ』という、五つ星のリゾートホテルでしたので、楽しみにしていましたが、自然の猛威には逆らえず、あきらめました。

初日は、成田からベトナムのホーチミン(旧サイゴン)へ飛び、飛行機を乗り換えてカンボジアのシェムリアップ(アンコールトム、アンコールワット観光の拠点)へ移動しましたが、このシェムリアップ行きの飛行機が、台風の余波の悪天候のために、着陸までに30分以上、空港の上を旋回する羽目になりました。旅行には、突発的な出来事が付きまといますので、『これは、着陸は無理で、引き返すしかないかな』と一瞬思いましたが、なんとか着陸に成功し、思わず乗客から拍手が沸き起こりました。

シェムリアップの町へバスで入ると、道路がいたるところで、膝まで浸かるほどの洪水に見舞われていることが分かりました。勿論、低地の家は床上浸水し、田畑の大部分が水没していますので、日本なら『大災害』というところですが、現地の人たちは、何事も無いかのごとく、バイクや自転車が、ジャブジャブと水の中を走っているのには驚きました。この地方の雨季やスコールの雨量は、台風でなくても多いので、『浸水は当たり前で慣れっこ』ということなのでしょう。こういうハプニングに遭遇するのも旅の楽しみの一つです。

カンボジアは1975年から1979年まで、極端な共産主義を掲げるクメール・ルージュのポルポト政権下で、数百万人が、餓死したり、虐殺されたりしたと言われています。今でも、当時敷設(ふせつ)された地雷の不発弾に触れて亡くなる人達が後を絶ちません。一方、ベトナムでは、1964年から1972年までのベトナム戦争で、200万人以上が犠牲になっています。ベトナム戦争が終わってから35年以上経つにも関わらず、アメリカ軍が散布した『枯葉剤』のために、今でも100万人以上の人たちが、遺伝子の突然変異の影響に苦しんでいます。

このような、悲惨な歴史を経験しながら、カンボジアやベトナムの人たちが、『したたかに』生きている様子をみると、のんきな観光旅行で訪れた梅爺は、複雑な気持ちになりました。勿論、カンボジアやベトナムの人たちは、『現在を生きる』ことで精一杯で、過去のことなどをクヨクヨ考えてもしかたがない、ということであろうと思いますが、それにしても、人間は『か弱い』と同時に『したたか』であることを痛感します。

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2009年10月12日 (月)

カンボジア、ベトナムへの旅(2)

Dscn8432 ベトナム北部ハロン湾の絶景(世界遺産)

カンボジアもベトナムも、日本人の大半は、その国名を知っていても、詳しい地理関係や歴史には疎いのではないでしょうか。梅爺も、この旅行を機に、初めて知ったことと、いいままで断片的に知っていたことをつなぎ合わせて、少しばかり『体系的な理解』が進みました。しかし、一度や二度聴いたくらいでは、なかなか頭に入らないほど複雑です。

カンボジア、ラオス、ベトナムは、いずれも近世においては、フランスの植民地で、まとめて『仏領インドシナ』と呼ばれていました。現在の国家体制や、国境が定まったのは、カンボジア(カンボジア王国)は1993年、ベトナム(ベトナム社会主義共和国)は1976年と、極めて最近のことです。昔から、カンボジアやベトナムが現在のような国家の姿で存在していたわけではありません。

特に、カンボジアの現体制(国王を擁立する立憲君主国)確立時には、国連の『カンボジア暫定統治機構』代表として、日本人の明石康氏が、重責を果たされました。

カンボジア、ベトナムともに、現体制に至るまでに、他国の支配、隣国との戦争、内紛による内戦、それに宗教の変遷と、永い激動の歴史の連続でした。日本は、第二次世界大戦で、壊滅的な敗北を喫しましたが、それでも、主権と、もともとの国土の大半は継続維持し、『他国による支配』を経験していませんので、現在の日本人が、カンボジアやベトナムのような国や、その国民性の背景を本当に理解するのは、難しいことです。中国でさえも、異民族による支配の期間を経験していますので、アジアで、歴史的に独立を維持してきたのは、日本とタイ位しかありません。日本人の感覚で世界を見ても分からないのはこのためで、逆に、世界の人たちも日本人が理解できない原因になっているように思います。カンボジア、ベトナムともに、人々は沢山の苦難を経験しているだけ、日本人には想像できないくらい『したたか』で『しなやか』に見えます。

カンボジアは、タイ、ベトナム、ラオスに囲まれ、海岸線の少ない国であり、一方、ベトナムは、南シナ海に面した長い海岸線をもつ南北に細長い国です。面積は、カンボジアが日本の48%、ベトナムが88%で、人口は、カンボジアが1480万人、ベトナムが8424万人です。

カンボジアは、アジアの最貧国のひとつからなかなか抜け出せないで、喘いでいますが、ベトナムは、東南アジアでは経済成長が著しい国で、隣国でありながら、対称的です。カンボジアは、梅爺が今まで訪れた世界の国で、『最も貧しい国』であるという印象を持ちました。都市から少し離れた農村部では、今でも電気の無い生活ですから、日本人から見ると想像を絶する貧しさです。

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2009年10月11日 (日)

カンボジア、ベトナムへの旅(1)

Dscn8426 カンボジアのアンコールワット遺跡

梅爺の大学時代の男声合唱団仲間は、夫婦同伴で、国内外の旅行を楽しむことにしています。特に、2年に1度は、海外にしようということになり、今までに、台湾、アメリカ(西海岸、ラスベガス、グランド・キャニオン)、中欧(オペラ鑑賞)と3回でかけました。中欧のオペラ鑑賞の旅行記は、前にブログに書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_fe21.html

今回は、行き先をカンボジアとベトナムと決め、9月30日から10月7日まで、出かけてきました。帰りの飛行機は、台風18号の影響で、大変ゆれましたが、日本を直撃する直前に無事帰国できたのは、幸運なことでした。メンバーは、梅爺夫婦を含む9組の夫婦と、3人の単身参加(男性)の計21名で、旅行社(阪急交通社)と事前の折衝を担当されたKさんが『団長』を努められました。もともと、このような旅行は、仲間の誰かが不幸にして亡くなった時に、お通夜やお葬式に、普段面識が無かった『故人の友人』が駆けつけても、未亡人となられた奥様は、戸惑われるに違いないので、今のうちから、『知り合い』になっておこうという、切実な目的で始められました。

3年前に、旅仲間であった畏友Wさんが突然亡くなられた時には、確かにこの目的が功を奏して、W夫人に初面識でお悔やみを申し上げなくて済み、Wさんが生前好きであった歌を、仲間で霊前に捧げることができました。その後も、W夫人と、仲間のUさんご夫妻、それに梅爺夫婦で、時折国内旅行をするほどの、親しいお付き合いが続いています。人と人との出会いは『偶然』ですが、それが人生を豊かなものにしてくれることを痛感しています。ありがたい話です。

とは言え、経済危機の真っ只中にある日本で、のんきな海外旅行にグループで出かけることができるわけですから、比較的健康や資力に恵まれた爺さん、婆さん達であるということになります。

仲間には、その能力を活かして、今でも仕事を続行している人もいますが、大半は、『現役引退後の余生』を送る人たちで、現役時代は、皆各分野で『偉い肩書きの人』でしたが、現在は、そのようなこととは関係なく、学生時代に戻って、『何でも言いたいことが言える仲間』ですから、付き合いは大変快適です。

カンボジアもベトナムも、梅爺にとっては、初めて訪れる国でしたので、色々なことを肌で感ずることができました。外国に出かけると、日本が大変『恵まれている国』であることをいつも感じますが、今回はその思いを一層強くしました。

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2009年10月10日 (土)

人間力(2)

梅爺が勤務していた会社の上の人は、『凡庸なサラリーマン』を『できるサラリーマン』に変身させようと、『人間力』講座を企画したものと思いますが、梅爺の周囲に、それらしい変化は起こりませんでした。

あることをキッカケに、人の『生き方』や『考え方』が変ってしまうというようなことは、勿論ありますが、梅爺の会社の例では、『人間力』は、それほどの影響力が無かったともいえます。『魅力的な人間になりなさい』と言われて、単純に『はい、承知しました』と言うわけにはいかないのは、『信仰深くなりなさい』『煩悩を捨て去りなさい』『自分のことより他人のためになることを優先しなさい』と言われて、『はい、承知しました』と言うわけにいかないのと同じです。

以前『清く、正しく、美しく』についてブログに書きましたが、『人間力』はこれに似た側面があるように思います。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_96f6.html

人間は、宿命的に『善良な心』と『邪悪な心』を併せ持っていて、『清く、正しく、美しく』と言われても、『そうはいかない』ように、『人間力』も、『能力(生まれつき付与されているものと努力で作り上げてきたものの総和)』は個人個人で大きな差がありますから、誰もが同じような『人間力』の保有者には、そう簡単にはなれないのは当然のことです。『人間力』の話そのものは、理にかなっているとしても、誰もがそれを同じようには保有できないという宿命を帯びているということです。

『人間力』について一般的な知識を得ることは、知らないままで過ごすより良いに決まっていますが、これで、『凡庸なサラリーマン』が、皆『できるサラリーマン』に変身することを期待するのは、無理な話です。

とは言うものの、梅爺は、『人間力』のことを完全に理解しているわけではありませんから、『人間力』の悪口をいうことに、少し心がとがめ始めましたので、『人間力』をキーワードに『Google』で検索してみました。

想像以上に、『関連ページ』は沢山あり、中には『人間力大賞』を選ぶ催し物まであることを知りました。ほとんどが、『人間力』を肯定的に受け止めようとしている内容で、梅爺のように、『人を煙に巻き、その気にさせる、いかがわしい言葉』と感じているような方はおられないことを知りました。こんなことでは、いつまでたっても、梅爺は好々爺にはなれないと、あらためて猛省しました。

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2009年10月 9日 (金)

人間力(1)

企業の経営者は、時に自分を棚に上げて、部下に、何やら難しいことを要求したりします。

梅爺が現役の頃、上の人が、突然『社員たる者は人間力を養え』と言い出し、大いに困惑しました。『人間力』という言葉は、社会に通用する一般的な定義が定かでない言葉ですから、戸惑うのは当然です。梅爺だけが知らない『ありがたい意味』が込められているようにも感じられますので、迂闊に抵抗することもできませんでした。部下に要求するくらいですから、上の人は当然『人間力』を備えているのだろうと思い、あのことか、このことかと思い巡らしてみましたが、それらしいことは思い当たりませんでした。

『洞察力』『ビジョンの策定能力』『実行する勇気』『率先能力』『周囲との協調力』『快活な言動』など、社員に必要なものは、従来から沢山言われてきましたので、『人間力』は、これらとは異なった、またはこれらに勝る新しい概念なのかと推測し、興味はそそられました。

上の人は、社外から『人間力』の専門家と称する講師を招き、梅爺たちに講義を受けるように指示しました。冒頭、上の人は挨拶し、ただ『人間力についてよく勉強するように』とだけ訓示を垂れました。

講師の話を聞いてみて、梅爺は『ああ、そういうことか』と納得するどころか、一層『人間力』とは何かが分からなくなり、上の人は本当に『人間力』のことが分かっているのだろうかと疑ってしまいました。本当に分かっていれば、外部の講師など招聘せずに、自分の言葉で、部下が納得できるように説明すればよいだけの話であるからです。上の人の、『自分は人間力を持っているが、お前達は足りない』と言わんばかりの言動には、正直不満を感じました。

それでも、なんとか『人間力』を理解しようと思いましたが、講師の方が話された内容は、上記の『洞察力』『ビジョンの策定能力』『実行する勇気』『率先能力』『周囲との協調力』『快活な言動』などが、全て必要と言っておられるようでもあり、煎じ詰めると、『他人から観たときに魅力的な人間になりなさい』という話にも聞こえました。自分を棚に上げて、こんな話で済むなら、梅爺でもできますから、会社を辞めて、『人間力の専門家』として講演料を稼いだ方が楽な上に、得かもしれないと、不埒な考えがよぎりました。

『あいまいで、もっともらしい言葉』を使って、得意げに他人を煙に巻く人は、どこにもいますが、日本人は、この手の話に、とくに弱いのではないかと梅爺は感じています。政治家が口にする『骨太の政策』『粛々と進める』『キチンと説明する』などは、梅爺が嫌いな言葉です。

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2009年10月 8日 (木)

ハイドンのオラトリオ『天地創造』(3)

旧約聖書の創世記の物語は、今から3500年前に、作られた『物語』ですから、その内容を現代の科学知識で批判しても始まりません。当時の『頭の良い人』が、自分や周囲を見渡して、世界があまりに不思議に満ちていることに戸惑った結果、『全てを神が作り出した』という話を考え出し、『それならば、納得できる』と思ったに違いないからです。

旧約聖書では、神が、先ず『天と地』をつくり、次に地を『陸と海』に分け、次に『太陽、月、星』を天につくり、次に陸に植物をつくり、次に空の鳥と海の魚を作り、次に陸の動物を作り、最後に神の形に似せて『人間の男女(アダムとイヴ』を作り出したと記されています。ここまでの作業は、6日間で完了し、さすがに神様もお疲れになったとみえて、7日目は休まれたと書かれています。

現在私達が用いている1週間の概念は、これを踏襲したもので、7日目の日曜日は安息日ということになります。

『生物進化論』という知識を人類が獲得してから、150年位しか経っていませんし、『ビッグバン理論』にいたっては、80年位しか経っていませんから、人類はほとんどの時代、『神による天地創造』が、『事実』であると信じてきたことになります。勿論、ハイドンもそう信じて、このオラトリオを作曲したにちがいありません。

現在私達が獲得している知識で、ビッグバンから現在までを、仮に『1年間』に例えると、1月1日の午前0時にビッグバンが起きたとして、地球の誕生は、9月20日ごろ、生命の原型である単細胞が出現したのは、10月10日ごろ、そして私達『現生人類』が出現したのは、12月31日の午後11時55分ころ、更にキリストの出現にいたっては、大晦日の除夜の鐘の3秒前ということになります。

もし神が、全ての創造に関わっているとすれば、神は『満を持して』現生人類を世に送り出したことになります。

しかし、残念ながら、『人間は神の姿に似ている』ということは、怪しい気がします。生物進化の過程で、その都度『生き残りの条件』が、偶然選択されて、その累積結果が、現在の人間の姿を形成しただけで、偶然選択された要素が、もしも異なっていれば、人間は、現在の姿とは似ても似つかぬ姿になっていたかもしれないからです。つまり、生物進化の歴史のテープを巻き戻して、再生しても、人間が今のような姿で出現するかどうかは、保証がないということになります。そんな頼りない姿が、神様に似ているとは到底思えないからです。

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2009年10月 7日 (水)

ハイドンのオラトリオ『天地創造』(2)

18世紀の後半に活躍したオーストリア人のハイドンは、私達が西洋音楽の『交響曲』と呼んでいる音楽形式を確立した作曲家として知られています。同世代のモーツァルトや、少し後のベートーベンにも大きな影響を与えました。

30年間近く、エステルハージ侯爵の庇護を受けて、恵まれた環境にあったせいか、100曲近い『交響曲』を残しています。音楽で『情景描写』をする才能や、機知に富んだ表現をする才能に長けていて、彼の交響曲には、『告別』や『驚愕』といった、少し風変わりなタイトルがつけられているものが少なくありません。

オラトリオ『天地創造』は、旧約聖書の創世記に記されている、『神による天地創造』の物語を、オーケストラ、独唱、合唱で表現したもので、ハイドンの表現能力がいかんなく発揮されています。独唱者はその都度天使、アダム、イヴの役割を演じ、神の偉業を歌い上げていきます。このように、物語の進行を独唱で表現する様式を、『レチタティーヴォ(Recitativo)』と言います。

人間の声は『究極の楽器』と呼ばれるように、普通の楽器では表現できない『言葉』を音楽に付加することができます。『言葉』と『音楽』の結びつきは、音楽のジャンルを拡大しました。

現在では、パソコンなどを使って、電子的に色々な楽器の音色に近いものを、作り出せるレベルになっていますが、人工的に作り出した人の声で『歌』を歌わせることは、そう簡単には実現できません。『アー』とか『ウー』と言ったレベルの音だけで、コーラスに近い音色はパソコンでも作れますが、『自然な声で、コーラス隊に歌を歌わせる』ことは、至難の業です。現状では、パソコンだけで『天地創造』の演奏を実現することは不可能に近い話です。

『天地創造』では、最後に『レチタティーヴォ』と『合唱』が、高らかに神の偉業を賛美し、そして『神の恵み以上のものを望まなければ、人は幸せに生きていける』というような内容の歌詞を歌います。これは、『アダムとイヴ』が神に背いて、エデンから追放され、人の『原罪』が始まったことを暗示するものと思いますが、現代人にとっても『耳の痛い』内容です。

私達は、『神の恵み(自然の摂理の恵み)』以上のものを、既に手に入れ、更に手に入れようとし続けているからです。もし、このような行為が『勘違い』であるとすれば、人類が『幸せになれる』はずがありません。

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2009年10月 6日 (火)

ハイドンのオラトリオ『天地創造』(1)

梅爺の、大学時代からの合唱仲間のUさんは、梅爺と一緒に所属する男声合唱団(アカデミカ・コール)以外にも、奥様とご一緒に参加されている合唱団があり、9月26日に、池袋の東京芸術劇場大ホールで、その演奏会がありました。Uさんから、ありがたいことに招待のチケットを頂戴し、梅爺はいそいそと出かけました。今回のメーン・プログラムは、ハイドンのオラトリオ『天地創造』でした。

Uさんご夫妻が参加する演奏会を梅爺が拝聴するのは、これが3回目で、過去の『ヘンデルのメサイア』『ベートーベンの戴冠ミサ』については、前にブログで紹介しました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_6be9.html

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_a38d.html

今回の演奏は、指揮郡司博氏、管弦楽オラトリオ・シンフォニカJAPAN、3人のプロのソリスト(独唱者)、それに、合唱東京ライエンコーア・東京オラトリア研究会の構成で行われました。

ハイドンのオラトリオ(聖譚曲)『天地創造』は、旧約聖書の創世記とミルトンの『失楽園』を題材に、書かれた台本(英語)のドイツ語訳に曲をつけたもので、35の曲からなり、演奏は1時間を越えます。今回は、その一部が割愛されただけで、ほぼ全曲が演奏されました。『天地創造』をこのように通して聴くのは、梅爺も初めての体験です。

前方のスクリーンに、簡単な解説やドイツ語から日本語への歌詞(翻訳)が映りだされましたので、壮大な『神への賛歌』を堪能できました。郡司氏の情熱的な指揮と、オラトリオの演奏に長けた管弦楽、合唱団の組み合わせで、素晴らしい演奏でした。オーケストラにはピアノではなく、チェンバロが用いられていて、18世紀後半に作曲された宗教曲の雰囲気をかもし出していたのも印象的です。

演奏会の余韻に浸りながら、池袋から青梅まで、帰宅の途につきました。

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2009年10月 5日 (月)

動物の心(4)

番組の中で、『爆笑問題』の太田氏は、『動物は、死をどのように感じているのでしょうか』という、鋭い質問を渡辺先生に投げかけます。動物は、見かけるところ、死に無感動で、悩んでいる様子もないのはどうしてか、という質問です。これに関して、土浦の連続殺人の犯人の公判における、『人を殺すことと、蚊を殺すことは同じ。ライオンは獲物を殺すことが悪いなどとは思っていない』という陳述を例に挙げ、この犯人は、他人の愛を感じたことがない、愛を受けたことがない人間ではないかとも太田氏はコメントしました。

渡辺先生は、『動物の、先を予測する能力や情感は、人間のそれとは、質と量において異なっているからではないか』と控えめな回答をされました。さすがに学者で、梅爺のように、勝手な推論で決め付けたりしないところは、好感が持てました。『動物が死をどのように感じているか』は、深遠な問いで、軽々に答えることはできない、ということなのでしょう。

人間は、『先を予測する能力(推論能力)』や、『因果関係を見つける能力(論理思考能力)』に長(た)けていますので、自らの死には、『不安』や『恐れ』を感じ、他人の死には、『全てが無に帰す』事実を予測できますから、『深い悲しみ』や『絶望的な喪失感』を感じます。そして、死は、自分の力ではいかんともしがたいものであることを痛感します。『死を恐れない』という人は、人間として立派な覚悟ですが、『死を恐れない自分でありたい』と願っていると、言い換えることもできるのではないでしょうか。

自分に向けられた『愛情』を知っている人は、決して他人の命を粗末には考えない、という太田氏の主張も、深い意味を含んでいます。特に幼児期に、愛情を受けることがなく、脳の『情』に関する機能の発育が乏しい人間は、大人になって不幸なことになる、ということですから、家族や国家が、何をすべきかは、自明なことのように思いますが、教育の根幹がここにあるという議論を、あまり聞くことがないのは極めて残念なことです。基礎学力も大切ですが、何よりも、幼児の『情育』に力を注ぐべきです。

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2009年10月 4日 (日)

動物の心(3)

人間を、人間らしくしている繊細な『情感』や『倫理観』は、生物として生き残るために最初に獲得した脳の機能(対象識別機能、自分にとって都合の良いものか、都合の悪いものかを判定する機能)が、高度に進化した結果ではないかと昨日書きました。

こう考えると、現在でも私達の中に、『善良な心』と『邪悪な心』や、『美を心地よいと感ずる心』と『醜を嫌悪する心』が共存していることの理由が理解できるからです。人間が、何故そのようにできているかの理由が分かれば、『神』や『悪魔』を、『善良』『邪悪』の根源と考える必要もなくなりますし、哲学者や宗教家や作家のように、自分の中に共存する『矛盾』に、深刻に悩む必要もなくなります。『自分の中に何故邪悪な心があるのか』と悩むより、それは『自分のせいではなく、人間はそもそもそのようにできている(進化の結果)』と認めた上で、それでも、自分のプライドにかけて、『何とかして、邪悪な心を抑制しよう』と考える方が、人生は、健康的であり、生産的でもあります。

バーンスタインの作曲したミュージカル『キャンディード』は、大人のための現代版『青い鳥(チルチルミチルの物語)』のようなストーリィですが、最後に主人公が、『私達は、純粋でもなく、賢明でもなく、善良でもない。でも、知りうることの全てを駆使して最善を尽くして生きることが大切だ』と歌う場面があります。人間としての基本は、自分が『純粋』『賢明』『善良』だけの存在ではないことを先ず『認識』することだという、主張は、このブログで述べてきたように、『生物進化の結果』であろうと推定できますので、梅爺も同感です。『純粋』『賢明』『善良』だけではないからこそ、『純粋』『賢明』『善良』に生きようと努力することに意味があるという主張も賛成です。

『動物の心』の話が、大分脱線してしまいましたが、動物が『脳』を獲得した時点から、何らかの『心』を保有するようになったと考えるのが自然ではないでしょうか。勿論、その『心』は、現在の人間が保有する『心』ほど、高度で複雑なものではなかったことは当然ですが、逆に言えば、人間の高度な『心』は、原始的な『心』から出発し、気も遠くなるような進化の過程を経て現在のようなものになったと考えられます。

人間の『心』は、人間だけに特別に『神』から与えられた聖なるものではなく、人間自身が進化の過程で獲得してきた、『成果物』であろうと梅爺は思います。従って、この『成果物』は、完全無欠のものではなく、それ自体が矛盾に満ちたものであることも『しかたがないこと』であろうと、考えています。進化は、完全無欠に向かうとは限らず、その時点で『有利な方向』へ変化するに過ぎないからです。

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2009年10月 3日 (土)

動物の心(2)

生物は、最初の生命体である『単細胞生物』から進化を開始し、植物と動物に分かれました。植物は『脳』を持ちませんが、動物の多くは『脳』を保有しています。何故植物には『脳』がなく、動物には『脳』があるのかは、単純な理由で、植物は『移動』せずに、光合成を行ったり、根から水分や養分を吸収したりするだけですが、動物は『移動』して、『餌』や『水』を探し、餌を捕まえたりするために、足や手や羽やヒレが必要になり、これを動かすための制御に『脳』が必要になりました。同じく動物は、餌を識別するための感覚器官を備え、それを制御するためにも『脳』が必要になりました。つまり、生きるために『移動しない』植物には『脳』が不要であり、生きるために、『移動する』必要があった動物は、『脳』を保有することになったということです。

従って、『脳』の基本機能は、自らが移動するための制御機能、餌や水を見つけるための感覚器官の制御機能であったと考えられます。動物はまた、危険を察知して『逃げる』ことや、子孫を残すための生殖行為も生き残りの条件でしたので、この目的にも『脳』が使われるようになりました。

これらの基本機能に共通する要素は、『感覚器官で捕らえた情報から対象物を識別(区別)する』ことと、『識別した対象物が、自分の生存に都合の良いものか、都合の悪いものかを判別(感知)する』ことということになります。

渡辺先生の、ハトや文鳥の実験は、実験手段として、ピカソやモネの絵を使ったり、和音や不協和音を使ったりして、突飛にみえますが、まさしくこれらの能力をハトや文鳥も保有していることを立証していることになります。

人間の『脳』は、動物の中でも、格段の進化を遂げたものであるが故に、『理』と『情』や、『意識』と『無意識』が複雑に絡む、解析が難しいものになってしまっていますが、元はといえば、『生きるために必要』な『対象識別能力』と『都合の良し悪しを判別する能力』から出発している考えるのが妥当ではないでしょうか。『愛したり憎んだりする心』『善悪を感ずる心』など、今では非常に高等に見える『情感』や『倫理観』なども、実は、生物として原始的に獲得した『対象物識別機能』『都合の良し悪しを判別する能力』から発展したものではないかと、梅爺は想像しています。

何やら、味気ない話にも聞こえるかもしれませんが、梅爺は、人間の獲得した高度な能力は、その先祖は単純な機能であると推定しているだけで、現在保有している高度な能力そのものの意味を、蔑んでいるわけではありません。

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2009年10月 2日 (金)

動物の心(1)

以前梅爺は、『人の心、動物の心』というブログを書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-b189.html

NHKのお笑いコンビ『爆笑問題』が、日本の最先端の学者と対談をする番組を観ていましたら、生物心理学の大家、慶応大学の渡辺茂先生との対談で、『動物の心』の問題が取り上げられていてました。『爆笑問題』の太田氏は、どんな話題でも、本質的な鋭い質問をしますので、なかなかな勉強家の論客であることが分かります。

梅爺は、自分の憶測でトンチンカンなことを書いてしまったかもしれないと思い、注意深く観ましたが、渡辺先生も基本的には梅爺と同じような内容の話をされましたので、一安心しました。

渡辺先生は、異なった事象(外部からの刺激)に対して、動物が『異なっていることを区別できているか』『区別したものに、好き嫌いの判断をしているか』を分けて探る実験例を紹介されました。

これを観ると、ハトは、キュービズム時代のピカソの絵と、印象派時代のモネの絵を、『区別できる』ことが分かります。勿論、特定の絵ではなく、ピカソの絵とモネの絵を、一般的に『区別できる』ということです。

更に面白いことに、文鳥は、音楽の『和音』と『不協和音』を『区別する』ことができると同時に、『和音』の方が『不協和音』より『好きである』ことが実験で立証されました。

このことから、人間だけが、物事を『仮想グループ』に分けて認識できるわけではないことが分かります。逆に言えば、ハトや文鳥は、梅爺が想像していた以上の、『賢いレベルの脳を保有している』ということになります。

人間は、生物進化の過程で、言葉を使う能力(文法の論理構造を理解する能力)を身につけ、更に、抽象概念を駆使したり、論理的に物を考えたり、先のことを予測したりできるようになりましたが、その進化の基盤となった機能について、動物の脳の研究は重要な意味を持つことが分かります。

渡辺先生は、この研究に対して『イグノーベル賞』を受賞されました。『イグノーベル賞』は、『ノーベル賞』のパロディ版で、一見『こんなことを研究して何の役に立つのか』と思えるような内容に対して授与されるものですが、選考基準は極めてまじめなもので、ノーベル賞受賞者のような学者が選考委員になっています。渡辺先生の、『ハトはピカソとモネを区別できるか』という研究は、たしかに、ハトの研究とみれば、『イグノーベル賞』かもしれませんが、人間の脳の進化の秘密を探る研究とみれば、本物の『ノーベル賞』につながる可能性も秘めています。

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2009年10月 1日 (木)

映画『ギルバート・グレイプ』(2)

日本人の若い女の子が、アメリカの映画俳優、ジョニー・ディップやレオナルド・デカプリオに、『キャー、キャー』熱を上げるのは、彼らが『カリビアン・パイレーツ』や『タイタニック』といった、大ヒット映画に出演したためと、梅爺は単純に考えていました。

しかし、『ギルバート・グレイプ』という映画で、若い頃の彼らの演技を観ると、二人が類稀(たぐいまれ)な魅力と才能を持っている俳優であることがわかります。知的障害者の若者を演じたデカプリオは、この映画で、アカデミー賞にノミネートされたのは、そうだろうと頷けます。

梅爺は、兄役のジョニー・ディップも素晴らしいと感じました。客観的にみれば、悲劇的な家族環境(父親は自殺、母親は過食症の超肥満、弟は知的障害者)の、家長としての役柄を見事に演じているからです。自分の個人的な欲望と、家族への思いやりの間で揺れ動く、若者を、自然なしぐさ、表情で表現していきます。端正な顔立ちですが、優しく憂いを込めたような、まなざし、笑顔は、確かに、若い女性の心を惹きつける魅力に溢れています。若い頃のジェームス・ディーンの才能を思い出しますが、ジェームス・ディーンのような『社会への反骨心』ではなく、『現実を受け容れて行こうとする姿勢』が見えて『ポジティブ』な印象を受けます。

この映画の家族環境と、同じ環境を前提としたら、日本人はどんな映画をつくるのだろうかと、梅爺は考えてしまいました。多分、家族が環境の犠牲になっていく陰鬱な映画になるのではないかと想像しました。人間は、『本来自分の責任ではないが、責任を負わなければならない立場』に置かれることがあります。家族の中に障害者がいるということは、家族の責任ではありませんが、障害者のいない家族の人たちと同じようには行動できません。

自分の置かれた立場が、たとえ自分の責任ではない理不尽と思われるものであっても、それを受け容れて、人間としての基本的な誇りや尊厳をもって生きていくという姿は、周囲に暖かい感動を呼び起こします。この映画が、暗い題材を用いながら、観る人の心に『暖かい余韻』を残すのは、そのためです。『寂しさに負けた。世間に負けた』という『昭和枯れススキ』のような『情』の表現を日本人は好みますが、アメリカ人は、それよりも『個人の尊厳、誇り』を『理』で尊ぼうとする姿勢を、『好ましい人間像』としているように感じました。

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