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2009年7月25日 (土)

日本人は何処から来たか(4)

日本に多量の人間が渡来したことは、一度ではなく、複数回であったことは梅爺でも推定がつきます。アイヌ人が現存していること、『縄文文化』と『弥生文化』が異なっていることなどが、その推定根拠です。いずれも、基本的には『北方系蒙古型民族』に属する『人種』であったことも推測できます。

この本を読んで驚いたのは、アイヌ人と沖縄宮古島に住む人は、血液のGm型で比較する限り、『等質性』が高いという事実です。

このことから推測できることは、アイヌ人、宮古島住民の祖先にあたる『北方系蒙古型民族』の『ある人種(縄文人?)』が、まず、アジア大陸と陸続きであった、北のルートを使って、流入し、沖縄の宮古島までの全ての土地に、佐渡、飛島、与那国島等も含め、定住したということです。当時の『島』は、島ではなく陸続きであったか、海の隔たりが狭かったかとも考えられます。

その後、同じルートで、『北方系蒙古型民族』の異なった『ある人種(弥生人?)』が、再び多量に流入し、先住民族を凌駕して(または入り混じり)、本土中心に住み着いたのではないでしょうか。農耕などの新しい文化も、それと一緒にもたらされたものと考えられます。その頃は、『島』は既に海で隔てられた環境に変貌していたために、『島』には、古い人種の痕跡が強く残ることになったと考えれば、Gm型の分布状態は説明がつきます。この本の著者の松本氏も、このような『仮説』を提示しています。

宮古島は、北海道よりは、ずっと台湾に近いわけですから、沖縄には、台湾経由で、南方から人間が移り住んだ、と考えるのが自然ですが、興味深いことに、台湾人と宮古島に住む人のGm型は、明らかに異なっているというのです。古代には、沖縄と台湾は、近くて遠い関係であったと推定するしかありません。

上記のような、日本人の基本パターンが出来上がった後に、かなり長い時間を経て、人間は船を使った確実な海上交通手段を確立し、アジア大陸から、少量の『帰化人』が入りこんできたと想定されます。帰化人の中には政治的に日本を支配するほどの力を得たものもいたのかもしれませんが(皇室の祖先は、朝鮮半島からの帰化人、という説もある)、それが、人種的に日本人を大きく変えたというようなことは、Gm型血液分布を見る限りありません。つまり帰化人との混血の影響は、ゼロではありませんが小さいということです。

中国人(漢民族)、朝鮮人、台湾人、日本人は、いずれも『モンゴロイド』であることは共通ですが、血液のGm型で比較する限り、『異質』であることが、この本で分かります。似て非なるものであるからこそ、『彼らには負けたくない』と、野球やサッカーで異常とも思える『敵愾心(てきがいしん)』を、お互いに感ずるのでしょうか。

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