蔵本由紀先生の『非線形科学』(1)
『科学』と聴いただけで、自分の理解を超えていると尻込みされる方が沢山おられます。確かに現代科学は、高度化、緻密化しており、学校で理系を専攻した梅爺でも、逃げ出したくなることが往々です。
難解な専門用語の定義や意味を理解し、時に難しい数式も克服しなければなりません。その上に、説明の文体が日常の言葉とかけ離れた、『理』一辺倒の堅苦しく、味気ないものであったりすると、本を読み続ける元気も失せてしまいます。科学の本に『面白さ』を要求すること自体が、お門違いなのかもしれませんが、『分からない上に面白くない』とくれば、凡人はお手上げです。
しかし、梅爺は、福岡伸一先生の『生物と無生物のあいだ』という本を読んで、科学の本でも、著者の力量によっては、凡人でも『面白く、読み続ける』ことができるものが存在することを知りました。『生物分子学』という、最先端の科学内容を扱いながら、読者の興味を持続させる配慮が行き届いており、何よりも、美しい日本語で書かれていることに驚きました。
福岡先生の本は、たとえ満員電車で他人に押されながら、つり革につかまって読んでいたとしても、心は、瀟洒なティールームにゆったり座り、かすかに流れるクラシック音楽を背後に聴きながら、香り立つコーヒーをすすりつつ読んでいるような、満たされた気分になります。
それ以降、梅爺は福岡先生のファンになり、その著書はおろか、先生が書評で推薦された他の著者の本までも買い込んで読んでいます。そして、いずれも期待を裏切られたことはありません。
書店で、福岡先生が推薦される、蔵本由紀(くらもとよしき)先生の『非線形科学』という本(集英社新書)を見つけ、迷わず購入して読み始めました。『まえがき』や『プロローグ』を読んだだけで、蔵本先生が、福岡先生同様に、優れた日本語の『書き手』であることが分かります。蔵本先生は『まえがき』の中で次のように書いておられます。
日常の言葉で現代科学の内容をごまかしなく、またおざなりでもなく、どこまで一般の人々に伝えられるかということに私自身これまでひそかに関心をもってきました。(中略)科学の知識を伝達するうえで、日常語は大きな可能性を秘めていると、私はかねがね考えています。日常語は科学言語のような正確さや論理性にはかけていますが、無数の実生活を耐え抜いてきただけに、頭脳よりも肌身にじかに働きかけてくる力がそこにあります。工夫しだいで、日常語一つに豊かな情報を乗せて運ぶことが可能です。
なんと美しい、素晴らしい文体でしょう。梅爺が、待ち望んでいた著者、本に出合えたと、嬉しくなりました。
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