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2009年7月28日 (火)

日本人は何処から来たか(7)

古代の日本には、どのくらいの人が住んでいたのかは、推定するしかありません。過去、人口の推移が分かっている時代の数値をプロットしてみると、『X年前の人口が半分だったとすると、それの更に半分(最初の数値の1/4)であったのは、2X年前である』という関係がみつかります。そこで、この『仮説』を適用して、現在を起点に、昔を推定してみると、日本の人口は、以下のようになります。

江戸時代   3000万人
戦国時代   1800万人
奈良時代  6~700万人
紀元0年     400万人
紀元前6千年  100万人
紀元前1万年   65万人

仮に、紀元前1万年の人口は、この推定の半分程度としても、30万人ということになり、これは、梅爺の予想をはるかに超えた数値です。そして、最初の渡来は、紀元前2万年頃と仮定しても、微々たる数の人間ではなく、かなりまとまった数の人間が一気に移り住んできた可能性が高いことが分かります。これだけ、安定した『母数』があれば、その後、少々の異民族の渡来や、帰化人の渡来があっても、混血で、日本人の特性が大きく影響を受けることはないということも分かります。

人間が移り住んでから以降の日本は、地球上の他の地域より、『人間が住むには厳しい環境であった』ことはなく、むしろ、自然や水に恵まれた場所であったと考えられますし、その後、アジア大陸との間が地続きではなくなり、孤立した島国に変貌したことを合わせ考えると、地続きであった時代に、一度に多数の人間が移住した時の名残が、今でも強く残っているとしても、不思議ではないことになります。そして、その『一度に多数の人間が渡来してきた』ことは、少なくとも2回はあったことになります。

日本人の『等質性』は、海に囲まれた国土であるが故に、できあがったとも言えます。中国と地続きの朝鮮半島は、異民族の流入や侵攻が多かったために、『混血』の影響を大きく受け、朝鮮人と日本人は、『異質』な人種となって、現在に至っているということになります。

日本が島国であることの、長短は、色々と論じられてきましたが、こと『人種の等質性を保つ』ことに関しては、有利な要因となっていると言ってよいのではないでしょうか。

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コメント

「日本人は何処から来たか」は私にとってもとても興味あるテーマです。
Gm型というのはこのブログを読んで初めて知りました。このGm型で分類すると、日本人の祖先は「バイカル湖畔のブリアート人」である可能性が高いとのことですが、私の個人的な経験でも、かつてバイカル湖畔を旅していたときに、ロシア人から「お前は蒙古人かと」聞かれたことがあります。

梅翁さんのブログを読んで一つ分からなかったのは「縄文時代人はアイヌか」ということです。
そうだとも言えそうですし、いやそうでなく弥生人より早く日本に来たモンゴロイドだとも言えそうです。
その点はどのようにお考えになっているのでしょうか。

投稿: 次郎 | 2009年7月29日 (水) 05時50分

ロドリゴ(次郎)さま、コメントありがとうございます。
敬虔なる神の僕ロドリゴさまに、不信の徒梅爺が、アイヌについて生半可な理解のお話をすることをお赦しください。

正直に告白すれば、梅爺もアイヌと縄文人との関係は理解できていません。アイヌ、縄文人、弥生人は別々に渡来したと考えれば、現在アイヌが北方へ追いやられた形で存在することの説明がつきますが、この本では、宮古島の人達がアイヌと等質のGm型を保有しているとあり、説明に窮してしまいます。
アイヌまたはアイヌの先祖(縄文人)が最初に日本へ渡来し、沖縄までひろく住み着いた後に、弥生人が渡来し、日本の中央部で繁栄し、アイヌを北方へ追いやった、と考えてみましたが、この考え方が正しいとは断言できません。宮古島に今でもアイヌが残っているということなら信憑性は高まりますが、Gm
型で『等質』ということは、共通の祖先を持つらしいということに過ぎませんので、あくまでも『仮説』のひとつになります。
もっと、勉強をしてロドリゴさまのご不審にお答えできるように、修行を続けます。

投稿: 梅爺 | 2009年7月29日 (水) 09時40分

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