ヒトの記憶(2)
梅爺は、人間の脳を考える時の『キーワード』は、『随意』と『不随意』であると、思うようになりました。
『不随意』は、生物として進化の初期から付与されている機能に関係し、『随意』は、進化の後期に獲得した機能に関係しているように見えます。『情』は基本的に『不随意』であり、『理』は基本的に『随意』と言えます。
見方を変えれば、『不随意』の機能は、他の動物と共通しており、『随意』の機能は、より『人間らしい』能力であるとも言えます。最も人間らしいと思えるのは、『随意』と『不随意』の込み入った連携動作によって生み出される能力であると考えられます。『情』と『理』の複雑な連携、交差が、人間を、素晴らしいと同時に、おどろおどろしい動物にしています。
『記憶』を考える場合も、この『随意』『不随意』がポイントであるように感じます。自分には、『特に記憶しておこう』という意志が無いにもかかわらず、鮮明に記憶に残る事象もあれば、『頑張って記憶しよう』と考えても、なかなか記憶に残らない事象もあることが、このことを裏づけしているように感じます。強い『恐怖』や『感動』を伴った事象は、鮮明な記憶として残ることを考えると、『長期記憶』の領域へ記憶概念が移行する条件には、『情』も絡んでいることが分かります。勿論、『お覚えておこう』という意志も、移行条件の一つに違いありません。
脳の『長期記憶』のしくみは、コンピュータ流に表現すれば、見事な『リレーショナル・データベース』であると予測できます。色々な要因をトリガ(引き金)にして、記憶が記憶を辿り(しかも並列的に)、目的へ到達できるようになっているからです。このような柔軟なデータベース構造は、コンピュータでも実現できていません。数十億年をかけたとは言え、生物進化が実現した結果には、唖然とするばかりです。
更に、コンピュータとの違いは、人間の脳は『記憶』を動的なものとして維持しているように見えることです。コンピュータの記憶は、多くは『静的記憶』で、一度記憶してしまえば、機械が壊れないかぎり記憶は維持されますが、人間の場合は、記憶状態が常に外部要因の変化の影響を受けて、変容しているように見えます。最悪の場合、『思い出せない』『忘れてしまう』状況にも遭遇します。梅爺が、簡単なことも思い出せずに、困惑しているのは、『老い』の影響が、記憶に現れていることに他なりません。




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