何故ユダヤ民族は受難の民なのか(7)
『何故ユダヤ民族は受難の民なのか』という問いに対する答の一つは、紀元前10世紀以上も前に、ユダヤ民族が『一神教』の概念を獲得したことにあるのだろうと、梅爺は思い知りました。
当時の、エジプト、ギリシャ、バビロニアなどは、全て『多神教』の文化でしたから、ユダヤ民族の『一神教』は、人類の歴史上、特筆すべきことがらであると言えます。
人類が、古代に宗教を思いついたときのことを想像すれば、『多神教』となるのが自然のように梅爺は思います。『自然の脅威や神秘』『自然の恵み』などを対象に、太陽、月、星、山、川、森などに、それぞれ『神が宿る』と感じたであろうと想像できるからです。自然に恵まれた日本では、まさしくこのパターンで、『多神教』文化が育まれていったのではないでしょうか。
それでは、何故ユダヤ民族だけが『一神教』の概念を獲得できたのでしょうか。『ディアスポラ(異国にあるユダヤ人居住区)』がその鍵を握っているのではないかと梅爺は推測しました。紀元前10世紀頃から、色々な事情(奴隷として連れ去られたなど)でユダヤ人は、外国の居住区で生活していたことが分かっています。当時から『流浪の民』でした。彼らは、そのような環境で『民族のアイデンティティ、誇り』を維持し結束を守るために、『自分達は、唯一の神から選ばれた特別の民』であるという『選民思想』を思いつくにいたったのではないでしょうか。不都合な環境に対して、何とか『自己肯定する論理(言い訳:自己ヒーリング)』を見つけようとする、人間ならではの発想です。
この『ユダヤ民族は、一神教を獲得する必然性があった』というアイデア(仮説)を思いついて、梅爺は、密かに悦に入っています。こういう説明に今まで出会ったことが無いからです。ただ、梅爺が知らないだけで、そういう説は、既に存在するかもしれませんので、胸を張って『梅爺が始めて』と主張するだけの自信はありません。
多神教の民族は、一神教の民族と、こだわりなく付き合えます(なぜならば神様の数が一つ増えるだけですので)が、一神教の民族は、多神教の民族や、自分達とは異なった神を奉ずる他の一神教の民族とは、こだわりなく付き合うというわけにはいきません。この問題は、21世紀の今日でも、人類が抱える深刻な問題として存在しています。
ユダヤ民族が、他民族から『嫌われる』原因は、ユダヤ民族自身が、獲得した『一神教』の概念であり、それを放棄することができないとするならば、『嫌われないようにする方策』は、残念ながら見付からないだろうと、梅爺は感じています。『パレスチナに平和を』などと、叫ぶのは簡単ですが、一神教同士(ユダヤ教とイスラム教)の対決で、双方満足するような解決策は、思いつきません。
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コメント
いつも、格調高いご意見を楽しく読んでいます。
<何故ユダヤ民族だけが『一神教』の概念を獲得できたのでしょうか。『ディアスポラ(異国にあるユダヤ人居住区)』がその鍵を握っているのではないかと梅爺は推測しました。>とのご見解ですが、イスラム教もアッラーを唯一神とする一神教ですね。
<一問去ってまた一問>と、こちらも御探求いただけませんか?
投稿: 常盤御殿 | 2009年6月28日 (日) 16時02分
常磐御殿さま
コメントありがとうございます。
キリスト教、イスラム教は、いずれもユダヤ教から派生した宗教ですので、『一神教』が引き継がれています。
キリスト教の成立は1世紀、イスラム教は7世紀からに対し、ユダヤ教は、紀元前13世紀ごろからある宗教ですから、人類史上『最古の一神教』と言えるのでは、ないでしょうか。
投稿: 梅爺 | 2009年6月28日 (日) 17時07分