« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月30日 (火)

他者の視線(4)

『人間は他者の視線無しでは生きていけない』ということは、『孤独』は死以上の苦しみであるということに他なりません。自分の存在は、他者との相対関係で成り立っているので、他者を『思いやらない』ことは、自分を『ないがしろにする』ことに等しいということになります。ロビンソン・クルーソーも、孤島でフライディと出合って、孤独から解放されます。

しかし、自分の存在を認めてくれる家族や友人を全て失ってしまうという過酷なできごとは、誰の身にも起きないとは言えません。そのような絶望的な状況で、『自分を優しく見守ってくれる神や仏の視線』を『感じる』ことができれば、どれほど『救われ、心休まり、生きることへの感謝の念が蘇る』かは、梅爺のような屁理屈爺さんにも、理解できます。四国のお遍路さんが『同行二人(どうぎょうににん)』を掲げ、いつもお大師様と一緒で、独りではないと『感ずる』心境がこれに当たります。

世の中には、『他者の視線』の重要さを理解せず、自ら周囲との関係を拒否し、一切他人を信用せずに、自分しか見えない世界に閉じこもってしまう人がいます。このような人たちの行き着く先は『凶悪な犯罪』であったり『自殺』であったりしがちです。このような人たちが増える社会は、良い社会とは言えません。人は、どのようにしたら『他者の視線』の重要さを理解できるようになるのかを、真剣に考える必要があるのではないでしょうか。

禅宗では、外界との交渉を一切断ち切って、『自分の内面だけを見つめる』厳しい修行をします。自らに『孤独』を課す苦しい修行ですが、その結果、逆説的に見えますが『自分は孤独ではない』ということを『悟る』のではないでしょうか。自分は『仏の慈悲の中で生かされている』ということを『悟る』ために、自分を『孤独』の極致にまで追い詰めてみる、という手段を採用していることに、宗教の本質が垣間見えるような気がします。キリスト教の修道僧なども同じと言えます。

『人間は他者の視線なしには生きていけない』という山折氏のご指摘は、特に宗教と絡めて理解する必要はないと思いますが、そのことを端的に理解させる方法として宗教が存在するとは言えそうです。

| | コメント (0)

2009年6月29日 (月)

他者の視線(3)

自然に恵まれ、移り変わる四季に接して、古来日本人は、自然の中に偉大な命の根源があり、自分もそれによって生かされていると『感じ』、これを畏怖してきたのではないかと、山折哲雄氏は語られました。つまり、日本人の宗教観の根源は、ここにあるということでしょう。梅爺も同感です。

柳美里氏が、『自然からの視線を感ずる』とおっしゃるのも、この感覚ではないでしょうか。『お天道(てんとう)様はお見通し』『お陰様』というような表現も、このことに由来しているものと思います。どんな場合でも誰かに『見られている』という視線を感じて、見られても恥ずかしくないように、自分を律していくことが、人として大切なことだと感じていたからではないでしょうか。『恥の文化』もこれから派生しているように思います。日本人は『他者の視線』ばかり気にしていて、自己主張が少ないと外国人から指摘され、確かにそれが、日本人の『甘えの構造』や、『責任回避』などの原因になっていることもありますが、梅爺は、『いつも他者の視線を意識する』という日本人の習性は、優れている面も多く、誇るべき文化と感じています。しかし、現代の日本人は、『他者の視線を感ずる心』や『恥の文化』が希薄になり、『他人を思いやる心』が少なくなっているように感ずるのは、残念なことです。

日本人の精神生活に多大な影響を与えてきた自然は、『いつも人間に優しい』ものではなく、時に凶暴に襲い掛かってくることも、日本人は体験してきましたので、自然の奥に存在するであろう『神』に、凶暴にならないで欲しい、鎮まって欲しいと、祈りを捧げてきました。日本人の『神』に対する理解は、キリスト教や仏教のように『慈愛に満ちて人間を愛してくださる(導いてくださる)もの』ではなく、『人間の力では、どうにもならない恐ろしいもの』というものに近かったのではないかと思います。

山折氏が、『人間は他者の視線なしでは、生きていけない』とおっしゃることは、『他者の視線』を『神や仏の視線』と置き換えれば、勿論宗教にも関連する話であることが分かりますが、もっと、人間の基本的な習性、つまり脳の活動と深く関連している重要なご指摘ではないかと、梅爺は受け取りました。

| | コメント (0)

2009年6月28日 (日)

他者の視線(2)

人間の脳の進化の過程で、『情』を司る部分が先にでき、『理』を司る部分は、後からできて加わったものと推測できます。人間の生育過程でも、生まれたばかりの赤ん坊には、『理』は未形成であるように思われます。『情』は、生物が生きるための本能のような部分を包含しています。人間も他の動物同様に、感覚器官を介して取得した情報に、最初に本能的に反応するのは『情』の部分です。

成人の脳の中で、『情』と『理』は、完全に分離していないことが、人間の行動を、不可解にする要因の一つではないでしょうか。一般に、『情』は強く『理』を支配しますが、『理』で『情』をコントロールすることは、易しくありません。気が動転している時に、冷静な判断はでき難いことを私達は誰でも経験しています。どんな時でも冷静沈着な対応ができる人は、『理』に関する修行を深くつんだ人と言えます。『大人(たいじん)』と『小人(しょうじん)』の違いです。

『情』の事象を、『理』で理由付けをしようとするために、純粋な『理』ではない『変な理』を、人間は思いつきます。『好き、嫌い』というような感情は、本来説明が難しいものですが、『嫌い』はやがて『憎い』になり、最後は、『自分にとって不都合な存在』と考えて、排除しようとする行為を正当化しようとします。人間以外の動物も、『自分の生命を脅かすと本能的に感じたもの』は殺して排除しようとしますが、『嫌い』が高じて相手を殺すのは、人間だけのような気がします。『情』と『理』を兼ね備えた人間の宿命で、人間が最も獰猛といわれる所以(ゆえん)です。

現状では『情』は、説明できない(『理』で説明できない)世界ですので、『分からない』で済ませれば、ことは簡単ですが、人間は『情』を『変な理』で説明して自分を納得させようとする習性を持っているために、厄介なことになります。

人間の『霊的な体験』は、説明が難しいものですが、これを説明するために『神や仏』『天国(極楽浄土)と地獄』などという概念を、人間は『理』で創り出したのではないかと、梅爺は想像しています。しかし、この『概念』は、科学のような『純粋な理』では説明ができないという矛盾を抱えることになります。

何度もブログに書いてきたように、梅爺は『純粋な理』で説明できないことは『意味が無い』とは考えていません。『清廉に、心つつましく生きる』ために『霊的な体験』は、人間には必要なことだと考えています。ただ、この重要さを『理』で説明しようとすることは、現状では無理があるように感じています。

番組の対談の中で、柳美里氏は、『自然の中に、自分に対する視線を感じる』と述べられ、山折哲雄氏は、『人間は他者の視線無しでは生きていけないようにできている』と応じられました。梅爺も、この発言の内容には全く異存はありませんが、『霊的な体験』の話ですので、これに無理な『理』で説明を加える必要はないように思います。山折氏も、それ以上の説明はされませんでした。

| | コメント (2)

2009年6月27日 (土)

他者の視線(1)

宇治平等院を、コンピュータ・グラフィックを用いて、創建当時の色彩に再現するというNHKハイビジョンの番組を録画しておき、観ました。

平安時代の権力者(藤原頼通)の、極楽浄土に寄せる深い思い、日本人の繊細な美意識を窺い知ることができました。この番組には、宗教学者山折哲雄氏と作家の柳美里氏が現地で対談する様子が挿入されていて、日本人の精神生活の根源を示唆する内容で、こちらにも感銘を受けました。

山折哲雄氏については、前にブログに書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_a13a.html

柳美里氏は、最愛の男性を闘病の末に亡くした経験を経て、それまであまり考えたり感じたりしたことがなかった『霊』を体験するようになったと述べておられました。勿論、『亡くなった人の霊に出会った』というような皮相な話ではなく、静寂な自然の中に身を置いたような時に、心が身体から遊離し、安らぎを覚えるという、研ぎ澄まされた感覚、『もしかして、これが霊かもしれない』という感覚を体験できるようになったという話です。

人間の脳が産みだす世界には、『理』と『情』があり、『理』は『論理思考』で、ものごとを理解しようとする行為で、『科学』は『理』そのものです。一方『情』は、生物としての人間の遺伝子の中に付与されている機能が、感覚器官を通して得た『情報』に『反応』することで起きる現象と考えられていますが、当の本人も、『何故それが起きるのか』は、『理』では説明できない世界です。『笑う』『泣く』『喜ぶ』『不安になる』『畏れる』などは、誰もが日常的に体験している『情』の体験ですが、何故自分がそのように反応するのかは、分かっていません。

『情』の世界は、『分からない』故に崇高なもののようにも感じられますが、元はといえば、生物として『生きる』ために必要な機能であったと推測されます。赤ん坊の『笑う』『泣く』といった行為は、周囲の人の関心を惹きつけるためだと、心理学者は唱えています。周囲の関心を失っては、赤ん坊は自分だけでは生きていけないからです。このように、『情』の世界を『理』で解明しようという試みを、科学は開始していますが、緒についたばかりで、ほとんど分かっていない状態です。

ニュートンは、『天体の動きは計算できるが、人の気持ちは計算できない』と言っていますので、『情』は『理』をもってしても解明は不可能に近いと感じていたのかもしれません。梅爺も、『情』が解明されることがあるのかどうかは、分かっていませんが、少なくとも『科学の挑戦する態度』は、受け容れることができます。『情』の世界は『どうせ分からない』とあきらめたり、『神聖な領域を科学が犯してはならない』などと考えたりはしません。

『理』だけを重んずる人は、『理』で理解できない『情』の世界は『まやかし』と疎(うと)んじたりしがちですが、梅爺はそうは思いません。『情』はその人の人生を豊かにするために、不可欠で重要なものと感じています。『理』で説明できないものを疑う心と、『情』の大切さを感じる心が同居しているのは一見矛盾しているようですが、『矛盾』も『理』の世界の話ですので、『人間はそういうものだ』と受け容れることにしています。

番組の中の山折氏と柳氏の対談は、『情』の世界に深く関係するものでした。

| | コメント (0)

2009年6月26日 (金)

論語読みの論語知らず

上方いろはカルタ『ろ』の『論語読みの論語知らず』の話しです。

上方の庶民の高笑いが聞こえてきそうな諺です。何時の時代にも、表面的な理解にとどまり、ことの本質は理解していないくせに、偉そうにしている人がいるいることがわかります。

最近は、あまり耳にしなくなりましたが、梅爺が大学生の時代には、『進歩的知識人』という人種が、もてはやされていました。『進歩的知識人』が本を書くと売れ、テレビでコメントすると、皆が納得する様を見て、へそ曲がりな梅爺は、いかがわしいと感じていました。だいたい『進歩的知識人』などという、センスの無い日本語を考えた人の程度は、それだけで推(お)し量れます。

論語は、人の生きる上での『徳』を解いたものですから、『美しさ』『哀しさ』『思いやり』などに対する基本的な感性を持たない人が、理性だけで読んでも、本質を理解できないのは当然のことです。一方、感性を理性で補強できる人にとっては、論語ほどありがたい本はないということになります。

本は、知識を得るために読むものだと考えておられるように見受けられる方もおられますが、もう一つの読書の目的は、今以上に高い感性を体験したいということではないでしょうか。『句集』や『詩集』を読む、などという行為は、まさしくこの目的であるように思います。

ある程度の知性や理性がないと、理解できない本もある一方、ある程度の感性がないと、何が面白いのかわからない本もあります。すばらしい小説というのは、『知性・理性』『感性』の両面で、満足を与えてくれるものではないかと思います。

刹那的な面白さを求めて、ミステリイ小説や探偵小説を好んで読む、梅爺は、偉そうなことが言える身分ではありませんが、それでも、ブラジル人作家のパウロ・コエーリョなどに傾倒するのは、読後の『総合的な満足感』が高いからです。

本を読まなくても、美徳を備えておられる方はおられますが、もっと深い美徳に興味のある方は、本を読むに越したことは無いと言えそうです。

| | コメント (0)

2009年6月25日 (木)

何故ユダヤ民族は受難の民なのか(8)

ユダヤ民族は、徹底して自分の宗教・戒律以外は受け容れない姿勢を貫いていることで、他民族から嫌われ、時に迫害も受けてきました。ユダヤ民族にとっては、不本意なことと言えますが、何故嫌われ、迫害を受けるかについての因果関係は、自分達も承知しているのではないでしょうか。下賎な言い方をすれば、『分かっちゃいるけど、やめられない』というほどに、強い信仰が支配しているのでしょう。

しかし、ナチの行った非道の限りは、迫害などというレベルをはるかに超えたもので、ユダヤ民族の受難の歴史の中でも前例がありません。ローマ帝国の支配下でさえも、ユダヤ教徒の基本権利は、法によって保護されていました。キリスト教を国教に定めたコンスタンチヌス帝の治世下でも、これは変わりません。勿論、キリストの死の30年後に起きた『ユダヤ戦争』では、ローマ軍による徹底殺戮が行われましたが、これはユダヤがローマ帝国に刃向かったからで、これが沈静化した後は、再び法の保護を回復しています。法治国家であったローマ帝国の、これは素晴らしい一面であると梅爺は思います。

むしろ、ローマ帝国よりも、4~5世紀にかけて、巨大な勢力にのしあがったキリスト教の方が、ユダヤ教徒に対して、村八分のような締め付けを、色々行っています。さすがに、全員殺戮といった手段はとらなかったにしても、ユダヤ教徒は、徐々にローマ帝国支配下では、生活し難い状況に追い込まれていったと考えられます。

『ユダヤ人とローマ帝国』の著者大澤氏は、この状態を『生かさず、殺さず』と表現しています。ユダヤ人が居ても困るし、居なくても困るという論理を、キリスト教が創り出したというのです。5世紀の有名なキリスト教神学者、アウグスティヌスは、大著『神の国』の中で、『ユダヤ民族の全世界への四散は、キリスト教の広まりとその真理の証(あかし)のために、神が定めた摂理である』と述べていることが紹介されています。つまり、『キリスト殺しの犯人であるユダヤ民族は、悪魔の子孫として、神の天罰を受け、未来永劫流浪の民となることで、キリスト教の真理の証(あかし)の役目を担う』というのです。屁理屈では、人後に落ちない梅爺も、これには、さすがに驚きました。人間は、自分を肯定するためには、とんでもない屁理屈を考え出すものです。

いずれにせよ、この本を読んで、梅爺のユダヤ民族に関する理解は、少しばかり深まりました。

| | コメント (0)

2009年6月24日 (水)

何故ユダヤ民族は受難の民なのか(7)

『何故ユダヤ民族は受難の民なのか』という問いに対する答の一つは、紀元前10世紀以上も前に、ユダヤ民族が『一神教』の概念を獲得したことにあるのだろうと、梅爺は思い知りました。

当時の、エジプト、ギリシャ、バビロニアなどは、全て『多神教』の文化でしたから、ユダヤ民族の『一神教』は、人類の歴史上、特筆すべきことがらであると言えます。

人類が、古代に宗教を思いついたときのことを想像すれば、『多神教』となるのが自然のように梅爺は思います。『自然の脅威や神秘』『自然の恵み』などを対象に、太陽、月、星、山、川、森などに、それぞれ『神が宿る』と感じたであろうと想像できるからです。自然に恵まれた日本では、まさしくこのパターンで、『多神教』文化が育まれていったのではないでしょうか。

それでは、何故ユダヤ民族だけが『一神教』の概念を獲得できたのでしょうか。『ディアスポラ(異国にあるユダヤ人居住区)』がその鍵を握っているのではないかと梅爺は推測しました。紀元前10世紀頃から、色々な事情(奴隷として連れ去られたなど)でユダヤ人は、外国の居住区で生活していたことが分かっています。当時から『流浪の民』でした。彼らは、そのような環境で『民族のアイデンティティ、誇り』を維持し結束を守るために、『自分達は、唯一の神から選ばれた特別の民』であるという『選民思想』を思いつくにいたったのではないでしょうか。不都合な環境に対して、何とか『自己肯定する論理(言い訳:自己ヒーリング)』を見つけようとする、人間ならではの発想です。

この『ユダヤ民族は、一神教を獲得する必然性があった』というアイデア(仮説)を思いついて、梅爺は、密かに悦に入っています。こういう説明に今まで出会ったことが無いからです。ただ、梅爺が知らないだけで、そういう説は、既に存在するかもしれませんので、胸を張って『梅爺が始めて』と主張するだけの自信はありません。

多神教の民族は、一神教の民族と、こだわりなく付き合えます(なぜならば神様の数が一つ増えるだけですので)が、一神教の民族は、多神教の民族や、自分達とは異なった神を奉ずる他の一神教の民族とは、こだわりなく付き合うというわけにはいきません。この問題は、21世紀の今日でも、人類が抱える深刻な問題として存在しています。

ユダヤ民族が、他民族から『嫌われる』原因は、ユダヤ民族自身が、獲得した『一神教』の概念であり、それを放棄することができないとするならば、『嫌われないようにする方策』は、残念ながら見付からないだろうと、梅爺は感じています。『パレスチナに平和を』などと、叫ぶのは簡単ですが、一神教同士(ユダヤ教とイスラム教)の対決で、双方満足するような解決策は、思いつきません。

| | コメント (2)

2009年6月23日 (火)

何故ユダヤ民族は受難の民なのか(6)

ユダヤ民族が、ユダヤ教の戒律を厳格に守り、他の民族との『精神的な妥協』を拒むという態度は、『頑固な変わり者』の印象はありますが、それだけで、ナチが、数百万人のユダヤ人を抹殺する蛮行に及んだとは思えません。

『ユダヤ人とローマ帝国』の著者、大澤氏は、『ユダヤ民族は、キリスト殺しの犯人で、悪魔の子孫である』という考え方が、根強くヨーロッパにあったと推測しておられ、これが『ユダヤ民族受難』の真因と観ておられます。

『キリスト殺しの犯人』『悪魔の子孫』などという、トンチンカンな発想が、一部の人間を支配し、それが『ユダヤ人大量虐殺(ゲノサイト)』につながったということが本当なら、梅爺は呆然となり、言葉を失うばかりです。

確かに、キリストを裁判にかけるよう、ローマ帝国総督に依頼したのは、当時の腐敗したユダヤ教の神官たちであったと、考えられますが、『死刑判決』を下したのは、ローマ帝国総督(ポンティオ・ピラト)ですので、ユダヤ民族全体を『キリスト殺しの犯人』とするのは、いくらなんでも『濡れ衣』以外のなにものでもありません。それに、十字架による処刑は、ローマ帝国の法のもとでの極刑ですから、キリストの死を決めたのはローマ帝国に他なりません。

『キリストの死は、人類の贖罪(しょくざい)のための神の意図』であるとするなら、死には重大な意味が含まれていることになりますので、『殺したのはけしからん』とは言えないことになります。もし、キリストが殺されなかったら、キリスト教が成立しなかったことになるからです。理屈っぽい言い方で恐縮ですが、『キリストの死』が神の意図ならば、それに加担した人たちを『犯人呼ばわり』するのは、筋違いということになります。

『ユダヤ人とローマ帝国』という本には、ナチス・フランケン地方長官であった、ユーリウス・シュトライヒャーが、『ユダヤ人は悪魔を父に持つ』という論理を、なんと聖書の中の『キリスト自身の言葉』を引用して展開したという史実が記載されています。梅爺の屁理屈は、他愛が無いものですが、こうなると屁理屈も笑ってはすまされません。それに、あたかも『キリストはユダヤ人ではない』という前提でユダヤ人を糾弾する論理も、梅爺には妙な話に思えます。

彼が引用した聖書の箇所は、ヨハネ伝8章43~44節です。

『どうして、あなた達に私の話が理解できないのか? それは、私の言葉を聞こうとしないからである。あなた達は、悪魔を父に持ち、その父の望みを行おうとしている。彼(悪魔:梅爺注)は真理において固まっていなかった。なぜなら彼には真理が無いからである』

キリストが述べた『悪魔』は、同胞(ユダヤ人)の心を支配する『邪悪な心』を抽象的に表現したものとしか、梅爺には思えませんが、ナチは、『悪魔』を実態のある存在として、『ユダヤ人は悪魔を父に持つと、キリストも言っているではないか』と主張したことになります。聖書に書いてあることは正しい、という論理を逆手に取った小賢しい主張のように思えます。

こんな、悪質で低次元の言いがかりのために、何百万人ものユダヤ人が殺されたとするならば、『人間の一見理性を装った低俗な確信、狂信』ほど恐ろしいものはないと言うことになります。

| | コメント (0)

2009年6月22日 (月)

何故ユダヤ民族は受難の民なのか(5)

キリスト出現以前に、ローマ帝国支配下圏(ヨーロッパ、北アフリカ、中東、パレスチナ)に存在していた宗教は、全て、権力者の権威を強化するためのものか、自然の脅威を回避しようとするものか、病気などを治すための現生のご利益(りやく)を願うものか、などでした。民衆の『生き方、心のありかた』を説くキリストの教えの出現が、いかに斬新なものであったかが想像できます。

ユダヤ教は、ユダヤ民族は、神に選ばれた民であるとして、『神との契約(戒律)』を重視する宗教です。モーゼの『十戒』の『殺すなかれ、盗むなかれ、姦淫するなかれ』などは、人間社会には重要な意味を持ちますが、『神の智恵』というより、人間社会を円滑にするために、人間が思いつく『智恵』のレベルのように思いますので、キリストの『汝の敵を愛せよ』などという、精神生活に関係する深遠な『教え』に比べると、かなりレベルが低いと梅爺は感じます。

『生き方、心のあり方』を説いた人物は、キリストがはじめではなく、キリストより400~500年前に、インドの『釈迦』がいました。ヘレニズム文化は、『釈迦の教え』の影響を受けていたとみる学者もいますが、梅爺にはわかりません。ヘレニズム文化の影響をうけていたユダヤのキリストが、さらに、その影響をうけていたかどうかも、わかりません。

ただ、ギリシャ語を話し、パリサイ派にも属していた当時の教養人、国際人のパウロは、『釈迦の教え』の存在を知っていて、それが『キリストの教えの斬新性、普遍性』を見抜くきっかけになったのかもしれないという可能性は、想像の域にせよ、完全に否定はできないかもしれません。

キリスト教が、ものすごい勢いで広まっていった事実は、『人間は、心の安らぎを希求してやまない存在』であることの証左のような気がします。人間の優れた『抽象概念処理能力、推論能力』は、人間に『希望、夢、期待』を抱かせると同時に、『絶望、寂寥、不安』という『悩み』も同時に抱かせるものであるからです。この矛盾した状況に、どのように立ち向かうかを、釈迦やキリストは説いたことになりますので、『普遍的な教え』になっていったことは、当然のように思います。

| | コメント (0)

2009年6月21日 (日)

何故ユダヤ民族は受難の民なのか(4)

ユダヤ以外の外国各地に存在していたユダヤ人居住区を中心に、パウロは『キリスト教』の布教を開始し、居住区の周辺に住む『外国人』にも『教え』を説こうとしました。理性を尊ぶ論理的なギリシャの哲学や、ユダヤ教の形式的な『戒律』と異なり、イエスの教えは、人の『生き方』や『心のあり方』を、神との関係で説いたものでしたので、人間の情感に訴えるものがあり、当時の人々には初めて接する驚きであったに違いありません。ユダヤ人ばかりか外国人の心にも響くものがありましたが、外国人にとっては『割礼』などのユダヤ教の戒律を受け容れることへの強い抵抗がありました。斬新とは言え、イエスの教えは、『ユダヤ教の枠組みの中』で、当初受け止められていたからでしょう。

パウロの偉大なところは、『何が障害か』を直ぐに感じ取り、ユダヤ教の戒律の中で、外国人が受け容れ難いと感ずるものを、キリスト教の信徒には義務付けないという決断をくだしたことです。しかし、エルサレムに残って、祖国で初期キリスト教の布教にあたっていたイエスの義兄ヤコブを中心にするグループなどからは、『割礼廃止に反対』の要請がパウロに届きます。偉人の革新的な行動を、保守的な凡人は理解できない、という良くあるパターンのように思います。それでも、パウロは決然と実行します。

この結果、キリスト教は、各地のユダヤ人居住区を中心に、外国人へも、燎原(りょうげん)の火のように、ものすごい勢いで浸透し始めます。一方、ユダヤ教の戒律にあくまでもこだわるユダヤ人からは、パウロは、『異端者』と糾弾され、以降、『キリスト教』と『ユダヤ教』は、犬猿の仲になり、今日に至っています。

パウロは、自分の決断を『正当化』するために、ユダヤ教の戒律の一部は、『神の意図を正しく反映していない』間違ったものだと主張します。神はユダヤ民族だけのものという主張も、神の意図を反映していないと主張します。パウロは神そのものは否定せず、神の意図を都合よく解釈したユダヤ教の考え方を否定したことになります。実に、画期的で、うまい論理展開です。古い『神との契約』は全て正しいとは限らないとした上で、新しいキリストの教えを中心にした『神との契約』をまとめた『新約聖書』の編纂に着手します。聖書の『旧約』『新約』とは、そういう意味だと、梅爺は恥ずかしながらようやく理解しました。従って逆に、ユダヤ教の人たちにとっては、ユダヤ教の戒律をまとめた聖典を『旧約』と呼ぶなどとはもってのほかで、いわんや、『新約』を受け容れるなどは、とんでもないということになります。『旧約』『新約』は、キリスト教の世界だけで通用する『用語』であることが分かります。

パウロの慧眼と洞察力で、キリスト教は世界的に宗教に発展しますが、その反面、キリスト教徒の中に、『ユダヤ人を嫌う考え方』が根付き始めることになります。

| | コメント (0)

2009年6月20日 (土)

何故ユダヤ民族は受難の民なのか(3)

キリストが出現した頃のユダヤの社会情勢について、梅爺は、おぼろげに想像できる程度の知識は得ましたが、まだまだ、分からないことも沢山あります。当時、ユダヤではヘブライ語、アラム語、ギリシャ語が併用されていたということですので、ギリシャ文化(ヘレニズム)の影響を受けていたことは確かですが、どの程度浸透していたのかは気になります。大体キリストが、どの言葉を使っていたのか、ギリシャの古典にどのくらい精通していたのかも、梅爺は分っていません。

分かったことは、ユダヤ人の精神的な支えであった『ユダヤ教』が、ローマ帝国の『皇帝信仰』押し付け政策の前に、存続の危機に瀕していたということで、これは、ユダヤ人にとっては深刻で、現代の日本人が考えるほど、生易しい問題ではなかったということです。

紀元前1世紀の半ばに、ユダヤは、ローマ帝国の支配下(属州)になりましたが、これは、ローマ帝国と戦って敗れたわけではなく、ローマ帝国の威勢に押されて、『自ら属州になることを願い出た』結果です。当初ローマ帝国は、ユダヤに寛容な態度で臨みました。シーザーの軍隊が遠征で苦戦していた時に、後のユダヤのヘロデ王の父が、加勢して救ったという功績もあり、特にシーザーはユダヤに寛容でした。宗教(ユダヤ教)の自由を認めた上、税の免除、兵役の免除などの特権も与えました。『従うものには寛容、刃向かうものは徹底殲滅』というローマ帝国の外交方針の典型とも言えます。

しかし、ここで誤解してはいけないことは、『ローマ帝国のユダヤ支配方針』は『寛容』であっても、一般ローマ市民は、ユダヤ人に対して『寛容』ではなかったというこでしょう。当時、ローマ帝国支配下の各地には、ユダヤ人居住区(ディアスポラ)が既にあり、多くのユダヤ人が『祖国以外』に住んでいましたが、彼らは、『ユダヤ教信仰と戒律の厳守』に徹していて、排他的な態度で、外国人と接していたからです。はっきり言えば、どこでもユダヤ人は『嫌われていた』と言ってよいのではないでしょうか。

しかし、シーザーが暗殺され、初代皇帝にアウグストゥスが即位して、『対ユダヤ政策』に、大きな変化が生じます。なんと皇帝は『自分は神の子』と称し、自分を祀る神殿を、ローマはおろか、支配下の各地に建設し、神事を行うように強制しました。ユダヤ人にとっては、『ヤエヴェ(エホバ)の神』以外の『神』を受け容れることなどはとてもできませんから、ここから『ローマ帝国への反抗』が本格的に始まります。キリストの出現は、まさしくこの時と一致します。はじめは、ゲリラ的な反抗でしたが、キリストの死の30年後には、民族の大々的な決起になり、結果は、数十万人が殺戮されるという惨めな敗北に終わります。『刃向かうものは徹底殲滅』という、ローマ帝国の外交方針が実践されたもので、歴史的には『ユダヤ戦争』と呼ばれています。

『皇帝信仰』がそれほど、ユダヤ人には大問題であるということが理解できないローマ帝国は、『あれほど寛容にユダヤ人を厚遇したのに、刃向かうとは何事か』と怒り狂ったことになります。

現在のキリスト教の原点は、『ユダヤ戦争』の後、パウロたちが、祖国以外に住むユダヤ人(ディアスポラのユダヤ人)に布教を開始したことにあります。パウロ自身も、ユダヤ人でしたが、ローマ帝国属州キリキア(現在のトルコ)の出身で、ローマ市民権を持ち、『ギリシャ語を話した』と言われていますので、『外国への布教』には、これが決定的な要素になったのではないかと、梅爺は推察しています。現在に例えれば、『公用語の英語が話せた』に等しいと考えられます。仮にヘブライ語で布教したとしても、外国人は理解できなかったと思えるからです。

| | コメント (0)

2009年6月19日 (金)

何故ユダヤ民族は受難の民なのか(2)

ユダヤ民族の『シオニズム(シオンはエルサレムの別名)』『セミティズム(ユダヤ人は人種的にセム族に属する)』が、他の民族から嫌われる理由は、ある個人が、他人から『いやな奴』と嫌われる理由を想像してみれば、類推できます。

(1)権威や肩書きや知識を鼻にかけて威張る
(2)自己主張が強く、決して他人に迎合しない
(3)憎らしいほど、金儲けがうまい
(4)言動が社会の常識からずれている
(5)許せない悪事をはたらいている
(6)妬ましいほどの才能、美貌に恵まれている

アメリカの金融業界や、メディア業界は、ユダヤ人に支配されていると言われていますので、(3)の『憎らしいほど、金儲けがうまい』が直ぐに思い浮かびますが、ユダヤ人以外にも、インド人、中国人など『金儲け』に長けた人種はいますので、ユダヤ人だけが嫌われる理由とは思えません。

アインシュタインや著名な科学者・学者の多くが、ユダヤ系の人たちであるということから、(6)の『妬ましいほどの才能、美貌に恵まれている』かとも思いますが、どうもピンときません。

『ユダヤ人とローマ帝国』の著者、大澤武男氏は、(2)の『自己主張が強く決して他人に迎合しない』と、(5)の『許せない悪事をはたらいている』の二つを、ユダヤ民族が他民族から嫌われる理由に挙げておられます。勿論、ユダヤ人が民族として『悪事をはたらいている』ことなどないのですが、そういう民族だと、他の民族から『決め付けられている』ということです。ドイツに移り住み、永年『ユダヤ史』の研究をされておられる著者大澤氏の『説』ですので、説得力があります。

『自己主張』は言うまでもなく、『ユダヤ教の戒律を厳しく守る』ということです。自分達は、自分達だけの神で、唯一の神『ヤエヴェ(エホバ)』に選ばれた『選民』であるという信仰と、預言者によって語られた『神の言葉』を、『神と交した契約・戒律』として厳しく守るという生活態度が根源です。モーゼの『十戒』はその代表です。勿論、民族の苦難の時には、『救世主(メシア)』が出現して、地上の悪は滅び、ユダヤ教徒は、神の国へ導かれるという思想も含まれています。

ユダヤ教では、神はユダヤ教の神殿にのみ存在するという考え方でしたので、ユダヤ教徒は、エルサレムの神殿に巡礼で参り、動物のいけにえや金品を捧げる慣わしでした。従って神殿の宝物庫には、莫大な財宝があり、これが、歴史上度々他民族の略奪の対象になりました。

他民族の支配を受けた時(エジプト、アッシリア、バビロニア、ローマ帝国)には、多くのユダヤ人が、奴隷として他国へ連れ去られました。彼らは異国で、ユダヤ人居住区(デアスポラ)を形成し、ユダヤ教の戒律を厳しく守ろうとしました。現在でも世界の各地に住む、ユダヤ人の数が多いのは、この名残です。しかし、参拝の対象となる神殿が無い環境では、シナゴーグ(ユダヤ教の教会)を建設し、そこに集まって宗教儀式を継続することになります。特に、エルサレムの神殿が、ローマ帝国によって、完全破壊された時には、祖国に住むユダヤ人さえ、参拝の対象を失ったことになります。

ユダヤ人は、他国の支配下にあるときでも、決して、精神的には『地上の王』や『他国の神』の支配を受け容れなかったことになります。こういう態度は、他民族から見ると、『傲岸』であり、憎しみの対象になりました。

安息日には、何もしないという風習は、他民族にとっては異常であり、特に生まれてきた子供の性器にメスを入れる『割礼の儀式』などは、野蛮な行為と受け取られました。しかし、ユダヤ人にとっては、『割礼』は神との契約の実行であり、ユダヤ人であることの証明でもありましたので、『絶対に譲れない儀式』として継続され、今でも継続されています。

後に、パウロは、異教徒への布教のために、『割礼』をキリスト教徒に強いないという『大英断』を下します。ユダヤ教とキリスト教の、決別のきっかけの一つが、『割礼』の扱いであった、ということを『ユダヤ人とローマ帝国』という本を読んで知りました。深い信仰教義上での対立というより、世俗的な儀式の扱いが、対立の原因と知って、梅爺は少し驚きました。

| | コメント (0)

2009年6月18日 (木)

何故ユダヤ民族は受難の民なのか(1)

梅爺は、『キリスト一家の墓』や『死海の書』に関するノンフィクションを読んで、1世紀前後、つまりイエス・キリストが出現した頃のユダヤの歴史や社会情勢に関する知識が増えました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-e582.html

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-06fa.html

それ以前は、ほとんど知識らしいものを持ち合わせていなかったわけですから、個人的には大変な進歩です。知識が増えると、点と点がつながって、色々なことが推測できる楽しみも増えます。

昔から、『何故、選りに選って、一世紀のユダヤにキリストは出現したのか?』と、漠然たる疑問を持っていました。つまり、神が、神の子を地上へ遣わすタイミングは、何故人類の歴史の中で『一度だけ』であり、それが『1世紀のユダヤ』である必要があるのだろうか、という疑問です。『神の意図』に疑念を持つという、畏れ多い話で恐縮です。ユダヤ民族以外の民族にも、歴史上苦難の時は何回もありましたが、それらの民族には、『キリスト』は出現していません。キリスト教の教義によれば、次にキリストが出現するのは『この世の終わりの審判の日』ということになっていますので、少なくとも日本には、もう機会が無さそうです。

しかし、キリストの出現の1000年ほど前から、ユダヤ民族に継承されている『ユダヤ教の戒律内容』特に『救世主思想』や、ユダヤの歴史経緯、紀元前1世紀中ごろから始まったローマ帝国の支配の実体を知って、その時代のユダヤにキリストが出現した理由(因果関係)は、かなり納得がいくようになりました。人類全体の歴史の中で、『何故、1世紀のユダヤ』かと考えると、理由が見え難くなりますが、ユダヤの事情だけに限って考えれば、『1世紀のキリストの出現』には、必然的な要因が多いように思えます。

『ユダヤのイエス』が、後に『世界のキリスト』に変わっていったのは、勿論キリストの教えの普遍性もありますが、パウロの布教努力が大きく貢献していると梅爺は考えています。パウロは、『ユダヤ人の選民思想と、ユダヤ教の厳しい戒律』が、外国人への布教の足かせになることを見抜き、これを大英断で排除しました。キリスト自身の布教時代や、死の直後に存在した『ユダヤ教をベースにしたナザレのイエス信仰』から『ユダヤ教と決別した世界的なキリスト信仰』が誕生した瞬間です。逆に、このことは、敬虔なユダヤ教徒であるユダヤ人から見ると、パウロは『許せない変節の徒』ということになります。キリスト教は、ユダヤやユダヤ教を基盤に始まったにもかかわらず、今日まで、ユダヤ教とキリスト教が反目し続けている理由が、ここにあります。仏教と創価学会と同様、同根であるが故に、反目は激しいという話と似ています。

歴史上、ユダヤ民族ほど、他民族から過酷な迫害を受けた民族はありません。宗教改革を行い、プロテスタントの創始者になったルターも、『ユダヤ人は邪悪な民』と激しく非難しています。ニーチェやハイデガーなどの著名な哲学者も『ユダヤ人は危険な人種』と非難しています。更に、ヒトラーによる迫害をみれば、昔の話だけではないことがわかります。『何故ユダヤ人が迫害されるのか?』も、梅爺の疑問の一つでしたが、それに答えてもらえそうな本『ユダヤ人とローマ帝国(大澤武男著:講談社現代新書)』を本屋で見つけ、読みました。『一難去ってまた一難』ならぬ『一問去って、また一問』で、梅爺の好奇心は次から次へと膨らむばかりです。

| | コメント (0)

2009年6月17日 (水)

睡眠(4)

大分前に、NHKテレビで、日本の100人のプロフェショナルと言える人たちの脳の働きを、脳科学者の茂木健一郎氏が観察し、考察結果を述べる番組があり、脳の話には興味津々の梅爺は、期待して観ました。

『アイデアに行き詰った時に、どうしますか』という質問に対して、多くのプロ達は、『一度眠る』と答えていました。目が覚めた時に、『これだというアイデアがひらめくことが多い』というのです。勿論、『とことん考えても、なかなかアイデアが浮かばない』時の睡眠の話で、問題意識を持たずに、ただ眠っても、このような現象は起きないとのことでした。

茂木先生は、『この現象は、脳科学の視点で観ても理に適っている』として、概略次のような説明をされました。

『アイデアの閃きは、問題意識をもった前頭葉が、過去の知識が蓄積されている側頭葉にデータを要求し、側頭葉が関連知識を整理した形態で送り返した時に起こる。側頭葉から整理されないバラバラなデータが送り返されても、閃きは起きない。眠っている間に、前頭葉がバラバラであったデータを整理するので、目覚めた時に、閃くことになる』

テレビ番組の構成上、『アイデアの閃きに関するしくみ』について、なんらかの『回答』を提示する必要があることは理解できますが、この説明が、『正しい事実』を述べているとは限らないのではないかと、いつもの悪い癖で、梅爺は疑ってしまいました。脳科学の大先生が説明すると、『それだけが真実』のように、視聴者に伝わってしまいますが、茂木先生の『説明』は、『一つの仮説』『一つの推測』で、本当は、『アイデアを産みだす脳のしくみや、睡眠との関係は、現状では分かっていない』というのが、正しい答ではないでしょうか。『仮説』ならば、『睡眠によって疲労の回復が行われた脳細胞は、疲労時よりシナプスの状態が情報交換しやすいレベルになる(並列処理が、量と質の両面で、より円滑になる)』などの、他の説明も可能なように思います。

『前頭葉と側頭葉の連携』『側頭葉のデータの整理機能』などについて、確かな根拠が得られておあらず、定説も確立していない現状では、視聴者に誤解を与えないように、説明内容は『仮説のひとつ』であることを示す必要があるように、梅爺は感じました。科学者は、『確かなこと』『確かでないこと』を区別して表明する責任があります。脳科学者は、脳に関して私達より多くの知識を保有しているとしても、現状では『脳の全貌』は分かっていないという前提で、私達もその意見に接する必要があるように思います。

梅爺自身は、『目覚めの時』よりも、『就寝前の床の中』『風呂の中』『トイレの中』『電車で移動中』『ゆったりタバコを吸っている最中』に、アイデアを得ることが多いように『感じて』います。

問題意識に集中することを、一時忘れ、他のことをしているときに、突然アイデアが浮かんでくる、ということが共通しているように見えますが、梅爺の知識を総動員しても、それが『何故か』はわかりません。

『アイデアを産みだす』などという、脳の基本機能の本当のしくみは、現状では誰も分かっていない、というのが、梅爺の認識です。

| | コメント (0)

2009年6月16日 (火)

睡眠(3)

睡眠には、浅い眠り、深い眠りなど、5つのパターン(レベル)があることが、脳波測定で分かっています。眠る前の、静かに横たわっているような状態では、アルファ波(8~12周期/秒)が認められます。睡眠が始まるとリズムはゆったりとなり、シータ波(3~7周期/病)に変わります。更に眠りが深まると、睡眠紡錘波(すいみんぼうすいは)と呼ばれるバースト(急に振幅が大ききなる)現象が12~14周期/秒で加わり、K複合波も現れます。もっと、睡眠が深くなると今度はデルタ波(0.5~3周期/病)に変わります。最後に、脳波の活動は、周期は短く、振幅が小さいものに変わりますが、時々起こる眼球の動きで、中断されます。この状態をレム睡眠と呼びます。

睡眠中、このレベルを何度か繰り返しますが、レム睡眠は、夜が更けるほどに長くなります。

『夢』は、デルタ波かレム波の状態に見ると考えられていますが、大半はレム波の時ではないかと考えられています。眼球が動いているというのは、夢で仮想の映像を追いかけているためではないでしょうか。

レム波が不思議なのは、この状態では、身体は、マヒ状態のように弛緩していますが、脳の活動は、『覚醒時』と同じように活発であるということです。脳の一部にとっては、『睡眠時に夢を見る』と『覚醒時に現実にモノを見る』は、同程度の負荷であることの証左かもしれません。最近、『金縛り』は、このような脳は『覚醒』、身体は『弛緩』の状態ではないかという、研究成果の新聞報道がありました。心霊現象といわれているものの大半は、脳が引き起こしているものとして、科学によって今後解明されるのではないでしょうか。

フロイトやユンクが、『夢の内容』を『人間を知る手がかりにしたい』と考えたのは、慧眼であったと思いますが、『夢』のカラクリは、現在も解明されていません。

梅爺も、『思いもかけない状況』に置かれた夢を見て、戸惑いますが、よくよく考えてみると過去の覚醒時の何らかの体験と結びついているようにも思われます。しかし、全て過去の体験が関与しているのかどうかは、分かりません。もし、そうなら、過去の体験が少ない赤ん坊は夢を見ないということになりますが、そうかどうかも分かりません。

毎日睡眠をとり、よく夢を見ていながら、『睡眠』も『夢』も、実体がわかっていないわけですから、不思議な話です。あまり、考え込むと、またまた寝つきが悪くなりかねません。

| | コメント (0)

2009年6月15日 (月)

睡眠(2)

単細胞のような原始的な生物でも、外の環境変化に合わせて生きていくために、『体内時計』に類する機能を保有していると、脳に関する本には書いてありました。人間にいたっては、日単位(睡眠など)、月単位(女性の生理など)、のリズムを監視する機能の他に、生涯単位のリズム(思春期や更年期の発現など)までも監視していることがわかっていますが、その基本的なリズム監視機能の詳細は、解明されているわけではありません。冬眠する動物は、年周期のリズムに対応していることになります。日単位は、ほぼ正確に24時間を刻んでいるらしいので、これも驚きです。

自然環境の変化周期を利用したり、合わせたりして生きることが、種の保存に有利ということで、進化の過程で獲得してきた機能であろうことは、容易に推測できますが、それにしても見事というほかありません。

人間には、いくつの体内時計(ペース・メーカー)があるのか、基本リズムはどこで作り出しているのか、周期的な反応(セット・リセット)に対応しているタンパク質は何か、どの遺伝子が関与しているのかなどについて、いくつかの科学的な知識は得られていますが、総合的な解明はできていません。脳の『視交叉上核(しこうさじょうかく)』といわれている部分のニューロンが、基本機能にかかわっているらしいということは分かっています。

以前、睡眠に『メラトニン』というホルモンが関係していることに関して、ブログを書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_6a7c.html

この『メラトニン』というホルモンが、体内時計に関与しているらしいと推定されていますが、これも詳細はわかっていません。

睡眠は、日単位のリズムに合わせてコントロールされていることは、確かでしょう。『時差ボケ』は、体内のコントロールと、外の世界の周期が合わなくなって起こります。『狂いっぱなし』にはならずに、また段々『解消していく』ところをみると、脳には、外の世界の周期になんとか合わせようとする機能があることも分かります。

『生物進化』という『摂理』が、40億年かけて作り上げてきた『人間』という見事なシステムを詳細にわたって解明することは、『賢い人類』をもってしても、至難の業であることが分かります。70兆個ともいわれる細胞が、遺伝子プログラムに従って総合的に繰り広げる、複雑で神秘的な世界であるにもかかわらず、私達は、『そのようなことが、自分の中で起きていることを、ほとんど知らずに(意識することなく)生きていく』ことができるわけですから、これ以上の不思議な話はありません。逆に言えば、自分で分かっている範囲で、どれだけ注意をしても、70兆個の細胞を監視することなど、到底できませんので、病気や老化は避けられないと観念せざるをえません。『死』も、勿論自分の意志で逆らえる対象ではありません。

| | コメント (0)

2009年6月14日 (日)

睡眠(1)

脳に関する本を読んでいると、なんと人間は自分のことが『分かっていない』のだろうと、ため息をついてしまいます。

例えば、『睡眠』とは何か、ということについて、現代科学をもってしても、『人間は何故眠るのか』といった基本的なしくみが、『分かっていない』らしいのです。勿論、『睡眠』は誰もが、毎日経験していることですから、科学者でない梅爺でも、体験的に『睡眠』に関する現象的な知識は沢山持ち合わせています。誘眠剤、催眠剤がありますから、ある成分の血中濃度が高まれば、『眠くなる』ということは分かっていますが、それも科学的な現象に関する知識に過ぎません。

長時間眠らなければ、人間は死んでしまうということも分かっていますから、『睡眠』が、『生きるために必要』であることは分かりますが、何故『生きるために必要』なのかという『しくみ』が分からなければ、これも単なる現象的な知識に過ぎません。

眠ってはまずい時に、『睡魔』が襲ってきたり、早く眠ってしまいたい時に、ランランと目が冴えたりと、『睡眠』は実に厄介な代物です。自分のことなので、他人に文句も言えません。梅爺は、歳をとったせいか、『本が読めるぞ』と意気込んで乗った電車で居眠りをしてしまったり、『明日は早起きせねば』と床に入ったものの、なかなか寝つかれなかったり、と自分で自分がコントロールできないことを、いやというほど、体験しながら生きています。人間は、『随意』の部分と得体の知れない『不随意』の部分があり、全部『随意』であると勘違いしないことが重要と分かっていますが、それでも戸惑います。ただ、『寝不足で死んだ人はいない』という話をどこかで聞いたことがありますので、必要ならいつかは眠るのだろうと、達観することにしています。

仕事の現役時代は、平均睡眠時間が4~5時間くらいでも、過ごせましたが、引退後の現在は、『宵っ張りの朝寝坊』で、時折10時間も眠っていることがあり、梅婆から、『年寄りの過剰睡眠はよくない。脳が融けます』と脅かされています。起きているときは、眠るのがもったいないと思い、眠ってしまうと、ダラダラとそのままでいたいと思うのですから、わがままの極みです。

海外旅行などで経験する『時差ボケ』も、厄介です。これも、若いときの方が苦にならなかったように感じます。『体内時間が狂う』のであろうと想像できますが、『体内時間』の正体は何なのだろうと、これも不思議です。

『睡眠』は、昼間働いた脳を休めるために必要なのだろうと、推測できます。脳細胞が『疲れる』『休む』『快復する』というしくみは、細胞内のミトコンドリアのエネルギー生成プロセス(物理、化学反応)と関係しているのだろうと想像はできますが、それ以上のことを科学的に立証する能力を持ち合わせていない梅爺ですから、これも『仮説』にすぎません。

| | コメント (0)

2009年6月13日 (土)

一寸先は闇

江戸いろはカルタを読んだ所感を、一通り書き終わりましたので、今回からは、『上方いろはカルタ』に挑戦します。

現在のように情報が共有できる時代でも、東京と大阪の『文化』は異なっているのですから、当時の『江戸』と『上方』の庶民の諧謔精神には、特徴的な違いがあるのではないかと期待してしまいます。

初回は、『い』の『一寸先は闇』の話です。上方いろはカルタには諸説あり、『石の上にも三年』だとする説もありますが、『一寸先は闇』を選びました。

人生は、『時間の旅』とよく言われます。自分にとって、『確実なこと』は現在と過去だけであり、未来を正しく予測することは不可能に近いことを、誰もが知っています。確かなことは『自分も死ぬ』ということくらいですが、それさえも、いつ、どのような形で訪れるのかは、知りえません。

『一寸先は闇』は、『だから、思い煩(わずら)うのはおやめなさい』という教訓にもとれますし、『何があっても驚かないように覚悟しておきなさい』という教訓にも見えます。

『闇』を懸命に見通そうとする習性は、人間の特徴です。『都合の良い期待』は、根拠を欠きますが、理性的な人は、できるだけ多くの『情報』を集めて、確率の高い未来を予測しようとします。情報時代と呼ばれる今日、情報の取得能力と、それらを組み合わせた論理思考能力を持つ人が、社会の勝者になる可能性が一層高まりました。人間にとっては、経済的な『格差』より、この情報処理能力の『格差』が、実は深刻な問題であると梅爺は感じています。

しかし、社会的な勝者になることと、幸せと感じることを同一視することは、避けなければなりません。何も知らなくても、待ち受ける運命を、そのまま受け容れて、心穏やかに生きることが、『不幸せ』とは言えません。

『一寸先は闇』、だから『人生は面白い』とポジティブに受け取る人と、だから『人生は怖い』とネガティブに受け取る人と、人様々でしょう。梅爺は、ポジティブとネガティブの間を、行ったり来たりしながら、生きています。

もう一つの『石の上にも三年』に関して言えば、あと1年ブログを書き続ければ、3年になりますので、頑張った甲斐があって、『何かを得た』と実感できるようになるのではないかと、大いに期待しています。

| | コメント (0)

2009年6月12日 (金)

アメリカ雑感

息子一家と短期間ながらアメリカで生活してみて、あらためて色々感ずることがありました。

日本は、ヨーロッパの一部の国やアメリカに肩を並べる『豊かな国』と言えますが、基本的な違いは、日本は『繊細で、時にせせこましい豊かさ』、ヨーロッパは『奥行きのある豊かさ』、アメリカは『おおらかな豊かさ』ではないかと感じます。少なくとも、ものがあふれているということでは、日本とアメリカが双璧でしょう。それにしても、アメリカの大型専門量販店の規模の大きさには驚かされます。

同じ『スーパー・マーケット』でも、アメリカには、生活のレベルやスタイルに合わせて、色々な『スーパー・マーケット』があります。裕福な人は、高価な『オーガニック食材』だけを扱う、高級な店を利用しますし、貧しい人は、とにかく低価格が売り物の店を利用します。レストランも同様です。アトランタ周辺には、韓国人が経営する大きな『スーパー・マーケット』もあり、ここへ行けば、大概の日本食の食材も調達できます。納豆や豆腐は勿論のこと、牛蒡(ごぼう)や山芋なども買えます。

アメリカで、一番目に付くのは、日本のメタボリックなどは、かわいいと思えるほど『肥満の人』が多いことです。『肥満で歩行困難な人』も多く、これらの人は『障害者として認定』されることもあり、どこへ行っても『障害者』だらけに見えます。人種的な体質なのか、食べる量が桁違いなのか、梅爺には分かりませんが、日本人には『異様』に見えます。

Dscn8001 息子が保有するHonda RidgeLine

走っている乗用車の大半が、日本車であることも目をひきます。特に、トヨタ、ホンダの車の多さは圧倒的です。これでは、GMが倒産するのも当然に思えてきます。今まで、消費者に日本車より魅力的な車を提供できなかったGMが、再建して直ぐ太刀打ちできるとは、とても思えませんので、GMの先行きは暗いものではないでしょうか。車が無ければ生活できないアメリカで、日本車が市場を席巻してしまうことに、アメリカ人が今後どのように反応するのかは分かりませんが、現状では、日本車の市場地位は、揺るぎそうもないと感じました。

日本の『均一的な資質』と、アメリカの『多様な資質』は、対極的で、直ぐにどちらかが、どちらかに同化するとは考えにくいところですが、資質の違いを自覚して、共存する方策を、あらためて模索しないと、両国の関係は、今後ギクシャクしかねません。

経済的にも、政治的にも、日本は、アメリカ抜きでは生きていけませんので、お互いに『太平洋の向こうにある変な国』とばかり言っているわけにはいきません。

| | コメント (0)

2009年6月11日 (木)

ストーン・マウンテン・パーク(アトランタ)

梅爺夫婦が、アトランタ郊外に住む息子一家を訪問するのは、今回が2回目で、最初は、2年半前の2006年12月のクリスマス・シーズンでした。2007年の1月からブログを書き始めたこともあり、最初の訪問の様子もブログで紹介しました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_8d32.html

アトランタと言うと、多くの日本人は、『風とともに去りぬ』を思い起こし、最近では、アトランタ・オリンピックや、川上憲伸が移籍した、大リーグのアトランタ・ブレーブスのことを口にされる程度で、たしかに、これと言った観光名所があるわけではありません。

Dscn8057 今回の訪問では、前回行きそびれた『ストーン・マウンテン・パーク』に出向きました。アトランタでは、唯一といってよい、自然の景観が売り物の公園です。オーストラリアの『エアーズ・ロック』ほどではありませんが、巨大な一個の岩山(世界最大の花崗岩)が、突然平地にそそり立っています。252メートルの頂上までは、ロープ・ウェイで上ることができ(勿論徒歩での登山も可能)ます。周辺には湖などがあり、この山一帯が広大なレクリエーション・センターになっています。オリンピックのときも、いくつかの競技の会場として使われました。

Dscn8064 頂上に立って、四方を見渡してみると、森林が海のように広がっていて、遠くに見えるダウンタウンのビル群や、ハイウェイの切れ目が無ければ、下界に、人の生活の気配を感じないほどです。このような環境では、『地球温暖化対策として植林をしよう』などという呼びかけは、当地の人たちには、切実に聞こえないにちがいないと思いました。少なくともアメリカ南部のこの地方は、世界に類を見ないほど、自然に恵まれ、人間はそのほんの一部を利用して生きているということが分かります。

日本も森林には比較的恵まれた国ですが、都会が森林の中に埋もれているという風情ではありませんので、やはり、アメリカは、日本とは『違う国』であると感じました。

| | コメント (0)

2009年6月10日 (水)

サウスカロライナ州ヒルトン・ヘッド

サヴァンナから日帰りで、サウスカロライナ州ヒルトン・ヘッドという、東海岸屈指のリゾート地へ観光に出かけました。延々と続く白浜の海岸、森林そして入り組んだ沼地の地形を利用した、広大なリゾート・センターです。

Dscn7824 ホテル、ゴルフ場、カンファレンス・センター、ヨット・マリーナ、ショッピング・アーケードなどが完備しているいかにもアメリカらしい場所です。

Dscn7853_2 日本の、イモ洗いのような狭い海水浴場にくらべると、羨ましいくらいに長い白浜の海岸線が続いていますが、アメリカ人は、泳ぐというより浜辺で日光浴をすることが主目的らしく、パラソルの下の長椅子に寝そべって、思い思いに談笑したり、読書をしたりしていました。

イルカの群れが、海岸線近くまで泳いでくる様子が、肉眼でもはっきり見えて、梅婆は、『ドルフィン・ウォッチング』に夢中になっていました。これも、日本ではなかなかお目にかかれない光景です。5歳の孫は、波打ち際が気に入って、はしゃいでいました。

海岸のリゾート地としては、フロリダ(マイアミ)が有名ですが、ヒルトン・ヘッドは、俗化しておらず、アメリカ人にとっては、知る人ぞ知るリゾ-ト地なのかもしれません。梅爺が仕事で訪れたアメリカは、大都会が大半ですから、このように、時間がゆっくり流れているように見えるアメリカは、初めて経験しました。

海岸で日光浴をし、ゴルフを楽しみ、優雅なショッピングをしているアメリカ人を見ると、『百年に一度の不況にあえぐアメリカ』は一体どこの話かと思えてきます。こんなところに遊びに来ているアメリカ人は裕福な人たちなのでしょう。

ここでも、日本人観光客にはほとんど出会いませんでした。日本では年金生活の梅爺夫婦が、アメリカ人には裕福な日本人にみえたとしたら、まことに面映い話です。

| | コメント (0)

2009年6月 9日 (火)

ジョージア州サヴァンナ

Dscn7925 アメリカ南部様式の建物

アメリカ滞在中、梅爺夫婦は、息子一家(3人)と、2泊3日の小旅行を楽しみました。行き先は、ジョージア州の港町サヴァンナと、サウスカロライナ州のリゾート地ヒルトン・ヘッドでした。小旅行といっても、アトランタ郊外からハイウェイを利用して、車で5時間ほども走り続けるわけですから、東京から名古屋まで程度の距離を移動することになります。息子の保有するピックアップ・トラック(Honda RidgeLine)に、5人が乗り込んで、出かけました。

ハイウェイをひたすら走り続けて、港町サヴァンナに到着しました。アメリカ南部のハイウェイの景色は、砂漠に近い南カリフォルニアとは異なり、両側に豊かな森林が続くことです。同じアメリカといっても、全く異なっていて、アメリカの広大さをあらためて感じます。息子一家がアメリカで暮らすことが無ければ、梅爺はサヴァンナなどというところを一生知らずに終わったに違いありません。

Cimg0361 聖ヨハネ教会(カトリック)

サヴァンナは、アメリカの歴史の中で、重要な役割を果たした町であることを知りました。サヴァンナ川が大西洋に注ぐ河口に位置する町です。独立戦争前の植民地時代には、イギリスが支配して、碁盤の目のように区画されていました。アメリカの計画都市のさきがけです。1779年に、アメリカ・フランスの連合軍がこの町をイギリスから奪おうとしましたが、保塁を築いて守ったイギリス軍に完敗しています。その後、独立戦争でアメリカの支配下になり、奴隷の受け入れ港、綿花の出荷港として発展した町です。

Dscn7945 リバー・ストリート

現在は、典型的な南部の建築物や、教会(カトリック系、プロテスタント系)、公園が残る観光都市として、賑わっています。サヴァンナ川の岸にある、リバー・ストリートには、おみやげ屋やレストランが立ち並び、梅爺たちも、シーフード料理を楽しみました。

黒人の比率が高いように感じたのは、アメリカの歴史を考えれば当然のことかもしれません。さすがに、ここまでやってくる日本人観光客は少ないと見え、日本人には出会いませんでした。歴史が浅いアメリカの中では、比較的『古い歴史の町』ということになります。

| | コメント (0)

2009年6月 8日 (月)

ジョージア州日本語学校(2)

Koushaphoto ジョージア州日本語学校の校舎

全米に、または全世界に、どれだけの『日本語学校』があるのかは梅爺は知りませんが、100万人の日本人海外居住者の子女教育に、多大な努力とコストが注ぎ込まれていることは、容易に想像できます。『ジョージア州日本語学校』は、アメリカの学校施設を毎週土曜日だけ借りて、英語は一切使わず日本語だけの教育が行われます。35年の歴史を持ち、幼稚部、小学部、中学部、高等部で現在約400人の生徒が在籍しています。生徒は、月曜から金曜までアメリカの学校に通い、アメリカ人の子供が休みの土曜日に、特別の教育を受けるわけですから、負担は大きくなりますが、このプロセスで、『国際人』であり『日本人』であるアイデンテティを確立していくことになります。多分、生徒同士も親同士も、日本の学校以上の『結束』が固いのであろうと想像できます。

Cimg0222 運動会の様子

梅爺夫婦がアメリカ滞在中に、丁度『ジョージア州日本語学校』の『運動会』が開催され、孫の応援に出向きました。『学校の運動会』は日本でも、日本文化の一つとして定着していますが、ここでも、同じことが行われていることに興味を覚えました。グランドに本部テントが張られ、日本と同じような華やかな音楽が流れていました。徒競走、綱引き、リレーなど、演目も日本とまったく同じで、紅白に分かれて得点を競い合っていました。お昼休みには、両親と一緒に『お弁当』を食べるという形式もまったく一緒です。ここだけ見れば、日本に居るのかと錯覚してしまいそうな世界です。唯一異なっているのは、広大な駐車場に並ぶ車の数と、見学の両親が持ち込む、大きなパラソルやテントが応援席に並んでいることで、これは、アメリカの生活様式が利用されています。

日本が近代国家になって、国の教育方針として『知育』と同様に『体育』を重視し、『運動会』という『お祭り』を考案した知恵には、感心してしまいます。普段勉強が苦手の子供でも、運動神経が優れていれば、この日ばかりは、最高の優越感を味わうことができます。運動神経が鈍かった梅爺は、子供のころ『運動会』は『楽しくない日』でしたが、それでも、自分の資質を認識し、他人の資質を尊敬することを学びましたので、重要なイベントであったことが分かります。

現在日本の学校の運動会で行われている、『個人の優劣を明確にしない配慮』などは、まったく『馬鹿げている』と梅爺は感じています。『ジョージア州日本語学校』では、『明確に優劣を決める』という、昔の運動会の方式が踏襲されていました。日本より、外国に住む日本人の方が、『昔のままの日本であろうとしている』ようで、面白いと感じました。

| | コメント (0)

2009年6月 7日 (日)

ジョージア州日本語学校(1)

Dscn8006 『日本語学校がチャーターしているスクールバス』約2時間かけて通学する子供もいる

第二次世界大戦で、敗北した日本は、尊い多くの優秀な人材を失ったばかりか、国の経済基盤の大半を失ってしまいました。当時の日本人は、食べること、生きることだけで精一杯で、誰も、65年後に日本が現在のような国家になるとは、想像もしなかったにちがいありません。しかし現実は、トヨタが世界一の車メーカーになり、80年以上も『世界一』で君臨し続けたGMが倒産してしまうという時代が訪れました。

日本経済の復興に、朝鮮戦争の特需が寄与したことはたしかですが、経済復興を支えたのは、日本企業の社員の、並々ならぬ努力であったと言い切って良いのではないでしょうか。特に海外市場へ日本製品を売り込むために、裸同然の状態で現地へ送り込まれた人たちの苦労がどれほどのものであったかは、想像に難くありません。言葉の壁、人種偏見の壁、文化や制度の壁を一つ一つ克服して、Made in Japanの信用を築き上げてきました。その海外へ派遣された企業戦士を影で支えたのは家族であり、家族も同様の苦しみに耐えてきたことを、忘れるわけにはいきません。あまり表ざたにはなっていませんが、現地の生活に溶け込めずにノイローゼになった奥さんの問題や、帰国後日本の学校になじめなかった子女の問題など、梅爺は身近に多くの不幸も見てきました。

海外に駐在する日本人家族にとって、大きな問題は子女の教育です。日本では体験できない経験をするので、それが、その子の後の人生の得がたい財産になると前向きに考えたいところですが、現実はそのような甘い話ばかりではすまされません。

アトランタ近郊で生活している梅爺の息子夫婦の一人息子(梅爺の孫、男児5歳)も、そろそろ就学年齢に近づき、現地での『教育』対応準備が始まりました。3歳で、アトランタにある『日本人幼稚園』に通い始め、今年の4月からは、毎週土曜日に『ジョージア州日本語学校』の幼稚部へ通っています。そして、8月からは、いよいよアメリカの現地小学校へ入学し、英語だけの教育が始まることになっています。

『日本人幼稚園』や『ジョージア州日本語学校』が、現在完備していることは、企業戦士の先人たちが築き上げてきた資産で、感謝すべきことですが、『通学』は、日本では考えられない大変な親の負担になります。孫の場合は、『日本人幼稚園』までは、車でハイウェー走行を含め片道40分、『ジョージア州日本語学校』までは、車で同様に片道1時間の送り迎えをしなければなりません。これだけで、息子のお嫁さんの一日の時間の大半が費やされることになります。『ジョージア州日本語学校』は、行きはスクールバスが準備されていますが、帰りは迎えにいかなければなりません。それでも孫の場合はまだ良いほうで、遠い人は片道2時間以上かけて通学していると聞きました。

今回の米国滞在中、梅爺夫婦も、何度か『日本人幼稚園』や『ジョージア州日本語学校』への送り迎えに同行しましたが、その大変さを改めて実感しました。これに比べると、日本国内の教育環境が、いかに恵まれているかが分かります。

| | コメント (0)

2009年6月 6日 (土)

新型インフルエンザをかいくぐる(3)

6月1日(現地時間)、アトランタからの帰国便も、成田への直行便を利用しました。アトランタは、アジアから南米への中継地でもあり、南米からアジアへ帰国するアジア人(日本人を含む)らしき乗客も多く、ほぼ満席でした。梅爺夫婦に近い席に座った日本人のオバサンが、やたらと咳き込むので、最後の最後に、これは大変なものを背負い込んでしまうかもしれないとと、心配になりました。人間は、疑心暗鬼の時は、周囲が全て怪しく見えるものです。

機内で、日本入国時に提出する、日本国厚生労働省発行の調査書類が配布され、海外滞在時の健康状態を詳細に記入するように求められました。虚偽の申告をすると罰金を科すと言う条件に同意するサインする欄もありました。更に、日本へ近づくと、成田着陸後に、検疫官が機内に乗り込んできて調査をするので、席を立たずに待機するようにという、ものものしい機内放送がありました。

いよいよ着陸して、二人の白衣、マスク姿の検疫官が乗り込んできましたので、間違っても咳等はしまいと、緊張して座っていましたら、『体調不良の方はいませんかー』と叫んで、通路を足早に通り過ぎただけで、あっけなく調査は終わってしまいました。『正直な自己申告』が原則とは言え、これで『調査』を行っていると主張するなら、いかにも『官僚的』な発想だと、あきれてしまいました。本気で『水際阻止作戦』をするのなら、もう少しましな、医学的、科学的な調査方法があるのではないでしょうか。入国審査前に、機内で記入した調査票を提出する場所がありましたが、これも事務的に受け取るだけでしたので、これではウィルスが成田をすり抜けてしまうのは、当然のように感じました。

帰国後、日本では、『米国製の特別なマスク』が、ネット販売されていることを知りました。米国では売れないマスクが、日本では売れるということで、米国のマスク製造業者は、笑いが止まらないのではないでしょうか。

幸いなことに、帰国後の現在、梅爺夫婦は、それらしい症状があらわれていませんので、少し安心していますが、潜伏期間があるらしいので、1週間程度は、外出をできるだけ控えて、神妙にしているつもりです。

孫に会いたい一心で、リスクを冒した日本の一老夫婦の、これが顛末記です。まだ安心はできませんが、なんとか『国賊』にならずに、終ることを願っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 5日 (金)

新型インフルエンザをかいくぐる(2)

Jnews アメリカに到着してみると、『新型インフルエンザ』に関する報道量の違いに当惑することになりました。確かに、シカゴで感染患者の一人が死亡したというような報道はありますが、テレビや新聞で、トップ記事として流されるようなことはありません。約2週間の滞在中、GMのチャプター11申請(事実上の倒産)、北朝鮮の地下核実験、韓国前大統領の自殺、アメリカ最高裁の責任者の決定(アメリカ初のヒスパニック系女性)などの大ニュースが続いたこともあろうかと思いますが、それにしても、『新型インフルエンザ』関連の報道は、注意して探さないと見つからないほどの量でした。

アトランタ周辺では、マスクを常用しているような人は、皆無といってよい状態で、誰も『新型インフルエンザ』のことなど気にしていないというような風情に見えました。『日本人がマスクをしていると、かえって嫌がられますよ』と息子夫婦に言われ、梅爺、梅婆も、アメリカ滞在中は、一度もマスクをすることはありませんでした。息子夫婦や孫と楽しい毎日を過ごしていたこともあり、『新型インフルエンザ』のことは、忘れてしまいそうな状況でした。

ニューヨーク周辺と異なり、ジョージア州は、感染の度合いが低いこともあろうかと思いますが、それにしても、日本の対応とは大きな相違があることを実感しました。アトランタで発行されている日本人向け日本語情報誌には、『世界中が不思議がる異様な光景』という見出しで、通勤途上と思われる人たちが、『大半マスクをして歩いている街頭の様子』が写真入で紹介されていました。外国に住んでいる日本人にさえ、このように『異様』と茶化されてしまう、日本の過剰な反応は、いったい何故生じたのでしょう。

『新型ウィルス』の出現は、確かに人類への脅威ではありますが、その脅威の実態が明らかになった時点で、いち早く通常の季節性インフルエンザと同様の対応でよいとアメリカ政府が判断したものと思います。何よりも報道メディアの取り上げ方の日米の違いが大きな理由のように思います。感染者や死亡者の数を見れば、通常の季節性インフルエンザの被害のほうが圧倒的に大きいことを考えると、日本の報道姿勢は、少し過剰といえない事はありません。

海外だけで起きていることには普段無頓着で、海外で起きたことが日本の平穏な状況を少しでも乱し、日本に累を及ぼしかねないと知ると、途端に過剰反応をする日本は、外国から見ると『身勝手な国』に見えるのかもしれません。海外に原因があるということは、日本の政治家や官僚の落ち度と非難されることはありませんので、ここぞとばかり『点稼ぎ』に、『水際阻止作戦』を、自分が陣頭指揮しているように振舞うのでしょうか。それに乗せられたり、一緒に煽ったりする報道メディアも、発想が単純で幼稚であるような気がします。

北朝鮮のミサイル実験や、新型インフルエンザから『国民を守る』ことも重要ですが、日本には、自らが原因を作っていて、対応しなければならない多くの重要優先課題が、沢山あるのではないでしょうか。自分は良い子になり、他人を非難して騒ぐことなら、誰にもできることです。

| | コメント (4)

2009年6月 4日 (木)

新型インフルエンザをかいくぐる(1)

4月28日に、スペイン旅行から帰国した翌日から、日本では『新型インフルエンザ』騒動が大きくなり、あと一日帰国が遅れたら、成田で厳重な『検疫』を受けたに違いないと、『幸運』に感謝しました。

年寄りが、海外旅行をすれば、『便秘』やら『寝不足』やら『疲労蓄積』やら、『食欲減退』やら、何らかの自覚症状で、体調が万全ではないと感じたりするものですから、帰国後、新聞やテレビで繰り返される『感染列島』が直ぐにでも到来するような報道が繰り返され、時には早朝に厚生労働大臣が緊急記者会見するようなテレビ報道を観て、数日間怯えていましたが、それらしい症状は現れず、事なきを得てホッとしました。

青少年による『国連模擬会議』の日本代表という立派な目的で、参加した神奈川県の女子高生が、ニューヨークから『新型インフルエンザ』を持ち帰ったということで、学校や当人が、インターネットで非難の総攻撃にさらされる日本のことですから、爺さん婆さんの能天気な海外旅行が原因なら、『バカ、死ね』『国賊』の大合唱の対象になりかねません。

実は、大分前から、5月21日から、6月2日まで、梅爺夫婦は、アメリカのアトランタ郊外(ジョージア州)に住んでいる息子夫婦のところに滞在する計画になっていて、今度はいくらなんでも『自粛』キャンセルするのが、日本人の務めかと、一旦は覚悟をしました。

しかし、アメリカの孫(男児5歳)が、カレンダーに丸印をつけて、梅爺、梅婆の訪米を楽しみにしているという報せがあり、心が揺れ動くことになりました。孫には1年に1回くらいしか会うことができないのが実情ですから、『次の機会』が必ずしも保証されない年寄りにとっては、『リスク覚悟の決行』もやむなしと、都合の良い言い訳をして、結局予定とおりに出かけることにしました。60歳以上は、感染しにくいという、あまり根拠が明確でない報道も、決断の後押しになりました。運悪く『国賊』になったら、孫のために耐え忍ぶという覚悟といえば、聞こえが良いのですが、ただ『孫に会いたい』という一念が本心ですから、孫はまさしく爺さん、婆さんの泣き所です。

品薄のマスクや消毒ティッシュを何とか買い求め、成田に出向くと、空港の関係者が、全員マスクをしており、日本人旅行者の大半がマスク姿であるという異様な光景を目にすることになり(どういうわけか外国人旅行者はほとんどマスクをしていない)、『いよいよ一大決戦に臨む戦士』の心境になりました。

新型インフルエンザのおかげで、旅行者が激減しているらしく、チェックインや出国手続きは、スイスイ行われ、梅爺と梅婆はアトランタ行きの直行便に乗り込みました。

| | コメント (0)

2009年6月 3日 (水)

裏切り者ユダ(8)

『The Secrets of Judas』と言う本は、原本が見つかってから、内容が公表されるまでの経緯を丹念に追った本ですが、内容については、間接的な表現にとどまっています。著者は、1946年のエジプトのナグ・ハマディで発見された古文書(主として『グノーシス派』が残したものと考えられている)の、アメリカの第一権威者(学者)ですので、コプト語で書かれた『ユダの福音書』については、当然『読める』はずですが、そうしなかったのは、『公表独占権』を、ナショナル・ジオグラフィックス社という、この本の出版社とは違う会社が、高額で獲得してしまったためです。このような分野にまで、商業主義が入り込むことは、いかがなものかと思いますが、梅爺が嘆いてもしかたがありません。

そこで、『ユダの福音書』の内容を公開、解説した本『原典ユダの福音書(日経ナショナル・ジオグラフィックス社)』を購入しましたが、未だ読んでいません。読んだ時に、また紹介したいと思います。

ナグ・ハマディで発見された『グノーシス派』の『トマスによる福音書:荒井献著(講談社学術文書)』も購入してありますが、同じく未読です。

『ユダの福音書』も『トマスによる福音書』も、イエスとの会話だけが記載された内容ですが、『イエスの言葉』は、まるで禅宗の高僧の説話のように、比喩や暗喩に富み、一読して『すんなり』理解できるようなものではありません。これらが、後代に創り上げられたものでなく、本当にイエスの『言葉』であるとすれば、イエスは旧約聖書の内容に精通した、深い教養と洞察力の持ち主であることを示しています。そして、類稀なる精神世界の指導者であることも分かります。

これらの『言葉』は、すべて新約聖書に採用されているわけではありませんので、『解釈の仕方』によっては、新約聖書とは、全く異なった『イエス像』が浮かび上がってきます。どちらが、より真実に近いのかは、知る由もありませんが、少なくとも、パウロやローマン・カトリックが創り上げていった『イエス像』と、イエスと直接接触のあった人たちの抱いていた『イエス像』との間には、隔たりがあるのではないかと推測できます。

『グノーシス派』が、後に、ローマン・カトリックから『異端』として、徹底弾圧された理由は、この『イエス像』の違いであったことは、間違い無さそうです。

| | コメント (0)

2009年6月 2日 (火)

裏切り者ユダ(7)

新約聖書の『マルコ伝』『マタイ伝』『ルカ伝』『ヨハネ伝』は、『ゴスペル』と呼ばれています。元の意味は『Good News』で『良き知らせ』ですから、明治の先人がこれを『福音書』と日本語に訳したのは、なかなかの名訳です。

『ゴスペル』は、キリストの伝記でもありますので、その『教え』とともに誕生から死に至る『できごと』が記載されています。梅爺は前に、『教え』と『できごと』に関するブログを書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post_6a0a.html

『教え』は『釈迦や孔子の教え』同様に、人間の『生き方』に関する深遠な『洞察』が表現されていますので、時代や場所を問わず、人々に自分を見つめなおす機会を与え続けてきました。『科学』が、人間の表向きな生活に大きな影響を与え続けてきたように、『教え』は人間の内面生活(精神生活)に大きな影響を及ばしてきました。時代や場所を問わないという点では『教え』の方が普遍的であるとも言えます。

しかし、『できごと』の方は、『本当にそのようなことがあったのか』と、後代の人々の疑いの目に晒(さら)され続けて来ました。特に、キリストの場合は、『マリアの処女懐妊』『数々の奇跡行為』『十字架の死から三日後の復活とその後の昇天』などが、現代人の『知識を利用した理性的判断』では、理解を超えているために、多くの議論の対象になってきました。

梅爺が、大変興味深く感じているのは、初期キリスト教の一派であった『グノーシス派』の書き残した文献は、『トマスによる福音書』『ユダによる福音書』などと呼ばれていますが、正確には、中身は『キリストの言語録』で、新約聖書の『ゴスペル』のように、『できごと』を包含していないということです。生誕や死や復活の『できごと』は排除されて、キリストが『生きていた時に語った言葉』だけが、収録されているということは、何を意味しているのでしょう。

一つの可能性は、キリストと直に接した人たちからは、キリストは『神から強い啓示をうけたすぐれた思想家、精神的指導者(人間)』と受け止められていたのではないかということです。彼の『言葉(教え)』に全ての意味があり、『できごと』は興味の対象ではなかったと想像されます。『グノーシス派』は『知性・理性を重んずる人たち』であったとすれば、これは重要なことを示唆しているように思います。

『ゴスペル』に書かれている『できごと』は、全く根も葉もない作り事とは言えませんが、少なくとも、後世にキリストを『美化』『正当化』するために、脚色または創造したものが、含まれているように梅爺は感じます。『旧約聖書の予言が成就(実現)したことを示す証拠』『キリストは神の子であること証明する証拠』を作り上げるための『意図』を感じます。重要な『できごと』が、あるゴスペルには欠落していたり(『マルコ伝』にはキリスト生誕の記述が無いなど)、記載されていても表現が異なっていたりするのも、著作者の『立場』や『意図』が反映している証拠と考えられます。2000年前の人たちが『教え』だけにこだわり、むしろずっと後代の人たちが『できごと』にこだわっていることは、興味深いことです。

梅爺は、どちらかといえば『グノーシス派』の人たちの考え方に共感を覚えます。

| | コメント (0)

2009年6月 1日 (月)

裏切り者ユダ(6)

梅爺は、アダムとイヴの話は、単なる荒唐無稽な作り話とだけは言えない、『人間とは何か』を示唆する深遠な『寓話』であるように感じます。これを書いた人の、人間に関する洞察力は、並みのものではありません。

人間が、他の生物のように、自然の摂理や本能に素直に従って生きていくことができないのは、『理性』を獲得してしまったからです。『悩み』の大半は、『理性』で考える自分に関する事柄と、現実との間にギャップがあることに由来します。自分の思うようにならない現実、または、思うようにならないだろうと『推測』する将来のことが、『悩み』を作り出します。

『禁断の木の実(林檎)』を食べたことで、つまり『理性』を獲得したことで、人間は、『悩みを抱える存在』に、そしてある意味では『罪深い存在』になる宿命を負ったのだ、という洞察は、生物進化論や脳の機能に関して知識をもたない人の洞察としては、見事というほかありません。むしろ、生物進化論や脳に関する知識は、この洞察が正しかったことを示しています。

エデンの園の話に出てくる『神』を、現在の『人間』に、『アダムとイヴ』を現在の『チンパンジー』に置き換えてみると、梅爺には、この『寓話』が、より分かりやすいものになります。この『神=人間』は、理性を保有していますが、全てを見通す能力などは保有していません。その証拠に、隠れたアダムを『おい、どこにいるのだ』と探したりしています。理性を持つが故に、妬んだり、怒ったりもしています。一方『アダムとイヴ=チンパンジー』は、『理性、知性=禁断の木の実』さえ、食べなければ、『裸でいても恥かしさなどを感じない存在』でした。

宗教色を排除してこの『寓話』を読めば、『理性を獲得して、アダムとイヴ(猿)が人間になった』という現在の知識に近い感覚を、数千年前の人類は、既に『洞察』して保有していたことになります。人間は、『罪深い存在』であると同時に、なんと『優れた能力の保有者』であるかもよく分かります。

| | コメント (0)

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »