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2009年3月31日 (火)

ビザンチン帝国と正教(1)

梅爺は、高校時代に世界史を学び、大学受験でも選択科目としましたが、あまり真面目に勉強しなかったために、断片的な知識ばかりで、体系的に理解していない所があります。『ローマ帝国』『東ローマ帝国』『神聖ローマ帝国』の違いは何かと問われれば、当たり障りの無い回答はできますが、その本質を理解しているとは到底言えません。『おいおい、その程度の理解で、偉そうにヨーロッパだの、キリスト教だのと、よくブログに書けるな』と歴史に詳しい方から、お小言を頂戴しそうで、恥ずかしい限りです。

NHKハイビジョンで、3週間にわたり、3回放映された『ビザンチン帝国』を録画しておいて観て、少しばかり『ビザンチン帝国(東ローマ帝国)』に関する理解が深まりました。

4世紀のローマ帝国皇帝コンスタンチヌスは、キリスト教の国教化と、首都をローマから、ビザンチウム(現在はトルコのイスタンブール)へ遷都し、コンスタンチノポリス(コンスタンチノープル)と命名したことの、二つの偉業を成し遂げています。最初は『ローマ帝国』の首都が移っただけのことでしたが、その後紀元395年に『ローマ帝国』は、『西ローマ帝国』と『東ローマ帝国(ビザンチン帝国)』に分かれました。紀元476年に『西ローマ帝国』は滅亡しますが、『ビザンチン帝国(東ローマ帝国)』は、その後紀元1453年にオスマントルコによって征服させるまで、1000年以上継続したことになります。一つの国家体制がこれだけ続くには、それ相応の『努力』があったはずで、『ビザンチン帝国』は、歴史から智恵を学ぶには格好の対象であろうと想像できます。

一般に『ローマ帝国』というと、『古代ローマ帝国(最後は西ローマ帝国)』のことが語られることが多いために、梅爺の知識はこちらに偏っています。ヨーロッパ主体の考え方に毒されているのかもしれません。『ビザンチン帝国』も、『古代ローマ帝国』に負けず劣らず、歴史の宝庫であることは間違いありません。

『ビザンチン帝国』は、勿論キリスト教を国教にしています。しかし、そのキリスト教は、『西ローマ帝国』との関係で体制を確立し、『西ローマ帝国』が滅亡した後も、ローマ(バチカン)中心に勢力を維持し続けた『カソリック(ギリシャ語で普遍の意味)』とは異なった『正教(オーソドックス:ギリシャ語で正統の意味)』と呼ばれるもので、その流れが、現在でも『ギリシャ正教』『ロシア正教』など地中海沿岸および、ロシア、東欧にキリスト教の一大勢力として引き継がれています。

『カソリック』と『正教』は、『普遍』と『正統』を標榜して、長らくお互いを『破門』扱いにし、対立してきましたが、現在は、『破門』を解いて、教義の解釈の違いなどを調整する話し合いがもたれていると聞いています。しかし、詳しいことは梅爺はわかっていません。梅爺は、『原始キリスト教(キリストの死の直後の布教)』『カソリック』の教義に関して、なけなしの知識を振り絞ってブログを書いてきましたが、『正教』については、ほとんど『分かっていない』ことを痛感しました。

『ビザンチン帝国』が『西ロ-マ帝国』と決定的に異なるのは、皇帝が政治と宗教の最高権威者であったことです。皇帝は『神に選ばれし者』であり、その他の神職者は、皇帝が任命する権限をもっていました。つまり完全な政教一致国家でした。帝国を脅かす周囲のイスラム勢力と、対立を避けてうまくやっていくために、柔軟な政策を採用したであろうことは想像がつきます。しかし、その柔軟政策も最後はあだになり、オスマントルコに屈することになります。『ビザンチン帝国』の芸術様式として有名なモザイク画の手法や、キリスト教そのものにも、イスラム文化が影響を与えた形跡を見て取ることができますし、逆に、ビザンチン文化がイスラム文化に影響を与えているようにも見えます。

『ビザンチン帝国』および『正教』について、もっと知りたいという梅爺の好奇心の対象がまた広がりました。

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2009年3月30日 (月)

ホメオスタシス(3)

人間は『ホメオスタシス』という、『あるべき姿(セット・ポイント)』を体内にいくつか持っていて、常に、システムの状態をその値へ近づけようと、『システム制御』が行われています。これは、人間だけの機能ではなく、生物一般が保有する機能で、この機能があるために、『システム崩壊(生物の死)』の確率を減少させています。環境への適応能力が高いものの子孫のみが繁栄していく、という『生物進化』という法則が、偶然に出現したのか、必然的な理由があって出現したのかは、梅爺の理解をはるかに超えていますが、『自然の摂理』の一つと考えれば、私達は、『自然の摂理』のお陰で存在しているとも言えます。

人間が、他の生物と決定的に異なるのは、体内にセットされた『最適値』を、維持しようという機能の他に、自らの智恵で生み出した道具や方法で、『最適値』を維持するための、補助手段としていることです。原始人も、寒い環境では、毛皮を身にまとったり、焚き火をたいて暖をとりました。科学が進んだ現在では、冷暖房設備は勿論のこと、梅爺のような血圧の高めの人は、薬で血圧を下げたりしています。

他の生物に比べて、特別頑強とはいえない人間が、他の生物よりは、格段に高い『環境適応能力』を保有している理由が分かります。

これに加え、人間の脳は、優れた『推論機能』を保有していますので、危険を予知し、回避しようとします。『推論』には、元となる『情報』が必要ですが、現在では、ITを駆使して、ありとあらゆる情報が身の回りに存在しています。このために、情報を利用できる能力が、生き残りのための『格差』を生み出す要因にもなってています。また、豊富な科学知識を駆使して、台風や津波の進路を予測し、危険から身を守ろうとします。

これらは、『あるべき姿:最適値』へ向けての制御とはいえませんが、少なくとも基本的に危険から身を守るための、高い『総合能力』を人間が保有していることになります。

更に、幸いなことに、人間は、『ただ生物種として存続できれば良い』とは考えずに、精神生活の満足も希求しようとします。日本は、経済的には世界有数の恵まれた国になりましたが、心を失った殺伐たる社会になったと、多くの人が感じ始め、『このままではよくない、何とかしなければならない』とも考え始めました。『あるべき姿』は分からなくても、『このままでは良くない』と考え、行動をする人間は、幾多の失敗も繰り返しながらも、進歩していけると、梅爺は信じています。個人的には、『幼児期からの適切な情操教育』が、社会全体の『心』を取り戻す決め手、と考えていますが、残念ながらそういうことを、政治の最優先事項と主張する政治家には、現在までのところお目にかかったことがありません。

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2009年3月29日 (日)

ホメオスタシス(2)

人間の身体には、『ホメオスタシス』という、システムの『最適値』が予めインプットされていて、それを守るために、サブシステムが連携する機能があるにもかかわらず、同じく、『自律分散処理』で動いていると思われる、『宇宙や自然界』『国際政治、国際経済』『私達の周辺の人間関係』には、これに相当する機能があるように思えないのは、何故だろうかと不思議に思いました。

考えられる一つの理由は、人間は永い進化のプロセスの中で、生命維持のための『最適値』を、試行錯誤の経験則で見出したのに対して、他の『自律分散処理システム』は、『宇宙、自然界』のように、『元々最適値を見出す必要がない』か、『国際政治、国際経済』『私達の周辺の人間関係』のように、歴史が浅く、『最適値が未だ見付かっていない』か、どちらかではないか、と思い当たります。

『宇宙、自然界』が『最適値』を必要としないとは何事だ、下手をすれば人類は滅亡するではないかと、おっしゃられる方がおられると思いますが、それは『人類が望む最適値』のことで、『宇宙、自然界』にとっては、人類の存続する条件が『最適値』である必要はないという意味です。『宇宙、自然界』は現状では、人間に友好的ですが、変化すれば、人類へ牙をむく過酷なものです。噴火、地震、台風、津波など、例に挙げるまでもありません。

『国際政治、国際経済』『私達の周辺の人間関係』では、未だ『最適値』は見付かっていませんが、『条約』『法律』『規則』『道徳』『倫理』などを、総動員して、『仮の最適値』をセットし、システムの『麻痺』『停止』『滅亡』を防ごうとする努力が続けられています。生物進化のプロセスの試行錯誤と同じことが行われているといえるかもしれません。

しかし、合意できる『最適値』が見付かっていない以上、試行錯誤は続き、不幸にしてそのプロセスで『犠牲者』も出続けています。

『ホメオスタシス』を保持するまでに高度に進化した人間というシステムに、『国際政治、国際経済』『周囲の人間関係』は、まだまだ遠く及ばない、未熟なシステムであることがわかります。

人間というシステムを深く研究することが、これらの未熟なシステムを高度化する、唯一の手がかりではないかと、思うようになりました。

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2009年3月28日 (土)

ホメオスタシス(1)

前に、『自律分散処理』についてのブログを書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-5cb4.html

このとき、単純な『自律分散処理』では、システム全体が、変化(サブシステム間の相互作用で起きる)の後に『どのような平衡状態』で落ち着くかは、予め予測できないと書きました。勿論、システムが、許容できる『平衡状態』を見出すことができなければ、システムは『麻痺』または『停止』し、システムとしての機能を失います。

宇宙や自然界、国際政治、国際経済、私達の周囲に存在する人間関係、それにインターネットなどは、原則として『自律分散処理』で動いているのではないかと考えました。そう考えて、関連する『現象』を見てみると、多くのことが梅爺には納得がいくように思えるからです。

『あるべき姿』を、誰も知らないにもかかわらず、サブシステムは自分の思惑だけで行動し、システム全体は、それらの総合作用で、新しい『平衡状態』へ移行していきます。『あるべき姿』を知っている『全知全能の神』のような存在が仮に無いにしても、『自然は変わっていく』『世の中は動いていく』『人間は生きていく』ということを説明するには、根底が『自律分散処理』であると、想定するのが妥当ではないかと考えました。

ただ、人間は『あるべき姿』が存在するという前提で『論理思考』する習性を持っていますので、『あるべき姿』が存在しない状態では、非常に不安を感じます。梅爺も、『あるべき姿』へ向かって、安心して進んでいきたいと願いますが、残念ながら、自分なりの『あるべき姿』を、想定することはできても、それが本当に『あるべき姿』であるかどうかは、『分からない』というのが、現実ではないかと観念しています。

人間の、複雑な『身体のしくみ』や『脳のしくみ』も、基本的には『自律分散処理』で動いている、と思いますが、それだけでは、説明しきれない『ホメオスタシス』という機能を人間は保有しています。

『ホメオスタシス』というのは、体温や血圧などを、常に『一定に保持しようとする機能』のことです。『自律分散処理』だけなら、新しい『平衡状態』が、体温40度であれば、そこで落ち着いてしまいますが、『ホメオシタシス』が働く故に、人間の身体は、体温を『適温』へ向けて、下げようとする努力をします。つまり、人間にはいくつかのシステムが優先すべき『あるべき姿(セット・ポイント)』が、予めセット(インプット)されていて、システムは、常にそれを守ろうとする方向へ機能していることが分かります。

『自律分散処理』が、生命活動の原点ではないかと思いますが、『自律分散処理』だけでは、システムが脆弱になってしまうために、それを補う『ホメオスタシス』機能が、進化の最初の頃から、並行的に加わったのではないかと、梅爺は勝手に想像しますが、専門家でないので間違っているかもしれません。

少なくとも、私達は、生まれながらに遺伝子の中に、必要な『セット・ポイント』保有していることは確かです。気も遠くなるような試行錯誤の進化のプロセスの中で、このような資質を保有するにいたったと考えると、呆然となります。試行錯誤のプロセスで、膨大な数の『失敗者』『敗北者』の絶滅があったお陰で、現在私達は『勝者』として生き残っていることに他ならないからです。

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2009年3月27日 (金)

門前の小僧習わぬ経を読む

江戸いろはカルタの『も』、『門前の小僧習わぬ経を読む』の話です。

寺の和尚さんに弟子入りした小僧が、門前の掃き掃除などをしながら、毎日和尚さんの唱えるお経を聞いているうちに、いつのまにか、お経を口真似で唱えることができるようになるという状況が想像でき、お経の本当のありがたさや意味が分からない小僧が、一丁前に格好だけつけている様子の滑稽さが伝わってきます。

何かを学ぶ時に、理屈抜きに、繰り返しそれを体験し続ければ、やがて、それらしく振舞えるようになりますよ、という教訓にも取れますが、一方、格好だけつけても、その本当の意義を理解していなければ、単なる猿真似ですよ、と諭しているようにも受け取れます。

繰り返し反復するうちに、脳の記憶が確かなものになるということは、誰もが体験していることで、『脳の記憶メカニズム』に『反復』が有意に作用していることが推測できます。人間だけでなく、インコも、毎日同じ言葉を繰り返していると、それらしく喋りだします。梅爺も、思わぬときに、テレビのコマーシャルソングが、口をついて出てきたりして、広告主の策略とおりに『洗脳』されてしまったと苦笑することがあります。『洗脳』の基本テクニックは、繰り返し同じ情報を与え続けることであることが分かります。『洗脳』で経を読んでいるうちは、笑って済ませますが、過激なデモや、テロ行為を誘発する要因にまでなると、とても滑稽ではすまされません。

『聞き流しているだけで、英語が話せるようになる』というCD通販のコマーシャルを見て、梅爺は『嘘だろう』と疑っています。英語の基礎的な素養を身につけている人には、『聞き流し』は確かに有効な手段であることはまちがいがありません。自分の知識を確認し、異なった語彙や文法の応用で、表現力を拡大できるからです。しかし、基礎的な素養無しで、『聞き流し』てみても、『英語が話せるようになる』とは、とても思えません。

何かを身につけるときに、『物まね』は一つの有効な手段ではありますが、それと同時に、やはり『基本をみっちり学ぶ』ことも必要ではないでしょうか。ずぼらな梅爺は、『楽して結果だけ得たい』と思い続けてきましたが、今までの人生で、そういう『うまい例』に遭遇したことは、残念ながらあまりありません。

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2009年3月26日 (木)

心の継承(2)

一人の人間の人生の長さには限界がありますが、その人が残した芸術作品、知識、思想などに、後の人たちが接すると、その人たちの脳の中に、新たな『価値』が蘇り、それを繰り返すことで、『価値』は共有され、時に強化され、継承されていきます。特に、人間が考え出した『抽象概念』を、文字や楽譜や図形といった表現様式で、継承するという方法は、どれだけ、人間の歴史に貢献したか、計り知れません。

人間以外の動物は、遺伝子による資質の継承と、子供が親をまねて行う簡単な学習による継承以外の方法を知りませんが、人間はそれに加えて、自ら考え出した方法で、『思想』『知識』『情感』を共有資産として、時として見ず知らずの他人までが継承できる資質を備えていることになります。

死ねば、肉体は『塵(ちり)に帰す』といわれると、空しく感じますが、自分の生物種としての資質は、遺伝子として子孫へ継承し、考え方や心は、上記の表現様式で、後代へ継承できる可能性も保有しているわけですから、それを『永遠の命』と称するなら、梅爺も『永遠の命』の存在は肯定できます。しかし、『個としての自分』が『塵に帰す』のは、何としても嫌なので、『個としての自分』も、なんとか永遠に存在し続ける方法を得たい、と考えるのは、少し欲張りすぎではないでしょうか。『霊は不滅』などと言い出すと、『霊』は増える一方ですので、そのうち宇宙空間は、『千の風』などという優雅な話ではなくなって、『霊』で押し合いへし合いの状態になってしまうのではないかと心配になります。

キリスト、釈迦、孔子といった人たちの『伝承されている言葉』が、繰り返し後代の人たちに、感銘を与え続けてきたのは、後代の人たちの脳の中に、意味のある『抽象概念』を喚起する力を持っているからです。

『抽象概念』を想起できる能力や、推論能力の代償として、人間は『生きることの苦悩』も宿命として負わされていることになりますので、この『苦悩』を緩和してくれる『言葉』には、何でも飛びつきたくなります。『祈る』という行為も、この目的のために大きな効果をもたらします。

キリストの偉大さは、彼が残した『言葉(教え)』の中にあるのであって、キリストが『神の子』であるか『人間の予言者』であるかどうかなどということは、本質的な問題ではないように、梅爺は感じます。『神の子』でないとすると、彼の『言葉(教え)』が全て、価値の無いものになってしまうというような論理は、なかなか梅爺には理解できません。

優れた『宗教的思想』、『哲学的思想』、『芸術』は、それを残した人の『言葉』や『作品』を介して、後世の人たちの脳に、『その人なりの新しい抽象的な価値』を喚起します。その繰り返しで、『価値』は継承されていくものと、梅爺は単純に考えています。

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2009年3月25日 (水)

心の継承(1)

世の中に存在する『実態あるもの』は、煎じ詰めれば、全て、ビッグ・バン以降に、宇宙に出現した『元素』でできている、ということを現代人は知っています。この視点で観ると、人間も、その『実態あるもの』の一種に過ぎないということになるのですが、そうとだけいわれてしまうと、自分の尊厳が否定されたように感じて、『人間はそれだけではない』と逆らいたくなります。いわんや、科学知識を持たなかった時代の人たちは、『人間だけは別物』、『神に似せて創られたもの』などと考えようとしたのは当然のことと思えます。

何故『人間だけは別物』と考えるかという理由は、『精神』『心』『情』といった、『実態があるもの』とはいえない『抽象概念』を、脳が創りだし、その『抽象概念』が、人間の『生きる意義』と大きく関わっているからではないでしょうか。この『抽象概念』は、個人にとっても重要であると同時に、人間が作り出す社会の中でも、重要な要素であることを、私達は経験則で知っています。『思いやりのある社会』が、世の中を円滑にするということは分かっていますが、『思いやり』は『抽象概念』で、元素記号では表現できません。

『精神』『心』『情』を産みだす母体は、人間の脳であり、その脳は『実態があるもの』であるという関係を、理解する必要があるように梅爺は感じています。しかし残念ながら、『実態である脳』から『抽象概念』がどのように生み出されるのか、そのための脳の各部の連携はどうなっているのか、何故それが生きるために必要なのか、の詳細は、最先端の現代科学でも解明できていません。『実態あるもの』としての脳の構成要素は、すべて元素記号で表現でき、その動作は『化学反応、物理反応』であることだけが判明しています。

このことは、『精神』『心』『情』の『価値』を否定するものではありません。しかし、それを産みだす母体としての脳が機能停止(死)した時に、その人の『精神』『心』『情』も同時に、存在しなくなるであろうということは、因果関係を肯定する限り、認めざるをえないと、梅爺は考えています。

故人が残したもの(例えば作家が残した文章など)や、故人の面影(写真など)に接すれば、接した人の脳は、『精神』『心』『情』で、故人と『心が通じ合っていると感ずる』ことができ、これは人間の最も素晴らしい資質であると梅爺は思います。従って、間接的に、人間社会では『精神』『心』『情』は、共有したり、継承したりできますが、『その人自身の、精神、心、情』は、死と共に消滅すると考えるのが妥当ではないでしょうか。『身体』と『霊』とは別の存在で、死後も『霊』だけは、永遠に存続する、という考え方は、そうであって欲しいという願望の産物であって、『事実』ではないように感じています。

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2009年3月24日 (火)

やさしい、むずかしい

青梅に客人をお迎えする時には、吉野梅郷(よしのばいごう)にある、『吉川英治記念館』へお連れすることにしています。吉川英治は、日本の大衆文学史上、燦然(さんぜん)と輝く、誰もがその名を知る大巨人です。吉川英治一家は、暗雲がたちこめていた戦時下の昭和19年に、赤坂の邸宅から、この青梅吉野梅郷の地に疎開され、昭和28年にこの地を去るまで、約9年間、『新書太閤記』『高山右近』『新・平家物語』などを、ここで執筆されました。この吉野梅郷の邸宅と、その敷地内に新設された『吉川英治記念館』は、遠くから毎日観光バスが押しかけるような、青梅市の観光名所の一つになっています。今回、Kご夫妻に青梅を体験いただく折にも、ご所望もあって、この記念館を一緒に訪れました。

疎開先とは言え、この吉川邸は、蔵や専用書斎、それに広大な日本庭園を併せ持つもので、現在の日本でも、かなりのお金持ちといえども所有することが難しいような大豪邸です。文壇で大成功を収めていた吉川氏の、蓄財の程がうかがえます。大人向け、子供向けを問わず、作品を発表すれば、必ずベストセラーになるという、吉川氏の『頭の中』は、一体どうなっていたのかと、畏れ入りますが、梅爺のような凡人には、窺い知るよしもありません。

吉川氏の座右銘は、『大衆即大知識』『吾以外皆我師(われいがいみなわがし)』がよく知られています。学歴もなく、色々な職業体験を経て、苦学で文壇にデビューし、大成功を収めた吉川氏らしく、周囲の誰にも暖かい視線を生涯持ち続けたことがよく分かり、頭が下がります。

記念館の売店には、これらの直筆色紙のレプリカも売られているのですが、梅爺が、それらのレプリカ色紙の中で、一番気に入ったのは、平仮名だけで『やさしい、むずかしい』と書かれている色紙です。色紙には、この文字のほかに、湯飲み茶碗が一個描かれているだけです。

『一見易しくみえることは、実は難しいことです(難しいことを、さりげなくこなすのは、すばらしいことだ)』という意味にも、『人が心から優しく振舞うことは、難しいことです』という意味にもとれますが、平仮名なので、吉川氏の真意は、推し量るしかりません。いずれにしても、人生の深遠なガイドであるように感じます。梅爺のこれまでの人生を振り返っても、『やさしい、むずかしい』を会得(えとく)できているとは、とても言えません。

才気あふれる文豪が、全てをそぎ落として、深遠な内容を『やさしい、むずかしい』と、ありふれた日本語で表現していること自体が、『やさしい、むずかしい』のお手本のような気もします。

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2009年3月23日 (月)

青梅散策

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(青梅『梅の公園』の梅)

梅爺が青梅に住んでいると言うと、青梅をご存じない方の中には、『辺境の地』を想像される方もおられて、『大変ですね』と同情されることさえあります。たしかに、青梅を紹介するテレビ番組などでは、都心から離れた『田舎の風景』を殊更強調しますので、無理からぬところもありますが、実は、自然に恵まれた生活には快適な郊外都市なのです。

梅爺が仕事の現役時代は、青梅から都心まで通勤していましたので、これは大変でしたが、引退後の今は、ほとんどが青梅中心の生活ですので、快適に過ごしています。意外に知られていませんが、団塊の世代のリタイヤ組みへのアンケートで、老後に住みたい場所として青梅は上位にランクされています。日常は自然に親しみ、必要な時だけ都心へ出るという便利さがうけているのでしょう。

梅爺が住むところは、青梅と言っても羽村市に近い平坦地域で、スーパーマーケット、ホームセンター、大型電器量販店、各種ファスト・フードやファミリー・レストランが近所に沢山あり、いずれもアメリカのような広大な駐車場を完備しています。その上、少し足を延ばせば、ハイキングや、多摩秩父国立公園の景観を満喫できるわけですから、老後の生活地としての人気が高いのはうなずけます。強いて難点を挙げれば、冬は都心より数度温度が低いことと、スギ花粉の飛散量が多いということでしょうか。

梅爺の合唱仲間のKさんも、青梅に偏見をもっておられる一人でしたので、3月17日に、ご夫妻を青梅にお招きし、梅の名所の『梅の公園』、『釜飯の名店なかい』『地酒澤の井の工場』『吉川英治記念館』などを案内しました。

後刻、『想像以上の田舎で、想像以上の都会でした』という感想が、メールで送られてきました。これは、青梅をピッタリ表現しています。

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2009年3月22日 (日)

テンプラー騎士団の謎(6)

『The Templar Legacy』という小説では、十字軍に加わった『テンプラー騎士団』が、エルサレムで、イエス(キリスト)の骨を収めた石の骨箱(オシュアリー)と、イエスの一番弟子であったペテロが、イエスとの関係を回顧している『ペテロによる福音書』を発見したという設定になっています。『ペテロによる福音書』の中で、ペテロは、『イエスの処刑後、絶望して漁師に戻ったが、心の中に残るイエスの言動を思い返してみればみるほど、イエスの教えが、自分の心に平安を与えてくれることに気付き、再び教えの布教に立ち上がった』と語っている設定になっています。つまり、キリストの復活は、肉体的なものではなく、残された人々の心の中に蘇るという精神的なものであったという設定です。もし、本当ならキリスト教を信じない一般の現代人でも得心の行く話ですが、現実には、『ペテロによる福音書』を当時エルサレムで『発見する』という可能性は、かなり低いと梅爺は感じます。しかし、これは小説の設定ですから、とやかくいう話ではありません。

『キリストの骨』にいたっては、発見はもっと可能性が低いと、梅爺は以前は考えていましたが、『キリスト一家の墓』というノン・フクションを読んで、これは、必ずしもそうとはいえないと思うようになりました。

『キリスト一家の墓』については、前にブログで紹介しました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-e582.html

『テンプラー騎士団』のこの二つの発見は、キリスト教の教義の根本を覆すことになりかねませんので、バチカンを動転させ、これらの『証拠』を騎士団が封印することを条件に、対価の金銭を払い、税の優遇などの特権も与え、それを契機に『テンプラー騎士団』は急速に大きな集団になったいう話の設定です。これも、少々無理のある話のように感じますが、これまた小説ですから、とやかくは言えません。

14世紀の始めに、フランス王フィリップ4世は、法王クレメンス5世と結託して、『テンプラー騎士団』を突然『異端』とし、騎士団幹部を捕らえて、火あぶりの刑で処刑してしまいます。これは、歴史上の『事実』です。『13日の金曜日』は縁起が悪いという話は、この事件に関連しています。

身の危険を察した『テンプラー騎士団』は、莫大な財宝と、『キリストの骨』『ペテロによる福音書』を、ピレネー地方に隠し、その隠し場所を、この小説の主人公達が、『テンプラー騎士団』にまつわり残されていた手がかりや、複雑怪奇な謎を解明することに、ついに成功して『発見する』、という筋書きになっています。

現代に密かに継承されている『テンプラー騎士団』の最高責任者として、野心で失脚した前任者に代わり就任した新『マスター』は、この発見を公表した時の、現代社会へ与える影響の甚大さを配慮し、財宝はこっそり難民救済に当て、『骨と福音書』は再び『封印する』ことを決断して、話はメデタシ、メデタシで終わります。無難な『落としどころ』で、作者の『大人の配慮』ということでしょう。

『ダ・ヴィンチコード』が出版された時には、内容が『神への冒涜』であるとして、一部欧米のカトリック信者による不買運動にまでに発展し、映画もボイコットされる事態がありましたが、この小説では、そのような話は聞いていません。小説といえども、勿論ある種の限度を必要としますが、小説の内容を『事実』のように騒ぎ立てるのも、大人気ない話のように思います。

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2009年3月21日 (土)

テンプラー騎士団の謎(5)

後に『キリスト』という呼称で呼ばれるようになった『イエス』という人物は、歴史学者、考古学者、宗教学者泣かせの存在といえます。2000年前の話ですから、既に『文字文化』が発達していた時代であり、当時『著名な人物』であれば、福音書以外の何らかの歴史的な文献に『イエス』に関する著述があるのではないかと、誰もが思いますが、同時代のユダヤ、ギリシャ、ローマ帝国(当時のユダヤを支配していた)のいずれの文献の中では一切見付かっていません。

『イエス』を知る手がかりは、『新約聖書の福音書』と、新約聖書に採用されなかった『異端の福音書』の中にしかありません。このことから、『イエスは存在しなかった』と疑う人もいますが、梅爺は、『イエス』の死後、『イエスの教え』を継いだ多くの宗派が出現し、広まっていることから、『当時の人たちの精神生活に大きな影響を与えた人物』は、確かに存在したと推定しています。誰かが意図的に作り出した想像上の人物では、このような現象は起こるとは、考え難いからです。

『神との関係において、人はどのように生きるべきか』を説いた優れた人物が存在し、その『教え』の内容は深遠であり、梅爺も感動しますが、この人物にかかわる『できごと』を記述した福音書の部分には、後世の人の『作為』が加えられていると想像しています。

親鸞と行動を共にした弟子の僧が、師である親鸞の『言葉』を書き残した『歎異抄』のような文献が、『イエス』に関しても存在すれば、助かるのですが、弟子達の中に、そのような『書記役』になれる資質をもった人物がいなかったことは残念なことです。新約聖書の福音書は、少なくとも『イエス』の死後、40年以上後に編纂されたものですので、いずれも『伝承』をベースに書かれたものと推定できます。このような場合は、後代の『願望』による『美化』が混入しがちです。

『イエス』が、ローマ帝国への『反逆者』として、ローマの法律では重い刑にあたる『十字架による処刑』を受けたことは、『事実』であろうと思いますが、『処刑の光景』や『その後の復活の様子』を記述した福音書の内容には、多分に『美化』『創造』が反映しているのではないかと、梅爺は考えています。現代人の理性で考えれば、関連する『できごと』は、旧約聖書のメサイヤに関する予言が『実現した』とするストーリィが後に『創られた』のではないかと考えたくなります。王などが『死後3日目に蘇る』という伝承は、エジプトの時代からてあった話で、特に珍しい話ではありませんので、『イエス』が歴史上初めてではありません。

『イエス』が十字架の上で、『最後に発した言葉』なども、処刑の光景を想像してみれば、本当に正しく『聞き取れた人、記録した人』がいたのだろうかと、疑われますので、『創作による伝承』ではないかと思います。

これらの『教え』と『できごと』の関連については、前にブログに書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post_6a0a.html

『The Templar Legacy』という小説では、『復活は無かった』という筋書きになっていますが、作者は、これを立証するために、『キリストの骨』と『ペテロによる福音書』という、架空のものを創作設定しています。一見突飛な発想ですが、それを突飛と感じさせない、話の展開が秀逸です。

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2009年3月20日 (金)

テンプラー騎士団の謎(4)

新約聖書の4大福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)の、キリストの『生誕』『復活』に関する表現に、『微妙な違い』があります。歴史的には、4世紀に新約聖書が編纂された時代には、これ以外の福音書もいくつか存在していたことが、現在では分かっていて、1945年にエジプトのナグ・ハマディで見付かったコプト語で書かれた『トマスによる福音書(キリストの言語録)』などが有名です。これらは、ローマンカトリックが、『異端』として、すべて焼却廃棄するよう命令したことに、当時の信者が密かに逆らって、壷の中などに隠して後世に伝えようとしたものであろうと考えられています。現在でも、エジプトの砂漠の中に、コプト派の修道院が存在しています。つまり、4世紀ごろには、新約聖書以外の『教え』を守るキリスト教の宗派が各地に存在していて、現在のギリシャ正教、ロシア正教、プロテスタント各派とローマン・カトリックとの『教義の解釈の違い』以上に、大きな違いがあったと想像できます。

『トマスによる福音書』は、むしろ『キリストの言語録』ともいえるもので、仏教の高僧の説話同様に、『人間の精神世界のありかた』が述べられていますので、平易に読んで理解できる内容ではありません。しかし、キリストは、神そのもではなく『神の啓示を受けた人間の預言者で、神の言葉を伝えた』という立場であることから、後にローマン・カトリックから異端とされた『グノーシス派』の教典であったと考えられています。

話が少しわき道に逸れてしまいましたが、『The Templar Legacy』という小説で、問題としているのは、4大福音書の、キリストの『復活』に関する表現の違いです。

紀元70年ごろの福音書で、最も古いキリスト教の教えと考えられているマルコ伝では、重大であるはずの『復活』の記述は何故か極めて短いものになっています。原典には記述が無かったものが、後で加えられたとも受け取れます。処刑の翌日、墓を訪れた女達の前に、白い衣を着た青年が現れ、『主は蘇った』と告げて、女たちをただ動転させたと書かれています。警備のローマ兵がいたというような記述はありません。

マタイ伝は、マルコ伝の10年後で、エルサレムがローマ軍に破壊された後に書かれたものと考えられていますが、『復活』を告げたのは一人の天使(エンジェル)であったと表現が変わっていて、警備のローマ兵は、天使の放つ光に打ちのめされたことになっています。女たちの恐れは喜びに変わり、直ぐに他の弟子達にこのことを伝えたと書かれています。

ルカ伝は、紀元90年ごろの著作で、キリスト教とユダヤ教の違いが明確になってきた時代と考えられています。ここでは、女達は墓が空であることに気付き、弟子達に伝え、ペテロが墓を訪れると、遺体を包んでいた布が、打ち捨ててあったたとあります。この後、弟子達は復活したキリストに出会い、キリストは、その後『昇天』したとも書かれています。『昇天』はルカ伝だけに記述されています。

最後のヨハネ伝は紀元100年ごろの著作と考えられていますが、全体の内容は、他の福音書とかなり異なったきキリスト像になっているところが特徴です。ヨハネ伝の書き出しの部分『太初(はじめ)に言葉あり、言葉は神と階(とも)にあり』については、前にブログに書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_8650.html

ヨハネ伝では、生誕地は、ベツレヘムではなくナザレになっていたり、布教期間は、他の福音書の3年とは異なり、1年と書かれています。『復活』に関しては、マグダラのマリヤだけが墓を訪れ、空であることに気付きます。マグダラのマリヤは、『遺体が盗まれた』と思い、弟子達に告げ、弟子達が訪れた時に、『2人の天使』が現れ、それがキリストに『変身』したとあります。

私達は、これらを『総合して』、キリストの『復活』の場面を想像してきましたが、もし、この4っの資料が、現在の裁判所へ『証拠』として提出されたとすれば、裁判長は、『何が事実かは、特定できない』という判断を下すのではないでしょうか。

この小説では、『復活』は創作された『できごと』ではないかと、迫っていきます。

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2009年3月19日 (木)

テンプラー騎士団の謎(3)

この小説では、アメリカ政府の秘密工作組織の長である女性(カトリック信者)とその昔の部下(工作員)で、キリスト教の歴史には造詣が深いものの、特別の信仰をもたず、今はデンマークで古本屋を営む男性が主役で、2人は『テンプラー騎士団』に絡む謎の事件に巻き込まれていきます。『テンプラー騎士団』の末裔が、今でもフランスのピレネーにある修道院でこっそり活動を継続しており(これはフィクション)、その野心的な代表者が、14世紀初頭に、当時の『テンプラー騎士団』によって秘匿され、行方が分からなくなっている財宝や、『キリストに関する新事実を証明する物体(Great Deviceと呼ばれる)』を入手しようと暗躍する筋立てになっています。このほかに、デンマーク在住のユダヤ人の大富豪(ユダヤ教徒)や、中東出身でヨーロッパで活躍する謎の若い女性(イスラム教徒で、これまた大富豪)が登場し、それぞれの宗教的な立場の違いが、読者に鮮明に伝わるような、うまい『しかけ』が施されています。作者の歴史や宗教に関する豊富な知識と、ストーリー・テラー(話し手)としての才能は、並々ならぬものと感じました。

余談になりますが、この作家(Steve Berry)の小説は面白いことが分かりましたので、梅爺は早速『The Third Secret(第3の謎)』『The Romanov Prophecy(ロマノフ家の予言)』という別の作品(いずれも英語版ペーパーバック)を購入し、書棚に積んであります。野次馬根性丸出しです。

『The Templar Legacy』で、取り上げられている『キリストに関する新事実』は、十字架の死の後の『復活』です。

現在のキリスト教にとっては、『復活』こそが、キリストが神の子であることの証拠とされ、教義上のもっとも重要なことと、されていますが、新約聖書のマタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝で、微妙にその記述内容が異なっていることが、宗教学者間の論争のタネになっていることも事実です。『復活』だけでなく『生誕』にまつわる記述も、4つの福音書の内容は、微妙に異なっています。

従って、疑い深い人の中には、『キリストという人物は存在しなかった』『十字架の死もなかった』とまで言う人がいますが、それは極端にしても、福音書間の記述の違いの中に、何かの事実が隠されているのではないかと、野次馬根性の強い梅爺も考えてしまいます。

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2009年3月18日 (水)

テンプラー騎士団の謎(2)

『テンプラー騎士団』が、短期間に勢力を拡大した背景には、何らかの財力の裏づけがあったと想像するのが妥当です。日本が、現在世界の『大国』の一員でいられるのは、立派な政治指導者や、立派な政党のおかげではなく、強力な『経済活動』を保持できる資質を備えた国家であるからですが、『テンプラー騎士団』も同じことです。政治指導者や官僚が、国家の緊急時に適切な『舵取り』をしたり、平常時に、将来の国家基盤強化の布石を打ったりすることは勿論重要ですが、『経済活動』の具体的な実行部隊は、政治指導者や官僚ではありません。そのように言われることは、政治指導者や官僚には心外なことかもしれませんが、世の中は、通常『経済』が先行し、『政治』がそれを後追いするという構図が、実体のように梅爺は感じています。経済音痴の梅爺の誤解かもしれません。

『テンプラー騎士団』は、その名前から、神に仕える清廉な集団のように想像できますが、実態は、それに加えて、『類稀なる財務運用能力』を保有していたことを、多くの歴史学者が指摘しています。11世紀から13世紀にかけて、ヨーロッパで最大の『金融機関』であったという表現もされます。経済的に見れば、『羊の皮を被った狼』のような存在であったのでしょう。仲間内に、『金融運用術』に長けた人物がいたにちがいありません。

その財力の大元は、何であったかについて、多くの憶測が飛び交います。

『第一回十字軍でエルサレムを占領した時に、神殿跡から多大な財宝を発見し取得した』『ヨーロッパからエルサレムへの巡礼者を保護すると称して、王侯貴族から多額の寄進を受け取った』『エルサレムで、ローマン・カトリックにとって極めて都合が悪い、キリストに関するある事実を入手し、バチカンをゆすった』などが、代表的な憶測です。

『神殿址(あと)の財宝説』は、それ以前にエルサレムを攻略していたイスラム教徒が見つけることができなかったものを見つけたと考えるのは無理があるように思いますし、そうであっても、十字軍に参加したほかの人達に知られずに、こっそり取得したということは考え難いように梅爺は思います。『キリストに関する新事実説』も、無いとは言い切れませんが、少々こじつけの感があるように思います。ただし、ある時期、バチカンが『テンプラー騎士団』に、税免除など、特別の『優遇策』を認めていたことは事実です。

しかし、大元の財源は何であれ、13世紀末には『テンプラー騎士団』が、多大な財源を保有していたことは事実で、ローマンカトリックとフランス王フィリップ4世から、『異端』と糾弾されることを察知して、事前に『財源をどこかに隠した』という説には真実味があります。

この小説では、『キリストに関する新事実説』と、『異端として糾弾される前に財源をどこかに隠した説』の両方を、採用しています。

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2009年3月17日 (火)

テンプラー騎士団の謎(1)

梅爺は、歴史を題材にしたミステリィ小説が大好きです。小説は、所詮『作り事』なので、歴史に興味があるなら、小説ではなく、歴史そのものの本を読んで、勉強すればよいではないかと、言われることもありますが、面白くない本を読み続けることを、直ぐに苦痛と感ずる梅爺にとっては、『面白さ』というオブラートに包んで、歴史の事象や人物に対する『ある種の見方』を、情報として提供してもらえるミステリィ小説は、そう簡単には、手放せません。

『真実は何か』ということも、勿論興味の対象ですが、それよりも、『どういう見方ができるか』ということの方に興味が惹かれます。塩野七生の大著『ローマ人の物語』や、司馬遼太郎の数々の歴史小説は、歴史の『真実』を著(あらわ)したものではなく、あくまでも著者の『歴史観』『人物観』が表現されている故に『面白い』ということになります。梅爺は、著者の『豊かな洞察能力』を楽しむのであって、塩野氏の描く『シーザー像』、司馬氏が描く『坂本竜馬像』が、実体とは異なっているかどうかは、あまり気になりません。

前に、アメリカのSteve Berryという作家のミステリィ小説『The Alexandria Link』についてブログに書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-f394.html

この小説は、エジプトプトレマイオス朝のファラオによって紀元前に建設され、数奇な歴史を辿って、4世紀頃に消滅したと伝えられているアレキサンドリアの『大図書館』と、そこの蔵書であったとされるヘブライ語の旧約聖書原典をラテン語へ翻訳した時の経緯、などを題材にしたものでした。

梅爺が、本屋の書棚を見て、読みたいと思った本は、同じ著者の『The Templar Legacy(テンプラー騎士団の遺産)』でしたが、隣にあった『The Alexandria Link』もつい衝動買いしてしまいました。『The Alexandria Link』を先に読んだのは、『美味しそうなものは、後で食べる』という心理が働いたに過ぎません。先に読んだ『The Alexandria Link』は、期待以上の面白さでしたので、ワクワクしながら本命の『The Templar Legacy』を読みました。

『テンプラー騎士団』の正式名称は、『The Poor Fellow-Soldiers of Christ and The Temple of Solomon(キリストとソロモン神殿の貧しき戦友たち)』です。11世紀に、第一回十字軍に加わったフランス中心の騎士団の9名が、占領に成功したエルサレムのユダヤ教神殿跡(1世紀後半にローマ帝国によって破壊された)に、キリスト教徒の聖地巡礼者を保護するという名目で、集団本部を設立しました。騎士であり、修道士であるという2面性を帯びた集団です。たった9名で、ヨーロッパからエルサレムまでの治安が悪い、長い道のりの全ての巡礼者を保護できるはずもありませんし、ユダヤの伝説的な神殿の名前『ソロモン神殿』を、何故キリスト教の修道士の団体の名前に採用したのかということも、不可解です。『テンプラー騎士団』はミステリィ小説の題材としては、うってつけです。ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチコード』にも『テンプラー騎士団』は登場します。

たった9名で始めた団体が、何故13世紀には、ヨーロッパの王侯やバチカンが脅威を感ずるほどの大勢力になれたのか、豊かな財務基盤をどのように構築したのか、など梅爺の興味は尽きません。

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2009年3月16日 (月)

ネアンデルタール人ふたたび(2)

『ネアンデルタール人』の『遺伝子構造復元プロジェクト』が進行する中で、現生人類と同じ、『言語を操る能力にかかわる遺伝子』が見付かったことが、大きな議論を呼ぶことになりました。従来、考古学者は、『言語を操る能力』は、現生人類だけが保有する、優れた資質であると予想していましたので、発見された『事実』に戸惑うことになりました。

論理的には、以下の3つの可能性が考えられます。

(A)『交配』で、『ネアンデルタール人』がこの資質を現生人類から獲得した
(B)『交配』で、現生人類がこの資質を『ネアンデルタール人』から獲得した
(C)両者とも、互いに接触する以前からこの資質を保有していた 

現生人類と『ネアンデルタール人』の接触は、ヨーロッパ地方に限定され、接触せずに進化を続けた現生人類もいたとすれば、(B)は除外されます。現在全ての現生人類は『言語を操る能力』を保有しているからです。また、現生人類と遭遇する前から『ネアンデルタール人』はヨーロッパに存在して居た訳ですから(A)も除外されます。したがって、(C)しか残りません。

つまり、現生人類と『ネアンデルタール人』の共通祖先である『ある人類種』から、この資質は受け継がれているという推測になります。これは、更に遠い昔のことに遡りますので、現生人類だけが、『言語を操る能力』を保有していたという予測が覆ることになります。むしろ、『言語を操る能力』をもった『人類種』は他にもいたと考える方が自然です。

『言語を操る能力』のほかに、現生人類のヨーロッパ人に見受けられる『金髪、赤毛』と同じ遺伝子も『ネアンデルタール人』の遺伝子の中に見付かっています。このことは、現生人類と『ネアンデルタール人』の間に『交配』があり、『ネアンデルタール人』の資質は、現生人類のヨーロッパ人に同化して引き継がれていると考えるのが妥当のように思います。確かに、『ネアンデルタール人』は種としては『絶滅』したのでしょうが、資質は現生人類に引き継がれているという見方は、今までになかった新しい『仮説』です。このことは『絶滅』というより、『同化による消滅』という表現が正しいかもしれません。

たった、数ヶ月前に、梅爺は『エデンを離れて』というブログで、『交配はなかったらしい』と書いておきながら、今度は『交配はあったらしい』と主張を変える羽目になりました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-b880.html

科学の進歩のめまぐるしい速さによるものですが、『ネアンデルタール人』の遺伝子構造の全てが近い将来解明されたら、また違った意見になるのかもしれません。なんともせわしい世の中に生まれてきてしまったものだと、梅爺は驚いたり、嬉しくなったりしています。

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2009年3月15日 (日)

ネアンデルタール人ふたたび(1)

以前、マイケル・クライトンの小説『Next』を読んだ時に、『ネアンデルタール人』について書きました。考古学の資料(人骨)から、現生人類がヨーロッパに住み着く以前に存在していた、『人類種』であることは分かっていますが、3万年くらい前に、『絶滅』した、と考えられています。何故『絶滅』したのかについては、多くの『仮説』がありますが、真相は分かっていません。

500万年から700万年前に、チンパンジーの祖先と決別して、『人類種』が誕生したと、生物進化論は推測しています。その後、幾多の『人類種』は、地球上に現れ、現生人類(ホモ・サピエンス)以外は、全て『絶滅』していますので、『絶滅』事態は、『珍しいこと』ではありません。現生人類も、『絶滅』しない保証は何もありません。

しかし、現生人類と『共存』期間があったにもかかわらず『ネアンデルタール人』が『絶滅』したという事実は、私達の興味をかきたてます。少なくとも、両者の間に『何らかの関係』があったであろうと推測できるからです。

多くの考古学者は、『ネアンデルタール人』は現生人類より『劣っていた(進化のレベルで現生人類が勝っていた)』と推測し、それが定説のようになっていました。現生人類は生き延び、『ネアンデルタール人』は『絶滅』したという事実から考えると、もっともな話に聞こえます。

しかし、『ネアンデルタール人』の『遺伝子構造(DNA)』を解明するという、科学プロジェクトが米国で進められていて、遺伝子に関する新しい発見が報告されるに及んで、『ネアンデルタール人』が、現生人類より『劣っていた』とは、簡単にいえない状況になりつつあることを、NHKハイビジョンの科学ドキュメンタリー番組を観て、知りました。

従来は、現生人類と『ネアンデルタール人』は、それぞれ、進化のプロセスを独立に歩み、人種間の『交配(混血)』は、『ほとんど無かった』と考えられてきました。梅爺が、『エデンを逃れて』というブログを前に書いたときも、人類史の本を読んで、そのように書きました。

しかし、歴史を振り返ってみれば、『交配可能』な人類同士が『接触』して、『交配』が起きなかった、と考えるほうが不自然です。現生人類と『ネアンデルタール』は『交配』可能なほど、生物種として近い関係にあったならば、という前提です。私達日本人のDNAには、『縄文人』『弥生人』『アイヌ人』のDNAが、確実に受け継がれていますし、歴史の浅いアメリカでさえ、『先住アメリカ人(インデアン)』のDNAが、確実に国民全体にある比率で浸透をし始めていることが分かっています。これらは全て現生人類に属する訳ですから、当然の話です。

『ネアンデルタール人』の『遺伝子構造再現プロジェクト』が、今までに明らかにした内容からは、『交配があった』と考える方が妥当であるように見えます。梅爺の勝手な想像でも、それが正しいように感じます。

それでは、『ネアンデルタール人』の『絶滅』は、どう考えたら良いのでしょうか。

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2009年3月14日 (土)

貧乏暇なし

江戸いろはカルタの『ひ』、『貧乏暇なし』の話です。

この世は、大変不公平にできていると、多くの人が嘆きます。確かに、『生まれつきの才能』『生まれつきの容貌』『生まれつきの体質』それに『生まれた時代』など、自分では如何(いかん)ともしがたい要素で、人生が規制されることを考えると、『永い目で見れば、人生はプラスとマイナスが相半(あいなか)ばしている』などと、偉そうなことは、迂闊には言えません。

しかし、このような不公平な世の中で、生きている限り、現在の『時間』だけは、誰にも公平に与えられている『資源』であるという主張には、文句のつけようがありません。『資源』として『時間』は誰にも、公平に与えられますが、その『時間の使い方』には、不公平な要素で差異が生じ、『時間の使い方』がもたらす『結果』にいたっては、更に大きな差が生ずることを、私達は、経験で知っています。

江戸の庶民が、『暇(ひま)』と言っているのは、『自分ために有為に過ごせる気ままな時間』のことではないでしょうか。それでは、『暇』と感じない『時間』とは何かと言えば、『生計を得るために働く時間』や、『自分の意志ではない誰かの命令に従っている時間』ということになります。

人間は、不思議なことに我儘(わがまま)にできていて、多忙に働いている時には『暇』を希求しますが、梅爺のように、現役を退いて『毎日が日曜日』の生活になると、『暇』をもてあまし、忙しく働いていた日々を懐かしく思ったりすることになり兼ねません。従って、『暇』を『有為な時間』にするか『無為な時間』にするかは、大変大きな違いであることに気付きます。『無為な時間』の連続は、人間を不安にさせ、不幸な気持ちにするばかりか、老人にとっては『呆け』を誘発する危険な要素になりかねません。

江戸の庶民が、『貧乏暇なし』といっているのは、嘆いているようにも見えますが、反面、『充実した時間が過ごせる自分は幸せ』と言っているようにも見えます。

『生き甲斐』というのは、『自分は有為に時間を過ごしている』と実感できることで、『無為な時間』を『暇』と勘違いしている人は、『不幸』であるばかりでなく、折角公平に与えられている『時間』を浪費していると言われても、仕方がないように思います。

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2009年3月13日 (金)

ヴィスコンティの映画『揺れる大地』(3)

『教養人』とは、どんな人のことでしょうか。万巻の書物を読み漁り、古今東西の知識を持ち合わせている人でしょうか。複数の言葉を流暢に話せる人でしょうか。芸術を愛でる能力を有する人でしょうか。ワインの銘柄にこだわり、美食をこよなく愛する人でしょうか。どんなときでも柔和で自制心を失わない人でしょうか。梅爺には、どれもピッタリきません。トマス・ハリスの小説に登場する獰猛な極悪人ハンニバル・レクターは、『教養人』ということになっていますので、『教養人』は『善人』とも限りません。

そもそも『教養』とは何かも梅爺には判然としません。『常日頃こころがけて、沢山の知識を収集して身につけておき、何かの折にその知識を参照して、知識を自分が納得できる智恵に変え、対応できる能力』と定義してみましたが、あまり自信はありません。

梅爺は、自分で意識して『教養人』になろうと努力したことはありませんが、色々なことに興味を抱き、それについて知ろうとは努力してきました。表面的で、ありきたりな因果関係の説明には、あまり納得せず、『もっと奥に真因があるにちがいない』と疑う厄介な性格の持ち主であることにも、気付いています。少しカッコよく言えば、『ものごとの本質』を探ろうとする性格が強く、このことは、会社の経営などには効果的である場合もありましたが、時々強引な『仮説』を提示して、周囲の顰蹙もかってきました。『梅爺閑話』をお読みになれば、この性格がいかんなく発揮されていることにお気づきでしょう。梅爺は、自分が『教養人』かどうかは、分かりませんが、少なくとも、先祖から受け継いだ上記の性格が関与していることは確かです。

少なくとも『教養』は、他人とは関係の無い自分だけの問題ですので、『教養』の多寡で人間の価値をおしはかるのは、無意味なことのような気がします。あえて言えば『教養』は『自己満足』の世界に属します。したがって他人を誹謗する時の手段としては適切ではありません。福沢諭吉の『教養が無いことは恥ずかしいことです』と主張には異論がありませんが、客観的に教養がある人も、自分の教養の相対的なレベルには満足していないわけですから、その人なりに『恥ずかしい』と思っているはずです。つまり、『自分は教養が有ると主張する人は教養に欠け、自分は無教養ですと主張する人は教養がある』という、パラドックスのような話になります。

梅爺は、他人から『あなたは教養人ですね』と言われても、特段嬉しくはありませんが、『あなたは、かなり偏ったことに好奇心が強い人ですね』と言われれば、『そのとおりです。しかしこの性格はDNAで決まってしまっているので、死ぬまで変えられないのです』と答えるにちがいありません。

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2009年3月12日 (木)

ヴィスコンティの映画『揺れる大地』(2)

この映画に登場するシチリアの貧しい漁村の人たちは、私達の標準で見れば皆『教養』からは縁遠い人たちです。しかし、それを私達は蔑(さげす)むことはできません。彼らは、『教養』に接する機会に恵まれず、日々の糧(かて)を得ることで精一杯で、『教養』どころではなかったにちがいありません。彼らには、代々受け継がれた『生活の智恵』や、彼らの属する社会の風習や価値観があり、これらが、現代の私達の『教養』に劣るものともいえません。

ヴィスコンティのような『教養人』が、人間の深遠なテーマを描くために、『教養』から縁遠い人たちの生活を取り上げるのは、何故だろうかと考えました。日本の『教養人』である山田洋次監督も、『男はつらいよ』で、『フーテンの寅さん』を主人公に配置しています。『男はつらいよ』のような低俗な娯楽映画には興味がない、とおっしゃる方もおられますが、梅爺は大ファンです。

人の心の優しさ、哀しさを、むしろ際立った形で表現することを目指して、山田監督は『無教養なフーテンの寅さん』を起用しているにちがいありません。ヴィスコンティ監督も同じ考えではなかったかと感じました。『教養』の無い人の言動は、確かに粗野で、周囲への配慮を欠いていることが多いのですが、それだけに反って、直接的に人間の感情や価値観が表に現れます。人間の本質を端的に描こうとすると、気取ったヴェールをまとった言動より、このような方法の方が効果的であるからにちがいありません。『教養人を自認するあなたの中にも、同じような人間が潜んでいませんか』というメッセージが伝わってきます。気取った『教養人』より、このような人たちへ、むしろ愛情を感じているのではないでしょうか。

『揺れる大地』を観ていると、たしかに激しい言葉の応酬はあるのですが、現代人では考えられないようなすばらしい『自制心』も同時に持ち合わせていることが分かります。

人は『教養』が無くても生きていけます。しかし、福沢諭吉が『福翁夜話』の中に書いているように、『教養が無いことは恥ずかしいことです』とも教えられてきました。一体、人間にとって『教養』とはなんなのでしょうか。

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2009年3月11日 (水)

ヴィスコンティの映画『揺れる大地』(1)

NHKBS第二放送で放映され、録画機に撮り貯めてあった、1948年のイタリア映画『揺れる大地』を観て、人間にとって『教養』はどういう意味を持つものなのであろうかと、考えさせられました。この映画の監督は、イタリアの鬼才ルキア・ヴィスコンティで、数夜連続の特集で、彼の映画が放映されました。イタリアの黒澤明とも言える人物です。

とは言っても、この映画は、『教養』とは何かを主題にしたものではなく、人間社会に存在する『搾取』の不条理を描いたものです。映画の始めに、監督のヴィスコンティは、『この物語は、搾取が存在する所には、どこにも存在する話である。標準語のイタリア語では、この内容は表現できない』とメッセージを挿入しているとおり、シチリアの貧しい漁村を舞台に、俳優も土地の人達を使って、言葉を含め徹底した『現地ロケ』に徹しています。日本人の梅爺は、シチリアの方言が醸し出す、ニュアンスを理解できないのは残念なことでした(字幕映画)。

南イタリアのシチリアと言えば、明るい陽の光に満ちたところを想像しますが、60年前の映画は、当然モノクロで、主題を表現するためにか、むしろ暗いタッチに終始しています。

この漁村では、魚の仲買人を兼ねる船主が、貧しい漁師を雇い、小船で徹夜の漁から帰った漁師の獲物を、安値で買い叩くという徹底した搾取を代々行われてきました。命がけの重労働を強いられる漁師は、皆極貧で、仲買人だけが裕福になるという不条理なしきたりが続いていたということです。

年老いた漁師は、『今までそれでうまくいってきたのだから』と、現状を肯定しようとしますが、若い血気盛んな漁師トーニは、自分の力で、現状を打破しようとします。トーニは、家財を抵当に入れて銀行から借金をし、自分の船を所有して、仲買人の搾取を逃れる計画を決行します。

トーニの最初の漁は、幸運に恵まれ、いわしの大漁に遭遇して30樽もの塩漬けをつくり、将来の販売を夢見て備蓄することに成功します。しかし、更に、大漁を見込んで、普段より沖合いに出たトーニは、嵐に遭遇し、命からがら帰還しますが、船は大破し、唯一の財産を失ってしまいます。

家財、船を失い落ちぶれたトーニに対しては、仲買人は勿論のこと、他の村民冷たい態度をとります。頼りの『いわしの塩漬け』も二束三文で、買い叩かれてしまいます。ひもじさに耐えかねたトーニは、プライドも全て捨てて、仲買人に頭を下げ、以前より貧しい漁師に逆戻りするところで映画は終わります。

監督のヴィスコンティは、『トーニの挫折』を淡々と描くことで、人間社会に何時の時代も存在する『不条理』という難問を観る人に訴えています。安易な『勧善懲悪』の物語にしなかったことに、大きな意味がありそうだと梅爺は感じました。

『正義は最後に勝つ』と私達は教えられてきました。たしかに、歴史を永い目で見れば『不条理』は少しづつ是正されてきたと言えますが、人間社会が、異なった価値観をもつ人たちで構成される以上、『不条理が根絶される世の中』は永遠に到来しないのではないかと、少々悲観的になりました。

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2009年3月10日 (火)

城崎、出石、神戸に遊ぶ

梅爺夫婦は、3月3日から5日にかけて、『サンフラワー夫婦の会』で、兵庫県の城崎(きのさき)温泉、出石、神戸で遊びました。『サンフラワー夫婦の会』は、梅爺の現役時代からのお付き合いである同業4社8組の夫婦の私的な懇親グループで、15年近くも続いています。昨年は、4月に5組の夫婦で『みちのく山形の旅』を楽しみました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_f788.html

今年は、7組の夫婦が参加し、城崎(きのさき)温泉で、名物の『外湯めぐり』を楽しみ、夜の宴会は、名物の松葉ガニや但馬牛をたらふく食べて、ユーモアあふれる 仲居さんとの軽妙なやりとりも含め、大いに盛り上がりました。

P1000017_2 (城崎温泉駅前通り)

翌日からは、夫婦ごとの自由行動になりましたが、梅爺たちは、他の2組の夫婦と一緒に、出石(いずし)と神戸をめぐりました。

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(出石の象徴、明治の初めに作られた時計塔『辰鼓楼』)

出石は、但馬の小京都と呼ばれる落ち着いた旧城下町で、『皿そば』と呼ばれる蕎麦が名物です。美味しさにつられて、7皿もたいらげてしまいました。

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(神戸北野の異人館の一つ、風見鶏の館)

神戸では、南京街の老舗中華料理店で、広東料理を楽しみ、夜はジャズ・バー『サテン・ドール』で、お酒を呑みながら生演奏を堪能しました。

翌日は、『シティ・ループ』という観光バスで、神戸を一巡した後に、北野の異人館を観てまわりました。明治の頃、神戸に住んでいた外国人貿易商の裕福さと、室内に残されている、高価な西洋絵画、西洋陶磁器、ガラス工芸品、東洋の仏像(ガンダーラの石仏など)、家具調度品の豪華さに驚きました。西洋人建築士の指導があったとは言え、当時の日本の大工が、それまで見たこともない建築に見事に対応していることも、感服しました。

城崎、出石、神戸とも、梅爺にとっては、前にも訪れたことがある場所ですが、今回の旅行では初めて体験したことも多く、満喫しました。

普段、健康のために節食していても、こういう旅行では、つい食べすぎ、帰宅後の体重は1キロも増えていました。メタボの解消は遠のくばかりです。

それでも、楽しい仲間と、楽しい時間を共有できる幸せは、メタボには代えられないと、変な理屈で自己弁明しています。

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2009年3月 9日 (月)

死海の書(10)

『The Hidden Scrolls(秘匿された巻物)』という『死海の書』に関するノンフィクションは、著者が考古学や宗教学の専門家ではないジャーナリストであるために、『死海の書』の内容を解説した本ではありません。しかし、それであるが故に、内容に触れた部分は、偏見が少なく公平な記述になっているように感じました。この本の主題は、考古学的な資料が、約50年にもわたって、イスラエルという国家や、一部の学者だけの占有物とされ、内容が公開されなかったことに対して、国際的な抗議行動が起こり、ようやく公開されるにいたったという顛末を著(あらわ)したものです。

何故このようなことになったのかと言えば、もし資料の内容が、現在の国家(イスラエル)や、宗教団体(キリスト教、ユダヤ教)に不利益となる『事実』を含んでいたら困るという、政治的な思惑がはたらいたのではないかと、前に書きました。

キリスト教にとって困る事態は、『キリストは実在人物ではない』『実在したとしてもその言動は新約聖書の内容と異なる』などが判明することでしょう。同じくユダヤ教にとっても、現在信奉されている教義や掟と異なった内容が判明すれば困ります。イスラエルは、旧約聖書で神がアブラハムに約束した地であるという大義名分で、現在の場所に、パレスチナ人を武力で追い出して建国したわけですから、これを否定するような内容が判明することは、国家の存立に関わる大問題になります。

しかし、実際に資料が公開された後に、このような事態が起きたかと言えば、起きていませんから『大山鳴動して鼠一匹』といった話です。勿論、死海の書の解釈で、色々な説がその後唱えられるようになりましたが、死海の書の内容が、文学的、抽象的な表現であるために、立場によって『都合の良い解釈が可能』であるだけで、決定的な『事実』が確定したとは言えません。同じく、『死海の書』とは別に、キリストの言語録とも言える『トマスの福音書』『ユダの福音書』などが発見されていますが、この解釈も難解です。『キリストが神の子ではなく、人間の預言者である』『ユダは裏切り者ではない』などの内容が示唆されているために、新約聖書の編纂時に、『教義の一貫性』を保つためローマンカトリックによって、除外されたと見る説が有力です。

死海の書から、以下のようなことが言えるのは確かです。『このグループは厳格なユダヤ教の教えの信奉者であったこと』『自分達を光の息子と呼び、対立するもの(外国の支配者、堕落したユダヤ教の神官)を闇の息子と呼んでいたこと』『聖徳の師と呼ばれるリーダーに率いられていたこと』『聖徳の師は、誰かに刺されて殺されたこと』『神の啓示を受けた救世主(メサイア)が必ず出現し、闇の息子を葬り、神の国が実現されると信じていたこと』『救世主は、奇跡を起こせる能力を神から付与されていると信じていたこと』『神のために死ねば、審判の日に肉体的に蘇ることができると信じていたこと』などです。

これらの基本的な考え方のエッセンスを集大成して、『イエス・キリスト』という理想的な存在をつくりあげ、更に、ユダヤ民族固有の『掟』は、普遍性を欠くために(今でも割礼などの儀式を要求している)、外国人には受け容れられないと判断し排除した上で、後のキリスト教の『教義』が確立していったのではないかと、梅爺は想像しています。これを推進した中心的な人物が、使徒パウロであったのではないかと、前にも書きました。もし、そうであれば、キリスト教は、キリストを利用して、実質的にはパウロが作り上げたものということになります。

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2009年3月 8日 (日)

死海の書(9)

死海の書に書かれていることが、どの時代のユダヤの話なのかで、解釈が異なってきます。異民族に制圧されている苦しい時代の話であることは確かですので、アッシリアに制圧されていたキリストよりずっと以前の話か、キリストの死の前後の話かが候補に挙がります。多くの学者は、昔の話の説を支持していますが、アメリカのアイゼンマンという宗教学者は、キリストの時代であるという説を唱えています。

日本の『卑弥呼』が、中国の文献『魏志倭人伝』で存在が確認されているように、ユダヤの古文書のどこかに、『ナザレのイエス』の存在を証明する記述があればよいのですが、今のところ発見されていません。文字文化が十分存在していた当時のユダヤに、それが見付からないということは不自然ですので、キリストは存在していなかったと主張する人たちの拠り所になっています。新約聖書に登場する人物で、ユダヤの古文書や、考古学的発掘からその存在が確認されているのは、ローマ総督のポンテオ・ピラトと、キリストの捕縛、処刑に関わったとされるユダヤ教の司祭カヤバの2人だけです。カヤバの墓は、エルサレムで発見されました。

死海の書には、実名は記載されていませんが、『聖徳の師』『邪悪の司祭』『嘘つき』という重要な3名が登場します。キリストと同時代の話とすれば、『聖徳の師』は、イエス・キリストかバプテスマのヨハネではないかと、多くの人が考えます。しかし、新約聖書に書かれているキリストの言動と、荒野の修行僧の代表者というイメージは、梅爺には符合するように見えません。しかし、バプテスマのヨハネは、『聖徳の師』であったかどうかは別としても、死海の書を残した集団と、何らかの関係があってもおかしくないように感じます。

アメリカの宗教学者アインゼンマンは、『聖徳の師』は、キリストの義弟ヤコブ、『邪悪の司祭』は、ヤコブの処刑に関与したアナウス、『嘘つき』はパウロと推察しています。つまり、死海の書は、キリストの死後から、エルサレムがローマ軍に破壊されるまでの期間に書かれたものという推測になります。パウロは、厳格なユダヤ教のしきたりにとらわれず、キリストの『教え』だけを体系化し、ユダヤ人以外の民族にまで布教をしようとしていたわけですから、厳格なユダヤ教徒から見れば、許せない『嘘つき』ということになります。

しかし、この説も、ヤコブはマグダラのマリアと一緒に、初期の布教の中心であったという説(一般にはエルサレムが布教の中心地とされています)が正しいとすれば、荒野の集団の長のイメージとは合わないように梅爺は感じます。

ただ、パウロが、キリストの教えの普遍性を見抜き、新しい宗教体系として作り上げた張本人であろうという説は、そうであろうと感じています。『イエス・キリスト』はパウロが後に作り上げた『理想像』なのか(何らかのモデルになる人物はいたとしても)、それとも、新約聖書に記載されていることは『歴史的な事実』なのかは、いずれも今のところ、確証がありません。

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2009年3月 7日 (土)

死海の書(8)

ユダヤ教の神は、『ユダヤ民族のための唯一の神』ですから、それを祀る神殿は一つあればよいということになります。日本のように、無数の神社は必要になりません。旧約聖書には、バビロニアへの亡命から帰国した預言者エゼキエルが、祖国で目にした壮大な神殿の様子が書かれていますが、考古学的に、それらしい跡は見つかっていません。その後、そこそこの規模の神殿が建てられたようですが、キリストの生誕の直前、ヘロデ王は、エルサレムに『巨大な神殿』を建設します。当時のローマ世界で、最も壮大な建築物であったといわれています。神殿の奥には、最高神官しか入れない、『聖なる場所』があり、ここがユダヤ教の神の居場所とされていました。ただ、ヘロデは、ローマ帝国にへつらい、皇帝信仰のシンボルであった『黄金の鷲』の飾りを、この神殿の門に施したと伝えられています。表向きは、支配者ローマ帝国の目を欺き、実質はユダヤ教を守ろうとしたのかもしれません。しかし、敬虔なユダヤ教徒には、この『黄金の鷲』は、屈辱の象徴以外の何者でもありませんでした。当然、キリストは、この建設直後の壮大な神殿を目にしていたことになります。『神の国』とは無関係な、このような権力者の虚栄を、ただ悲しい目で眺めていたのかもしれません。

この神殿は、キリストの死の約30年後に、ローマの軍隊に徹底破壊、略奪され、今は、その壁の一部が『嘆きの壁』として残されているだけです。

この神殿には、膨大な金銀財宝が、隠されていたという伝説があり、『ローマ軍に略奪された』『ローマ軍の略奪を逃れて、どこかに隠した』『中世の十字軍(テンプラー騎士団)が神殿跡から発見した』などと、憶測のタネは今でも尽きません。まるで、徳川幕府の埋蔵金のような話です。

『死海の書』の中に、珍しく銅版に文字を刻んだ巻物があり、これに『宝物の規模と隠し場所』が書かれていることから、話題になりました。『死海の書』を書いたグループは、この世の富を軽蔑していたはずなので、何故このような巻物が混じっているのかは、不思議な話です。単に伝承を綴ったものという説と、本当の財宝のありかを示すものという説に分かれて議論が続いていますが、現在まで財宝が見つかっていないことだけは確かです。

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2009年3月 6日 (金)

死海の書(7)

紀元前27年に、ローマ帝国のオクタビアヌスは、皇帝になり、アウグヌトゥスと名前を変え、自分は『神の子であり、世界の救済主(Savior)である』と宣言します。当然属州のユダヤにも、この皇帝信仰を迫りますが、ユダヤの族長(王)ヘロデは、貢物などを送って、なんとか皇帝信仰を、曖昧なものにしようとします。しかし、ヘロデが死んで、息子の世代になると、ついに抗しきれなくなり、エルサレムの神殿では、毎日のように、皇帝にいけにえなどを捧げる儀式が行われることになってしまいました。ユダヤの神を信ずる敬虔なユダヤ人にとっては、耐え難い屈辱であり、ゲリラによる小規模の抵抗が頻発したと考えられています。過去にユダヤは、アッシリアの『王信仰』を迫られた時は、徹底抗戦して勝利した歴史がありますが、ローマの軍隊は強力で、反乱者を徹底制圧したと伝えられています。

キリストが、布教した時期は、まさしくこのように、ユダヤにとっては大変な受難の時であったという背景を理解する必要がありそうです。キリストは、同胞(ユダヤ民族)の目の前の苦難に対して『教え』を説いたのであって、『人類全体の救済』などという考えは無かったのではないでしょうか。しかし、キリストの死後、パウロは、『キリストの教えの普遍性』に気付き、『神』の概念を『ユダヤの神』から、『人類全体の神』に置き換えることで、ユダヤ人以外の異民族へも布教を開始したのではないでしょうか。旧約聖書の中の同じ言葉『神』『救世主』が、当時のユダヤ人と後のキリスト教徒では、異なった概念でとらえられていることが分かります。パウロ自身も、ローマ軍に捕らえられ、ローマへ送られて、ペテロ同様に処刑されたと伝えられていますが、彼の慧眼がなければ、現在の『キリスト教』はなかったと梅爺は推察しています。そのパウロでさえ、彼の死後、最大の弾圧者であったローマ帝国が、『キリスト教』を『国教』とするなどという展開は予想していなかったものと思います。ペテロやパウロに続いた、おびただしい殉教者の数にもめげず、弾圧に耐え抜いた、その後のキリスト教徒や宣教者の行動は、これこそが最大の『奇跡』ではないかと梅爺は感じています。

ユダヤ教の枠組みの中で、キリストと同じように、ユダヤ教の堕落を改革しようとしたリーダーは、他にもいたと考えられますが、キリストの教えが、群を抜いて『普遍的な内容』であったのではないかと、梅爺は想像しています。体制側に都合の悪いキリストのような人物の処刑は、当時は特別珍しいものではなく、同時代のユダヤ人は、『大事件』とは認識していなかった可能性もあると考えています。

勿論、これらは、梅爺の推測で、事実かどうかは梅爺にもわかりません。

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2009年3月 5日 (木)

死海の書(6)

『死海の書』を書いたグループは、『聖徳の師(The Teacher of Righteousness)』と呼ばれるリーダーを12人の代表メンバーが支えていたと書かれています。ユダヤ教の神殿も最高位の神官と12人の代表メンバで支えられていたといわれていますので、『イエスと12人の弟子』は、その形式を守っていたものか、聖書の著者が、ユダヤ教のしきたりを無意識に踏襲してそう書いたかのどちらかではないかと梅爺は想像します。12という数値は、ユダヤ民族が、12の部族で構成されるということにも対応しているように思えます。

イエスと同時代の人たちが『死海の書』を残したくらいですから、イエス自身か、その弟子が、イエスの言動について、直接記録を残しておいてくれれば、後世の人たちは大いに助かったのですが、ガリラヤ湖の漁師であったペテロなどには、そのような教養の下地が当時なかったのかもしれません。ペテロは最後は外国(ローマ)にまで宣教に出向いたとされていますので、宣教活動のなかで(現代風に言えば、オン・ザ・ジョブ・トレーニングで)、外国語なども習得していき、自らを成長させていったのではないでしょうか。

少なくとも、新約聖書は、イエスの死後、100年くらい経ってから、2世紀に伝聞をベースに書かれたものと推定されていて、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという著者の素性も明確には分かっていません。彼らが参照した何らかの『原典(学者達は、福音書Qと呼んでいる)』があったのではないかと、考えられていますが、その存在は確認されていません。伝聞ですから、どこまでが本当の話で、どこからが、『救世主(メサイア)』に関してユダヤに一般的に伝わっていた話を、イエスにダブらせて書いたものかが判然としません。話が少し逸れますが、パウロは多くの書簡を残し、それが新約聖書に採用されています。しかし、これも全てがパウロ自身が書いたものかどうかは、現在でも議論が続いています。

例えば、『死海の書』のなかに記されている『救世主』も、目の見えない人を見えるようにしたり、立てなかった人を歩かせたり、貧しい人に沢山の施しをしたりしたと『奇跡』を行ったと書いてあり、キリストを彷彿させます。これらの行為は、『救世主』が、神から特別に選ばれた『人間』であることを示す重要な『資質』と一般に考えられていたことを示唆しています。どの『救世主』も、『悔い改め』『清貧』『謙譲』『純潔』『同士への愛』の必要性を説いていますが、イエスの特筆すべきところは、『同士への愛』を『敵をも含む隣人への愛』と拡大しているところのように感じます。

ローマ帝国の支配下で、堕落したユダヤ教の改革を目指すグループが、どのくらいの数当時存在したのかは不明ですが、その一つと考えられる『イエスに率いられたグループ』も、それらのグループに共通していた『救世主の出現、最後の審判と神の国の到来』を希求する考え方を、踏襲していたものと、梅爺は想像します。勿論これは、イエスの死後の『原始キリスト教』にも引き継がれたものと思います。

『イエスを神の子とみる考え方』『聖母マリア信仰』などは、後世のローマン・カトリックが作り上げたものであって、このような考え方は、ユダヤ教の改革グループの思想には見当たりません。

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2009年3月 4日 (水)

死海の書(5)

『死海の書』が初めて発見された翌年に(1948年)、ベン・グリオン将軍が率いるイスラエルの軍隊が、パレスチナに侵攻し、『ここは、元々自分達の領土である』と宣言し、イスラエルを建国してしまいました。現代版の『エクソダス』です。全世界に離散してしまっていたユダヤ民族の悲願が、『約束の地』へ戻って、自分達の国土を持つことであるという事情は、分かりますが、このような手段で、国家が作れるということを許容すれば、国際社会は大混乱に陥ってしまいます。

アイヌ人が、『北海道は、カムイから授かった自分達の土地、その証拠に地名はアイヌ語である』と主張して、分割独立を主張したり、北米ではインディアンが、南米では、マヤ、インカ、アステカの末裔が、ここは元々自分達の国土であると独立宣言するのと同様の話であるからです。

しかし、事の是非を別にすれば、ベン・グリオン将軍とその取り巻きは、『とてつもない困難なプロジェクト』を見事に遂行しきった、という点では、大変な能力の持ち主であることが分かります。事前に、国際社会の反応(反撥)を含め、あらゆる事態を想定し、少なくともアメリカの実質的な政治的『黙認』を取り付け、資金や圧倒的な最新兵器を調達し、綿密な実行計画を立てて、ことに臨んだのだろうということは容易に想像できます。実際の作戦を開始した後も、予期せぬ事態は次々に発生したにちがいありませんから、その都度適切な処置をしたことになります。『断固たる意志』に裏づけされていたとは言え、このようなプロジェクト遂行能力は、誰もが真似できるような並みのレベルではありません。

ベン・グリオン将軍が、イスラエルの独立を宣言した時の『大義名分』は、旧約聖書に、『神はアブラハム(ユダヤ人の始祖)に、カナンの地をユダヤ民族のものとして約束した』と書いてある、というものでした。これで、世界中のキリスト教徒の同情を獲得する心理作戦とは言え、古文書にかかれた4000年以上の前の『話』を、現代の『証拠』とするには、大変無理があります。もし、旧約聖書を詳細に調べてみたら、『カナンの地』は現在のイスラエルではなかったことが立証されたら、全ての根底が覆ることになりますので、そのようなプロットを採用した『アレキサンドリア・リンク』などという歴史ミステリィ小説が出現することになります。考古学者が、現在のカナンの地をいくら発掘しても、古代にユダヤ人の居住区があったというような跡は発見されない、というようなことも、疑惑を産む原因になっています。『死海の書』に旧約聖書が含まれているということは、解読結果によっては、極めて政治的には微妙な問題につながる可能性を秘めていることがわかります。

小説『アレキサンドリア・リンク』については、前にブログで紹介しました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-f394.html

いずれにしても、そこに住んでいた100万人のパレスチナ人にとっては、イスラエルの建国は、理不尽な話で、現在まで、紛争が絶えないのは、当然のことに思えます。国際政治においては、総合的に強いものが、エゴを通すことができるという、近代における典型的な事例ではないでしょうか。

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2009年3月 3日 (火)

死海の書(4)

世界の中で、エルサレムほど、複雑な政治的背景、宗教的背景を持つ都市はないのではないでしょうか。現在は、イスラエルがエルサレムを首都と主張しています。実質的には、3大宗教の聖なる遺跡(キリスト処刑地跡といわれる聖墳墓教会、ユダヤ教の神殿跡である嘆きの壁、イスラム教のモスクやムハンマドとの関連があるとされる岩のドーム)がある東地区(旧市街)は、主としてアラブ人の居住区で、一方西地区は、ユダヤ人中心の居住区になっています。現在は、東地区、西地区ともに、イスラエルの支配下ですが、1967年以前は、東地区はヨルダンの支配下にありました。非常に、微妙な政治的、宗教的、民族的なバランスの上で統治されている都市であることが分かります。

最初に発見された『死海の書』の原資料は、西地区にあるイスラエルの『本の神殿』に保管され、後から発見された原資料は、東地区にあるパレスチナ考古博物館(発見当時はヨルダンの管理下)に保管されています。

世界から集められた学者チームは、当初ヨルダン政府の援助(一時はアメリカのロックフェラー財団の援助)で、東地区のパレスチナ考古博物館を拠点に、復元、解読作業を行ってきました。ヨルダンは、アラブ圏に属し、イスラム教が主体ですが、『ヨルダン正教』というキリスト教を信仰する人たちも居る国です。ここに集められた『国際学者チーム』は、学者と言っても、カトリックの神父である神学者、ユダヤ教の神学者、なども含むため、このチームそのものが、微妙な宗教的、政治的なバランスでなりたっていて、宗教的、政治的な不利益になることは、公表しないという力が働いたのではないかと、言われています。50年もの間、外部の人の資料アクセスを拒み、内容の発表もしなかったのは、そのためと考えられています。

この学者達は、文字を解読し、正確に翻訳することだけに傾注し、『死海の書』を書いた人たちが、『一体誰で、何を考え、何を信じ、何をしようとしていたのか』という、最も重要な歴史背景に関する考察をおろそかにしていたことが、その後国際的な非難の的になりました。1990年代の後半になって、資料のマイクロフィルム写真が公開になり、世界の考古学者や、宗教学者から、色々な新しい研究成果が発表されるようになりました。少なくとも、従来のような特定な宗教や、政治体制に配慮した発表ではなく、ありのままに歴史を理解しようという姿勢が強くなってきたきたことに意義があります。

イエス(キリスト)と同世代の人が、『死海の書』を残したのであれば、どこかに、イエスの言動や、処刑などについて触れた部分があるのではないかと、誰もが考えますが、少なくとも実名は記録されてはいません。これは、一体何を意味するのでしょう。イエスの処刑は、誰もが知る歴史的な大事件と私達は考えてきましたが、『死海の書』の著者達(ユダヤ人)は、同時代に生きながら、その事件に関する情報を得ていなかったのでしょうか。知りながら書かなかったとしたら、何か特別な理由があるのでしょうか。

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2009年3月 2日 (月)

死海の書(3)

『死海の書』を残した人たちが、忽然(こつぜん)と消えたのは、キリストの処刑の30年ほど後に起きた、ユダヤ人のローマ帝国支配に反抗する蜂起事件(ユダヤ戦争)と関係しているであろうと推定されています。数年の激しい戦闘の末に、エルサレムや、そこにあったユダヤ教の神殿は完全に破壊され、ローマ帝国の軍隊の前に、ユダヤは最終的に完全敗北を喫したことが歴史的に分かっています。身に迫る危険から自分達の運命を悟ったグループが、信仰のよりどころであった『死海の書』を、後の世のために洞窟に秘匿した、という考え方が定説です。

この蜂起事件に、『死海の書』を残したグループが、どのように関わったのかは明確には分かりません。ただ、この人たちは、自分達を『光の息子』と呼び、邪悪な人たちを『闇の息子』と呼んでいたことが『死海の書』から分かります。『光の息子』には、やがて神の啓示を受けた『救世主(メサイア)』が出現し、『闇の息子』には審判が下り、『神の国』が地上に出現すると書かれています。このような『救世主』信仰は、歴史的に、エジプト、アッシリア、バビロニアなどの異民族に支配される苦しい歴史を持つ、ユダヤ人の宗教観の根源をなすもので、旧約聖書の中心的な文脈にもなっています。エジプトからの民族脱出を指揮したモーゼも、『救世主』の代表例です。『死海の書』における『闇の息子』は、ローマ帝国や、それにへつらうユダヤ教の堕落した聖職者のことであろうとも推定されます。

後のキリスト教で、イエス・キリストは、唯一の『人類の救世主』に格上げされましたが、歴史的にユダヤは、苦難の時には必ず神の啓示を受けた『救世主』が出現するという信仰が受け継がれていて、『救世主』と考えられる人物は、一人ではなく、複数存在したことになります。しかし、『救世主』は神の啓示を受けた人間であり、神と『救世主』を同一視する、キリスト教のような考え方は、ユダヤ教にはありません。

梅爺が、興味深く思うのは、ローマン・カトリックが中世に、『異端』として弾圧した『グノスティック』の原始キリスト教一派の思想の中心が、『光=聖徳、闇=邪悪』であるることです。勿論『グノスティック』では、キリストは人間の預言者で、当然復活や昇天は教義にはありませんから、『父(神)と子(キリスト)と精霊』は、三位一体の神とするローマン・カトリックによって徹底弾圧されることになりました。梅爺は、『グノスティック』と、『死海の書』を残したグループの『考え方』が非常に類似しているように感じます。キリストの死の直後のユダヤ人の『キリスト教』と、現在の国際的となった『キリスト教』は、大きく異なっているのではないでしょうか。

『正統的なユダヤ教』、『死海の書』を残したような『ユダヤ教の改革を迫った新しいユダヤ教の宗派』のいずれも、後のキリスト教に大きな影響を与えていますが、特に、『ユダヤ教改革宗派』は、キリストの言動をみると、キリスト自身へも強い影響を与えているように梅爺は感じます。

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2009年3月 1日 (日)

死海の書(2)

『死海の書』は、古いユダヤ(ヘブライ)の文字で書かれていますので、書いて残した人たちは、ユダヤ人であることは確かですが、何故、重要な信仰の対象を『隠す』必要があったのか、何故その人達は忽然(こつぜん)と消えたのか、殺されたのか、逃げたのか、など謎が伴います。

洞窟の側には、共同生活をしていたらしい、現在で言えば修道院のような遺跡跡が見付かっています。全員で祈りを捧げるホールのような集会場所や、共同で食事をとる食堂のような場所があったらしいことが確認されています。中世以降アイルランドに初めて出現した、キリスト教の修道院と、極めて類似していることから、キリスト教が、ユダヤ教の風習から多くの影響を受けているのではないかと推測できます。女性や子供を含めた共同生活であったという印象を受けませんので、男性だけの厳格な掟を守る集団であった可能性が高いように梅爺は感じます。ユダヤ教は勿論結婚を認めていますが、この集団は、いわば、『ユダヤ教原理主義者』ともいえる集団で、厳格な規律を守っていた特殊な集団であったのではないでしょうか。聖書に書かれているバプテスマのヨハネの風貌や言動は、この集団の印象とダブるように梅爺は感じます。キリストも布教を開始する前に、40日間荒野で修行したと聖書に書いてありますので、関係が気になります。

『死海の書』の大半は、単に歴史を忠実に記載したものではなく、いずれもユダヤ教の『信仰のありかた』を記述したもので、その表現が詩であったり、形而上的、比喩的であったりして、本当は何が言いたかったのかの解釈は、容易ではないところが、多くの議論を呼ぶ原因になっています。勿論、ほぼ旧約聖書の全容が含まれていますので、その価値は膨大です。現在、我々が読んでいる旧約聖書は、4世紀以降、ローマン・カトリックが、『ギリシャ語の原典からラテン語に翻訳したもの』ですので、ギリシャ語版旧約聖書の原典にも匹敵するヘブライ語版旧約聖書の発見とみなされるからです。もし、現在の旧約聖書の内容が、ヘブライ語版の内容と大きく異なっていることが判明すれば、ローマン・カトリックとしては、困った事態になりますので、バチカンが、『死海の書』の内容公開に圧力をかけたのではないか、50年も公開されなかったのは、そのせいではないか、などとの憶測を呼ぶことになりました。

『死海の書』の中の登場人物は、一切固有名詞で表現されていませんので、歴史的な人物と照合することが難しくなっています。例えば、自分達のリーダーは、『聖徳の師(The Teacher of Righteousness)』と表現されています。この『聖徳の師』こそが、バプテスマのヨハネか、イエスキリストではないかと、考えたくなりますが、その確証はありません。

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