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2009年2月20日 (金)

ネアンデルタール人(3)

『慎重になる』という行動パターンは、『推論能力』の高い人にありがちなことです。色々な将来の状況を総合的に考えれば考えるほど、思い切った変化に身を投ずることが怖くなって、決断できずに、グズグズと現状を維持しがちです。あまり色々なことを考えることが苦手な人は、思いつきでパッと行動してしまうことができますが、危険で、向こう見ず、無鉄砲であるとも言えます。少々無鉄砲な行動をする子供は、『活発で子供らしい』と評価され、臆病な子供は『グズ、小心』と低く評価されますが、臆病な子供が、実は『劣っている』とは限りません。

人生の面白いところは、慎重な人がいつも良い結果を得るとは限らず、大胆な行動をした人の方が、成功を収める場合もあるということでしょう。勿論、逆の場合もありますので、『慎重』が良いか『大胆』が良いかは、一概には言えません。梅爺は、どちらかといえば『慎重』な性格ですが、人生を振り返ってみれば、それで得をしたことも、損をしたことも、同じように思い浮かびますので、自分の経験からも、どちらが良いとはいえません。

もし、ネアンデルタール人が『慎重』であったとするなら、現生人類より、脳の『推論応力』が進んでいたと言えない事はありません。

迫り来る環境の変化に対して、『進化レベルで劣っていた現生人類』は、さっさと現状維持をあきらめ、無謀ともいえる危険を犯して新天地への脱出を試み、結果的にうまくいって生き延びたのに対して、『進化レベルで優れていたネアンデルタール人』は、現状のままで、なんとかしのごうと頑張った結果、結局死に絶えてしまった、というようなストーリーが思い浮かびます。なまじ『少しばかり進化で勝っていた』ことが災いしたという皮肉な推測です。勿論、これは、仮に、ネアンデルタール人が『慎重』な性格であったが故滅んだという説が正しいのとして、梅爺が考えうる一つの『推測』に過ぎません。もっともらしい話にも見えますが、『そんな単純な話ではないだろうと』とホンネでは疑っています。

ただ、生き残ったのは現生人類で、死に絶えたのはネアンデルタール人であるという史実だけで、現生人類がネアンデルタール人より『優れている』と判断するのは、単純すぎるかもしれないと梅爺も考えるようになりました。

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