死海の書(1)
1947年に、死海の北西岸にあるクァムランの崖に掘られた洞窟を、現地の放牧民ベドウィンの羊飼いが偶然発見し、内部に埋められていた土器の壷の中から、多数の古いユダヤ(ヘブライ語、アラミック語)の言葉で書かれた巻物古文書(Scrolls)が見付かりました。その後1979年に、別の洞窟でも見付かり、更に多くの古文書の存在が明らかになりました。これらは、『死海の書(Dead Sea Scrlolls)』と呼ばれ、その後、その内容の解釈や、歴史的な意味をめぐり、国際的な大議論に発展したことは、ご存知の方も多いでしょう。
巻物と言っても、書かれたのは『キリストが布教活動をしていた同時代またはその直後』と考えれれていますので、主として、山羊や鹿の皮に手書きで記述したもので、発見時には大半が、ジグゾーパズルのピースのように、バラバラになってしまっていました。従って、その復元、解読(古いヘブライの文字)には、想像以上の困難が伴いました。
発見当時の現地の政治情勢(イスラエルの建国は翌年の1948年)、古文書の内容に関わるユダヤ教とキリスト教の思惑の違い、古いユダヤの文字に精通した学者不足、などが絡み、一部の限定した学者(国際チーム)だけが、この古文書に接することを許されていたたこともあって、その内容の一部が公開され始めたのは、発見から約50年も経った1990年代の半ば以降のことでした。
最初に発見された資料は、エルサレムの骨董商が仲介人となり、色々な人の手に渡った後に、結局イスラエル政府が買い取り、現在もイスラエルの管理下にありますが、後に発見された資料(この方が、最初の発見より量が多い)は、当初ヨルダン政府の管理となりました(当時ヨルダンの支配下にあったエルサレム東地区のパレスチナ考古博物館が所有)。しかし、1967年の中東7日戦争の後に、エルサレム東地区もイスラエルの支配下になり、今では両方とも、イスラエルの管理下にあります。1990年代に、一部の学者しか研究対象としてアクセスできないのは、おかしいという国際的な圧力がたかまり、裁判沙汰にまでなった末に、ようやくマイクロフィルムの収められた資料が、一般公開されて、一般の学者や世間の注目度が高まりました。
当時のジャーナリズムは、『キリストの実像が分かるかもしれない』『キリスト教の教義に対する見方が変わるかもしれない』と、大袈裟に報じましたので、梅爺も、野次馬根性に駆られて、1996年に、『The Hidden Scrolls : Neil Asher Silberman著(秘匿された巻物)』という英語のノンフィクション本を購入し、読みました。もう10年以上も前のことで、内容に関する記憶はおぼろげになってしまっていました。ただ、期待したような、キリストに関する新事実や、明らかにキリスト教の教義と異なった内容がが見付かったわけではないと、当時は浅薄に理解し、野次馬としては少しガッカリした記憶は残っていました。
最近、キリストが生きた時代のユダヤの社会情勢に興味がわき、もう一度読み直してみれば、当時は知識不足から読み落としていたようなことで、実は重要なことが見付かるかもしれないと考え、上記の本を読み返すことを始めました。




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