自律分散処理(4)
梅爺は会社勤めのころ、組織論などで、よく『あるべき姿は何か?』を議題に議論をしました。また商品やシステムを開発するときには、『どういう商品ならライバルに勝てるのか?』『どういうシステムなら顧客の満足を得ることができるのか?』を先ず考えました。
そう考える習性に慣れてしまっているため、自然界の現象にも、『あるべき姿』を考える能力を持った何者かが存在し、その意向に沿って宇宙や人間は創られ、統(す)べられていると『推測』し、この結果、『全知全能の神』という概念を人間は保有するようになったのではないかと思います。しかし、よく考えてみると、この世界で、かなり先の複雑な状況までを『予測』したり『推測』したりできる能力を、確かに持っていると言えるのは、『人間』だけであることに気づきます。神の存在は信じない人がいるとしても、自分に『予測・推測能力』があることは、自分で実感できますから、それを疑う人はいないでしょう。
勿論、人間以外の生物にも、直近のことを『予測』できる能力をもったものはいますが、人間だけが、飛びぬけた論理思考能力と予測能力をもっていると言っても良いのではないでしょうか。個人個人は、自分の予測で独自に行動し、その集積(平衡状態)が社会を作ります。
『全知全能の神』が宇宙や自然界を統(す)べていると『仮定』したり、『神』は自分に似せて人間を創ってくださったと『仮定』すれば、摩訶不思議な存在である『人間』や、『自然界の現象』は、一見説明がつくように見えます。ただ、この『仮定』で説明が難しいのは、『何故神は宇宙の中で点にも満たない地球にのみ、生命体を創造したのか』『何故神は邪悪な心を人間の中に仕組んだのか』『不都合な天災は何故善良な人間の命までも奪うのか』などに答えることです。しかし、宗教は、『何故と問うこと自体が、神を疑うことだ。信仰は理性の対象でない』と説き、ここで、なにやら『こんにゃく問答』のようになってしまいます。
しかし、このような『すべては神の思し召し』といった説明をしなくてもすむ、別の『仮説』もあるように思います。『全知全能なる存在がなくても、自律分散処理のルールだけで、宇宙や人間は創りだされ、その時々の平衡状態を探りながら存在できる』というのがそれにあたります。現状の宇宙や人間は、試行錯誤の結果、到達している『平衡状態の一つ』であって、あらかじめ設定された『あるべき姿』として、または『あるべき姿』へ向かって存在しているわけではないという説明が成り立ちます。ビッグバンまで時間を戻し、もう一度そこから試行錯誤を始めてみても、再び地球や人間が出現するとは限りません。つまり、『あるべき姿』は、だれも分かっていないという前提です。
この新しい『仮説』を認めることは、勿論神の存在の全てを否定することではありませんが、少なくとも宇宙や人間の創造には、神は関与していない可能性を示していることにはなります。従って、『人間を創造し、愛し、見守ってくださる神の存在』を信じておられる方々には、不愉快な『仮説』であるかもしれませんし、このようなことを言い出す梅爺は『悪魔の申し子』に見えるかもしれません。しかし、『断定』ではなく、『仮説』ですから、お許しいただけるとして、色々な事象を客観的に眺めてみると、ほとんどのことは、これで納得のいく説明ができるように梅爺は感じます。
これは、あくまでも『理性』で自然界や人間を観察すれば、という話で、『神や信仰は、心の安らぎを与えてくれるもの。理性で論ずべきものではない』という反論に、答えるものではありません。何故なら、『自律分散処理』は、人間にとっては重大な『心の安らぎ』とは、あまり関係のない冷徹な仕組みであり、人間や人間社会で必要とされる『心の安らぎ』の大切さの議論には、少しも役にも立たないからです。




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