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2008年10月31日 (金)

おくりびと

久しぶりに、素晴らしい日本映画を観ました。滝田洋二郎監督、本木雅弘主演の『おくりびと』です。梅爺の住む青梅から、車で20~30分くらいのところに、いくつかのシネマコンプレックスがあり、今回は、あきる野の近くにあるショッピングモール内のシネマコンプレックスに、梅婆と出かけました。

一時、テレビに押されてすっかり衰退してしまった日本の映画産業が、色々な努力で復興しつつあることは喜ばしいことです。最新の複数の作品の中から好きなものを選んで観ることができるシネマコンプレックス方式、妥当な料金(特に60歳以上は1000円というのもありがたい)、電子媒体使用のデジタル映像、デジタル音響などが、集客の要因のひとつになっていますが、何といっても『面白い作品』の出現が第一の要因です。

映画でしか表現できない、空想冒険活劇、大スペクタクル歴史劇なども、面白いものですが、梅爺のような歳になると、『人の情感に関する心にしみる映画』に惹かれます。

『おくりびと』は、人の死後、遺体に『死に衣装、死に化粧』を施して、納棺することを専門とする『納棺師』の話で、梅爺は、こんな職業があることを始めて知りました。何でも『様式美』にしてしまう日本人が、納棺までも『儀式』にしてしまっていることに感心しました。現在では、病院の看護婦さんや葬儀屋さんが、この種の処置をしてくれますので、多くの日本人が梅爺同様『納棺師』を知らないのではないでしょうか。この映画の舞台は山形で、こういう地方にはまだこの風習が残っているのかもしれません。

心無い言い方で恐縮ですが、『厳粛』は『滑稽』と隣りあわせで、以前伊丹十三監督も『お葬式』という映画を作り大ヒットしました。観客は、観て笑いそして泣きます。人の死は、死ぬ人にとっても大変なことですが、むしろ残された関係者の対応の中に、人間ドラマがあります。高度な『記憶能力』『情感能力』を脳に持っている人間であるからこそ、避けては通れない宿命です。

この映画の主演者、助演者(特に山崎務の演技は秀逸)の達者な演技は、日本人には、自然な会話や所作で、外国映画のような、違和感のある会話や所作ではありません。安心して観ることができます。滝田監督、音楽を担当した久石氏の力量なども素晴らしいものです。『納棺師』の話が、現代日本の色々な世相と、見事に組み合わさって展開されます。

この映画は、モントリオール映画祭でグランプリを獲得し、中国の映画祭でも、監督賞、脚本賞、主演男優賞を獲得しています。

外国人にも、日本人の『心』が理解されるということは、嬉しいことです。日本人が見直されることになるからです。このような、文化の発信こそが、本当の外交といえるのではないでしょうか。

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2008年10月30日 (木)

裁判員制度(5)

他にも、Iさんは、今回の『裁判員制度』がはらむいくつかの問題点を指摘されました。裁判員になることができない職業をいくつか決めていることもその一つです。少しでも法律知識を必要とするような職業に就いている人は全て除外されます。『御し難い人物が入り込むのを避ける』裁判所の意向かと疑いたくなります。アメリカでは、ニューヨーク市長のジュリアーノが陪審員に選ばれたことがあると、違いをIさんが指摘されました。中でも不可解なのは『自衛官』が含まれていることです。最初から『偏った思想の持ち主』とレッテルが貼られているようで、可愛そうな気がします。一人の国民として、誰も裁判員になる権利を持つと言う方が、公正なように思えます。

憲法18条に、『何人も・・・犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服せられない』という表現があり、『裁判員』がこの『苦役』と言えるかどうかの議論も残りそうです。『裁判員』になったおかげで、職場で不利益な評価を受けるとか、犯罪組織からの『お礼参り』などの恐怖に晒されるとか、色々考えられますが、何といっても『人が人を裁くストレス』は、苦役そのもののようにも思えます。

『裁判員制度』の導入で、裁判は集中審議になったり、争点を予め定めて審議するなどようになったりで、スピードアップされる利点もありますが、それだけに拙速となり、『冤罪』が増える可能性もあります。

梅爺が一番懸念するのは、日本人は『証拠をベースにした論理的な議論』に慣れていないということです。個々の表面的な事象に、強く感情的に反応してしまい、心象的には、たとえどんなに有罪に見えても、証拠不在(不備)の事件は『無罪』にするというような、法の基本姿勢を貫けるかどうかという点が気になります。

来年の5月から『裁判員制度』が始まれば、色々な問題が噴出することになりそうですが、その時はその時でまた改善策を考えればよいではないかという楽観論もあり、一概に『裁判員制度』はすべて悪いとは言えません。

いずれにしても、日本社会や日本国民が、もう一段大人になるための試練が待ち構えているような気がします。

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2008年10月29日 (水)

裁判員制度(4)

梅爺は、『裁判員制度』は、アメリカの『陪審員制度』を模したものと、単純に考えていました。しかし、両国の司法制度に詳しいIさんの話をうかがって、両者は『似て非なるもの』であることがよく分かりました。

梅爺は、『12人の怒れる男』という映画のファンであったり、法廷場面が圧巻であるジョン・グリシャムの小説も好んで読みますので、ある程度アメリカの『陪審員制度』には知識がありましたが、Iさんの説明を聞いて、日本の『裁判員制度』は、国民参加を尊重するように見える表向きの表現とは裏腹に、極めて裁判所や裁判官に『有利なしくみ』となっていることが理解できました。

この違いは、アメリカが『陪審員制度』を『国民の基本的人権』をベースに発想しているのに対して、日本は単に『裁判員制度』を『裁判制度のしくみ』としてとらえていることに起因していることも教えていただきました。基本から論理を組み立てようとしない日本の風潮が反映しています。日本では、一旦容疑者や被告になってしまうと、極めて弱い立場に追い込まれるしくみになっています。容疑者の拘束は、検察側の一方的な意向で決まり、裁判は、検察側が準備した『証拠』だけで争われます。アメリカのように弁護側の『捜査権』は認められていません。日本では、検事側と弁護側は、『武器対等』で争っていないことになります。今度の制度では、被告は、『裁判員制度による裁判を拒否して、プロの裁判官だけでの裁判を求める権利』も保有しません。容疑者になった時点で、何となく『悪い奴』のレッテルが貼られ、基本的人権が軽視されやすいしくみになっています。

『裁判員制度』が、裁判所や裁判官に有利といえる理由は、『裁判員』の決定プロセスや、判決決定時の裁判官の役割に現れています。裁判所は、裁判員候補者に対して、質問書を送り、『不公平な裁判をする恐れがないかどうか』を判定し、『裁判員として認めないことを決める権利』を保有しています。一見、公正なようですが、『恐れ』は主観的なものですので、裁判所の意向で人選は決まってしまうことを意味します。

最終判決は、裁判官と裁判員の協議を経て、多数決で決まるとされていますが、少なくとも一人の裁判官が合意する必要があると制限しています。多数決で一見公平なように見えますが、裁判員全員が合意して半数以上に達しても、裁判官が合意に加わらなければ否決されることを意味しますので、事実上、裁判官は『拒否権』を保有しているようにも見えます。

国民の皆様の参加、などといいながら、実体は、裁判所や裁判官の意向でことが運ぶような、巧妙なしくみになっているように思えてきます。

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2008年10月28日 (火)

裁判員制度(3)

裁判と『市民感覚』は、どのように関係するのでしょうか。似た様な言葉に『庶民感覚』があり、例えば金持ちは、『さんま』が食べたければ、値段には無頓着に購入するのに対して、庶民は、高い値段の時には、食べるのを我慢しますので、『金持ちは庶民感覚がない』ということになります。しかし、裁判における『市民感覚』は、犯人に対する憎悪の度合いや、被害者遺族に対する同情の度合いなど、いずれも人間の『情』に関する程度の問題だとすると、これは定量化できないために、判決にそれをどのように反映させるかは、微妙な話になります。つまり、基本的に『理』を原則とする法の判断に、『情』をどこまで絡めるかが問題になります。

日本人が『大岡裁き』に喝采をおくるのは、事件ごとに『理』と『情』を見事に調和させた『判決』を下したことにあるのではないでしょうか。人間の『苦しみ』『悲しみ』『怒り』『喜び』などといった『情』の世界に深い理解がなければ『大岡裁き』はできません。現在の日本の裁判では、杓子定規な法の適用が優先され、人間理解の部分が欠けているという主張は、わからないでもありませんが、一方『情』を優先した時の弊害も同時に考えておく必要があるように思います。

北朝鮮に拉致された人を持つ家族の苦しみや怒りに、私達は同情します。非道な北朝鮮に、断固たる態度で迫らない政府の弱腰を、ジャーナリズムが扇動することもあって、『市民』は『けしからん』と非難します。しかし、政府が断固たる態度をとった時に、その見返りとして日本のどこかに核爆弾を搭載した北朝鮮のミサイルが飛来するかもしれないということが判明した時に、『自分も含めた多くの日本人が犠牲になる可能性』も、もとより覚悟の上と主張し、それでも拉致被害家族の支援を断固続ける『市民』は、どのくらいいるのでしょうか。『市民』は、自分には類がおよばないという安全な場所に身を置いて、『情』でものをいう性質があり、さらにジャーナリズムに扇動されやすい性質も持っています。判断の基準が、状況によってブレやすい『市民感覚』を裁判に持ち込むことには、危険があることも承知しておかなければならないように思います。

日本では、狭い司法試験の門を突破した受験エリートが、研修期間を経て裁判官に任命されるしくみになっています。『六法全書』だけには詳しくても、人間全般に関する深い理解を欠いている人が、裁判官になってしまう可能性を秘めているといえないことはありません。Iさんは、『最低5年間の弁護士経験を含む10年間の実務経験』を任命の基準にすべきと、主張されておられました。『裁判員制度の採用』より、こちらの議論の方が、重要であると感じました。『裁判官』だけでなく、人間の本質理解に乏しい『先生』や『医者』が増えているように感ずることも、日本にとっては大きな問題のように思います。

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2008年10月27日 (月)

裁判員制度(2)

『ある人に他人を裁く権限を付与する』ということは、完全な人間がいないことを考えると、ある意味で『神をも畏れぬ行為』のように思えますが、社会秩序を維持するためには、必要なことであると思います。

梅爺は、会社で管理職になった時に、仲間の勤務査定をしなければならないことが憂鬱でした。自分の一存で、他人の生活や、勤務意欲に影響をあたえるような決断をすることは、畏れ多いことだと感じていました。身勝手かもしれませんが、できれば、他人を評価したり、裁いたりする側の人間になりたくないという気持ちがありました。

梅爺と同じように考える人には、『裁判員』になることは、精神的に大きなストレスを抱え込むことになります。今回の『裁判員制度』は、特に殺人などの重犯罪を対象にするわけですから、死刑にするかどうかなどという、人の命に関わる決定に参加することになり、そのストレスは並大抵なものではないと想像できます。

そう考えると、現在の日本の裁判制度のように、税金を払うことで、プロの裁判官に一任するというしくみは、大変ありがたいものであるように思えてきます。国民を『裁判員』として組み入れてみても、判決は法律の規制の中で下されるわけですので、自由裁量の幅がひろがることにはなりません。細かいルールや、法文、判例などの解釈で、プロの知識をどうしても、どこかで必要とされます。実際には、裁判官は押し付けないように配慮するとしても、現実は、かなり『誘導』をすることになるのではないでしょうか。素人が参加する意義は、『参加すること自体』にあって、それ以上のことは大きな期待が持てないように思います。それでは、大きなストレスを背負ってまで『素人の国民が参加する意義』とは何なのでしょう。

最高裁のホームページに、以下の『制度導入の目的・背景』なる一文が掲載されているとIさんが説明されました。

『国民のみなさんが刑事裁判に参加することにより、裁判が身近でわかりやすいものとなり、司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待されています』

こういう綺麗事が述べられるのを見ると、裁判所のホンネは別にあるのではないかと、疑いたくなると、Iさんは話されました。梅爺も全く同感です。『あぁ、そうですか』とすんなり納得するわけにはいきません。我ながら、まことに厄介な性格です。

Iさんは、『裁判官に市民感覚が不足しているから、法律知識のない裁判員を導入することにより、裁判に市民感覚を反英させる』ことと『誤審などの責任追及に対する言い訳口実にする(つまり裁判官にお墨付きを与える)』ことが、裁判所側のホンネではないかと推測されておられます。

そうだとすると、裁判官の市民感覚欠如の真因がなんであり、それを解消するにはどうするかを考えるのが先決ではないかと言いたくなります。

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2008年10月26日 (日)

裁判員制度(1)

10月の『横浜フォーラム』例会は、日本と米国カリフォルニア州の双方の弁護士資格を持ち、米国を拠点に、活躍をされているIさんを講師に向かえ、来年5月から日本で始まる『裁判員制度』について、米国の『陪審員制度』などと比較しながら、法学音痴の梅爺にもわかるような、丁寧な説明をしていただきました。勿論、Iさんご自身の『意見』も拝聴しました。

Iさんは、『横浜フォーラム』を主催するMさん同様、梅爺と大学時代に男声合唱団で同期でしたので、気心の知れた仲間です。Iさんは、大学卒業後、日本や米国の企業で一時働かれましたが、その後、一念発起して、日本の大学に再入学したり、米国の大学(名門カリフォルニア州立大学バークレイ校)に留学したりして、両国の弁護士資格を取得されました。『自分の人生は自分で拓く』というタイプの素晴らしい方です。梅爺のように、日本の大企業に、『寄らば大樹の陰』と最後まで寄りかかり、なんとかサラリーマン生活を無事全うしたような人間とは、全く人間の『器』が違います。最も、誰もIさんのように、『大志』を抱いて、それを実現できるわけではありませんので、Iさんが、優れた能力に恵まれた方であることが分かります。沢山の日本企業を顧客をもたれ、日本と米国を往復する忙しい合間をぬって、今回の講演を引き受けてくださいました。

3年前のハローウィンの時に、大学時代の男声合唱団同期生が、夫婦同伴で20人以上大挙して、ロスアンゼルス郊外にあるIさん邸を訪問し、大歓迎を受けました。家中にハローウィンのお化けの凝った飾り付けが施されていて驚きました。プール付の大豪邸で、心づくしの豪華な食事を楽しみ、お酒を呑んだ勢いで、下手な合唱までやってしまいました。日本のように隣近所が近くて、気をつかわなくてはならない環境では、こうはいきません。

さて、肝心な『裁判員制度』ですが、梅爺は、日本の裁判制度に、色々な課題がありそうだとは感じていましたが、『裁判員制度』の採用が、改善の決め手なのかどうかは、深く考えたことがありませんでした。専門家が、考えたのなら、それなりの効用はあるのだろう程度の認識でした。70歳以上の国民は『裁判員』には選ばれないということで、来年68歳になる梅爺には無縁な話と言う気持ちが、頭の隅にあったからかもしれません。無責任な話で恐縮です。

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2008年10月25日 (土)

フェルメール展(東京都美術館)

世界に30点程度しかない、フェルメールの作品7点が、上野の東京都美術館で公開されているというので、梅婆と観にでかけました。人気の高い展示なので、入場までに1時間くらいは並ぶことを覚悟して行きましたが、平日(10月10日)の午後ということで、幸運にも待つことなしに入れました。

音声ガイド装置を借りましたが、これがなかなかの優れものでした。A4の紙の両面に、主要な画の縮小写真が並んで印刷されていて、それをガイド装置のペン先でタッチすると、その画の説明が音声で開始するというものでした。これなら、誰も操作に迷うことがありません。外国の美術館でも、音声ガイド装置の貸し出しはありますが、キーで指定された番号を打ち込む方式が主流で、装置も大きく重いものばかりですので、日本の技術が、小型軽量、操作性で突出していることがわかります。この種のアイデア商品を、先端技術でスマートにまとめる能力は、日本が世界一と言えるのではないでしょうか。

今回の展覧会は、フェルメールと同様、17世紀のオランダの都市デルフトが排出した、いわゆる『デルフト派』と言われる画家達の作品が、一堂に会して展示されていることが特徴です。『デルフト派』は、遠近法で建物の外観や内部(特に教会の内部)を、立体的に描くことが一つの特徴ですが、もう一つの特徴は『風俗画』として人物を描いたことです。フェルメールも建物の画や風景画も描いていますが、世界中の美術愛好家を魅了しているのは、彼の『風俗人物画』です。

同じく、オランダの巨匠レンブラントが、貴族や有名人の肖像画を多く描いたのに対して、フェルメールは、今では名前も分からないような、召使の若い女性などをモデルに描いています。これも、現代人を惹きつける要因になっているのでしょう。見事な写実ですが、よくよく観ると、現実にはありえない構図になっていたりして、その『だまし絵』のような趣向を見つけるのも、鑑賞者の楽しみの一つになっています。

当時の風俗画は、人物のしぐさや、画面になにげなく配置されている小物が、『貞節』を意味したり、『淫蕩』を意味したりと、何らかの『教訓』を暗示しているのだと、よく説明されますが、梅爺は、そんな堅いことを考えずに、息遣いが聴こえてきそうな魅惑的な女性を、ただ眺めるだけで、大いに満足です。

フェルメールの画は、青の絵の具が特徴で、当時としては大変高価な、マリンブルー(ラビスラズリという宝石に近い鉱石を材料に使用)が、ふんだんに使われています。発見された画が本当にフェルメールのものかどうかを、科学的に判定する時の決め手の一つが、このマリンブルーです。

フェルメールの絵を一挙に7点観るなどという機会は、梅爺のこの先の人生でも、もうないことにちがいありません。9月の末に、オランダのデルフトを訪ねたばかりのこともあって、一層親近感をもって、『デルフト派』や『フェルメール』を鑑賞することができました。

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2008年10月24日 (金)

駒形どぜう

Ph02 10月9日の夕刻、『十六夜会(いざよいかい)』の会合が、浅草のどじょう料理の老舗『駒形どぜう』であり、出かけました。『十六夜会』は、梅爺が仕事をしていた頃の同業4社の仲間の集まりで、その後も夫婦同伴(8組)で集まったり、旅行をしたりと親交が続いています。今回の『十六夜会』は、亭主だけの会合で、6人が出席しました。

梅爺は、ながらく東京に住みながら、浅草は、雷門、仲見世、浅草寺くらいしか知らない、田舎モノ同然なので、インターネットで『駒形どぜう』本店の地図を印刷し、色々確認しながらたどりつきました。おかげで、ようやく、雷門と隅田川にかかる駒形橋の位置関係などが頭に入りました。

『駒形どぜう』は、江戸から200年も続く、どじょう料理の名店で、一歩中へ入れば江戸の情緒を味わうことができます。どじょうは高級な食材ではなく、泥臭いと思い込んで、敬遠される方もおられますが、さすがに200年間、日本人の味覚に合わせて料理を追及してきただけあって、どの料理も梅爺には秀逸でした。活きが良いことと、何かしらの秘法があるのか、泥臭さは微塵もありません。

鉄鍋を炭火こんろに乗せ、どじょうの上にたっぷり刻んだネギをかぶせて、だし汁で煮る料理、蒲焼、柳川鍋と続き、最後のご飯につく味噌汁も『どじょう汁』という徹底振りです。

きのおけない仲間と、どじょうを食べ、お酒を呑み、談笑すると言う至福のひと時でした。『このどじょうは、養殖だろうか』と誰かがたずねた時に、すかさず一人が『いや、これは和食です』と応じて、皆で大笑いしました。『養殖(洋食)』と『和食』をかけた、オジサンギャグですが、これはなかなかの傑作です。

帰りがけの道すがら、『神田バー』なる、気になる店を見つけました。バーといっても由緒ある食堂のような店で、『電気ブラン』という酒がメニューに今でもあることで有名です。今度、浅草へ来る機会があったら、是非『電気ブラン』に挑戦してみたいと思いました。

浅草では沢山の外国人を見かけます。梅爺が今仕事で出向く麻布十番も外国人の多い街ですが、こちらは大使館などの住人が主体であるのに対して、浅草は明らかに観光客のように見受けられます。人は洋の東西を問わず気取った街並みより、人間の生活を感ずる、ぬくもりのある街並みに惹かれるのでしょう。確かに、浅草は日本情緒、江戸情緒が残る街です。

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2008年10月23日 (木)

頭かくして尻隠さず

江戸いろはカルタの『あ』、『頭かくして尻隠さず』の話です。

動物が、強い相手に襲われた時に、頭だけ穴に突っ込んで、自分は身を隠したと思っている様を、滑稽に表現したものですが、人間に例えれば、自分の能力のレベルで、『これでバレないだろう』と処理したものが、その人より能力の高い人からみれば、『すべてお見通しで、バレバレ』であるということは沢山あり、梅爺も、人生を省みて、冷や汗が流れます。『江戸いろはカルタ』の作者は、一度笑わせておいて、次の瞬間、『ゾッとさせる』名人です。人間の本質を知り尽くしていないと、そんなことはできませんし、何といっても『まともな説教』ではなく、滑稽と絡めて、表現しているところが秀逸です。『他人事(ひとごと)』として、笑ってだけ済ませてしまう人は、人生の修行がたりないことになります。

『人間は、自分の能力の範囲でしか、ものごとが見えず、判断もその範囲に限定される』という、怖い話です。梅爺も、理性ではそれは理解しているつもりですが、往々にして、周囲の人たちは『自分と同じように見、感じ、理解しているのだろう』と錯覚し、突然『そうではない』ことに気付き、呆然とすることが良くあります。

『梅爺閑話』も、『頭かくして尻隠さず』の典型で、『自分の能力のレベル』で心象を書いているわけですから、能力の高い方々には、『チャンチャラおかしい、片腹痛い』ことに違いありません。しかし、それならば、梅爺が沈黙を守って、本性や能力のレベルをバレないように保てるかと言えば、そうでもなく、『具眼の士』には、お見通しであるところが、つらいところです。

梅爺は、今更『カッコつけて生きよう』と思っても、既に手遅れに近い年齢に達していますので、『他人が自分のことをどう思うか』というようなことは、あまり気にせず『梅爺閑話』を書き続けています。下手に、取り繕って沈黙を守るよりは、反ってストレス発散には、効果がありそうだと、勝手に思い込んでいます。その分、皆様にご迷惑をかけていることには、ご容赦をお願いするしかありません。

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2008年10月22日 (水)

添乗員、現地ガイド

Dscn6602 アムステルダムの運河

日本の旅行会社のパッケージ・ツアーを利用すると、添乗員が極めて頼りになる存在であることが分かります。外国旅行が初めて、または外国語や外国文化は全く分からないという参加者でも、『外国経験』ができるのも、この人たちのおかげです。梅爺の友人の中には、『何から何まで面倒を見てもらうのでは、旅の良さがわからない。色々なハプニングこそが旅の醍醐味』『にわか作りのグループで、面識の無い人たちと旅行をするのは億劫』などの理由で、詳細にわたり自分で事前計画を立て、自分だけの海外旅行へ出かけられる方々も多いのですが、その気持ちは分からないでもありません。

しかし、パッケージ・ツアーには、『経済性』『時間の有効活用(最も効率のよい移動)』『危険回避』などを考えると長所も多く、梅爺は目的によって、使い分けるようにしています。

添乗員は、言葉を含め『経験』が売り物ですので、平均的に婚期を過ぎた独身女性の比率が高いように思います。行く先々の歴史、習慣などを詳しく勉強されていて、梅爺のような無精者で事前勉強を怠る人間には、大変ありがたい存在です。

外国の観光地では、その地に住んでおられる日本人のガイドさんが案内を担当してくれます。このガイドさんも8割以上が、女性です。この方達の中には、現地の男性と結婚して、幸せに暮らしている方もおられますが、多くは、色々な事情を抱えている方も多いと、聞いたことがあります。日本には帰れない何かの事情を抱えている人、現地人との結婚が破局してしまった人、破局はしないまでも、稼ぎの無い亭主に代わって働いている人、音楽、美術、建築などの勉強のために留学し、夢がかなわず挫折してしまった人、と裏側に潜む理由は多様であろうと想像できます。

しかし、日本に住んでいても、他人には話し難い事情を抱えて生きている人は多いわけですから、現地のガイドだけが、『不幸な人たち』とは言えないような気がします。

自分は不幸であると感じる人は多いと思いますが、アンネ・フランクのような『理不尽』に人生を翻弄された人を除いて、自分の不幸の原因を全て他人のせいにするわけにはいかないように思います。第一、幸せであるか不幸であるかと言う判定基準は、個人によって異なる相対的なものであり、自分からみて不幸に見える人が、本当に不幸なのかどうか、幸せそうに見える人が幸せなのかどうかは、分かりません。

従って、他人の境遇をみて自分と比べ、憐れんだり、羨ましがったりすることは、あまり意味のある話では無いような気がします。

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2008年10月21日 (火)

美術堪能(オランダ、ベルギー)

Dscn6521 ゴッホ『夜のカフェテラス』

梅爺は、今までの人生の中で、今回の旅行ほど、短期間に、沢山の貴重な美術品(絵画、彫刻、陶磁器)に接した経験がありません。ツアー・タイトルの『カリヨン響く旅』というより、美術館歴訪の旅と言う方が適切となりました。訪問順に列記すると以下のようになります。

マウリッツハイス美術館(ハーグ) フェルメール『真珠の耳飾の女』『デルフトの眺望』、レンブラント、など

デルフト焼工房 (デルフト) デルフト焼(磁器)の古い名作

ノートルダム大聖堂(アントワープ) ルーベンスの祭壇画3連作

ルーベンスの家(アントワープ)

バーフ大聖堂(ゲント) ヴァン・ダイク兄弟の祭壇画『神秘の子羊』

聖母教会(ブリュージュ) ミケランジェロ『聖母子像』(彫刻)

ベルギー王立美術館(ブリュッセル) ルーベンスから近代画まで多数 

クレラ・ミューラー美術館(オランダのオッテルロー) ゴッホ『夜のカフェテラス』など

オランダ国立博物館(アムステルダム) レンブラント『夜警』、フェルメール『牛乳を注ぐ女』『青い着衣の女』など

ゴッホ美術館(アムステルダム) 『ひまわり』など年代別に作品多数

美術館では、最低2時間をかけて、鑑賞をしました。あまりに沢山の作品を短期間に観たので、帰国直後の今でさえ、どこで何を観たかを正確に思い出せないほどです。歳をとって、記憶力が極度に減退していることもありますが、なんとも、もったいない話です。残されている作品の数が少ないことで有名なフェルメールの画を、短期間に4点観ることができたのは、幸運なことでした。

絵画に特別の造詣を持たない梅爺ですが、人間が『心』を表現しようとする絵画や彫刻には強く惹きつけられます。写真がなかった時代の、見事な写実技法や、光を巧みに利用した表現も驚きですが、ゴッホのような研ぎ澄まされたその時々の『精神』の表現には、圧倒されます。

画を描く、像を彫る、などということは人間だけができることですが、それだけに、人間の不思議さ、素晴らしさを再認識することができました。

今回の旅行は、美術堪能の旅であった考えれば、それだけで十分満足できる内容でした。

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2008年10月20日 (月)

ブリュッセル

Dscn6460 ブリュッセル、サブロン広場

ベルギーの首都ブリュッセルは、最初レバント公国の首都として繁栄し、その後、ブリュゴーニュ候国、ハプスブルグ家(スペイン)の支配下にあったという複雑な歴史を持つヨーロッパの都市です。ベルギーがアフリカのコンゴを植民地にしていた影響で、街で黒人系の人を見受ける度合いは、オランダよりは高いように感じました。一方オランダは、インドネシアを植民地にしていたことで、黒人系の人より、東南アジア系の人を多く見受けます。

旧市街の中心広場、グラン・パレス(マルクト広場)は、中世の面影をそのまま残し、世界遺産に指定されています。ヨーロッパの他の都市同様に、市庁舎やギルドハウスが広場を囲んでいます。

ブリュッセルの象徴とも言える『小便小僧の像』は、世界中から贈られた民族衣装をまとうことで有名で、梅爺が訪れた時には、ベルギーの昔の兵隊さんのような格好をしていました。日本からも、桃太郎の衣装や、鎧兜が贈られているということでした。

小国ベルギーの首都ブリュッセルが、ある意味でヨーロッパの中心と言えるのは、EU本部、NATO本部がここに設置されているからです。比較的粗野な印象を受けるオランダの都市と異なり、洗練された都市のイメージを受けるのはそのためでしょう。逆に、『これぞベルギー』という特徴が無いとも言えます。

80%の人がフランス語を話すと言うこともあり、フランス文化の影響も強く受けていて、特にフランス料理や洗練されたチョコレート菓子が有名です。

梅爺と梅婆は、自由時間の大半を『王立美術館』の画を鑑賞することに使いました。ベルギー王立美術館展は、最近東京でも開催され、このとき観た画の多くに、再会することができました。『王立美術館』は、表向きの古い建築様式からは想像できない、地下8階までに拡張された広大な美術館で、ルーベンス、ヴァン・ダイクなどの古典から、ルネ・マグリットの近代シューレ・リアリズムのようなものまでを収めています。日本の美術展のように、押すな押すなの雑踏の中で画を観るのとは異なり、静寂の中でゆったり鑑賞できるのは、ありがたいことですが、ざっと観て廻るだけでも、かなりの歩数を歩くことになりますので、美術館は、老人には結構きつい所です。楽あれば苦あり、ということなので、双方を同時に味わえることは、幸せなことなのだと自分に言い聞かせて、観て回りました。

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2008年10月19日 (日)

ブリュージュ

Dscn6279 ブリュージュの運河

ベルギーのブリュージュの旧市街は、中世のブルゴーニュ候国時代の街並みがそのまま残されていて、世界遺産に指定されています。頑張れば、歩いて観て廻るまこともできますが、街の中心のマルクト広場からは、イヤホーンを介して説明を聞くことができる観光巡回バスも出発します。このほかに、運河を利用した観光巡回船もあります。観光バスにも、観光船にも、『日本語による説明』が用意してありますので、いかに多くの日本人観光客がこの街を訪れているかがわかります。梅爺は欲張って、観光バスと観光船の両方に乗りました。

ヨーロッパには、中世の面影を残す都市は沢山ありますが、その規模、美しさなどを総合して、ブリュージュは、梅爺のお気に入りと言う点で、イタリアのベニスと双璧です。マルクト広場のカリヨンが鳴り響く鐘楼、ブルグ広場の市庁舎、聖母教会、ヘギン会修道院などどこを見ても、絵葉書のような景色で、日本では味わえない『異次元の世界』へ迷い込んだような錯覚に陥ります。

聖母教会には、ミケランジェロの彫刻『聖母子像』があり、イタリア以外でミケランジェロの彫刻を初めて観ました。バチカンの『ピエタ』には及びませんが、さすがに素晴らしい作品と感じました。富豪の商人が、イタリアから買って持ち帰ったものとのことでした。

ブルグ広場に面した古い教会のバジリック聖血礼拝堂に、『キリストの血』が聖遺物として飾られているというので、ご開帳の時間に合わせて、梅爺は好奇心丸出しで拝観に出向きました。カトリックの高僧が、恭しく監視する前に進み出て、ガラスの管のようなものの中にある、羊の毛に染み込ませた『キリストの血』なるものを観ることができました。2千年前の血ですので、黒褐色に変色しているものと予想していましたが、意外に赤みを残していてビックリしました。十字軍の遠征に加わったアルザスのデリック候が、エルサレムから持ち帰ったものとされています。

キリストの死後、約1000年も経ってから、こんなものをエルサレムで見つけたという話もさることながら、更に1000年経った今日まで、血の赤みが残っているということも、梅爺には、信じがたい話です。

本当にキリストの血であれば、現代科学は、DNA鑑定などで、父親は『神』ではなく『人間』であることや、『処女マリア』が『処女ではない』ことなどを証明し、カトリックが困るような事態になりかねません。この血を科学鑑定したという話は聞いていませんので、教会側は、色々な理由をつけて拒否しているのでしょう。このほかにも、ベルギーのナミュールという街の教会には、キリストの十字架の木片の一部が、『聖遺物』として祀られていた(現在は別の場所へ移管されているらしい)という話も聞きました。信仰を深めるために昔は重要な役割を果たしたのかもしれませんが、現代人には、むしろ懐疑を抱かせるもので、カトリックにとっては、『聖遺物』は、諸刃の剣になるのではないかと、少し心配になりました。

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2008年10月18日 (土)

ゲント(神秘の子羊)

350pxlamgods_open 祭壇画『神秘の子羊』

アントワープからブリュージュへ移動する途中に、ゲントに立ち寄り、聖バーフ教会の有名な祭壇画『神秘の子羊』を拝観しました。16世紀に、画家ヴァン・ダイク兄弟が描いた画で、観音開きになる板の扉の両面および、開いたときの奥面に、色々な画が分割されて描かれています。ベルギーの『七大秘宝』の一つになっていて、ガラス張りの部屋で厳重に管理されています。

アダムとイヴ(裸体はけしからんということで、一時着衣に描きなおされたようですが、今は裸体に戻っています)、キリスト、マリア、バプテスマのヨハネ、最初の弟子達、歴代の聖人達などが、丹念に描きこまれていますが、最も難解なのは、開帳時の奥面中央に描かれた、胸から血がほとばしり出ている子羊の画です。人々の罪を背負って贖(あがな)うために、十字架で血を流したキリストを象徴するものという解釈が一般的ですが、子羊は、苦しんでいる様子もなく、無表情にこちらを向いて立っています。キリスト教では、信者は『神の子羊』と表現され、それを導く牧者としてキリストが遣わされたとされていますが、ここでは、キリスト自身が『神の子羊』として描かれていることになります。胸からほとばしる血を杯で受けている様子が描かれていて、これは『聖杯』を意味するものなのか、教会で儀式に使われる赤ワインを信者が飲む杯を意味するものなのか、どちらかであろうと梅爺は感じました。

子羊の手前には、水が流れ出る井戸が描かれていますが、これは、『永遠の命』を象徴するものではないかと思います。

16世紀の庶民に、キリスト教の教義を、視覚化された画で教えようとしたものであろうと思いますが、抽象的な概念(贖罪)を画にした珍しいものであることは確かです。

ただ、この画のスポンサーになった金持ち商人夫妻の肖像も、扉裏面の左右に、ちゃっかり描かれている(上の写真は扉が開いた状態なので見えない)に、梅爺は失礼ながら笑ってしまいました。自分達の信心深さを示そうとしたのでしょうが、画の深遠なテーマからは、程遠い、金で贖(あがな)った俗世間の『自己顕示欲』が同居しているところが、なんとも不釣合いです。しかし、人間の本性は、何時の世も同じとみれば、親近感もわいて来ます。

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2008年10月17日 (金)

アントワープ

Dscn6190 マルクト広場

アントワープは、黒海に面するベルギーの港町です。16世紀に少し内陸部にあるブリュージュに代わって、この地方の中心地になりました。ブリュージュはこれによって寂れたおかげで、中世のままの街並みが今に残る『ヨーロッパ屈指の観光名所』になっています。

ヨーロッパの古い都市は、中心部に『マルクト広場』と呼ばれる広場があり、その広場を囲むように、市庁舎や、業種ごとの寄り合い所である『ギルドハウス』と呼ばれる建物が、軒を並べています。『マルクト広場』は、その名のとおり、朝市などのマーケットがひらかれていた場所なのでしょう。王侯や騎士が威張っているようでも、都市の繁栄は、結局経済的な実権を握る商人達が主人公であったことがわかります。これは、現代にも通ずる話のように感じました。大胆に言ってしまえば、現在、日本が世界の『大国』の一員であるのは、経済活動を行ってきた人たちの業績で、政治家の業績とは思えません。首相が代わろうが、政権与党が代わろうが、この構造は変わりません。

アントワープにも、ギルドハウスに囲まれたマルクと広場がありますが、梅爺が今まで見てきた他の都市の光景とあまりにも似ていますので、数年後に記念写真を見ても、アントワープと言い当てる自信がありません。

アントワープで有名なのは、ノートルダム大聖堂にある、画家ルーベンスが描いた3枚の大きな祭壇画の連作です。『キリストが十字架にかけられる直前の画』『十字架から降ろされた直後の画』『マリアの昇天の画』がそれです。中世の人たちの大半は、ラテン語の聖書などは読めなかったわけですから、画が最大の宣教手段であったことがわかります。

アントワープには、ルーベンスの家も残されていて、博物館になっていますが、その大邸宅ぶりにはビックリします。ルーベンスは、生前に大成功を収めた画家であることが分かります。才能もあり、世渡りもうまかったのでしょう。『世渡りのうまい芸術家』の中には、なんとなく、いかがわしい人物もいないわけではありませんが、ことルーベンスに限っては、残された作品を観る限り、彼が天才的な画家であったことは疑いようがありません。

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2008年10月16日 (木)

ベルギーの印象(2)

Dscn6261 ムール貝の白ワイン蒸し

ベルギーは、日本やオランダと同じく、立憲君主制で、ヨーロッパでは小国に属します。小国であるが故に、変に自分の主張をゴリ押しすることがなかろうということで、EU本部がベルギーの首都ブリュッセルに設置されたのだと、ガイドさんが説明してくれました。勿論、ごく最近まで共産主義国であったような国と異なり、民主主義が成熟した形で根付いていること、イギリス、フランス、ドイツなどからも近いことなども、EU本部設置の理由であったにちがいありません。

結果的に、多くの外交官がベルギーに住まうことになり、ベルギーにとっては経済的にも有利な条件を獲得したことになります。外交においては、へたに踏ん張って大国であることを主張するより、小国であることの利を活かすことが有利であることを示す一つの事例です。人間も、自分はなかなかの人物ですとほのめかす人は敬遠され、何も取得の無い人間ですと、素直に認める人のほうが、周囲から可愛がられることが多いのと似ています。ブリュッセルはNATO(北大西洋条約機構)本部の誘致にも成功しています。

中世のベルギー(ブルゴーニュ候国)は、ヨーロッパの最も文明が進んだ地域でしたし、イギリス人アガサ・クリスティの推理小説に登場する『優れた灰色の脳』の持ち主である探偵エルキュール・ポアロはベルギー人ということになっていますので、ヨーロッパ人の間でも洗練された国のイメージが定着しているのかもしれません。

フランスの影響も受けていて、ベルギーは『美食の国』としても有名です。洗練されたチョコレート菓子も、世界中に知れわたったブランドとして売られています。今回の旅行でも、名物である色々な種類のワッフルや、ムール貝の白ワイン蒸し、フォアグラのムースなどを、楽しむことができました。ジャガイモ、チーズ、ソーセージなどが主体の、どちらかというと少し田舎風のオランダ料理にくらべて、何を食べても洗練されているような気がしました。

観光が国の主要な収入源であることと、ヨーロッパの政治経済の中心地であることから、英語はごく当たり前に通用することも、中華思想で英語が街中であまり通用しないフランスなどと異なっています。

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2008年10月15日 (水)

ベルギーの印象(1)

Dscn6283 ブリュージュの景色

ベルギーは、人種、言語、宗教の複雑な絡み合いで、歴史的にできた『奇妙な国家』です。純粋な『ベルギー人』という人種がいるわけでもなく、純粋な『ベルギー語』という言葉があるわけでもありません。北半分は、主としてオランダ系の人たちが住み、言葉もフラマン語(オランダ語)が主流ですが、南半分はフランス系の人たちが住んでいて、言葉はフランス語が主流です。どうして、こんなことになってしまったのかと言えば、現在のベルギー北部に住むオランダ人はカトリック教徒で、プロテスタントの人たちがスペインに反抗してオランダが独立した時に、これに組せずスペインの支配下で残ったからです。日本人は、国家を構成する要因は、人種、言語が優先されると考えますが、宗教が優先される場合もあることが分かります。

現在でも、ベルギーでは、国を北と南に二つに分けようという議論が、繰り返されているとガイドさんが教えてくれました。アントワープ、ブリュージュ、ゲントなどの観光都市は全て北に属し、農業主体の南とは経済格差があることも、その原因の一つのようです。南半分の人たちは、フランスに併合されてもかまわないと主張しているとのことでした。しかし、なかなか分裂に踏み切れないのは、首都ブリュッセルをどちらが保有するかということと、ベルギー王室がどちらに所属するかということに、解答が見付からないからだということでした。これまた、日本では、想像できないような議論です。そう言われてみると確かに首都ブリュッセルは、地域的にはオランダ語圏ではありますが、微妙な境界近くに位置します。

15世紀に、アントワープ、ブリュージュなどはブルゴーニュ候国の主要都市でした。小国であったブルゴーニュ候国は、隣国フランスの圧力に対抗するため、王女マリーがウィーンのハプスブルグ家のマキシミリアン1世と結婚することで、王として迎え、難局を切り抜けました。ハプスブルグ家がヨーロッパの巨大な勢力になるきっかけがこの結婚でした。しかし、当時のウィーンはヨーロッパの『田舎』で、アントワープやブリュージュの方が、圧倒的に高い文化レベルであったと言われています。この辺の事情は、前に『マキシミリアン1世』というブログに書いたことがあります。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_949b.html

ブリュージュの教会などには、マリーの像などが聖人と一緒に飾られていますので、現地の人に慕われていたことが分かります。ヨーロッパの歴史は、王族同士の政略結婚などで、関係が非常に複雑であり、その影響が、思わぬ点と点で結ばれることがあるという、一つの事例です。

一つの国の中に、複数の言語圏があるということは、ベルギーだけではありませんが、日本人には想像することが難しい環境です。ベルギーは、フラマン語(オランダ語)とフランス語を両方公式言語にしているために、行政や教育の負担が重いであろうことは推測できます。ベルギーは、高校までを義務教育としている高い教育レベルを誇る国ですが、言葉の問題が背後にあるのかもしれません。

日本は、大変恵まれた環境の国であることが、良く分かります。

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2008年10月14日 (火)

アンネ・フランクの家

Dscn6562 アンネ・フランクの像

残念なことに、人間の歴史の中には、人間同士の『大量殺戮』の例は、数え切れないほどありますが、もっとも悲惨なものが、たった65年ほど前のできごとであったということに、心が暗くなります。ユダヤ人が、『ユダヤ人』であるという理由だけで、数百万人もナチに殺されたという事実は、人間は、『限りなく気高い存在』である一方、『信念のためなら限りなく獰猛になる存在』であることを示しています。ヒトラーの信念は、私達から観れば歪んだ狂気と言えますが、ヒトラーは、『自分が正しい』と『本当に確信していた』ということと、彼の信念を受け容れた多くのドイツ人は、普通の人間であったということに、恐ろしさを感じます。梅爺も普通の人間であるからです。

アムステルダムには、『アンネの日記』の著者、アンネ・フランク一家が、密告によって、ゲシュタポに踏み込まれるまでの約2年間隠れ住んでいた場所が、『アンネ・フランク・ハウス』として残され、公開されています。梅爺は、大学生の頃に『アンネの日記』を読みましたが、ひどい話だと感傷的にとらえただけで、その頃は『限りなく気高い存在』と『限りなく獰猛な存在』の際立った対比としてとらえるだけの人生経験がなかったように思います。

アンネ一家は、1933年にヒトラーが政権を握り、『ユダヤ人狩り』を始めた時にはドイツに住んでいましたが、なんとかオランダへの脱出に成功します。しかし、1940年にドイツがオランダを占領し、再び身の危険を感じ、支援者の協力の下に、2年間『隠れ家』生活をする羽目になりました。

アンネの父親が経営していた食品販売会社のオフィス、倉庫があった建物の倉庫部分を改造し、『隠れ家』にしましたが、訪れてみると、本棚のように見せかけた秘密の入り口や、人一人がようやく通れるような急な階段などの奥に、陽がさしこまない狭い居住部屋があったことが分かります。まるで忍者屋敷のような構造です。電球の明かりだけの元で、トイレの排水音にまで気を配って、息を殺しながら生きていた人たちを想像するだけで、やりきれなくなります。

残されているアンネの写真を見ると、大人びていますが、このときアンネは13歳から14歳で、日本で言えば中学生の年齢です。残されている日記の原本を見ると、達筆なオランダ語(に梅爺には見える)で、空白が無いほどにびっしり書かれていて、アンネの性格をうかがわせます。自分の力ではどうにもならない『理不尽』の中で、懸命に夢や希望や期待や、感謝の気持ちまでも語っています。アンネは将来作家になる夢を持っていました。生前にその夢はかないませんでしたが、『アンネの日記』は、どの作家も追従できないほどの、世界的なだ大ベストセラーになりました。

アンネが日記を残したことで、特別にとりざたされますが、殺された何百万人のユダヤ人の誰もが、日記を残さなかっただけで、アンネと同じように、夢や希望を抱き、感謝することのできる人たちであったであろうことに思いを馳せると、『大量殺戮』の非道さをあらためて痛感します。殺した方も、殺された方も『人間』ですから、生物の中で、『人間』ほど異常な存在はないことが分かります。人間の脳の進化が、『素晴らしい人間』と『やりきれない人間』を、双方生み出す要因になっています。

隠れ家に潜んでいた、アンネ一家の4人(両親と姉、アンネ)を含む、8人は、収容所へ送られ、終戦後、父親だけが、アウシュビッツから生還しました。残りは7人は、ガス毒殺か病死(アンネも)で命を落としました。その中には、アンネが、一緒に隠れ住んで、淡い恋心を寄せていたペーターも含まれています。

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2008年10月13日 (月)

アムステルダム

Dscn6625 傾いている家

アムステルダムは、干拓地に作られた人工の都市です。イタリアのベニス(ベネチア)と同様ですが、規模はもっと壮大です。8000本以上の木材の杭を打ち込み、地盤を強化したと言われています。外国に木材を依存しなければならないオランダにとっては、困難な干拓事業に加えて、これは大変な経済的な負担であったにちがいありません。こんな思いをしてまで、人工の都市を作る必然性は、黒海を利用した海洋貿易の利点が、コスト負担の不利を補うほどのものであったからなのでしょう。ベニスも同様ですが、ベニスは更に、陸路からの敵の侵攻を水路で防ぐ、要塞都市でもありました。

アムステルダムは、軟弱な地盤のために、建造物は、軽くする目的で、石材を避け、レンガと木材にたよりましたが、それでも、街並みを構成する家屋の多くが、左右または前後に傾いている様子が、肉眼でもはっきり分かるほどです。この様子が、他のヨーロッパの都市に無い『不安定な雑然さ』を生み出していると梅爺は感じました。大きな地震などに見舞われたら、どうなるのかと心配になります。

幾重にも環状に掘られた運河と、それを縦に結ぶ運河、更に自然のアムステル川を水路にして、複雑に都市は構成されており、主要な橋は、大きな船を通すために『跳ね橋』になっていて、アムステルダムの観光名所になっています。自由時間に、梅爺達も、運河をめぐる観光船に乗り船からの景観を楽しみました。同行した添乗員が3ユーロのチップを船長に渡すことで『日本語の音声解説テープ』を流してもらえました。チップの効力は絶大です。

ダイヤモンドの原石の集積地(有名な研磨工場がある)であること、『飾り窓』の歓楽街があること、それに、複雑な運河があることなどで、アムステルダムは、犯罪小説や犯罪映画には、数多く登場します。『しっとりとしたヨーロッパの街』というより、ニューヨークに似た『猥雑で活気に満ちた街』の印象を受けました。

デパートやスーパーマーケットを覗いてみても、東京の洗練された店舗には、遠く及びません。自慢できることかどうかは別問題として、東京は、世界の中で頭抜けた『近代都市』であることが分かります。

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2008年10月12日 (日)

デルフト

Dscn6148 デルフト焼、チューリップ専用花瓶

オランダのハーグとロッテルダムの間に位置するデルフトは、17世紀の画家フェルメールの出身地として有名です。フェルメールが残した作品は数少ないのですが、きめ細かい写実と、独特の色使いで、世界の絵画愛好家を惹きつけて止みません。現在、東京上野の東京都美術館で、『フェルメール展』が開催されていて、世界中から集められた7枚が公開されていますので、是非観にいきたいと考えています。

ハーグのマウリッツハイス美術館にフェルメールの最も有名な『真珠の耳飾の女』と『デルフトの眺望』という画があり、今回の旅行で観ましたが、『デルフトの眺望』は、いくつかの景色をフェルメールが合成したもので、デルフトを訪れても、この画と同じ眺望の場所は見付かりません。

デルフトで有名なものは、『デルフト焼』と言われる陶磁器で、『デルフト・ブルー』と呼ばれる青で描かれた図柄を特徴としています。今回は、デルフト焼の工房を訪れ、製作過程や絵付けの現場を見学しました。

ヨーロッパには固有の陶器は昔からありましたが、東インド会社が、中国、日本から持ち帰った『磁器』を見て、その光沢や図柄の色合いに、人々は驚嘆しました。王侯貴族が競って蒐集するようになり、宝石よりも貴重なものとして珍重されました。何とか、自分達でも『同じようなもの(磁器)』がつくれないかと、惨憺苦心をした結果、ドイツのマイセンで、『マイセン焼』が完成します。勿論、門外不出の『秘法』として、この技術はザクセン王国が独占しましたが、その後、この技法は、他のヨーロッパ各地に伝わり、ハンガリーの『ヘレンド』、デンマークの『ロイヤル・コペンハーゲン』、イギリスの『ウェッジウッド』などが生まれました。オランダの『デルフト』もその一つです。梅爺は以前、『マイセン』『ロイヤル・コペンハーゲン』の工房を見学したことがあります。

日本、中国、韓国などの、素晴らしい『磁器』を見慣れている梅爺のような日本人には、ヨーロッパの磁器が、特別優れたものには見えませんが、今では、日本の観光客が、高いお金を払って、土産として買い求めるブランド品になっています。

ヨーロッパの人たちが、中国や日本の図柄を真似して描いた、東洋の風俗画や静物画は、梅爺には『似て非なるもの』に見えます。同じように、日本人のオペラ歌手がかつらをかぶり、化粧をして『カルメン』や『ジークフリート』を演じても、ヨーロッパの人たちには『似て非なるもの』と感じているのかもしれません。

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2008年10月11日 (土)

ハーグ(国際司法裁判所)

Dscn6103国際司法裁判所『平和宮』

オランダのハーグという都市は、森の中に王宮(現在の王族の居住地)があったり、国会議事堂として使われている古いビネンホフ宮があったりして、落ち着いた風情の街並みでした。日本人が見れば、なんでもないような古い建造物に使われている木材が、実は、木材資源の無かったオランダでは、大変貴重なものであったようです。長崎の出島にやってきたオランダ人は、日本の木材をふんだんに使った建造物をみて、さぞかし、ビックリしたことでしょう。所変われば、価値観がかわるという典型的な例です。

ハーグで、一番有名な場所は、国連の『国際司法裁判所』が置かれている『平和宮』でしょう。これも古い建造物を流用しています。設置当時、アメリカのカーネギー財団の資金援助で改装をしたとのことで、共産主義嫌いのアメリカの意向もあり、ソ連や中国からの寄進物は目立たないところに置かれ、日本などからの寄進物は、良い場所に飾られているとガイドさんが教えてくれました。本当なら、なんとも『生臭い平和』だなと、梅爺は笑ってしまいました。

歴代、日本からも何人かの『判事』が、任官していますが、現在の14名の国際判事のお一人が、雅子妃のお父様の小和田氏です。

日本人は、江戸時代に西欧の文明や科学を伝えてくれた、シーボルトなどのオランダ人に親しみを感じていますが、第二次世界大戦の後、日本に賠償金を求めたオランダ(植民地インドネシアでの戦闘など)としては、必ずしも全員が日本に好感をもっているわけではないと、これもガイドさんが教えてくれました。

『国際司法裁判所』は、勿論有効な機関であるとは思いますが、紛争の当事国が双方、ここで争うことを合意しないと裁判は始まりませんので、本当にややこしい問題は、なかなか持ち込まれないのではないでしょうか。

日本は、『竹島問題』を、ここで争おうと韓国に提案していますが、韓国は不利と判断したのか、応じていません。北朝鮮の『拉致問題』なども、本来ここで決着をつけられれば、被害家族が、これほど永く苦しむことはないと思われますが、北朝鮮が応ずるはずもありません。

『話し合いによる平和的な問題解決』などということは、『言うは易く、行うは難し』であることが分かります。

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2008年10月10日 (金)

オランダの印象(2)

Dscn6598 アムステルダム、運河の跳ね橋

オランダは、日本語の通称で、正式国名の英語表示は『Kingdom of the Netherlands』です。『オランダ』は、俗称の『Holland』を、江戸時代の日本人が耳で聞いてつけた名前なのでしょう。正式国名からも分かるように、オランダは、日本と同じく王室を持つ立憲君主制の国です。首都はアムステルダムですが、皇族の普段の住まいや、国の議会や行政機構は、ハーグにあります。アムステルダムにも王宮があり、現在のベアトリクス女王は、公務がある時だけ、ハーグからアムステルダムへ向かいます。アムステルダムの王宮は、街の中心のダム広場にあり、特別厳重な警戒体制は見受けられませんでした。日本よりは、ずっと『開かれた王室』なのでしょう。

オランダが、17世紀に宗主国スペイン(ハプスブルグ家)から、独立をすることになったきっかけは、宗教改革で、プロテスタントのカルヴァン派が広まり、カトリックを強制するスペインへの反抗があったからと言われています。現在も、オランダはプロテスタントの国と言われていて、現地でもそのような説明を受けました。確かに、プロテスタントの教会も沢山ありました。プロテスタントの教会は、外観はカトリックの教会と同じように立派ですが、偶像崇拝がないために、ステンドグラスの窓や、聖人像などは飾られていませんので、観光客を呼ぶ対象にはなりません。日本では、プロテスタントよりカトリックの方が、戒律が厳しいような印象を受けますが、オランダでは、逆であると聞きました。

しかし、帰国してからインターネットで調べてみましたら、オランダでは、『無宗教』40%、『カトリック』30%、『プロテスタント』20%であることが分かりました。これで、『オランダはプロテスタントの国』というのは、オーバーな気がしますが、厳格な生活を守るプロテスタントの印象が強いためかもしれません。『無宗教』40%は、ヨーロッパの中では高い比率ではないかと思います。

契約社会で、労働契約時間が過ぎると、忙しくても仕事を打ち切ってしまうということなので、特別『自己主張』の強い国なのかもしれません。日本とはかなり異なった文化の国であると理解しておく必要がありそうです。

オランダというと、日本人は『風車』『チューリップ』『チーズ』を思い浮かべ、のどかな印象を持ちますが、干拓で領土を広げたような国で、肥沃な農耕地や、建築用の石材、木材もなく、牧畜に頼らざるを得なかったという厳しい事情が裏側にあることを感じました。地球温暖化が進行し、メキシコ暖流に異変が生じたりすると、日本などとは比べ物にならない大打撃(領土の沈没、寒冷化)を受ける国であると言えそうです。

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2008年10月 9日 (木)

オランダの印象(1)

Dscn6614アムステルダムの王宮

オランダに入国して直ぐ気がつくことは、人々の体格が大きいと言うことです。昔日本でも有名だった柔道家のヘーシンクのような大男を、沢山街で見かけます。梅爺の背丈は180センチで、日本人としては大きい方ですが、オランダでは、ごく普通ということになってしまいます。80%以上をゲルマン人種が占めるためなのでしょう。大きな身体と重い体重を支えることが困難と見えて、歩行がおぼつかない老人を多く街で見受けました。

干拓地で、建築用の石材や木材に恵まれないオランダは、レンガ造りの家が多く、地上階と上層階は、日本では考えられないような狭く急な階段で結ばれています。大きな体格の人や、特に老人はさぞ大変であろうと、同情してしまいました。

国土の大半が平地であることもあってか、自転車の普及率が高いことも、直ぐに気付きます。街の歩道と車道の間には、自転車専用道があって、ここを、信号などを無視して、大男、大女が猛スピードで自転車が走ってきます。慣れない日本人がよく事故に遭遇するとみえて、何度もガイドさんから、気をつけるように注意を受けました。日本と風習が異なり、事故の場合は、不注意であった歩行者が悪いことになるということなるらしいのです。

もう一つ、面白いと思ったのは、オランダ人は、少々の雨が降っても傘をささないということです。アムステルダム滞在中の自由時間に、日本なら『かなりのドシャ降り』に遭遇しましたが、ほとんどの人が、ずぶ濡れになりながら、傘を差さずに歩いているのにビックリしました。昔、我が家にドイツ人の少年をホームスティさせたことがあり、その子からも、『日本人は、どうして少しの雨でも傘をさすのか』と質問を受け、答に窮したことを思い出しました。オランダもドイツも、別に雨の少ない国ではありませんので、何故彼らが雨でも傘を差さないのか、今でも梅爺は、理由が分かりません。濡れることを、さほど不快と感じないのであろうと想像はしますが、なんとも不思議な話です。些細なことのようですが、このようなことを『異文化』として、日本人は理解する必要がありそうです。

『安楽死が法的に認められている』『売春(飾り窓の女)が許容されている』『大麻が黙認されている』『同性愛者同士の結婚が認められている』ことなども、日本人からみるとオランダに関する『異文化』です。勿論、これらのことはオランダでも『当然のこと』というわけではなく、是非の議論が繰り返されているようですが、『個人の自由をできるだけ法で規制しない』という、基本的な考え方が、根底にあることを理解する必要があります。一番重要なことを定め、それをベースに論理でものを考える、というのが欧米人の特徴ですが、日本人は、その風習がなく、末端の事象の良し悪しから論ずることが多く、議論がかみ合わなくなります。梅爺も日本人なので、『論理に縛られて窮屈な判断しかできないのはバカらしい』と感ずることもあるのですが、少なくとも欧米人の気質は理解する必要があると考えています。どちらが良いかは、簡単には判断ができません。

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2008年10月 8日 (水)

オランダ、ベルギーへの旅(2)

Dscn6243 ベルギー、ゲントの風景

今回の旅行は、阪神航空という旅行会社の『カリヨン響くベルギーとオランダ10日間』というパッケージ・ツアーを利用しました。カリヨンというのは、教会の鐘楼などに設置された、複数の音色の鐘のことです。時間になると、街中に音楽が鳴り響きます。阪神航空のパッケージ・ツアーは、値段の割りに、ホテル、食事などが充実しており、自由時間も多くて、ゆったり旅ができますので、気に入って、過去にも何度か利用しました。旅行中、携帯型無線レシーバーが貸与されますので、人ごみの中や、少し離れたところからでも、添乗員や現地ガイドさんの声が聞き取れ、大変重宝しました。参加者は12名(男5人、女7名)で、夫婦者は、私達を含めて2組でした。

往復は、成田、アムステルダム(スキポール空港)間の直行便で、オランダ(ハーグ、アムステルダム、デルフト、キンデルダイク)、ベルギー(アントワープ、ゲント、ブリュージュ、ナミュール、デュルビュイ、ブリュッセル)内の移動は、専用の大型バスを利用しました。

梅爺は、スキポール空港は、前に何度もトランジットで通過したことがありますが、オランダ、ベルギーへ入国するのは初めてで、何から何まで『初体験』ということになりました。両国とも、英語が街中でも通用しますので、自由時間もあまり不自由はしませんでした。スリやカッパライなどに遭遇する危険度は、他のヨーロッパと変わらないということなので、貴重品は、肌身離さず、細心の注意をしながら行動しました。

喫煙癖のある梅爺は、海外旅行では、喫煙場所が限定され、いつも苦労しますが、オランダ、ベルギーともに、日本並みの規制で、それほど、苦痛を感じませんでした。喫煙者の比率も、日本と同程度ではないかと感じました。

ヨーロッパの国々は、名前を聞くと大国のように日本人は感じますが、日本より面積が広いのは、フランス、スペイン、ノルウエーだけで、あとは、全て日本より狭い国ばかりです。オランダ、ベルギーも日本に比べると小さい国です。ただし、ヨーロッパはアルプスなどを除くと、人が住める平地の比率は、日本より圧倒的に高いので、丘陵地、牧草地、耕地が広がる景色は、日本とはかなり風情が異なりますし、平均人口密度も日本に比べて低いので、ゆったりした感じを受けます。特に、干拓地の多いオランダは、山らしいものが見当たりません。

ヨーロッパで面白いのは、国と言葉が必ずしも1対1で対応していないことです。オランダは、オランダ語(フラマン語)が公式言語ですが、ベルギーは、北はフラマン語、南はフランス語で、ベルギー語というのはありません。ベルギーは、公式言語としてフラマン語とフランス語と、二つを採用していますので、道路標識などは、二つの言葉が併記されています。

ヨーロッパの国々は、互いに近接している上に、歴史的にも他国の支配を受けるようなことが多かったために、人々の多くは、生活していく上で、母国語以外の外国語を話す必要に迫られ、複数の言葉を理解していることは、珍しくありません。私達のツアーのバスの運転手(ベルギー人)も、4ヶ国語を話せると言っていました。日本語だけで生きていける日本人の『外国語』感覚とは、決定的に異なっています。

梅爺は、オランダ語(フラマン語)は理解できませんが、綴りが英語、ドイツ語に似ているために、看板を見て内容を想像することができるケースが多くありました。このような言語の近似性から、オランダ人が英語やドイツ語を話すことは、日本人が英語やドイツ語を学ぶことより、ずっと簡単なのだろうと思いました。

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2008年10月 7日 (火)

オランダ、ベルギーへの旅(1)

Dscn6161_2 オランダ、キンデルダイクの風車群

人は、『非日常』の中に身を置くと、心が高揚したり、不安になったりします。『病気』などのネガティブな『非日常』では、不安や悲観に苛まれることになりますが、ポジティブな『非日常』は、『楽しさ』の源泉になります。ポジティブな『非日常』には、好奇心の対象となるものが、こちらから求めることなく、向こうから押し寄せてきますので、その体験は『楽しさ』や『満足感』をもたらしてくれます。

人は、『日常』を変えたくないという保守的な気持ちと、『日常』を変えてみたいという革新的な気持ちを、両方持ち合わせています。勿論人によって、その度合いやバランスは異なります。一般に、『日常』を変えないことは『平穏無事』であり、『日常』を変える事が『危険に身を晒すこと』と考えられがちですが、実際には、その逆のこともあるのが、人生の奥深いところです。『日常』を変えようとする努力を多くする人の方が、『幅広い豊かな人生』を送ることができるように梅爺は感じています。ここで『豊かな』というのは、経済的な意味ではありません。

手っ取り早く『非日常』を体験する方法は、読書ですが、これ以外にも、自ら芸術活動をすること、芸術鑑賞をすること、自らスポーツをすること、スポーツの観戦をすることも、『非日常』の体験と言えます。

『旅』は、典型的な『非日常』の体験で、特に『海外旅行』は、自分達と容貌、言葉、習慣、歴史、考え方が異なる人たちの中に、身を置くわけですから、最高の『非日常体験』ということになります。

もっとも、『旅』や『海外旅行』は、『金』『時間』『健康』がそろっていないと実現できません。逆に言えば、『金』『時間』『健康』さえそろっていれば、誰でも体験できることでもありますので、『旅』や『海外旅行』をすること自体は、それほど自慢に値することとは言えません。本当は、自分だけしか体験できない『非日常の世界』を保有していることが、最も素晴らしいことです。

梅爺と梅婆は、9月22日から10月1日までの10日間、『手っ取り早い非日常体験』を求めて、オランダ、ベルギーを旅行してきました。2人揃って健康でないとできないことですので、その条件を満たせる現状に、感謝しています。

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2008年10月 6日 (月)

亭主の好きな赤烏帽子

江戸いろはカルタの『て』、『亭主の好きな赤烏帽子』の話です。

誰がどう見ても似合わないものを、自分には似合っていると思い込んで、好んで身にまとう亭主に、家族が、本心では苦々しく思いながら、『亭主なのでしかたがない』と黙って従っている様子が眼に浮かびます。家族が食べていくのに必要なお金は、なんとか外で稼いでくる亭主なので、赤烏帽子くらいは我慢しようということでしょうか。

江戸時代の『亭主』は、これほど家庭で権威があったのかと、羨ましくなります。残念なことに、我が家では、とてもこうはいきません。精々『亭主の好きなタバコ』程度で、それも、二階のベランダで、小さくなって吸っていますから、とても『権威ある亭主の堂々たる行為』とは言えません。

世間の人が影でクスクス笑っているのを知りながら、家族が『我慢をする』程度の話なら、微笑ましい程度で済みますが、亭主が賭け事や、色事に血道をあげるということになると、『我慢をする』程度では済まなくなります。

最近は、『社長の好きな偽商品』の事例が沢山報じられ、結局会社は破産に追い込まれるケースも少なくありませんので、真面目な社員にとっては、たまったものではありません。

『将軍様の好きな歓び組』などにいたっては、国民が飢餓や貧困に喘いでいるのに、将軍様は、宴席に、肌もあらわな美女達をはべらせているという、とんでもない話になります。

誰もが、あまり前後の事を考えずに、自分の好きな行動をとるものですが、せめて周囲へ迷惑をかけていないか、結局自分へ大きな不利益となって結果が帰ってこないかと、少しは配慮しなさい、という教訓であろうと思いますが、そういう配慮ができる人は、大人物で、そうそう世の中にはいません。

周囲ばかりに気を使って、『何もしない』というわけにも、現実はいきませんので、精々、影で誰かがクスクス笑っているかもしれない程度のことは、覚悟の上で行動しなさいということだと受け取りました。『梅爺閑話』は代表的な例です。

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2008年10月 5日 (日)

情報過多(3)

情報過多を生み出している大元は、『IT(情報通信技術)』であることは、誰もが感じておられるでしょう。インターネットは、『情報は特権的な一部の人のもの』という考えを覆し、『情報は誰でもアクセスできるもの』にしてしまいました。この一種の『情報に関する民主化』は、歓迎すべきものであると同時に、昨日書いたような『デジタル・ディバイド(情報格差)』も生み出しました。物事には、何でも明と暗の部分があることの証左です。

現在のインターネットは、『想像を絶する巨大な百科事典』とも化していますので、うまく利用すれば、こんな便利なものはありません。昔は、高価な百科事典を、誇らしげに書棚に飾っていましたが、今や、書籍の百科事典を購入する人は少なくなりました。世界中のインターネットに蓄積されている情報の大半は、『英語』で書かれていますので、英語を理解できる人にとっては、一層膨大な『情報の宝庫』ということになります。

インターネットの情報を利用する時に、最もわきまえていなければならないことは、情報が『玉石混交』であることです。信頼できそうなホームページに書かれていることはともかく、怪しげなホームページに書かれている情報を鵜呑みにすると、痛いしっぺがえしが待っていたりします。

皆で作る『Wikipedia』という、有名なインターネットの百科事典は、全て有志者の投稿で自由に編集されています。以前、米国で、ここに投稿された内容が、ある政治家を誹謗するものとして、裁判沙汰になりました。インターネットは、通信も含め『Best Effort(最善の努力)』が基調の思想になっています。つまり、換言すれば、接続を保証するものではなく、通信が渋滞している時は『つながり難い事もある』ということを覚悟しなければなりません。同様に、インターネット上の情報も、多くは『善意に基づく正しい内容』ではありますが、中には、『悪意を含んだ、偽情報』も含まれていることを覚悟しなければなりません。

情報過多の時代には、情報を受け取る側の責任が、一層重くなりました。判断の責任は、全て自分にあると言っても過言ではありません。

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2008年10月 4日 (土)

情報過多(2)

昔のように、親の職業を当然のように受け継いだり、親が決めた相手と結婚したりしていた時代とは異なり、テレビ、インターネット、各種出版物を介した情報で溢れかえっているような現代の日本では、『就職や結婚は、自分の一生を決め兼ねないものなので、最善の選択をしたい』などと、深刻に、まじめに考える人にとっては、厄介な時代といえるでしょう。どんなに悩んでも、『これが最善』といえるような、客観的な選択基準などは、無いからです。

かえって、『このあたりが、自分には分相応かもしれない』と、楽観的な選択をする人の方が、人生の幸せをつかんだりすることも多々ありますので、人生は皮肉なものです。

梅爺のような年齢まで、生きてくると、『過去の選択を悔いて、もっと良い会社や結婚相手が自分にはあったかもしれない』などと、ウジウジしている人よりも、自分の力の範囲で、周囲を明るくしようと努力し、振舞う人の方が、人生の勝者になる可能性が高いことは、承知できるようになりますが、人生をまだまだ達観できない若い人は、『会社や、結婚相手が自分を幸せにしてくれる』ものと、『他者依存の、甘えの期待』を排除できないのかもしれません。情報を自分で判断せずに、誰かの判断に依存しようとする『甘え』が生ずるのも、元はといえば情報が多すぎるからなのかもしれません。

情報過多の時代には、他人の多様な生き方を垣間見ることもできますので、『人生には規範などない』と気づいて、誰もが、『そういうことなら、自分も自分らしく生きよう』と考えるのかと思いきや、逆に、『これが、幸せな生き方の平均像』といったものが、なんとなく社会的に形成され、自分がその平均像を満たせないと感じたときに、あせったり、悩んだりするようになるのは、実におかしな話です。

このようなことが嵩(こう)ずると、情報に接することが怖くなり、できるだけ情報を避けて、先のことも考えないようにし、自分の殻に閉じこもってしまう、『ニート』と言われるような人たちもでてきます。

『知らぬが仏』と言われますが、情報の少なかった時代の方が、人間は、『自分らしく活き活きと暮らしていた』とするならば、情報過多の時代は、大きな試練を人間に突きつけていることになります。残念ながら、情報に関しては、情報が少ない時代に逆行することは期待できません。

情報を、これ幸いと利用するタイプの人と、情報に押し流されてしまうタイプの人の間に、大きな格差が生まれます。情報社会の『デジタル・ディバイド』の深刻な一面といえるでしょう。

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2008年10月 3日 (金)

情報過多(1)

『選択肢が多い方が便利』と人は思いがちですが、あまりにも多いと『反って選べなくなってしまう』というような内容の、テレビコマーシャルが流されています。論理的に正しそうに見えることも、人間の習性に照らし合わせて考えると、『そうはいかない』ということを示す事例の一つです。

前にもブログに書きましたが、しっかりした優先すべき『選択基準』を持っていて、そのレベルが定量化されていれば、選択肢が多くても、選ぶことができますが、例えば、デジタル・カメラの新製品を購入しようというような時に、『値段』『軽量・小型』『解像度』『メーカー・ブランド』『機能の豊富さ』などのどれを選択の最重要視項目にするかは、即断しかねる時は、店頭に並ぶ多数の商品を前にして、『ウーン』と迷ってしまいます。個々の項目内での定量化はできたとしても、『値段』と『解像度』という異なった項目は、同次元で比較できないからです。

世の中に売られているデジタル家電商品の大半は、内部にマイクロプロセッサが埋め込まれていて、コンピュータ同様に、ソフトウェア・プログラムで作動しています。このため、きめの細かい機能が、利用できる反面、使う人によっては、『操作が難しくてわからない』ということになり、結局、自分が理解できる『簡単な操作』でしか利用しないことになります。開発するメーカー側は、『沢山の機能を盛り込んだ方が便利で買ってもらえる』と考えているか、実はそう考えていなくても『ライバル会社の商品にある機能は、自社の商品にも組み込んでおかないと不安』と感じているか、のどちらかですが、いずれにしてもあまり使われない機能の開発に、多大な開発コストをかけていることになります。

携帯電話を買うと、分厚い『操作マニュアル』がついてきて、梅爺は最初から読む気力が殺がれます。老人向けの、従来の据え置き電話と同じことしかできない、ごく簡単な携帯電話が売れるのは、人は必ずしも『色々なことを選んで利用できる便利さ』だけを重要視していないという証拠です。

『人は選択肢の多い便利さを好む』というのは、あらゆる場合にあてはまる話ではありませんので、『常識のウソ』ということになります。

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2008年10月 2日 (木)

歴史認識(2)

過去の両国に関わる歴史的な『事件』について、日本と冷静に『共同研究』が可能なのは、アメリカ、イギリス、オーストラリアくらいしかないと、塩野七生さんは、書いていました。梅爺は、ライシャワー氏のような素晴らしい方を思い浮かべてしまいますので、アメリカ人の全てが、『予断』なく冷静に議論できる人たちであるとは思いませんが、国家レベルで『共同研究チーム』を組んだ時に参加するであろうレベルの人たちには、それは期待できると感じます。アメリカは『ひどい国』であると同時に、『素晴らしい国』でもあるというのが、梅爺の実感です。

塩野さんが、イギリスとオーストラリアを挙げるのは、『冷静な対応』を国民性として誇りにしている国であるから、と書いてありましたが、本当にそうなのかどうかは梅爺には判断ができません。

個人も国家と同じで、最初から頭に血が昇った議論しか出来ないひとや、見え見えの権謀術数で迫ってくるような人とは、『きわどい話を冷静に議論する』ことは無理です。しかし、実際に『きわどい話を冷静に議論できる』人は少なく、梅爺も、現実の場に遭遇したら、そのように振舞えるかどうか自信がありません。

『もし、自分が相手の立場ならどう考えるのだろう』と想像できる能力が、決め手であることは、間違い無さそうです。これは、何度も書いてきたように『Emotional Intelligence』のレベルに関係します。感情豊かであると同時に、自分の感情を冷静にみることができる能力を持ち合わせている必要があります。感情のままに行動することは、誰にもできますが、自分の感情と冷静に立ち向かうことは、易しくありません。梅爺は、頭で理解していても、いざという時に、冷静さを保てるかどうかは、これまた自信がありません。

塩野さんは、アメリカ人が『硫黄島』に関するそれぞれの国の視点の映画をつくったのなら、今度は日本人が、『カミカゼ』に関するそれぞれの国の視点の映画を作ったらどうかと、提言しています。さすがに、塩野さんらしい、発想で、感心しました。そういう映画なら、梅爺も是非観てみたいとおもいます。

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2008年10月 1日 (水)

歴史認識(1)

近所のかかりつけの医院へ、血圧を測定してもらい、いつもの降圧剤をもらうために出かけました。待合室に、どういうわけか古い文藝春秋が一冊だけあり、時間つぶしに何気なく読んでいましたら、『硫黄島からの手紙』というクリント・イーストウッド時が監督したアメリカ映画を、イタリア在住の作家塩野七生(しおのななみ)が、イタリアの映画館で観た感想を綴ったエッセイが掲載されていました。残念ながら梅爺は、この映画を観ていませんが、約1ケ月半、アメリカ軍の猛攻撃に耐え、最後は玉砕した日本の部隊を描いた映画で、アメリカ人の監督が、全編日本語の映画を製作したことでも話題になったことは知っています。クリント・イーストウッドは、アメリカからみた『硫黄島』の映画も、同時に製作し、『同じ事件』を、違った視点でとらえるということでも話題になりました。

イタリアでは、外国映画は、声の吹き替えで、イタリア語で公開されるのが普通とのことですが、この映画は、日本語のままで、『字幕』付で公開されたようです。アメリカ人が日本語でつくった映画に敬意を表し、イタリア語への吹き替えを慎んだのでしょうか。『字幕』に慣れていないイタリア人の観客は、それでもおとなしく最後まで観ていたとも書いてありました。

塩野さんの、この映画評は、『大傑作とはいえないが、まあまあの出来』でした。『玉砕』は痛ましいことであるけれども、戦争の『戦略』の一つで世界の歴史には、前例が沢山あると、塩野さんらしく、冷静なコメントがありました。勿論『玉砕』を肯定しているわけではなく、『玉砕』に代わる戦略を見出せない場合も現実にはある、ということだと梅爺は理解しました。

この映画に関連して、歴史を異なった視点でみることに、塩野さんは触れていて、こちらの方を梅爺はむしろ面白く読みました。

歴史認識の違いをめぐって、日中、日韓で食い違いがあり、外交問題にまでなっていることで、日中、日韓は、『共同研究グループ』を発足させることに合意していますが、こんなことをやっても、両国の『認識』が一致することなどはないので、時間とお金の無駄だと、塩野七生さんは書いておられました。『共同研究』はやるなとは言わないが、『やっています』という姿勢を示すことが、精々政治的な『鎮静効果』にはなるという程度と理解すべきとも書いてありました。梅爺も同感です。

最初から、『予断』があって、頭に血が昇っている人と、冷静な『共通認識』を求めて議論などできないからです。

一国が、戦争を始める、または追い込まれる事情は、単純ではなく、背景の社会情勢、政治情勢、経済情勢などが、複雑に絡みます。日本人の中でさえ、前の戦争の『共通認識』などは、形成されないのですから、日中、日韓で『共通認識』が見付かるなどとは、とても思えません。

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