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2008年6月14日 (土)

霧と砂の家(1)

NHKBS第二チャンネルで放送された、2003年のアメリカ映画『霧と砂の家』を録画しておき、最近観ました。

最近のアメリカ映画は、制作費だけは、膨大にかけながら、商業主義丸出しのチャラチャラした、荒唐無稽なものばかりと、少しあきらめかけていた梅爺には、衝撃的にすばらしい映画でした。多分、メジャーではないスタジオが制作したものと推測しますが、アメリカの映画製作者の中には、まだまだ、根性の座った人たちがいるのだと、見直しました。

梅爺が今年観た映画の中では、前に紹介したイラン映画『こんなに近く、こんなに遠く』と双璧のすばらしさです。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_b50e.html

『霧と砂の家』と『こんなに近く、こんなに遠く』の共通点は、緻密なシナリオと、リアリズムに徹した表現です。観ていて、ストーリーに不自然さを感ずることがありません。利己的で冷徹な人間が、心の優しさを兼ね備え、時に自らの死よりも、信条や自尊心を重視するという、矛盾した存在であることを二つの映画は表現しています。登場する役者の演技力もすばらしく、観ていて、知らず知らずに感情移入してしまいます。多分、サンフランシスコ近郊の海辺がロケ地と思われますが、霧が生み出す幻想的な映像美も見事です。

両方の映画とも、『根っからの悪人』などは、一人も登場しません。利己的でもありながら、根は善良な人間が、ちょっとした歯車の狂いで、観ていて胸が締め付けられるような不幸へズルズル引き込まれていきます。懸命にその不幸から抜け出そうとあがきますが、状況は一層悪くなっていきます。それでも『こんなに近く、こんなに遠く』では、最後のシーンで、『神』の存在の示唆により、観る人にホッとする『救い』が用意されていますが、『霧と砂の家』は、主要な登場人物が全て『救いのない状態』で終わります。

過酷な運命に翻弄され、ついには最悪の状況に追い込まれる人間が、その辛い状況の中でも『心の優しさ』や『自尊心』を示すのを観て、人間の素晴らしさと、不思議さをあらためて感じます。運命に押しつぶされるのは、『不幸』ですが、その『不幸』の中でも『心の優しさ』や『自尊心』を失わない人間の存在の素晴らしさを描くために、敢えて、安易な『救い』などをこの映画は用意しなかったのではないかと感じました。

結末が、こんなに暗く悲しい映画を、梅爺は今まで観たことがありません。でも、観終わって、『こんな映画は観なければよかった』と、少しも感じませんでした。むしろ、どういうわけか、心が洗われたような、清々しさを感じました。

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