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2008年6月18日 (水)

理詰め(3)

『理詰め』は、ものごとを良い方向へ向かわせようと、論理思考する作業です。昨日も書いたように、結果が必ずしも良い方向へ向かうと言う客観的な保証がない場合でも、人間は、その人の持てる能力を駆使して『理詰め』を行おうとします。

『理詰め』という言葉を聞くと、じっくり時間をかけて慎重に思考するイメージが思い浮かびますが、実際は、かけられる時間に制約があり、瞬間ともいえるような短い時間の中で、良かれと思われる方向の決めなければならない事態にも遭遇します。このような凝縮した時間の中の判断までも『理詰め』と呼ぶことを許していただければ、人間は、とっさに危険を回避するような本能的な反応を除き、ほとんどの場合、良かれと思う方向へ舵取りをするための『理詰め』を行いながら、次の行動を決めていることになります。

『将棋』や『碁』などのゲームは、『じっくり型の理詰め』の典型ですが、スポーツなどは、大半が『瞬間型の理詰め』が主役です。野球の良いバッターは、瞬間的に球種やコースを予測し、ゲームの状況も判断して、『強く引っ張る』か『軽く流す』かを決めますし、サッカーの良い選手は、瞬間的に敵や見方の陣形を察知し、もっとも有効なところへ向かってドリブルをするか、パスを送るかを決めています。スポーツで言われる『読みのよさ』は、瞬間的な『理詰め』で、有効な結果を引き寄せる能力の高さのことであろうと思います。

『私は考えることが苦手なので、思いついたら直ぐ行動することにしている』などと、『理屈っぽさ』を嫌うようなことを言う人でさえ、その人なりの『理詰め』は、必ず行っていることになります。

『理詰め』は、『理屈っぽい人』の専売特許ではありません。つまり、『理詰め』をする習性は、多かれ少なかれ、人間なら誰もが脳の基本機能として、生まれながらに保有しているものと梅爺は考えています。問題は、『客観的にみて、良い方向』の尺度がありませんので、各自が『自分にとって、良いと思われる方向』に向かって、『理詰め』を行うことにありそうです。

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