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2008年6月11日 (水)

『ホシズ』(2)

『ホシズ』や『カリコチャン』は、幼児が、自分の『不可解な思い』や『願望』に対して、『仮想の分身を創造』し、『納得』するという『論理思考』の現れではないかと推察できます。

大人になると、『仮想の分身』は、存在しないらしいという『知識』が増え、そのような主張はしなくなりますが、精神障害を持つ方の中には、大人になっても『自分はナポレオンの生まれ変わりである』とか『自分こそが正当な天皇家の末裔である』とか、主張し続ける人がいることが知られています。

しかし、人は誰でも、『不可解な思い』や『不都合な事態』や『願望』に遭遇した時に、脳の中で『自分に都合の良い論理解』を求めようとする習性を、本能として保有しているのではないでしょうか。梅爺が梅爺閑話で展開する『屁理屈』の大半は、これに相当するのかもしれません。『神や仏』という概念も、この習性が生み出したのではないかと、梅爺は想像しています。従って、脳の中に『神や仏』という概念を保有することは、人間にとってはごく自然な行為であるように思いますし、梅爺も、『自分が善良な存在でありたいと願う心』と言い換えれば、それを保有しています。一方、梅爺の中には、厄介なことに『ホシズ(イケナイ梅爺)』も存在していて、これが、『善良な梅爺』を圧倒しそうになりますので、悩み(煩悩)が尽きません。孫のように、『それはボクではなく、ホシズがやったんだ』と単純に主張できるのであれば、どんなに楽なことだろうと、羨ましくなります。

『自分に都合の良い論理解』を見出そうとする人間の習性は、ストレスを緩和する方法として、付与されている本能(DNAで受け継がれるプログラム)であろうと思いますので、『馬鹿げている』と、一蹴するわけにはいきません。人間が生きていくために必要な習性であるともいえるからです。しかし、ある人にとって『都合の良い論理』は、他の人には『都合の悪い論理』であるという『矛盾』がしばしば生ずることになります。

『誰もが安心して暮らせる、真に平和な社会』を、人間が歴史上実現できていない理由の根源は、この『自分に都合の良い論理解』同士の相克が絶えないからではないでしょうか。自己主張のない人同士なら『平和な社会』はできそうですが、それは人の本性に反しているとなると、『できるだけ自己主張せずに我慢する』が関の山で、そうすれば、少しは改善はされますが、『真に平和な社会』はやはり実現できないと、悲観的にならざるをえません。

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