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2008年6月 3日 (火)

スピノザの『エチカ』(1)

大学の同級会の伊勢から名古屋へ移動するバスの中で、毎年仲間に『神学論争』をもちかけることで有名なTさんから、再び『「神は存在する」という命題は真か偽か』『ビッグバン説だけで宇宙の大きさは規定されるのか』という難しい質問が発せられました。

梅爺は、バスの後方に座っていましたので、議論に加わりませんでしたが、Tさんの近くに座っておられた幹事役のOさんは、『「神」とか「宇宙」とかいう言葉を、詳しく定義しないと、議論にならないのでは』と答えられました。梅爺もその回答には賛成です。

『神』は、『抽象概念』としては、哲学などの人文科学の議論対象にはなりますが、共通の『実体』としては観察ができませんので、現状では自然科学の検証対象とするには無理があるように思います。『誰もが同じものと認識できる実体』が存在しない以上、今のところ自然科学では、検証の方法がないからです。

一方『宇宙』は、自然科学の検証対象であり、もし『宇宙』を『私達が今存在する宇宙』と規定すれば、ビッグバン以来137億年間『光の速さ(一定)で拡大し続けている』ことになりますので、その大きさは、粗っぽく言ってしまえば、半径137億光年の距離の球体と推測されます。しかし、『私達が今存在する宇宙』以外に、別の『宇宙』があるのかどうかは、確認できていませんので、それらをひっくるめた『宇宙の大きさ』は『分からない』ということになります。

Tさんは、17世紀のオランダの哲学者、神学者スピノザの『エチカ』を読まれたとのことで、そこに書かれている『「神は存在しない」という命題を突き詰めていくと矛盾にぶつかるので、「神は存在する」ことになる』というような内容を説明されました。梅爺は『エチカ』を読んだこともない上に、バスの中でそのような難解な説明を突然聞いても、正しくスピノザの論理を追うことができず、ただ、なんとなく詭弁のような気がしました。

『神』は、誰でも(例え無神論者でも)脳の中に形成することができる『抽象概念』で、その『抽象概念は実体をともなうものと「信ずる」人にとっては、神は存在するが、実体をともなうと「信じない」人にとっては、神は存在しない』と、梅爺は考えています。『信ずる』という行為は、『直感』などによる人間にとって崇高な行為ですが、必ずしも論理的な根拠に基づいたものではありませんので、『信ずる』人と、『信じない』人が『議論』してみても、『信じないのはおかしい』『信ずるのはおかしい』と言い合うだけで、かみ合わないのは当然のことのように思います。

Tさんの、『エチカ』に書かれた論証だけを聞くと、スピノザは『有神論者』のように見えますが、実は、スピノザはカトリックからは『無神論者』として非難された人物です。スピノザが『神』と定義したものが、聖書に書かれた『神』とは全く異なっていたためです。考え方や立場の違いで、人はそれぞれ『自分の神』を思い描いているわけですから、そのことをわきまえないと、『神』に関する議論は、不毛なものになるように思います。

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