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2008年6月29日 (日)

「完成」の意識(2)

梅爺は、芸術家ではありませんから、例えばブログを書くときは、論旨や文章の長さを配慮して、「この辺で終わりにしよう」と適当に、切り上げます。後世に残る、天下一品の名文に仕上げようと、名誉にかけて「推敲を重ねる」こともありませんので、「適当に切り上げる」という表現があたっているように思います。

しかし、芸術家の場合は、その習性として「満足がいくまで手を加えたくなる」のではないかと思われます。満足がいかない作品を残すことは、耐えられないという気概があるのではないでしょうか。しかし、「満足したら、その時点で芸術家はお終い」というよな、言われ方もしますので、芸術家には「本当の満足」がないことになり、パラドックスのような話になります。

従って、論理的には、以下の二つの「命題」が考えられます。

(1) 芸術家にとって、「作品の完成」とは、それ以上手を加えることができない状態に達した時である。

(2) 芸術家にとって「作品の完成」とは、修正しようとすればきりが無いので、あるところで妥協することである。

もし、命題(1)が正しいのなら、芸術家は完成の時点を、どのように認識しているのだろうかと興味がわいてきます。

梅爺がまだ若い頃、近隣の福生(ふっさ)に住む、新進気鋭の洋画家と知り合いになり、「完成の意識」について、質問してみたことがあります。彼は、ニヤリとして、「それは、小便をし終わった時の感覚です」と答えました。

少々、下品な表現ではありますが、梅爺は「なんとなく、わかった」ような気がしました。しかし、梅爺は、芸術家ではありませんので、本当にその感覚を追体験できません。あくまでも「そんなものか」と想像したに過ぎません。

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