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2008年6月30日 (月)

安物買いの銭失い

江戸いろはカルタの『や』、『安物買いの銭失い』の話です。

梅爺は、4歳の時に、新潟県の長岡で『敗戦(終戦)』を迎えました。敗戦の直前に、長岡は空襲に見舞われ、我が家は全て灰燼に帰したと同時に、両親が、爆撃で怪我を負い(特に母親は重度の火傷)、その後、家族が一緒に暮らせるようになるまでは、バラバラな生活を強いられました。梅爺は、茨城県の親戚へ預けられていました。

難民のために建てた『市営住宅』で、ようやく家族一緒の生活ができるようになりましたが、『市営住宅』とは名ばかりで、雨漏りに悩まされるようなバラックでしたので、夏の暑さ、冬の寒さをを懸命にしのいで、生きることがようやくの生活でした。梅爺は、栄養失調でヒョロヒョロの子どもでしたので、周囲の誰もが、『生き延びられない』と覚悟をしていたと後で聞かされました。67歳まで生き延びて、梅爺閑話を書いているなどということは、幸運以外のなにものではないことが分かります。

そういう、生活体験があるためか、梅爺は、お金は、実利目的で使うものと考え、贅沢のためにお金を使うことには、臆病な性格になりました。しかし、実利だけで安物を買うと、直ぐに壊れたり、使えなくなったりして、『安物買いの銭失い』を、身をもって何回も体験することにもなりました。

『高価なものは、それなりの価値がある』とは限りませんが、確かに『高価なだけのことはある』ものも多いことに、気づいたのは中年を過ぎたころからです。少しは贅沢ができる生活になったためでもあったのでしょう。

海外出張の折に、空港の免税店で、ダンヒルのベルトを購入したことがあります。2万円くらいしましたので、購入時は『高い』と感じましたが、その後何年使っても、クタクタになりませんでしたので、『銭を失わない』とは、こういうことかと具体的に理解できました。

ブランド品ならば良いとは限りませんが、ブランド品は裏切られることが少ないということかもしれません。その後、仕事で使う鞄などは、それなりの値段のものを買うようになりました。

本当は、安物か高価かは、あまり関係なく、『良いものかどうかを見抜く眼力』が必要なのでしょう。梅爺は、騙されたと他人を恨むより、自分の眼力のなさに、ガックリくる性格で、眼力には自信がありません。今でも時折騙されて、『安物買いの銭失い』と『ガックリ』を繰り返しています。

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