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2008年5月26日 (月)

祖父母(1)

梅爺は、末っ子であったこともあり、生まれたときには、既に父方の祖父母および母方の祖父は、他界しており、おじいさん、おばあさんの話は、父母を通じて、断片的な話を聴くだけでした。当時のことですから、今のように豊富な写真などが残っているわけではなく、限られた写真の顔かたちや、断片的な話から、どんな人であったのだろうかと、子供心に想像はしてみましたが、当然のことながら、全体像は浮かんできませんでした。

父方の祖父は、茨城県の鹿島に、農地(新田)を拓いた長(庄屋)の家に生まれましたが、若い頃は、福沢諭吉の家で書生をしていたと聴いていますので、向学心が強い人であったのだろうと思います。新田に戻ってからも、読み書きができない農民のために、代わって貯金をするなどの仕組みを考え、終生農民から尊敬された人のようです。何しろ、知らない人から道を尋ねられた時に、夜道を提灯をもって、何里も送っていったという逸話が残っていますので、孫の梅爺などは、足元にも及ばない人徳者であったのでしょう。父方の祖母は、江戸の家臣関口家(東京の本郷に関口と言う地名が残っている)の娘で、武家の娘として気位の高かったのではないかと想像しています。残されている写真を見ても、凛(りん)とした雰囲気が伝わってきます。

母方の祖父は、明治の終わり頃に、京都大学の法学部教授(民法)を努めていましたが、フランス、ドイツへ留学たこともあってか、当時の日本の国策に合わない思想の持ち主で、岐阜で講演をした内容が問題になり、教授職を自ら辞して、大阪で弁護士を開業しました。残されている論文などを見ると、女性の地位の改善や、正規の結婚では無い環境で生まれた子供の人権擁護を訴えていますので、現在なら過激でもなんでもない当たり前のことに過ぎません。ただ、『忠君愛国』というような国策思想にも反対していたらしいので、文部省からは、要注意人物と看做されたのでしょう。

残されている著作物の多さを見ると、梅爺のブログなどは、取るに足らないものであることが分かります。梅爺の反骨精神も、多分にこの祖父から受け継いでいるのではないかと、想像していますが、祖父の場合は、命がけの筋金入りですから、これも梅爺の比ではありません。

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