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2008年5月27日 (火)

祖父母(2)

母方の祖父が、民法学者として、明治の終わりの時期に、どんな人間も生まれた時に保有している基本的な可能性を、理不尽な社会制度で摘み取ってしまうことを嫌っていたこと知って、多少なりともDNAを受け継いでいる孫の梅爺は、大変誇らしく思っています。

人が、能力差をもって生まれてくることは、誰もが異なったDNAで支配されている以上、認めざるを得ないことですが、前に『運命』というブログで書いたように、人の総合的な『運命』は、自分ではいかんともしがたい『天命(生まれつきの能力差や避けがたい事故への遭遇など)』と、『自分での意思や努力で切り拓いていけるもの』との、織り成せる綾で決まりますから、生まれつきの能力だけで、強運は保証されません。

人間社会の上下関係は、この『運命』で決まってしまうことが多いように思いますが、上に立った人間が、『自分は本当に偉い、自分だけには許されることがある』と勘違いしてしまう悲劇が、周囲に多いのは残念なことです。

話が、祖父から少し逸れてしまい、すみません。

梅爺の祖父が、なぜ幕末の古河藩(茨城県)の儒家の息子として生まれながら、『忠君愛国』という明治の国策の裏にある、個人の可能性をこの一言で押し殺す危険性と理不尽さを感じ取るようになったのかは、梅爺の興味の対象ではありますが、祖父の死後20年以上も経って生まれた梅爺には、知る由もありません。望んでも適わないことですが、現在の梅爺と、当時の祖父が、会話できたら、どんなことになるのだろうと、夢想してしまいます。質問してみたいことが山ほどあります。

祖父が残した膨大な著述資料は、立命館大学産業社会学部の鈴木良先生の収集努力のおかげで、現在同大学で所蔵保管されています。

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