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2008年5月19日 (月)

ウンベルト・エーコの文学論(4)

梅爺は、心外なことに、仲間から『お前は毒舌家だ』とよく言われます。普通は『当たり前なこと』と思われていることに、異なった視点から疑問を投げかけるようなことを言う癖があるためなのでしょう。

作家は、文学作品の中で、独創的な『警句(Aphorism)』を、作家の視点として、または登場人物の視点として、よく利用します。夏目漱石の『智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくにこの世は住みにくい』などは、出色の『警句』です。『警句』と同様なものに『金言(Maxim)』や『諺(Proverb)』などがあります。いずれも、機智、諧謔に富んでいるものが、好まれますが、時に、毒舌や皮肉に類するものもあります。

ウンベルト・エーコは、この『警句』論を、『警句』を多用したことで有名なオスカー・ワイルドを主として例に挙げて展開しています。『警句』は、自然科学の『公理(Axiom)』とは異なり、ものごとの一面を鋭く突いているとは言えますが内容が『真』であるとは限りません。『警句』の一部は、それを裏返した表現も、それなりの主張となる場合があり、パラドックスの一種となります。

梅爺がブログで紹介した江戸いろはカルタの『花より団子』『論より証拠』は、『団子より花』『証拠より論』としても、それなりの主張となりますので、パラドックスの一種が出来上がります。

『警句』は、高度な『言葉遊び』として楽しめばそれでよいと梅爺は思いますが、中には、目くじらを立てて怒り出す人もいますので、厄介です。例えば、『弱みを持たない人は、他人の弱みを見て喜ぶことができない』『若い頃は、誰も信仰深くありたいと思うがそうではない。歳をとって、信仰などどうでも良いと考えたくなるが、そうもいかない』『育ちの良い人は、他人を許せないが、賢い人は自分が許せない』『真実が明るみに出て宗教は終わる。科学は宗教の死亡診断書である』などというウンベルト・エーコが例に挙げている『警句』を読んで、『不謹慎にも程がある。怪しからん』と怒り出す人は、作家の『遊び心』とつきあえないことになります。

ウンベルト・エーコの小論の中には、ここで紹介をし始めたらきりが無いほどの、沢山の『警句』が掲載されています。興味深いことに、最後にオスカー・ワイルドの究極の『警句』として、『全ての芸術は無意味である』を挙げています。梅爺ではなく、偉大な作家が、これを芸術に対する『究極の警句』としていることに大きな意味があります。

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