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2008年5月 1日 (木)

みちのくの桜追っかけ旅(3)

梅爺は、自分にとって『あたりまえのこと』と受け容れてきたことが、実は、自分の性格や美意識、死生観の形成に大きく影響していることを、歳をとるにつれて、より強く実感するようになりました。

今の時代の日本人として生まれたこと、先祖から受け継いでいるDNA、育った家庭環境や土地柄(新潟県長岡市)などが、それにあたります。これらは、自分で『選択』したものではなく、与えられた『条件』ですが、もしも、『条件』が一つでも異なっていたら、全く違う人生を歩んでいたことでしょうし、現在の年齢まで健康に生きながらえてこれたかどうかさえも、定かではありません。梅爺は、幼児期を戦時下で過ごしたとはいえ、親や兄弟のようには直接戦争によって人生を翻弄されたといえる状況ではありませんから、家族の誰よりも『幸運を授かっている』ことに感謝するほかありません。

同じく、四季や自然に恵まれた日本人が、『あたりまえのこと』と受け容れていることが、実は、日本人に共通した美意識や死生観の形成に大きく影響しているように思います。廻り来る季節とともに景観や色彩が変わる豊かな草木に覆われた山や肥沃な平地、身近に存在する海や川、などは、世界のどの国もが保有している『環境条件』ではありません。『人と自然の穏やかな共生』などという考え方は、世界のどこにでもあてはまる話ではありません。

日本人にとって、春の開花、秋の紅葉は、廻り来る季節の象徴であり、特に春の桜は、短期間にパッと華やかに咲いて散る様子が、ただの美しさではなく、『はかない美しさ』と受け取られ、自分の人生とダブらせた死生観を形成しているように思います。個々の花や人は、一度だけの命で散っていくけれども、時が廻れば、また違った花や人に命が与えられる、という大きな自然の流れの中の存在として自分を認識することができます。『特別な自分』の周囲に自然があるという思い上がった考えではなく、自分は自然の中の『ありきたりな一部』であると知ることができます。日本人が、何故これほど桜を愛でるのかは、このような死生観が脈々と受け継がれてきたためではないかと感じています。

桜の淡い色彩や、秋の紅葉の色の組み合わせ、グラデーションが、日本人の原色よりも微妙な中間色を好む美意識を形成する要因になっているようにも思います。自然の景観の中には、シンメトリーな造形物はほとんどありませんので、日本人が、西欧の人たちと異なって、非シンメトリーな形状に美を感ずるのも当然なような気がします。西欧の人工的な庭園と異なり、日本庭園は、自然を模していることがその真髄です。

みちのくを旅して、梅爺は、自分の中の『日本人』をあらためて痛感しました。

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