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2008年5月 7日 (水)

清く正しく美しく(1)

日本の歴史のどの時代にも、商才に長けた人がいて、中には紀伊国屋文左衛門のように『豪商』として名を馳せた人もいます。偉人としての評価は、武将、学者、文学者、宗教家などに及ばないのは、裏側に見え隠れする『金儲け』に、金儲けの下手な庶民が嫉妬心を抱くからなのでしょうか。

明治以降、西欧式の『会社経営』で、優れた才能を発揮された方が沢山おられますが、阪急グループの創始者である小林一三氏もその一人です。小林一三氏は、必ずしも恵まれた家庭環境で育ったわけではありません(山梨県の商家の子供として生まれ、幼くして母は死別、父とも離別)が、慶応義塾を卒業後、三井銀行へ入社し、その才能を周囲に認めさせた上で、関西の証券会社へ転職(現在の言葉で言えば、ヘッドハンティングによりリクルートされた)し、その折に鉄道事業の将来性を洞察して、阪急グループの創設にまで至ります。

つまり、高等教育を受けられずに、丁稚奉公からたたき上げ、成功した実業家とは異なり、社会のエスタブリシュメントを、スマートに利用しながら、階段を上り詰めていった例です。勿論、周囲が認める『才能、能力』に恵まれていなければ、このようなサクセス・ストーリィは成り立ちません。

小林一三氏の優れた経営才能を端的に伝える言葉として、『電車が乗客を創造する』という言葉が残されています。今でこそ、『沿線デベロッパー』などという概念がありますが、私鉄の黎明期に、電車を需要に合わせて走らせるのではなく、電車を走らせることで需要を喚起するという視点を持っていたことは、驚くほどの洞察力といえます。

梅田ターミナルに、百貨店を併設するというアイデアは、梅爺でもなんとか思いつくような気がしますが、当時鄙びた温泉地であった宝塚に、今で言うアミューズメント・パークを造り、客寄せの一つとして、『宝塚唱歌隊(現在の宝塚歌劇団)』を創設するというアイデアは、到底梅爺には思いつきません。常磐炭鉱が廃業に追い込まれ、苦肉の生き残り策で『常磐ハワイアンセンター』を作ったと言う話も、突飛な発想として驚きますが、小林一三氏の発想は、そのような悲壮感を伴わないスマートなものです。

梅爺の母親は、娘時代に『宝塚へ入れあげていた』ということですので、すっかり小林一三氏の術中にはまってしまった一人だったのでしょう。

しかし、当時(大正の始め頃)の日本を考えると、女の子が、人前で歌ったり、踊ったりすることは、『はしたない』と思われる風潮もあったのではないでしょうか。そのためか、『宝塚歌劇団』のモットーは、『清く、正しく、美しく』と決められ、今に引き継がれています。

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