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2008年5月 2日 (金)

エカテリーナ2世(1)

イギリスのテレビ局が作成した、ロシアの『エカテリーナ2世』という女帝のドキュメンタリー番組を録画しておき、最近観ました。NHKBSハイビジョンで放送されたもので、彼女の生涯をドラマ風に紹介しながら、歴史学者がコメントするという形式です。

梅爺は、昔ヨーロッパへの出張の途中、トランジット(乗り継ぎ)でモスクワ空港へ降りたことがありますが、旧ソ連時代も含め、ロシアの領土へ正式に入国したことが一度もありません。何らかの現地体験を持たずに、ある国を評することは、思い込みや誤解に基づいた危険で失礼なことであることは承知していますが、正直に告白すれば、ソ連もロシアも、『なんとなく好きになれない』と感じています。

仕事の上で、アメリカへ移住し活躍するロシア人のソフトウェア技術者の何人かとは、個人的に接したことがあります。彼らは、非常に高い学力や知識を持ちながら、純朴、謙虚で、アメリカ人のような傲岸さはなく、大変好感が持てる人たちでした。偶然出会った数少ないロシア人で、『ロシア人全体』を評することも、間違いのもとであることも、これまた承知はしていますが、梅爺は感覚的に『ロシア人が嫌い』なわけではありません。従って、梅爺の独善的な『ロシア嫌い』は、その『国の政治体質』に対して『感じている』ものです。

政治の理想は、優れた能力と徳とを持ち合わせた『指導者』が、自らの権力獲得やその維持を目的とせず、民衆の安寧と幸福のレベルを上げるための施策を行うことであろうと思いますが、歴史上、そのような理想的な治世が実現した例は稀有ですので、残念ながら、政治は、『民衆のため』という口実をもった『権力抗争』の側面を『必ず有している』と考えた方が現実的です。

社員や消費者のことは二の次で、金儲けだけに走る経営者や、国民のことなどは二の次で、利権や保身に走る官僚の『暗いニュース』が相次いで、うんざりしますが、『もし、自分がようやく登り詰めた経営者であったり、利権に囲まれたエリート官僚であったりしたら、どう対応したのだろうか』と考えてみると、誰もが、少し自信を失う側面を持ち合わせているのが、人間なのではないでしょうか。つまり、程度の問題であって、『この程度は許される』と、自分で自分を肯定しがちな性質は、聖人でもないかぎり、誰もが持ち合わせていると、梅爺は感じています。自分の過去を考えても、『保身のことなど考えたこともない』と言い切る自信はありません。

『エカテリーナ2世』は、ロシア(ソ連時代も含め)が歴史上生み出した、最も有能な指導者であったと、梅爺は思いますが(スターリンもプーチンも足元に及ばない)、『権力を獲得し、維持するための権謀術数』『個人生活の欲求実現(男女関係や豪奢な生活)』『知的興味の探求』といった、時に相互に矛盾するかに見える、次元の異なった世界のバランスを、見事にとり続けた女性として、『興味深い人間』にはちがいありません。

ある側面だけを見れば、『冷酷な為政者』であり、『次から次へ男を変える好色な女』であり、『美術品を買い漁る贅沢好きな女』であり、『哲学書を好んで読む知的な女』ですが、その全てを同時に持ち合わせているという不思議な存在は、興味深く、そんな人間が本当にいることを知って、少々あっけにとられてしまいました。

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