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2008年5月28日 (水)

祖父母(3)

梅爺が、生前の祖父母に直に接したのは、母方の祖母だけです。といっても、この祖母は、確か103歳位まで永生きしましたので、梅爺が50歳位の『オジサン』になるまで、存命でした。祖父が、50歳半ばで亡くなっていますので、亭主の約倍生きたことになります。

晩年まで愛煙家でもあった祖母が、長生きできた理由は、物事を、あーだ、こーだと、くよくよ考えないおおらかな性格であったからであろうと想像しています。その反面、周囲のことを自分に都合よく解釈して、単純に思い込む性格でもあったように思います。

息子(梅爺の伯父)が、京都大学の数学の教授になり、亭主(梅爺の祖父、京都大学法学部教授)と同様、フランスへ留学したことを誇りに思っていたようですが、梅爺の伯父が、戦後の困難な時期に、栄養失調が原因で亡くなってしまったのを『嫁のせいだ』と決めつけていたようなところがありましたので、嫁姑(しゅうとめ)の関係は、その後も芳しくなかったのではないかと梅爺は推察しています。伯父は、真面目な性格が災いして、ヤミ物資を入手するようなことができなかったのでしょう。戦争がなければと悔やまれることの一つです。

伯父は、京都大学理学部で、湯川秀樹博士と同時期に教職についたらしく、祖母は湯川博士を息子のライバルと思い込んでいたふしがあります。そのせいか、後年湯川博士がノーベル賞を受賞した後も、湯川博士を決して良くは言いませんでした。母親としては無理からぬことですが『本当は息子の方が上出来』と信じていたのでしょう。

梅爺は、小学生の頃、母親に連れられて、兵庫県伊丹市に住む祖母を何回も訪ねた思い出があります。派手好きな祖母(その当時はかくしゃくたるものでした)は、子供の梅爺を、京都の料亭や宝塚歌劇にまで、連れていってくれました。新潟県の長岡しか知らなかった当時の梅爺には、大阪や京都といった大都会や、絢爛たる宝塚歌劇の舞台は、夢のような世界でした。

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