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2008年5月 5日 (月)

芋の煮へたもご存じなく

江戸いろはカルタの『ゐ』、『芋の煮へたもご存じなく』の話です。

誰が『ご存じない』のかが分からないと、何を言いたいのか理解できませんが、この諺が江戸の庶民の中で、諧謔を込めて使われたことから、『殿様』とか『良家の子女』であろうと推測できます。

つまり、庶民が食べている芋のことなど、どうせ高貴なお方は『ご存じない』のでしょうと、やっかんでいるとも、こんな旨いものを知らないなんて、お可哀想にと、こっそりほくそ笑んでいるともとれます。階級社会の江戸で、庶民が、武家などを直接批判することは、許されませんから、この諺は、庶民がギリギリの間接表現で、『偉そうにしている人たち』をからかっているものと、梅爺は解釈したくなりました。庶民や平社員が、偉そうにしている支配者や経営者を、ジョークで、こっそり笑い飛ばすということは、どこにもある話で、梅爺は、人間の健全なバランス感覚として、大好きです。

『芋』は、梅爺の好物の里芋であって欲しいと思いますが、江戸期には薩摩芋も、食料として存在していたらしいので、どちらかは梅爺には分かりません。

実は、私達にも『ご存じない』ことが沢山あり、『ご存じない』ことで、一見平穏に時を過ごし、この状態がいつまでも続くと思いがちですが、『思いもかけない落とし穴』が前に控えていることは、よくあることです。『うすうす知りながら、知らないふりをする』のも『ご存じない』の一種とみれば、思い当たることが沢山あります。

中国製冷凍餃子に農薬が混入しているなどということは、『知らなかった』と弁解できますが、梅爺が、身体に悪いと知りながらタバコを吸い続けていることや、石油資源がなくなることを知りながら、自動車や飛行機を利用し続けていることも、『ご存じない』部類に入ります。『芋の煮へたもご存知なく』は、殿様や良家の子女の話ではなく、誰にも当てはまる教訓であることが分かります。

人間は神様ではないので、『知らないこと』があるという事実からは、逃れられませんが、『知らぬが仏』などと、言い逃れようとしても、いつかはその『つけ』を払うことになることだけは、覚悟しておきなさい、そして、限度があると投げ出さずに『知る努力は続けなさい』という大変重い教訓であるような気がしてきました。

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