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2008年5月14日 (水)

ベートーベンの『荘厳ミサ』(3)

今回のような演奏会を聴きに行くたびに、梅爺は『日本の文化レベルの高さ』を実感します。今回の合唱に参加された方のように、ドイツ語やラテン語の歌詞を音符に従って歌うことができる能力をもった人たちは、日本には数え切れないほどおられますし、高度なオーケストラの演奏に加われる、プロ・アマの楽器演奏家も沢山おられます。それに、『東京芸術劇場』のような素晴らしいコンサート・ホールは、日本中にいくつもありますし、なんといっても、演奏会に、会場を埋め尽くす聴衆が集まるということも、文化レベルの指標として見逃せません。

梅爺は、世界各国の音楽的文化レベルに詳しいわけではありませんが、少なくともアジアの中では、日本は飛びぬけたレベルにあるのではないでしょうか。アジアの多くの国では、政治信条や宗教の違いから、キリスト教の宗教曲が公に演奏されることさえも規制されることもありえます。最近の日本は、俗悪な犯罪だけが報じられて、『日本はダメになった』と多くの人が嘆きますが、一方で、このような、世界に誇りうる高い文化水準と自由な表現権利を保有している国であることも正しく認識すべきであると感じています。

今回の混声コーラスのメンバーは熟年の方が大半とお見受けしましたが、、女性の数が男声の2倍以上であることも面白いと感じました。梅爺は高校卒業後は男声コーラスしかやったことがないので、普段あまり意識していませんでしたが、日本の熟年層のコーラスレベルは、『オバサンパワー』で保たれているのかもしれません。

今回の聴衆も、熟年層が圧倒的に多いことにも気づきました。大半は、日常的にキリスト教とは無関係な生活をしていながら、短時間とは言え『敬虔な気持ち』を求めて、集まったのかもしれません。年齢と共に、人はそのような境地を求めるのでしょう。このような現象は、キリスト教を知らない人の情念の根底せも揺さぶる力を、ベートーベンの音楽は秘めているからではないでしょうか。ベートーベンの信仰に起因しているとも言えますが、もっと単純に、人の情念と音楽の関係を知り尽くしていたためと考えれば納得できるような気がします。

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