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2008年5月13日 (火)

ベートーベンの『荘厳ミサ』(2)

西洋音楽、特に合唱形式は、教会音楽、宗教音楽の発展とともに、成熟した体系に成長していったという話は、前にも書きました。神への敬虔な祈り(言葉)と、音楽とを同時に表現する方式が確立していったことになります。

初期のローマン・カトリックでは、『教義』はラテン語で表現することだけが許されていました。ミサ曲がラテン語の歌詞を採用するのはこの伝統によるものです。余談になりますが、ヨーロッパの各国が、『自国語で書かれた聖書』を保有するのは、中世以降のことです。日本は、西欧とは歴史事情が異なりますが、『日本語の聖書』を保有するようになったのは、明治維新以降で、最初は格調高い『文語形式』でしたが、現在は『口語形式』の聖書が普及しています。梅爺は、どちらかといえば『文語体の聖書』の方が好きです。『自国語の聖書』の普及は、『教義』を庶民へ浸透させる布教には役立ちましたが、『教義の解釈』の違いも引き起こす要因になり、プロテスタントのように、ローマン・カトリックと袂を分かつ宗派が現れる遠因にもなったように思います。『情報』の開示が、新しい『情報』を生み出すという現象は、人間の歴史では良くあることですが、現在は、ITによって、『情報』が過剰なほどに満ち溢れているために、反って混乱状態を呈しているようにも見えます。

ベートーベンの『荘厳ミサ』も、定型的なラテン語の『歌詞』を使うという条件を受け容れています。数多くの作曲家が、同じようにラテン語の歌詞を用いるという制約条件の中で『ミサ曲』を作曲しています。18世紀のバッハが、一つの頂点で、19世紀のベートーベンの『荘厳ミサ』が、集大成であるとも言われています。いずれのミサ曲も荘厳ですが、特に『荘厳ミサ』と呼ぶにふさわしい傑作をベートーベンは残したことになります。ステンドグラスから漏れる光と蝋燭の光だけの、大聖堂の中でこれを聴けば、『荘厳』さは、さらに格別であろうと梅爺は想像しながら聴きました。

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