« 清く正しく美しく(3) | トップページ | 清く正しく美しく(5) »

2008年5月10日 (土)

清く正しく美しく(4)

『宝塚歌劇団』のモットーを『清く、正しく、美しく』と決めたのは、小林一三氏であったのかどうかは、梅爺は存じません。しかし、『宝塚歌劇団』にこのようなモットーが必要であったであろう背景については、初回に推測し、付言しました。

もし誰かが、梅爺に向かって、『人生は、清く、正しく、美しく生きるべきだ』と教訓を垂れたり、『自分は、人生を、清く、正しく、美しく生きてきた』と述懐されたりしたら、梅爺は、少々戸惑うのではないかと思います。梅爺のように、60年以上も生きてくると、自分も含めて『人間は、清く、正しく、美しい面と、清くもなく、正しくもなく、美しくもない面を、双方持ち合わせている存在である』ことを知ってしまっているからです。

人間が何故、『良い心と悪い心』の両方を持ち合わせるように、創られたのかは不思議ですが、ヒトという生物の種が、生存し続けるために、何らかの理由で『必要』であるためかもしれません。両方を持ち合わせていることから生ずる、苦悩、葛藤、矛盾が多くの文芸作品の主題であり、人間の摩訶不思議で、奥深い側面に多くの人がひきつけられるのもそのためです。

『良い心と悪い心』は、誰しも持ち合わせているからこそ、理性で『悪い心』や『悪い誘惑』を抑制できるかどうかが、その人のその後の人生を決める決め手となります。こういう言い方自体が理性的であり、『悪い心』が芽生えている時は、そもそも理性が働き難い状態になっているわけですから、そう簡単な話ではありません。

宗教の一部では、『悪い心』は、悪魔が忍び込んだ、邪悪に取り付かれた状態と表現しますので、真面目な人は、『本来、自分は良い心だけの持ち主なのに、自分の不注意で悪魔や邪悪に取り付かれてしまった』と悩むことになります。しかし、仏教では、『誰もが本来仏の心と、邪悪な心を持っているので、仏の心をやしなって、邪悪な心を抑制しなさい』と説いています。この方が、梅爺には『分かりやすい教え』のように思えます。

同じようなことを言っているようで、邪悪の元が、自分の外にあるのか、内にあるのかの認識の違いは、大きな違いです。

『良い心と悪い心の両面を持ち合わせているからこそ、良い心に支配されるように努力しなさい』と言われれば、梅爺は、『おっしゃるとおり』と納得しますが、条件無しに、ただ『清く、正しく、美しく』と言われると、『人間は、そんな綺麗事で済むようにはできていない』と、一言反論したくなります。我ながら、困った性分です。

|

« 清く正しく美しく(3) | トップページ | 清く正しく美しく(5) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 清く正しく美しく(3) | トップページ | 清く正しく美しく(5) »