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2008年4月30日 (水)

みちのくの桜追っかけ旅(2)

今回は、梅爺閑話としては珍しく、写真だけをお届けします。『みちのくの桜追っかけ旅』で、梅婆がデジカメ撮影したもののハイライトです。ブログでこのような写真を公開できるような時代になろうとはは、一昔前は、思いもよりませんでした。ITが世の中を便利に変えた一つです。今回は、いつものような七面倒くさい文章はありませんので、ただながめていただければ幸甚です。

Dscn5745_4 山形霞城(かじょう)公園の桜

Dscn5758_3 盛岡市裁判所前の石割り桜(岩石を割って桜が生育した珍しい光景)

Dscn5779_3 弘前公園の桜

Dscn5822_3 十和田市駒街道の桜並木

Dscn5881_3 角館(かくのだて)武家屋敷の枝垂れ桜(辛うじて、残っていた遅咲きの一本)

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2008年4月29日 (火)

みちのくの桜追っかけ旅(1)

梅爺は、普段草花をしみじみ愛でることがないと、まるで風流とは無縁の人間のように梅婆から言われていますが、自分では、それほど無粋な人間であると自認しているわけではありません。確かに、有名な木や花の名前以外は、言い当てることができなかったり、自分でガーデニングに没頭しようと思い立つようなことはありませんので『草花音痴』であることは認めざるをえませんが、『美しい』ものを『美しい』と感じないわけではありません。

梅や桜も、たまたま咲いている光景に出会えば、美しいと思いますが、有名な花見の観光名所を、わざわざ訪ねようということもせずに、今まで生きてきました。人ごみを考えただけで億劫になりますから、徹夜で場所取りをしてまで、花の下で宴会をやりたがる人たちの気持ちは、当然理解できていません。折角の花の香りを、酒や焼きイカなどの臭いでかき消してしまうことが『粋(いき)』であるとは思えません。

しかし、今年は、偶然も重なって、日本の桜前線を、みちのく路まで追いかけて、桜を観る機会に恵まれました。我が家の近くにある満開の桜並木を、駅まで歩く途中に観るのは例年のことでしたが、加えて、今年は、上野へ音楽会を聴きにでかけた折に、上野公園の桜もついでに観る機会に恵まれました。

しかし、梅爺にとって、人生初の体験は、4月18日から19日まで、5組の友人夫婦達で山形県を旅したことと、数日後の23日から25日まで、今度は梅婆と、岩手、青森、秋田を旅するパック旅行に参加し、各地の『桜の名所』と言われているところを、経巡ったことです。

山形県の旅は、『松尾芭蕉』というタイトルで、既にブログに書きました。この旅では、『山形の霞城公園の桜』の満開時に遭遇しました。

次の週の、岩手、青森、秋田をめぐる旅行は、だいぶ前に梅婆が、パック旅行を申し込んだもので、時期的に、桜の満開には『早すぎる』と周囲の人たちからは言われていました。一般に、この地域は、5月のゴールデンウィークの前後が開花時期とされているからです。しかし、今年の開花は、異例に早く、幸運にも、『弘前城公園の桜』と、『十和田の駒街道の桜』という桜の名所では、満開を愛でることになりました。梅爺も、梅婆も開花時期を、言い当てる超能力などは持ち合わせていませんので、『偶然の幸運』に感謝するほかありません。

それでも、一番期待していた秋田角館の、川沿い2キロメートルに及ぶ、ソメイヨシノの桜のトンネルと、武家屋敷道沿いの枝垂れ桜の並木は、数日違いで、満開を過ぎてしまい、訪ねた時には、花は散ってしまっていましたので、『樹を見て、花を想像する』ことになってしまいました。自分が行く先々で、どこでも『満開』に遭遇することを願うのは、少し強欲であることを知りながら、ついつい『残念』などと言ってしまうのですから、人間は勝手なものです。

東北の桜の名所は、『人出が多い』と言っても、上野公園のような雑踏ではありませんので、ゆっくり桜を堪能できました。

思いもかけずに、今年は、日本の『桜前線』を追っかけるようなことを体験し、たった2週間で、梅爺の人生では異例の量の桜を鑑賞したことになります。おかげさまで、冥土の土産話が一つ増えました。

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2008年4月28日 (月)

ピーター・テンプルの小説(2)

この小説の文体は、『省略』が多いことです。学校で習った整った構文の英語では表現されませんので、想像たくましく、読む必要があります。例えば、以下のような調子です。

Cashin went inside. In his hip pokect, the mobile rang.
"Yes."
"Joe?"
Kedall Rogers, from the station.
"Had a call from a lady" she said. "Near Beckett. A Mrs Haig. She rekons there's someone in her shed."
"Doing what?"
"Well nothing. Her dog's barking. I'll sort it out."
Cashin felt his stubble. "What's the address?"
"I'm going"
"No point. Not far from my way. Address?"

梅爺が、翻訳者なら、以下のように訳すでしょう。

キャシンは中へ入った。その時、尻のポケットの携帯電話が鳴った。
『もしもし』
『ジョーね?』
署のケンドール・ロジャースからだった。
『女の人から電話があったわ。ベケットの近く、ヘイグ夫人と名乗っているわ。彼女の家の物置小屋に誰かがいるらしいの』と彼女は言った。
『で、そいつは何をやらかしているんだ?』
『それが、分からないの。彼女のところの犬が吼えているというだけ。調べてみるわ』
キャシンは、携帯電話を持つ手に無精ひげを感じながら、『で、住所は?』と訊いた。
『私が行ってみるわ』
『その必要ないよ。これから向かう道からそんなに離れていないから、俺が行こう。住所を教えてよ』

お分かりのように、自然な日本語にしようと、梅爺は、沢山の箇所で、言葉を補っています。日本語として読む方には親切ですが、原文のテンポの良いリズムとニュアンスが失われているように思います。

この程度の小説の翻訳ならあまり問題はありませんが、シェークスピアのような文章を、テンポ、ニュアンスを損なわずに日本語へ翻訳するのは、至難の業であることが分かります。

英語圏での、日常の会話は、上記のように『省略形』が多いことになります。単語だけで通じるといえば、そうですが、全体の状況を即座に推察する能力がないと、全くついていけないことになります。

外国語の基本を習得することはやさしくありませんが、更に生きた外国語を習得することは、もっと生易しい話ではないことが分かります。

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2008年4月27日 (日)

ピーター・テンプルの小説(1)

梅爺は、本屋へ出向いて、お目当ての作家の本を探す場合もありますが、陳列棚を眺めていて、今まで読んだことがない作家の本を衝動的に買ってしまう場合もあります。

特に、スリラー小説などは、『National Bestseller』『The NewYork Times Bestseller』『The Sunday Times Bestseller』などと表紙に書いてあると、『読んでハズレはないだろう』と安易に想像し、購入してしまうことが多くあります。

最近、オーストラリアの小説家ピーター・テンプル(Peter Temple)の刑事もの小説『The Broken Shore』の英語版ペーパーバックを買って読みました。タイトルを日本語に訳せば『荒廃の海辺』といったところでしょう。これは『The Sunday Times Bestseller』につられたものです。

英語圏でも、オーストラリアの作家の小説は、今までに読んだことがありませんし、当然ピーター・テンプルは、初めての体験でした。

日本の作家も、それぞれ文体が異なるように、英語も作家によって文体がかなり異なります。英語ネイティブの人には、文体がかもし出すリズム感や、語彙の選択から連想するものが、きっと脳を刺激しているのでしょうが、梅爺の能力程度では、残念ながら『なんとなく違うと感ずる』程度にとどまります。この作家は、『極端な省略』が特徴で、オーストラリア独特のスラングとともに、梅爺は、『こういう意味であろうと推測する』ことに、苦労しました。パズルを解いているようなところがありますので、『ボケ防止』には、効果的であったかもしれません。

この小説は、オーストラリアの海辺の田舎町で起きた殺人事件を、この町で育った中年の刑事が捜査していく中で、平穏、善良に見えていた町の人たちの過去の中に、欲や保身に起因する後ろめたさが秘められていることが、段々に明るみに出てくるといったもので、殺人犯解明のプロセスを利用して、むしろ人間の矛盾した側面を描こうとしているものだと思いました。

原住民(アボリジニ)への人種差別、リゾート開発による自然破壊、金持ちが慈善事業に見せかけて行う悪徳、などを背景にして、腰痛持ちの主人公刑事をはじめ、登場人物がなかなか良く描き出されていると、感心しました。痛快な活劇小説でも、手の込んだ推理小説でもありませんが、梅爺は、訪れたことがないオーストラリアの田舎町の人間模様に親近感を覚えました。

『殺人』という極端な行為は、背後の人間ドラマを設定しやすいこともあり、多くの小説の題材としてとりあげられますが、人間をどこまで書き込むことができるかで、作家の力量が問われます。この小説は、そいいう点で、よくできた作品といえるような気がします。

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2008年4月26日 (土)

松尾芭蕉(4)

芭蕉の『奥の細道』は、日本人の、美意識、死生観などが凝縮したものとして、外国の日本通の人たちにも、高く評価されています。大体『奥の細道(原文は、おくの細道)』というタイトルそのものが、美しく象徴的ですし、序文の『月日は百代の過客にして、行かふ年もまた旅人なり』は、人生を短く集約した名文中の名文です。フランスの前の大統領シラク氏も、『奥の細道』のファンであると、前に聞いたことがあります。さすが、教養の国フランスならではの話で、アメリカのブッシュ大統領が、芭蕉や『奥の細道』をご存知であろうとは到底おもえません。日本人の偉い政治家の『先生方』のうち、何人が、『奥の細道』の真髄を理解する教養をお持ちなのか、梅爺は知りません。

『立石寺(山寺)』の近くに、『山寺芭蕉記念館』という、立派なミュージアムがあり、梅爺たちも立ち寄って見学しました。芭蕉直筆の短冊や書状などが展示されていて、達筆ぶりに驚きました。悪筆の梅爺なら、昔は生きていけなかったかもしれないと、冷や汗をかきました。

芭蕉は、46歳の時に、弟子の曾良(そら)と、『奥の細道』に出かけ、50歳くらいで亡くなっています。昔の人の平均寿命とはいえ、67歳まで、のうのうと生きている梅爺は、これまた冷や汗ものと、畏れ入りながら、それにしても、長旅の旅費は、当時どうやって工面したのだろうか、などとつまらないことまで考えてしまいました。

親日家でもあった、アメリカの元駐日大使のライシャワー氏が、『山形』を礼賛した以下のような記念碑が、記念館にありました。

山形・・・山の向こうのもう一つの日本

日本の本来の姿を思い出させる美しい所です。それは、松尾芭蕉が300年前にかの有名な旅行で山形を訪れた時に目に映ったものであり、私自身が20年前以上も前に山形を旅したときに感じたものです。山形が過去の日本であるばかりではなく、将来の日本であると共に発展の余地があり、しかもその発展には自然と人間の喜ばしい均衡を決して損なうものでないものであって欲しいと私は望んでいます。

日本の良さを一番知らないのは日本人です、と言われているようで、これまた身がすくむ思いでした。たった2日の旅行ながら、おかげさまで梅爺は沢山のことを学びました。

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2008年4月25日 (金)

松尾芭蕉(3)

山形市にある、天台宗立石寺(りっしゃくじ)は、山寺と一般に呼ばれるとおりに、山道入り口から、山肌の断崖の上にある奥の院までは、1015段の険しい石段を登らなければなりません。普段運動不足の梅爺は、ハアハア喘ぎながら登りました。途中の、岩壁を見上げる場所で、芭蕉が『静けさや岩にしみいる蝉の声』という名句を詠んだとされる場所があり『せみ塚』という碑がありました。

このお寺は、9世紀に円仁(慈覚大師)が清和天皇の勅命で建立したというのが定説になっていますが、実際には、もっと古いという説もあるようです。梅爺が石段を登るだけでも大変なのですから、石段を積み上げたり、断崖の上にお寺を建立したりした実際の土木・建築作業には、多大な労力と建設資金が必要であったであろうと容易に推測できます。信者の寄進だけではまかないきれないような費用であるようにおもいますので、定説が本当で、朝廷からの資金援助があったのかもしれません。

いずれにしても、何故このような厳しい場所が信仰の対象になるのかは、仏教に暗い梅爺には想像するしかありませんが、古来、人々から霊験あらたかな場所として崇められてきたか、修行の場として適切という意味があったのか、どちらかではないかと思いました。

芭蕉の句は、蝉が鳴いていれば、一般には『うるさい』と感ずるはずなのに『静けさや』と表現し、実際には、蝉の声が岩に反射することがあっても、『しみいる』ことはないのに、あえて『しみいる』と表現しているところが、絶妙です。従ってこの句は、情景をモチーフとしながら、実際は、情念の世界を詠んだものであることが分かります。『静けさ』は物理的な『静けさ』ではなく、芭蕉の心にある観念的な『静けさ』なのでしょう。立石寺の見上げる岩壁の前では、何の矛盾もなく、この句を情念の世界として受け容れることができます。

研ぎ澄まされた言葉の感覚を持たなければ、このような少ない語彙だけで、壮大な情念の世界を表現できるものではありません。このような偉大な先人に代表される、『情念の世界を尊ぶ日本文化の伝統』を、あらためて誇らしく感じました。

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2008年4月24日 (木)

松尾芭蕉(2)

今回の旅行では、『最上川』と『山寺(立石寺)』という、松尾芭蕉の『奥の細道』ゆかりの場所を、訪ねました。

『五月雨を集めてはやし最上川』
『静けさや岩にしみいる蝉の声』

という、誰もが知っている有名な句が詠まれた場所です。

『最上川』は、全長が240キロメートルもある、日本では長い川に属するものなのに、源流から河口の酒田で日本海へそそぐまで、山形県だけで完結し、他県へまたがっていないということを、始めて知りました。地理音痴で、まことに、お恥ずかしい次第です。

『最上川』というと、梅爺は有名な民謡『最上川舟唄』をすぐ思い浮かべます。この唄は、清水脩氏が編曲をして、有名な男声合唱曲になっていますので、梅爺は、大学生の頃、何度か歌った記憶があるからです。今回も川くだりの船の中で、ガイドのオジサンが歌ってくれました。日本民謡独特の小節(こぶし)の効いた節回し、みちのく訛りの素朴な歌詞が梅爺は好きです。

(ヨーエ サノ マッガショ エンヤ コラマーガセ エエヤ エーエヤ エーエ エーエヤ エード ヨーエ サノ マッガショ エンヤコラマーガセー)
酒田(さがだ)さ行(え)ぐさげ達者(まめ)でろちゃ
(ヨイトコラサノセー)
流行風邪(はやりかぜ)などひかねよに

で始まるこの唄は、船頭夫婦の情愛を唄っていますが、純情な女房が、亭主の無事を祈って家で待っているのに、亭主の方は、旅先で隙あらば、女遊びをしてやろうと企んでいるいるような様子がうかがえる、ユーモアあふれる内容です。

エンジンがなかった昔は、上りは、帆を使い、風の力で川を遡ったわけですが、『山背風(やませかぜ)』の時には、船が動きませんので、船頭は『亭主が帰らないといって、俺を恨むな、風を恨め』と唄っています。なんとなく、他の理由で帰宅しなかった時の言い訳にもとれます。

芭蕉は、『五月雨を集めてはやし』と句を詠みましたが、今回は、雪解け水で、水嵩(みずかさ)が増えていて、所によってはかなり急流となっていました。現在の川くだりは、屋形船の形状をした20人程度乗れる舟に、船外エンジンを取り付けた安全なものですので、梅爺たちは、両岸の、春に染まりつつある景観をのんびり楽しみました。しかし、芭蕉の頃は、難所を無事に越えられるように祈りながらの舟旅であったことが、この句の『緊張感』からもうかがえます。

ごくありふれた言葉で、季節の情感や舟旅の緊迫感を見事に表現してしまう芭蕉には、脱帽するほかありません。

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2008年4月23日 (水)

松尾芭蕉(1)

梅爺が、コンピュータ関連の仕事の現役であった時に、同業4社の8人が夫婦連れでヨーロッパへ旅する機会があり、その後、この8組の夫婦は、男だけの場合は『十六夜会』、女だけの場合は『サンフラワー会』、夫婦同伴の場合は、『サンフラワー夫婦の会』などと名づけて、口実をつくり、仕事を抜きに、個人的なお付き合いをずっと続けてきています。男だけのこのような会合は、えてして長続きしないものですが、女房連が結束してしまったことが、長続きの原因と、亭主族も認めています。8組もの夫婦が、しかも、亭主の現役時代は仕事上の競合関係にありながら、付き合いが10年以上も続いているという例は、珍しいのではないかと思います。大体は、都心や都心近辺の場所を指定して集まり、呑んだり、食べたり、おしゃべりをしたりで過ごしますが、時折、宿泊つきの旅行も企画し、1昨年は、アメリカ、北カリフォルニアにまで出かけ、ナパ・バレーで貴重な『ワイン列車搭乗体験』等も楽しみました。

今回は、4月18日から19日にかけ、『みちのく山形の旅』が企画され、梅爺たちも含め、5組の夫婦が参加しました。幹事役のFさん夫婦は、2ヶ月前の冬に、ほぼ同じコースを旅しておられ、その折ビデオ撮影し、見事に編集を施したDVDを、参考にと事前に送ってくださるほど念の入りようで、体験をもとに、綿密な計画を練ってくださいました。そのおかげで、『最上川船くだり』『立石寺(りっしゃくじ:山寺の呼称で有名)参拝』『山寺(松尾)芭蕉記念館見学』『天童の人間将棋見学』『山形の霞城(かじょう)公園の満開の桜見学』と、充実した日程を満喫して、帰宅しました。

梅爺は、山形新幹線などがなかった時代に、仕事で山形を訪問したことがありましたが、観光とは縁遠い出張でしたので、初めて『みちのく山形』をじっくり体験することになりました。喧騒の都会生活に慣れてしまった身には、時がゆったり流れるように感じられ、豊かな自然の中で交わされる人々の『東北なまり』の言葉も、むしろ安らぎに聞こえました。特に、『奥の細道』の一部を追体験したことで、俳聖松尾芭蕉を、一層身近に感ずることができました。

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2008年4月22日 (火)

プラハ(4)

『プラハの春』から『ビロード革命』までの、共産党一党独裁の恐怖政治では、全ての情報が管理され、自由な出版などは当然禁止されました。非合法の出版は最も罪が重かったにも関わらず、知識人たちは、命がけで地下出版を続け、現在そのような出版物だけを集めた図書館に膨大な資料が保存されていることを知りました。

梅爺が大好きなチェコの作家、ミラン・クンデラは、多分この時代に、パリへ移り住んだのではないかと思います。彼の人間を観る厳しさ、優しさの背景には、きっと、梅爺などには想像できない抑圧された辛い体験があるのであろうと推察できます。

NHKの番組では、当時から詩を書き続けている詩人にインタビューし、『どんなにひどい時代であったか』の証言を聞きだそうとしますが、返ってきた思いもよらない返事に、梅爺は虚をつかれました。

詩人は、『逆説的にきこえるかもしれませんが、ある意味であの時代、私は最も自由な精神のもとで、詩を書いていました。他人のことは考えず、自由に自分が表現できたからです』と答えたのです。

勿論、この詩人は、圧政下の時代が良かったと言っているわけではありません。むしろ、上記のように答える方が、『圧制のひどさ』を際立たせることになるともいえます。しかし、一方、純粋な文学とは何かを暗示しているようにも思え、梅爺は、『うーん、なるほど』と唸ってしまいました。

どんな劣悪な環境でも、その中に何らかの『良い面』を見出し、ポジティブに生きようとする人間の生き方は、感動を呼びます。しかし、『強い心』がなければ、このような対応はできません。梅爺は残念ながら、そのように対応できると言い切れる自信がありません。

『石田寛人氏の随筆』、『NHKの番組』、『昨年オペラ鑑賞で訪れ、自由時間にそぞろ歩いた記憶』が、一緒になって、『プラハ』を、更に一段と、身近に感ずることができました。

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2008年4月21日 (月)

プラハ(3)

丁度、石田寛人氏の随筆『プラハ 金沢 街角だより』を読んでいる時に、梅婆がNHKの世界遺産紹介番組の『プラハ』を録画したというので、早速観ました。我が家は、『テレビ+録画機』が、梅爺用と梅婆用に分かれていて、通常はお互いに干渉することなく、好きな番組を観たり、録画したりしています。二人だけの生活なのに、よそよそしい様にも見えますが、我が家の場合は、老後の生活を快適にするのに、むしろこの方が良いと判断し、梅爺がリタイアした時に採用しました。

NHKの番組は、チェコが、ハプスブルグ家、ヒットラー、ソ連などの支配下で苦難の歴史が続いた中で、市民が、自らの文化、伝統それに『誇り』をどのように守り続けてきたかを中心に伝えるものでした。特に1968年の有名な『プラハの春』が、ソ連の軍事介入で鎮圧され、1989年の『ビロード革命』で、共産主義に決別することに成功するまでの間、むしろ共産党一党独裁による恐怖政治が強化され、知識人、文化人、宗教人が徹底弾圧された時期に、人々がどのように耐え抜いたのかが、証言を交えて報じられ、梅爺はあらためてチェコの人たちに尊敬の念を持ちました。

『プラハの春』は、軍事介入したソ連に対し、市民は徹底非暴力で対抗します。戦車の前に座り込んだり、焼身自殺をしたり、ソ連兵を言葉で説得しようとさえします。放送局は直ぐにソ連軍に制圧されますが、市民は工場の地下に仮放送局を設置し、抵抗します。このとき、一人の女性歌手が、即興で『私達は、必ず失っていたものを取り戻す』という内容の歌を放送で流しますが、やがてこの地下放送局も制圧され、女性歌手は、活動を永久に禁じられます。

『ビロード革命』が成功し、50万人の市民がプラハの広場に集結した時、その女性歌手は、ベランダに現れ、『プラハの春』の時に即興で歌ったあの歌を、市民の前で歌います。市民が、涙を流しながらこの歌を静粛に聴く場面は感動的でした。人々の脳裏に刻まれた歌を、武力では消し去ることはできませんでした。

人が、自由に考え、表現できる権利を、恐怖政治や軍事力で抑圧することは、罪深いことであり、それは長続きはしないことを、幾多の歴史が物語っています。人間は『洗脳』され易い弱さと同時に『洗脳』され難い側面を併せ持っていることを知らない為政者は、必ず失敗します。中国が抱えるチベットの問題や、まだこんな国家が今時存在するのかと疑いたくなる北朝鮮の問題も、やがて他の歴史と同じ道を辿ることになるであろうと梅爺は考えています。

自由化後20年経って、昨年訪れたプラハは見かけは華やかになり、観光客でごった返していました。スリやかっぱらいが横行し、タクシーにも安心して乗れない(高い料金をふっかけられる)こわい都市に変貌してしまっていました。あの、我慢強い、善良で純朴な国民はどこへいってしまったのかと不思議に思いますが、どの国民も持つ二面性なので、チェコだけを責めるわけにはいきません。

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2008年4月20日 (日)

プラハ(2)

『プラハ 金沢 街角だより』の中の、石田氏のつぎのような表現が、梅爺は大好きです。

プラハに到着した昨年の十二月二十七日以来、天からの手紙は、ほぼ毎日送られてくる。それは「サラサラ」の雪ではない。「しんしん」と降るというには積もり方が少ない。「ひらひら」というほど雪片が大きくない。雪に気持ちがあるとすれば、私が小松や金沢で経験した『懸命に』降る雪ではなく、『おぼつかなく』も「チラチラ」「ふわふわ」宙から漂って地上に達する雪である。

一見して、石田氏が、日本語に細かい心遣いをされていることがわかります。『懸命に』『おぼつかなく』は、二重括弧(『』)で、「サラサラ」「しんしん」「チラチラ」「ふわふわ」は一重括弧(「」)で、区別され、更にカタカナとひらがなの表現が微妙に使い分けられています。語彙の選択、語彙の対比、短い文章がかもし出す日本語独特の語感、リズム、そして何よりも『雪が降る様子』が伝える情感が読む人に届きます。石田氏が、並みの『書き手』ではないことが分かります。

少し前に梅爺はシリーズで、『文学とは何だろう?』というブログを書き、その中で、文学が備えているべき資質として、『理』と『情』を兼ね備え、読み手の『心を満たすもの』でなければならないのではないか、と生意気なことを言いましたが、石田氏の文章は、これを満たしています。

上記の石田氏の文章は、勿論英語に翻訳することは可能であろうと思いますが、日本人が原文から受け取る『リズム感』や『情感』を、英語で再現するのは至難の業であるように思います。

日本人として、美しい日本語を楽しむことができることに、感謝したくなります。

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2008年4月19日 (土)

プラハ(1)

元チェコ大使の石田寛人氏(現金沢学院大学長)が書かれた随筆『プラハ 金沢 街角だより』という本を、『横浜フォーラム』を主催されるMさんから贈呈いただき、読んでいるところです。

Mさんは、私の大学時代のコーラス(男声合唱)の同期生で、石田氏は、Mさんの高校(金沢大学付属高校)時代の同級生という関係です。Mさんが毎月1回主催される『横浜フォーラム(異業種の人たちの集まり、食べたり呑んだりしながら、講演を聴くという楽しい会)』のメンバーに梅爺も加えていただいたご縁で、チェコ大使に赴任される前『横浜フォーラム』に出席された石田氏の講演を拝聴したことがあります。

石田氏は、東大工学部を卒業後、科学技術庁(現文部科学省)に入省され、科学技術事務次官まで努められたエリート官僚のお一人ですが、なんと『横浜フォーラム』でのお話の内容は、ご趣味の『歌舞伎』に関するものでした。

石田氏の『歌舞伎通ぶり』は、歌舞伎座に足しげく通うといったレベルではなく、歌舞伎に関するあらゆる知識に精通されておられるのは当然として、なんと自作の『浄瑠璃』の脚本まで書いてしまわれるという徹底振りで、梅爺は度肝を抜かれました。現在の日本語で小説を書くというのとは違い、歌舞伎の脚本となる『浄瑠璃』を書くのには、筋たてはおろか、歌舞伎の舞台構成、所作や、昔の日本語の『リズム』『かけことば』などの全てに精通していなければ、とてもできないことです。

工学部出身で、多趣味な方は、梅爺も他にも何人か存じ上げていますが、石田氏の『歌舞伎』は、趣味のレベルをはるかにこえた、プロの領域にまで達しています。

このような石田氏が書いた『プラハ 金沢 街角だより』は、『理』と『情』の表現バランスが絶妙な随筆で、梅爺は脱帽しながら読んでいます。日本大使として赴任されたチェコのプラハと、石田氏のふるさと金沢にまつわるエピソードが沢山綴られています。前に新聞のコラムとして発表掲載された内容を、再編集したものとのことです。

梅爺は、最近、偶然にもプラハ(オペラ鑑賞の旅)と金沢(梅婆と一緒の観光旅行)の両方を訪ねる機会がありましたので、未だ新しい記憶を、呼び起こすきっかけにもなっています。中世の街並みをそのまま残すプラハも、しっとりした日本の伝統を残す金沢も、梅爺のお気に入りの都市です。

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2008年4月18日 (金)

『常若』って何?

梅爺の大学同級会(昭和39年卒、工学部精密機械工学科)は、毎年1泊旅行をかねて、5月に開催されることになっています。今年は、名古屋在住のOさんが幹事で、『鉄と神話の旅』というサブタイトルがついたスケジュールがメールで送られて来ました。

現役時代、新日鐵の幹部であったOさんのご好意で、『新日鐵名古屋工場』を見学すると同時に、熱田神宮、伊勢神宮、猿田彦神社をめぐって、日本の新しさと古さを一挙に対比して体験しようという、深慮の行き届いた企画で、梅爺も今から大いに期待しています。

企画書の中に、『伊勢神宮に詣でて、日本人の心の原点である「常若」と「自給自足」の精神について、考えて欲しい』というような趣旨のことが書いてあり、『自給自足』は分かるものの、『常若』とは一体何のことだろうと、梅爺が考えていましたら、同級生のMさんから、同じ質問がメールで発信されました。Oさんから、神宮司庁 河合真如宮司からうかがった話として、以下の内容の回答メールが皆に送られて来ました。

常若と書いて「とこわか」と読みます。古代様式の社殿が建つ伊勢神宮は、「世界で1番古くて新しい」といわれます。古くて新しいというパラドックスを解く鍵が常若の思想です。

常若は常に瑞々しく若々しいことを言います。若という字は巫女が両手を挙げて舞い、信託を受けるという形で、単なる若さではなく、もともとは神意に従うという意味があります。神意に叶うよう式年遷宮(20年に1度で次回は平成25年)を繰り返し、引き継いでいく事により、常に瑞々しく保つことが出来る、それこそが常若の思想です。神意に従うと言う事は、自然を壊す事無く、自然とともに生きる事であります。伊勢神宮ははるか昔から食材を自給自足し、そのために水源の山を整備し、遷宮の用材を確保するための植林を行っています。

うーん、なるほど、枯木は若木へ、老人は若者へ、世代を受け継いでいくという、局部的に見れば『交代』があるように見えて、自然そのものは、大局的には何も変わらず続いていくことが大切なのに、その自然を変えてしまったら、生きとし生けるものの『交代』さえもが、できなくなってしまうということですね。

アル・ゴアが『不都合な真実』などと、新発見のように言っていることを、日本人は、昔から『当たり前のこと』と考え、しかも実行してきたということと理解しました。現代の日本人だけが『傲慢』になり、この流れを止めてしまうとしたら、それこそ『罰当たり』ということになりそうです。

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2008年4月17日 (木)

ゲイツとバフェット(3)

学生達は、二人に『経営倫理』『企業で昇進するための能力』『経営者になるための資質』『もし特別な能力が手に入るとしたら何を望むか』『若い世代に何を期待するか』など、色々なことを質問を浴びせました。

ゲイツが、生真面目に、梅爺でも想像できる範囲の回答をしたのに対し、バフェットは、必ずユーモアを交えながら、それでいて、核心をつく答を返すのを観て、その場にいた学生は勿論、普段仕事でバフェットと接する人たちは、間違いなく彼に魅了されるであろうと、梅爺は感じました。ビジネスで彼が成功したのは、幸運だけによるものではないことが分かります。

梅爺が、面白いと思ったバフェット語録は以下のようなものです。

『自分の行いに関する新聞記事を予め思い浮かべ、それを読んで家族が恥ずかしいと思うようなことは、やってはいけない』
『人前で、堂々と話ができる能力を身につけなさい(梅爺注:いかにもアメリカらしい学生への忠告)』
『周囲の人と競うより、周囲の人の能力引き出すことを配慮しなさい』
『自分に対する他人の評価より、自分で自分にくだした評価を重視しなさい』
『多数決が良い決断とは限りません。経営者は、自分ひとりで決断すべきです』
『尊敬するヒーローを一人持ちなさい』
『自分には、惜しみなく投資をしなさい』
『人は誰でも過ちを犯すもの。くよくよしていても、何もよいことはありません』
『自分のことを気遣ってくれる人が周囲にいれば、その人の人生はそれだけで成功と言えます』

プーチンのような、無表情で、見るからに『冷徹』な指導者が、権力者にのし上がってしまうロシヤより、バフェットのような人間味溢れる人物が高く評価される、アメリカは、健全であるように梅爺は感じました。

バフェットは、最後に若い人への要望として、『アメリカばかりではなく、世界に出向いて、世界の人が何を考えているのかを体験しなさい。そして、核兵器が使われない世界を作ってください』と締めくくりました。

さすが、アメリカには、魅力的な経営者がいるものだと、梅爺は大いに感心しました。

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2008年4月16日 (水)

ゲイツとバフェット(2)

ゲイツとバフェットの共通点は、事業の成功者であると同時に、その結果として『ものすごい金持ち』であるということです。『ものすごい金持ち』になったことがない梅爺には、『ものすごい金持ち』の心境は、想像するしかありませんが、二人とも、学生の質問に答えて、『仕事が人生の生きがいであり、金は目的ではない』という趣旨のことを言っていました。『あなたは、金持ちだから、そんなことが言えるのでしょう』と、ひがんで言いたくもなりますが、二人とも、資産の大半は相続の対象にしないで、慈善事業に寄付することを宣言していますので、『言行』は一致しています。

アメリカの、誰にも平等に近い税制のありかたや、キャッシュフローを対象とした税のかけ方は、『金持ちに有利で、反対である』と、両名ともに明言し、所得や相続に、累進課税を導入すべきと述べていました。所得に見合う借金をすれば、所得税を払わないですむというのも、おかしいと言っていました。平等な税制が、反って、『誰にも機会が平等にある』というアメリカの良さを損なう原因になると、危惧をのべていました。こういう率直で分かりやすい発言が、アメリカらしいと梅爺は感心しました。

梅爺は、幸い、食べることに困らず、ささやかな贅沢もある程度は可能な境遇にありますので、偉そうなことが言える身分ではありませんが、『金はお腹は満たすが、心は満たさない』という主張には同意できます。『健康』『愛情』『友情』『情熱』など、お金で買えないものを失った時のつらさを考えると心が暗くなります。現状は、しばしの安息と感謝し、つつましさの中に、心をみたすものを見出す努力を続けたいと考えています。自分より金持ちの人を羨ましくは思いませんが、自分より心の豊かな人は、羨ましいかぎりです。

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2008年4月15日 (火)

ゲイツとバフェット(1)

アメリカンドリームの実現者で、現在アメリカの長者番付の上位を争うゲイツとバフェットの二人が、バフェットの母校ネブラスカ大学を訪れて、学生からぶっつけ本番の質問を受け、答えるという、ドキュメンタリー番組(NHKBS放送で放映、米国のテレビ局が制作)の録画を観ました。ゲイツは、マイクロソフトの創始者ビル・ゲイツ、バフェットは、バークシャー・ハサウェイという投資会社のCEO、ウォーレン・バフェットのことです。

ゲイツは、梅爺の会社時代の仕事(コンピュータ・システム・ビジネス)と深い関係がありましたので、彼に関するノン・フィクションは今までに何冊か読んできました。いずれも、内容は好意的というより、批判的なものが多く、『うまく時流に乗った成功者』という、『能力』よりも『幸運』を強調するものでした。マイクロソフトの経営的な成功は、誰もが認めざるをえない事実ですが、『自社の独自技術』でイノベーションを起こしてきたというより、先行者を真似て追いかけ、時に権謀術数でライバルを退けたり、買収したりしながら、根気強くトップの座を勝ち取るという戦術に終始してきたことに対する、ジャーナリズムの批判が込められているからなのでしょう。現在も、最大のライバルであるグーグルに対抗するために、ヤフーを買収する話が取りざたされていますが、これなども典型的なマイクロソフトの発想のように思えます。日本流に言えば『他人(ひと)の褌で相撲をとる』という戦術です。PCの基本ソフト事業のほかの分野では、インターネット・テレビやゲーム機などに進出しましたが、必ずしも成功しているとはいえません。

若い頃のゲイツは、世間知らずで独りよがりなところがあり、人前で話をするのもあまり上手ではありませんでしたが、番組を観る限り、さすがに50歳のオジサンになって、人間が丸くなり、淡々とした語り口は、梅爺には好感が持てました。『地位が人をつくる』ということなのでしょう。世界一の金持ちとして有名ですが、奥さんのミランダと一緒に、膨大な金額を投じ、アフリカの恵まれない子ども達へ、医薬品を届けるなどの慈善事業を行っていることは、あまり知られていません。税金逃れなどと陰口をきく人もいますが、金持ちは全員慈善事業者ではありませんから、梅爺は、こういうゲイツの人間的な側面を高く評価しています。

一方、バフェットという人物が、どういう人なのかをこの番組を観るまで、全く知りませんでした。しかし、ちょっとした受け答えの中にも、見事なユーモアを交え、気取らず的確に答える様子は、70歳をこえた好々爺の風貌とあいまって、観る人をひきつける魅力に溢れていることを知りました。

失礼ながら、人物の器量は、バフェットがゲイツに数段勝ると感じました。

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2008年4月14日 (月)

嘘からでたまこと

江戸いろはカルタの『う』、『嘘からでたまこと』の話です。

『嘘』と『まこと』が対語になっていることは、直ぐに分かりますが、論理の世界の『偽』と『真』をこれに当てはめると、おかしな話になってしまいます。『偽』が後々『真』に変わってしまったというようなことがあっては、『論理』が成立しなくなってしまうからです。

従って、江戸の人たちが『嘘』という言葉で想定していることは、話し手が、『勝手な作り話をした』か『予想話をした』場合であろうと推測できます。つまり、『現時点では、誰も今後どのような展開になるか、分からないような話』も『嘘』の範疇に入っていることになりますので、現在私達が使う『嘘』よりもかなり広い範囲で使われていることが分かります。

私達にとっては『嘘を言う』ことは、一般に『悪いこと』に直結しがちですが、上記のような定義なら、誰もが、罪の意識なく普段行っていることなので、『悪いこと』とは一概に言えません。

『今度買った宝くじは必ず当たる』と言っていたら、本当に1億円が当たったなどという話は、楽しい話ですが、『あの夫婦は1年ともたない』と言っていたら本当に分かれてしまったとなると、少々後味が悪いかもしれません。

予測能力や洞察力に長けた人の『嘘』は、後々『まこと』になる確率が高いことは言うまでもありません。そのようなことを江戸の人たちが『諺』にしたとは思えませんので、後先を考えず、または苦し紛れにした『でたらめな作り話』が時として『本当の話』になってしまうという、世の中の『おかしさ』『不思議さ』を表現したものかなと、梅爺は想像しました。

『縁起の悪い話』をしてしまって、本当になったら、困るから気をつけなさいという教訓が含まれているのかもしれません。

梅爺も、『沈黙は金』が守れずに、あまり根拠の無い話を得意げにして、後で顰蹙を買うことが良くありますので、耳の痛い話です。

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2008年4月13日 (日)

文学とは何だろう(7)

どんな文学のジャンルであれ、創作者には、人間および人間社会に対する深い洞察力と理解力が求められます。知的障害のある方でも、音楽や絵画には特別の才能を発揮される方々がおられます。サヴァン症候群などがその例としてよく挙げられます。しかし、少々過激な発言をお許しいただければ、こと文学の領域では、それは難しいのではないかと梅爺は感じています。つまり、言葉という、そもそも論理構造を持つ媒体で適切な描写ができるという背景には、創作者の『情』への対応能力に加え、『理』に対する対応能力も必要な条件になるように思えるからです。誤解がないように付け加えれば、音楽や絵画の創作に『理』は必要ないと言っているわけではありません。

梅爺は、文学の創作者が、『常識に富んだ人』でなければならないと主張しているわけでもありません。作家の中には、鋭い感性ゆえに、一般の社会生活には適応困難な方もおられ、自分の世界を『私小説』的に表現して、それが『普通の読者』には、『純粋』であったり、『非日常的』であったり、『退廃的』であったりして、反って新鮮に映る場合もあります。しかし、これらの作家が社会生活になじめないのは、知性を欠いているからではありません。

小説の領域に、『純文学』と『大衆文学』という区分けがあり、かたや『芥川賞』かたや『直木賞』の対象と言われていますが、梅爺には、この区分けの基準がよく理解できていません。

『大衆文学』は『娯楽』を主目的にしているという説明は、直ぐに思いつきますが、それならば、『娯楽』の要素を含んだ途端に、『芸術性』は失われるのか、という疑問がわきます。確かに、『娯楽』の中には低俗なものもありますが、『芸術』と『娯楽』は相反するものとも思えません。むしろ、『芸術』の要素として『娯楽』は欠かせないものであるようにも感じます。ひょっとすると、『芸術』は『娯楽』の極致かもしれません。

『純文学』だけを、高度な『芸術』として特別視するのは、『気取った独りよがり』ではないのかと、いつもの悪い癖で、梅爺は言いたくなります。世の中の『純』と冠がつくものに、本当の『純』は少なく、むしろ『不純』と共存するが故に『純』が際立つものの方が多いのではないかと感じています。

最初にお断りしたように、文学の勉強をしたことのない梅爺のむちゃくちゃな独断であるかもしれないことは、重々承知しています。

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2008年4月12日 (土)

文学とは何だろう(6)

張り詰めた緊張の中での『言葉選び』が重視される『定型詩』『非定型詩』の世界とは若干異なり、『フィクション』『ノン・フィクション』の世界では、創作者の『理』を駆使した知的な配慮と能力が、要求されるように思えます。

『モチーフ』『プロット(筋立て、構成)』『登場人物の設定』『場所の設定と考証』『時代の設定と考証』など、かなりの知識がないと、『フィクション』や『ノン・フィクション』は書けません。創作者が、最終的に細部の表現に取り掛かる前に、どのようなプロセスで、『全体構想』を練り、『全体設計』を行うのかについては、梅爺には想像するしかありませんが、緻密なパズルを考案するようなものに違いありません。

読者(鑑賞者)も、時間をかけてすばらしい作品を読み終わった後は、詩歌を読んだ時のような瞬間的な感動とはまた違った、ずっしりと充実した感動に浸ることになります。それは、時に読者の人生観さえも変えてしまうほどの力をもっています。紙の上に印刷された記号(文字)が、人間の脳の中で、このような理解や感性にまで昇華してしまうわけですから、『ペンは剣よりも強し』という諺は、決して大げさではありません。言葉を創り出し、その言葉で『文学』という芸術領域までも創り出した人間のすばらしさを再認識せざるをえません。

事件を報ずる新聞記事や、数学の教科書の文章を読んで、人は、『理』の世界に属する満足を得たとしても、これが『文学』に属するものとは思いません。言葉には、『理』と『情』の両方に働きかけ、両方の概念を脳の中に想起させる力があるからこそ『文学』が出現したのでしょう。従って『文学』は、読者の『情』の世界に働きかけ、これで読者に『心が満たされた』と思わせる要素を含んでいることが、必須の要件であるように思います。『梅爺閑話』程度の文章では逆立ちをしても、到達できるレベルではありません。

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2008年4月11日 (金)

文学とは何だろう(5)

文学のジャンルを問わず、『言語(文字)による表現』であることには、変わりがありません。言語で使われている語彙の数を考えると、作家がある表現をしたいと考えた時に、語彙や語彙の組み合わせで、利用できそうなものは、論理的には、ほぼ無数にあるはずですが、何故作品で使われている語彙や語彙の組み合わせを採用することを思いついたのか、が梅爺のような文才の乏しい人間には理解を越えた世界です。作家の脳の構造は、まるで魔法の世界のように思えます。

梅爺は、男声合唱をやっていますので、北原白秋(詩)、正岡子規(短歌)、草野心平(詩)などの作品に曲をつけた合唱曲をよく歌いますが、そのたびに、語彙選びに関する作家の『閃き(ひらめき』ともいえる才能に驚嘆します。

個々の語彙は平易なものの組み合わせに過ぎないのに、全く新鮮な情感を読む人に想起させるもの、その状況では普通使用しない語彙を用いて、読む人の虚を突き、そのくせ的確に状況を表現してしまうものなど、驚くばかりです。読む人の脳裏に、聞こえない音やリズムが聞こえてきたり、見えない情景が見えてきたり、時には、作家の喜びや悲しみなどの『心』を、自分のものとして共有できたよう感動も味わうことができます。特に、定型詩(日本の場合は、俳句、短歌)では、制約されたルールの中で、少ない語彙を用いて、広大な情念の世界を描き出すわけですから、『研ぎ澄まされた語彙に対する感覚』が要求されます。俳句のような、文学として極限のような世界で、松尾芭蕉が『俳聖』と呼ばれるのは、当然のように思えます。限りない静謐(せいひつ)さを、『古池や蛙飛び込む水の音』等と言うような、一見単純な語彙の組み合わせで表現してしまう能力を、梅爺は残念ながら持ち合わせていません。

音楽や絵画・彫刻の作家には、才能に加えて、基礎的な技能の修得が求められますが、文学は、一見誰にでも参加が可能に見える領域です。そうであるがゆえに、すばらしい作品を書ける作家の『研ぎ澄まされた語彙に対する感覚』は、群を抜いていると言えるのではないでしょうか。

『定型詩』や『非定型詩』とは異なり、『フィクション』『ノン・フィクション』『エッセイ』などの領域は、同じ文学でも、少し異なった才能を要求されるように思います。『情』一辺倒ではなく、かなり『理(論理)』の才能も要求されるのではないでしょうか。

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2008年4月10日 (木)

文学とは何だろう(4)

『空腹を満たす』ためには、万人に共通する手段が存在しますが、『心を満たす』『悲しさや虚しさを癒す』『感動する』には、万人に通用する一律の手段がありません。人の『感性』の感度や、満たされると感ずるレベルは、多様で、個々に異なっているからです。

人は、芸術に接して、『感性』に刺激を受け、自分の中に想起したものがあるレベルを越えた時に、『満たされた』と思うにちがいありません。対象となる意識は、『美』『ワビ、サビ』『ものの哀れ』『静謐(せいひつ)』『爽快』など多様ですが、いずれも抽象的な概念で、相対的なものです。今まで感じたことが無い抽象的な概念を、あるレベル以上に想起できた自分に、『満足する』ことになるのではないかと思います。

人は、『理』と『情』を駆使して、概念や知識を獲得しますが、芸術はどちらかと言えば、『情』に重きがあるように思います。自然科学に関するものは、当然『理』に重きがおかれます。

根っからの悪人でもない限り、多くの人は『善良な心』が『満たされた』時に、より深い満足を味わうのではないでしょうか。『邪悪な心』も持ち合わせていながら、『善良な心』を希求する資質をヒトが持ち合わせているのは、何故なのか、梅爺には説明がつきません。この根源的に『善良な心を希求する資質』は、宗教によって『見出されたもの』かもしれませんが、宗教によって『創り出されたもの』とも思えません。かりに、宗教が存在していなくてもその資質は人間の中に実在するのではないかと思います。

文学の話にいたる前置きが長くなってしまいました。

文学は、『言葉(文字)で表現される芸術様式』ですが、思いつくジャンルは、『定型詩』『非定型詩』『フィクション(小説)』『ノン・フィクション』『エッセイ(随筆)』『伝記』『思想書(哲学書、聖書、経典)』『史書』など多様です。梅爺が挙げたこれらが、全て『文学』のジャンルと言えるのか、また『絵本』も含むべきなのかどうか、一般的な『定義』を調べていませんので、自信がありません。

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2008年4月 9日 (水)

文学とは何だろう(3)

少なくとも、創作者にとって純粋な芸術創作活動というものがあるとすれば、それは、創作者が、鑑賞者の評価などを一切気にせず、自分が表現したいと思うことを、そのまま表現することであろうと思いますが、現実には、生計をたてるための手段として、作品を『売り物』にするという前提が、多くの場合背景に存在します。一度名声を勝ち取ってしまった芸術家は、市場でのブランドが確立していますので、思うままに創作しても、作品を買ってもらえるという状況になる可能性は高いと思いますが、無名の芸術家にとっては、創作活動の中に、鑑賞者の評価を得たいと言う意識が紛れ込んできて、打算や妥協の誘惑に悩むことになるのではないでしょうか。一方、名声のためならば、鑑賞者に媚びることも、それほど気にしないという野心家もいるのかもしれませんし、時には、生計を気にすることなく、恵まれた環境の中で、自由に自分を表現した創作者もいたことでしょう。紫式部が、生計のために『源氏物語』を書いたとは思えません。

背後に生計が絡むかどうかとは無関係に、『創作者の独創的な表現』と『鑑賞者の高い評価』が両立することが、芸術が成立する条件であるとすれば、『結果的に評価を得た作品』の作り手が『芸術家』ということになり、その中には、自分は『芸術家』などではさらさらなく、『職人』であると考えている多くの人たちが含まれることになります。歴史的に『大家』と言われる人たちの多くは、『職人』を自認して生きていたのではないでしょうか。いずれにしても、才能が無ければ、芸術作品は生み出せません。

創作者にとって、作品は生計の手段という、実利目的を伴う可能性が高いと思いますが、一方、作品を鑑賞する側の人間にとっては、評論で生計を立てるような一部の人を除いて、『作品を鑑賞する』ことは、実利を目的としていません。鑑賞することで、空腹が満たされたり、病気が癒されたりするわけでもありません。ただ『心が満たされる』という極めて抽象的な概念で満足することになります。その満足のために、展覧会の入場券や、音楽会の切符や、書籍を購入するという代償を払うことも厭いません。

『心が満たされる』という概念を重視するのは、ヒトにのみ与えられた特徴のように見えます。仏像を見て涙ぐむネコは見たことがありませんし、夕陽に感動しているように見えるイヌにも会ったことがありません。

ヒトにとって『心が満たされる』とは、何を意味するのでしょう。

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2008年4月 8日 (火)

文学とは何だろう(2)

『文学とは何だろう?』では、梅爺が、どういう問題意識を持っているのかが、適切に伝わりません。もう少し丁寧に記述すれば、『芸術とされる文学は、人間(作家と読者の両方)にとってどういう意味を持つものなのだろう?脳の働きと、どのような関係を持っているのだろう?』ということです。

文学に限らず、ある作品が芸術か芸術で無いかを客観的に決める絶対的な判別基準は存在しません。『言葉で表現されるもの』『音で表現されるもの』『色や形で表現されるもの』または『それらの組み合わせで表現されるもの』は、この世の中に沢山ありますが、私達は、その中の一部を、芸術としての『文学』『音楽』『絵画・彫刻』『映画やオペラのような総合芸術』であると『主観的』に認識していることになります。従って、日常何気なく使っている『芸術』という言葉の意味する範囲は、曖昧であることに気づきます。『芸術祭参加作品』は『芸術』であるという保証はありませんし、『芸術の秋』にいたっては、ただ展覧会や音楽会が比較的多く催される季節という程度の意味にしかすぎません。

芸術かどうかの最終判断は、個人的な主観になりますので、作品によって『大多数が認めるもの』『評価が半々に分かれるもの』『ごく少数の人だけが認めるもの』と、レベルの違いがあるはずです。『傑作』は、時代の流れの中で『圧倒的多数の人に認められた』作品のみが獲得できる呼称ということになります。

判断が、『個人の主観』にゆだねられる、という時の『個人』は、一般の人を意味しますので、特定な権力者や、権威者が認めたものだけを『芸術』にしてしまうと『偏った判断』となってしまう危険性を孕んでいます。『芸術』が、上流階級や特定の人たちの占有物であった時代は、ともかくとして、近世の社会では、『芸術が盛ん』『芸術のレベルが高い』と言われる社会は、個人の表現の自由がある程度認められていることが前提条件になります。また食べるだけで精一杯という貧困な社会では、なかなか芸術活動は続けられませんので、『芸術のレベル』は『健全な社会』であるかどうかのバロメータにもなります。金正日が『芸術』と認めるものだけが『芸術』とされる、北朝鮮は、『健全な社会』とは言えません。

言うまでもなく『主観的な判断』は、人間の『脳』のはたらきですから、『芸術』は、人間の『脳』の活動と深い関係があることが分かります。

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2008年4月 7日 (月)

文学とは何だろう(1)

文学を体系的に学んだことがない67歳の梅爺が、突然『文学とは何だろう?』と、青二才のような問いかけをすることに、気恥ずかしさを禁じえませんが、それでも、子供の頃に初めて文字が読めるようになってから、沢山『本』を読んできた経験はあり、その中に『文学』と言えそうなものも含まれていますから、その気になって考えてみれば、『自分なりの文学理解』を表現できるかもしれない、と思いつきました。

サッカーを実際プレーしたことがなく、勿論『高速ドリブル』も『無回転シュート』も自分ではできない梅爺ですが、沢山のサッカーの試合をテレビで観てきた経験から、『自分なりのサッカー理解』を述べることができそうだと、思うくらいに無謀な発想です。

こういう疑問を抱いた時に、多くの方は、先ず『有名な文学論』とされる本を何冊か読み漁り、他人はどう考えているのかや『定説』を知ろうと思うのではないでしようか。勿論、梅爺もそのことは思いつきましたが、不精な性格なので、何冊も徹底的に読む根気は無さそうだと、早々に勝手な自己判断をし、大好きな作家の一人であるウンベルト・エーコの『On Literature(文学について:英文)』という本だけを一冊だいぶ前に購入しました。しかし、未だ読まずに書棚に並べたままで放置してあります。作家でもあり学者でもある、当代きっての聡明な(と梅爺は思っています)ウンベルト・エーコの文学に関する著作を読めば、梅爺は、大いに啓発され、その感動を、拙い表現ながらブログに書くことは可能であろうと思います。しかし、何の先入観なしに、梅爺が自分の能力の範囲で、『考え』をまとめてみるのも、『一種の試み』として面白いかもしれないと思いたちました。多分、梅爺は、後でウンベルト・エーコの文学論を読んで、基礎知識や洞察力のあまりの違いに、意気消沈するであろう事は、覚悟しています。

そういう基礎知識なしの向こう見ずな『文学論』などには、とても付き合いきれないと思われる方や、既に『文学とは何か』について、ご理解の深い方は、この梅爺のブログは、お役にたちそうにありませんので、読み飛ばされるようにお願いいたします。野次馬的な好奇心の強い方のみ、お付き合いください。

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2008年4月 6日 (日)

室内楽(2)

西洋音楽の『室内楽』は、もともと宮廷のバックグラウンド・ミュージックとして演奏されたものですが、その後、音楽の一つの芸術形式として確立し、著名な作曲家が競って、作品を残しています。楽器の数が限定されることで、より鮮明に楽器の特徴が現れます。そして、現代の演奏形式の最大の特徴は、『指揮者がいない』ことです。

音楽は、『旋律』『リズム』『和音』の3要素で構成されますが、多くの楽器は『単音』しか出せませんので、『和音』が出せるピアノは重宝な楽器として、『室内楽』を彩ることになります。勿論、ピアノを含まない『弦楽器だけの室内楽』『管楽器だけの室内楽』もあり、それはそれで、楽器の音色を楽しむことができますが、『ピアノの参加』は、格段に音楽内容を多様にします。

オーケストラや合唱などと異なり、『指揮者がいない』ことがもう一つの特徴です。音楽は、絵画と異なり、作曲家の『意図』を記述した『楽譜』はありますが、実際の演奏にそれをどう反映するかは、『演奏家』に託されます。極端に言えば、『演奏されてみないと、どのような結果になるか分からない』という、緊張の中で生み出される『即興性』が、魅力ということになり、同じ曲でも、毎回『異なった演奏内容』になります。

『指揮者』は、『代表解釈者』として機能しますが、室内楽では指揮者が居ませんので、『演奏家同士の共通理解』がないと名演奏にはなりません。『阿吽(あうん)の呼吸』という点では、ジャズのセッションなどと共通ですが、ジャズほど、『自由な即興』は許されませんので、『制約の中の即興』という反って難しい話になります。

室内楽では、全部の楽器が一斉に自己主張をしたり、時には、どれかの楽器が主役になって、他は脇役にに回ると言う、『かけあい』が、流動的に展開され、聴く側も、その『かけあい』を楽しみます。

ピアノが主役になることもありますが、ピアノが他の楽器の引き立て役にもなるという点で、ピアノ・ソロとは異なったピアニストの資質が求められます。青木紀久子さんは、『室内楽』のピアノを演奏されることを好まれるのは、『主張』と『協調』の両方が求められる演奏形式に、魅力を感じておられるからであろうと、推測しています。普段のお人柄に接して、梅爺は、そうに違いないと勝手に思い込んでいます。

とにもかくにも、ご縁があって、このような本物の音楽に接することができるのは、幸せなことだと感謝しています。

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2008年4月 5日 (土)

室内楽(1)

4月2日の夕刻、上野の東京文化会館小ホールで、『青木紀久子室内楽演奏会』があり、梅婆と出かけました。少し早めに家を出て、東京駅前の丸ビル内にあるしゃれたベトナム料理の店『カサブランカ・シルク』でランチを食べ、丸ビル、新丸ビルのショッピング・アーケードを覗いた後、上野へ出向いて、国立西洋美術館で開催されている『ウルビーノのヴィーナス』を含む、イタリアフィレンツェのウフィッツィ美術館所蔵の絵画、彫刻展を見ました。ウフィッツィ美術館は、前に2度訪ねていますので、『ウルビーノのヴィーナス』は観ているはずなのですが、ボッティツィエリ(春、ヴィーナスの誕生)やミケランジェロ(聖家族)に気をとられていたせいか、あまり鮮明に覚えていませんでしたので、あらためてゆっくり鑑賞することになりました。演奏会までにはまだ少し時間がありましたので、上野公園の、見物客で大賑わいの桜も観てまわりました。

青木紀久子さんは、梅爺の大学コーラス同期生の畏友青木修三氏の令夫人で、日本を代表するピアニストのお一人です。毎年、1、2回、室内楽演奏会を主催され、最高レベルの室内楽を直に鑑賞できますので、梅爺は毎回楽しみにしています。忙しい練習やお仕事の合間を割いて、青木ご夫妻は、コーラス同期生仲間が、夫婦連れで開催する、旅行や食事会にも、気軽にご参加くださいます。演奏会では、張り詰めた緊張感の中で、プロのピアニストとして、立ち振る舞われる奥様も、私達とは、さりげないユーモアなどを交えて、気さくにお付き合いくださいます。昨年11月に仲間で出向いた『東欧オペラ鑑賞の旅』にも、ご夫妻で参加くださいました。

今回の演奏会では、『シューマンのピアノ、ヴァイオリンとチェロのためのトリオ(作品63)』、『ブラームスのピアノとヴァイオリンのためのソナタ(作品100)』『ブルッフのクラリネット、チェロとピアノのための8つの小品から5曲(作品83)』が演奏されました。クラリネットの山本正治氏、ヴァイオリン景山誠治氏、チェロの花崎薫氏も、それぞれ、日本が誇る最高レベルの演奏家の方々ですので、梅爺は『室内楽の真髄』を存分に堪能することができました。

食事やウィンドウ・ショッピングを楽しんだり、美術館を観たり、桜見物をした上に、最後の仕上げが、『極上の音楽』でしたので、梅爺と、梅婆はおかげさまで、至福の一日を過ごしました。

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2008年4月 4日 (金)

万里の長城(5)

『万里の長城』は、人類の偉大な文化遺産といわれていますが、『こんなものが本当に必要であったのか』という、素朴な問いに、答えるのは易しくないのではないでしょうか。ローマ帝国が広大な領土に張り巡らせた道路や、各地で建設した上下水道設備などの比べて、『有効』であったとは言いがたいような気がします。中国の民衆を守るというよりも、皇帝やその取り巻きの恐怖心や自分達の保身が、建造の理由であったのであろうと、梅爺は感じます。『戚継光』将軍は、確かに、万里の長城を利用して、モンゴルの侵攻をくいとめることに、何回かは成功はしていますが、彼の失脚後、兵士の駐屯がなくなり、『万里の長城』は単なる『壁』に化してしまい、北方の満州族『清』は、流血無しに、万里の長城の関門を突破して、『明王朝』を打倒することに成功しています。肝心な時には、何の役にも立っていません。

一時、明王朝の年収の3/4までも費やしたといわれていますが、現在の会社経営の視点で見れば、万里の長城は、結果的に『対投資効果』が極めて低い『投資』であった、といわざるを得ません。財政的に、明王朝を疲弊させると同時に、発言力を増した『戚継光』や『張居正』(宰相にまで昇進)を、嫉妬し、追い落とそうとする官僚や、その官僚の進言の真偽を判断できない無能な次の皇帝が出現し、ついに二人を失脚に追い込むことになります。つかの間獲得できた、『平和』を、当たり前のことと考え、これ以上の『出費』は不必要と、宮廷しか知らない官僚達(反対勢力)は主張しました。

『平和宣言』しておけば、タダで国が守れるかのように主張する方が、日本にもおられますが、残念ながら、国であれ、家庭であれ、個人であれ『身を守る』ことは、コストがかかります。現実に、どれだけのコストをかけられるのかを決めることには、智恵を要しますが、タダで『身が守れる』と考えるのは夢想に過ぎません。しかし、厄介なことに、コストをかけたから『絶対安全』という保障も、またありません。

『戚継光』が、偉大なプロジェクト・リーダーであったことは確かですが、そもそもの発想が、その効果を含めて考えた時に、偉大であったとは、簡単には言えないような気がしています。

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2008年4月 3日 (木)

万里の長城(4)

現在の『プロジェクトリーダー』は、誰か他人が発想したことの達成を請け負うプロを指す言葉ですが、『戚継光』(将軍)のすごいところは、彼自身が『発想者』であり『プロジェクト・リーダー』でもあったということです。

彼の構想は、防御壁を作ることだけが目的ではなく、点在する塔に、兵士を50人単位で駐屯させ、大砲などの当時としては先端の兵器も装備して、モンゴルや北方民族の襲来に備えようというものでした。壁は、効率のよい兵士の移送路であり、武器弾薬、食料の輸送路であるということです。つまり、『壁の構築』と『兵士の駐屯』を抱き合わせにすることが要点であったわけです。

兵士は、見張り役も兼ね、どこかに襲来があれば、塔を利用して狼煙(のろし)で知らせ、短期間に、必要な軍隊を、必要な場所へ移動させるという、現代の言葉で表現すれば『ネットワーク型組織体系』を実現しようとしたことになります。『戚継光』が、只者(ただもの)ではないことが分かります。

建設プロセスにも、『戚継光』の才覚が見て取れます。なんといっても『レンガ』を基本素材として採用したことがすばらしいところです。『レンガ』と漆喰を利用すれば、曲がりくねった壁や、窓を備えた塔などを自由に作り出せるからです。このために、全国何百箇所に、まず『レンガ工場』をつくり、規格に合った『レンガ』を製造することから開始します。『レンガ』には、どの工場(釜)で、いつ焼いたものかが分かるように、刻印が押されて、事後に、問題が発生したときの原因追求ができるための配慮までがなされています。

『レンガ』の運搬や、建設作業そのものは、『戚継光』直属の兵士2万人が担当したと伝えられています。文字とおり休むことが許されない、過酷な作業現場での突貫作業に耐えられるのは、規律が行き届いた兵士集団でなければできないことが理解できます。素人を集めた『人海作戦』ではなかったということです。

『戚継光』は、軍隊をクループ分けして、地域別の担当を明確にして、グループごとにその成果を競わせています。これも、『プロジェクト・リーダー』の巧妙な手法の一つです。

このプロジェクトの最大の問題は、『膨大なコスト』がかかることで、このコストの問題が、『戚継光』をやがて失脚させ、ひいては明王朝が滅亡する原因になりました。

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2008年4月 2日 (水)

万里の長城(3)

八達嶺で、ほんの一部ながら万里の長城の『現物』を体験した梅爺でしたが、その後もずっと、『膨大な労働力』を動員し、かなりの年数をかけて建築したものと、勝手に想像していました。人類の歴史の中で、最大の建造物といわれるものが、そんな短期間にできるはずがないと、思い込んでいましたし、中国といえば『人海作戦』に違いないとも想像していました。しかし、番組を観て、これも誤解であることが分かりました。

万里の長城は、古くは秦の始皇帝から、歴代の支配者が建造してきたと、伝えられていますが、古いものは、土を盛り上げて造った原始的なものです。一方、観光写真などでよく紹介されるレンガで積み上げた壁や塔は、明王朝の時代の建造で、『万里の長城の秘密』というドキュメンタリー番組は、この『明朝の万里の長城』に焦点をあてたものでした。

明王朝は、経済や文化の面では、繁栄を誇った王朝でしたが、軍事面では必ずしも強国ではなく、西から襲ってくるモンゴルに、紫禁城のすぐ外まで攻め込まれたり、日本の倭寇に、沿岸部を蹂躙されたりしていました。問題解決の実務能力を欠く、皇帝や取り巻きの官僚は、おろおろするだけでしたが、ついに、有能な軍人『戚継光』と、有能な若手官僚『張居正』が出現し、この二人が手を組んで、万里の長城の建設を実現することになります。

問題を抱えた時に、英雄が現れ、窮地を救うという事例は、国家の歴史ばかりではなく、会社の経営にもよくあることですが、その英雄の出現が、今度は、国や会社を滅亡に導く例も多いのは、興味深いことです。明王朝も、この例にあてはまります。

『戚継光』は、戦闘能力に乏しい農民出身の兵士達を、『訓練マニュアル』を作成して、徹底的に鍛え上げ、『厳しい軍律で行動する屈強の軍団』に変身させます。この『訓練マニュアル』は、現在の中国人民軍(陸軍)の訓練にも参照されているほど優れたものであることを知りました。12万人の『戚軍団』は、ついに、沿岸部に出没する倭寇を排撃し、残りは西北方の守りだけという状態を実現します。

ここで、『戚継光』は、『新しい万里の長城構想』を思いつき、若手有能官僚の『張居正』と手を組んで、無能な皇帝から『経費を含めた実行承認』をとりつけます。『戚継光』の構想は、『5年間に3000の塔を含む防御壁を建築する』という途方もない計画でした。勿論、この通りには実現はできませんでしたが、防御に有効な部分は、なんとか完成させたわけですから、彼は優れた軍人であると同時に、『優れたプロジェクト・リーダー』であったことが分かります。プロセスを綿密にシステム化して対応しないかぎり、こんな計画は実現するはずがないからです。

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2008年4月 1日 (火)

万里の長城(2)

ホテルの前で客待ちをしていたタクシーの運転手と、息子が交渉し、一日貸切でチャーターして、万里の長城(八達嶺)、明の13稜に観光に出かけました。チャーター料は8000円程度と記憶しています。この額は、当時の中国労働者の1ヶ月分の収入に相当しますので、運転手は、次の日も、是非自分を指名して欲しいと息子に頼んでいる様子でした。

八達嶺が近づくと、険しい曲がりくねった山道になり、そこここに、中国製のバスが立ち往生していました。多分エンジンの過熱で、走れなくなったのでしょう。当時の中国国産技術のレベルが窺い知れます。梅爺たちの乗ったタクシーはフランス製プジョーでしたので、エンコすることなく、長城の下の観光地に到着しました。そこからは、ロープウェーで、長城まで向かうのですが、ロープウェーを待つ中国人の長蛇の列がありました。私達家族は、『外国人料金』を支払ったということで、優先的に乗せてもらえました。中国人のオバサンが、ドアをたたいて、何か怒って叫んでいましたので、多分『外国人だけ、どうして優遇するのか』と抗議をしていたのでしょう。少々、気まずい思いをしながら、ついに長城の上に立つことができました。

レンガで積み上げた壁と、間隔をとって配置された見張り塔(昔は兵士の宿舎と武器庫を兼ねる)が、尾根伝いに見渡す限り続き、『よくもまあ、こんなところに、こんなものを造ったなぁ』と感心する一方、断崖の上に、『どうして、壁をつくる必要があったのだろう』と不思議に思いました。

仮に、外敵が、この険しい、目もくらむような断崖を登ってくる能力をもっていたとしたら、残りの数メートルの高さをよじ登ることなど、たいした問題ではないのではなかろうかと考えたからです。そこで、梅爺は、万里の長城は、防御壁というより、中国(明)の威光や国力を、モンゴルや外敵に示し、相手の戦闘意欲をそぐことの方が、目的であったのだろうと推測しました。

しかし、ドキュメンタリー番組を観て、梅爺の推測は、必ずしも当たっていないことが分かりました。

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