こんなに近く、こんなに遠く(3)
昨日は、映画のあらすじを、梅爺の拙い文章で紹介しましたが、この映画のすばらしさは、このあらすじの中に、何気なく挿入され、ちりばめられているエピソード、会話、シーン、小道具が、実に巧妙に、監督が伝えたい『主題』を浮き彫りにするよう仕組まれていることです。まさにプロの手腕です。
恵まれた生活の中で、人は傲慢になり、最も身近で大切なことを、見失い疎遠にしてしまっていて、追い詰められて初めてその問題に気づく愚かで哀しい存在であることを、監督は非難するのではなく愛情を込めて描いています。
『家族との絆』『人の生と死』『神の存在』などが、『そんなに近く、そんなに遠い』ものなのでしょう。このタイトルも秀逸です。永遠に存在し続けるように見える天体の星にも『誕生と死』があることを示唆するために、天体観測のエピソードが使われています。
主人公が砂漠へ向かう途中や、村に着いてから出会う、色々な人たちとの『会話』の中にも、観る人に『主題』を想起させるものがちりばめられています。勿論、この人たちは、主人公とは比べ物にならない貧しいにもかかわらず、『神(アラーの神)』を信ずる純朴な人たちで、あらゆる点で主人公との対比が絶妙です。主人公は、息子の死が近いことを予感して絶望感に苛まれ、『神は何もしてくれない。多くの患者の命を手術で救ってきたのは、『神』ではなく、自分である』と、涙ながらに嘆き、『神の存在』を否定しようとします。
しかし、最後の救出の場面で、ミケランジェロの『天地創造』の手の構図を用いて、監督は『神の存在』を暗示したのかもしれません。『人の生と死』や『神』は、誰もが解き明かせない問題ですが、にもかかわらず、その問題から目をそらして人は生きていくわけにはいかないということを、監督は映画を観る人に伝えたかったのではないでしょうか。
中国同様に、イランには映画の脚本については、国の事前検閲があるはずですので、イスラム教に批判的な内容はパスしません。宗教に関して、映画が観る人に誤解を与えないように、微妙で周到な配慮もあるように感じました。監督が、すばらしい教養人であることが良く分かります。
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