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2007年12月21日 (金)

福岡伸一氏の本(4)

『生命とは動的平衡にある流れである』ということは、構成基本の原子レベルで見れば、常に新しいものと入れ替わっていることを示します。私達は『お変わりありませんね』などと挨拶しあっていますが、実は、常に原子レベルでは『総入れ替え』が行われていることになります。骨や脳細胞に至るまで例外がありません。

それなのに、全体としての秩序が保たれているために、外見は『変わりが無い』ことになります。これが動的平衡の意味するところです。流れの『入力』は、酸素(呼吸)、水、食べ物(たんぱく質、炭水化物、油脂、栄養素)であり、『出力』は、あらゆる排泄物となります。呼吸が止まれば死を意味しますが、『飲食』と『排泄』という基本動作が困難になることも、人の死が近いことを予感させます。若い人には当たり前なことですが、普通に『飲食』や『排泄』ができることは、梅爺のような老人には、大変ありがたい話なのです。

ウィルスは、他の生物の細胞をやどかりのように借用して『自己複製』しますが、自分自身は無生物同様に『動的平衡』の流れを行っていないことから、福岡氏は、ウィルスを『生物』の範疇にいれない側の立場をとっておられます。

『生物と無生物の間に、たゆとうウィルス(福岡氏の表現)』は、構造的には『無生物』に近いという話も、不思議な話です。『生物』に寄生するものとして、後からウィルスができたのか、ウィルスが進化して『生物』になったのか、どちらなのだろうと梅爺は考え込んでしまいました。ひょっとすると、ウィルスが『生物出現』の謎を秘めているのかもしれません。

少しややこしいことを考えるだけで、頭が痛くなり、それ以上の思考をやめてしまう人間の内部では、実は、想像を絶するほどの膨大で緻密なしくみの数々が、相互に平衡を保ちながら、休まず活動している、というのも皮肉な話です。人間は、『自分がどうして生きているのかの詳細を知らずに生きている』ということになるからです。これは、アインシュタインのような天才にも、梅爺のような平凡な爺さんにも言えることなのです。

『生命』に関しても、科学者が明らかにしてきたことは、当然、物理や化学の法則で説明できることばかりです。今のところ未知なことが多い『人間の思考や意識』の領域にまで、この手法が敷衍できるのかどうかが、梅爺の究極の興味の対象です。

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