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2007年7月31日 (火)

固定観念(2)

例によって、理屈っぽい梅爺の興味は、「人の脳の中に、何故固定観念が形成させるのだろうか」ということになります。

「固定観念」が形成される要因は、二つあるのではないでしょうか。一つは「洗脳」とも言えるもので、影響力の強い人の考え方を何度も聴いている(聴かされている)内に、それが、「自分の考え」であると思い込むと思い込むこケースです。特に、幼児期に両親や先生から教え込まれたことは、生涯つきまとうことになります。「宗教」や「政治思想」などは、これに該当することが多く、統計調査でも、成人してから両親と異なった宗教を選択し直す人は、非常に少ないという結果が出ています。道徳的な善悪の判断基準などは、躾として幼児期にインプットすることは、重要なことですので、この種の「固定観念」を、全て罪悪視するわけにはいきませんが、「素直で良い子」ほど「固定観念」を持つ傾向が強いという、パラドックスが存在する可能性があります。

もう一つの形成要因は、他人の影響ではなく、自分の論理思考で、自ら確信した「固定観念」ではないでしょうか。「こういう人相の人は、こういう性格である」とか、「こういう兆候が見えたときには、こういう結果になる」とか、自分の経験も関与して「自ら確信」したことですので、この「固定観念」は、なかなか頑固です。

脳の中に、「固定観念」を持つことは、人にとって必要な機能であるが故に、存在していると考えられますが、その機能の効用が、良い方に働く場合と、悪い方に働く場合があるということではないでしょうか。

従って、この機能を、取り去ることができない以上、本人が「悪い方に働くこともある」ことを承知して対応する以外に方法はなさそうです。

「固定観念」は、悪いものだから、持ってはいけない、という単純な話ではないように思います。

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2007年7月30日 (月)

固定観念(1)

プロ野球楽天ゴールデンイーグルスの野村監督は、選手に「考える野球」を求めることで有名で、実践手段として「ノート」に思いついたことや反省事項を記述するようにも義務付けていることを、テレビのスポーツニュースで知りました。ご本人も、今までの野球人生で得たものを「野村ノート」という本にして出版したとのことですが、梅爺は読んでいません。

テレビでは、この「野村ノート」が長崎県の中学校で、「教材」として利用されていることが紹介されていました。

「野村ノート」で、野村氏は、若い選手が「固定観念」からプレイのスタイルを変えられなかったり、最初から自分には出来ないと決め付けて挑戦しなかったりすることを戒めておられます。「失敗が許される若さの特権を放棄するのはもったいないし、挑戦によって、自分の知らなかった自分を発見できるのは、人生の無上の喜びのひとつであるはず」とテレビでは、コメントしておられました。

このコメントは、論理としては、誰もが同意できるものですが、そう言いながら誰もが、程度の問題があるにせよ、現実には、なんらかの「固定観念」に縛られているわけですから、厄介な話です。

長崎県の中学校では、生徒が、「自分にとって直すべき固定観念は何か」を、各自短かい文章にして、発表しあっていました。確かに、一般的な「固定観念」の意味を単に習うより、自分の問題として考える方が、将来を考えても教育効果は大きいでしょう。

野村氏の「固定観念」の事例は、自分の行動を制約してしまい、自分にとってネガティブな結果をもたらすかもしれない場合ですが、もう一つ「固定観念」の弊害は、他人に自分の考え方を押し付けようとすることではないでしょうか。「固定観念」なのですから、主張しているご本人は、「それが正しい」と思い込んでいるだけに、始末に負えません。

そういう、梅爺も、梅婆からは、「物事を決め付けすぎる」とよく怒られていますから、他人事ではありません。「固定観念」は、自覚できないから「固定観念」であるとも言えますので、「私は、何事にも柔軟で、固定観念などありません」という人が、「自分は全くの善人です」と主張する人と同様に、もっとも始末に負えないのかもしれません。

自分も「固定観念」に沢山つりつかれていることを認めた上で、折に触れて反省は怠らない、という程度が、せめて梅爺にできることだと、再認識しました。

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2007年7月29日 (日)

落ち目の会社の共通症状

米国のインターネット・ポータル業界で、破竹の進撃を続けるGoogleに対して、Yahooの伸び悩みが深刻であることが、CNETニュースで報じられています。日本では、先行進出し、ソフトバンクと連繋しているYahooの方が、後発のGoogleより知名度が高く、現状では、米国のように「深刻」には受け止められていないように感じます。

市場アナリスト向けの会合で、米国Yahoo のCEO Jerry Yang は、「自分には、緊急対応能力があるので、今後100日間計画を徹底分析する。妙策よりも、洞察(Insight)、開示(Openness)、提携(Partnering)を重視する。社員には、チームワーク、リーダーシップ、勝つ意欲を高揚するよう指示する」と述べています。

米国の経営者らしい、自信たっぷりの言葉に見えますが、日本でよく使われる「前向きに善処する」「撃ちてし止まん」と同様に、「精神論」だけで、具体的な施策に欠けていますから、これでは市場アナリストを説得することはできません。市場アナリストの中には、「Googleをキャッチアップする手だては無い」「沈み行く船」と酷評する人も出てきました。

このような、精神的な掛け声や、スローガンが横行するのは、事業が落ち目になった時に社内に蔓延する共通する症状で、梅爺も沢山の経験をしてきましたから、身につまされる気持ちにもなります。

Yahoo とGoogleの差は、経営者の能力もありますが、「検索エンジン」技術の差と言って過言ではないと思います。ITビジネスは「Core Competence(事業の決め手)」として画期的な技術を保有するかどうかがカギを握ります。この技術を堅固なMe Onlyの土台としてビジネスを構築しないと、一時の成功はあるにせよ「砂上の楼閣」になる可能性を秘めています。華やかな六本木IT企業の中にも、危険性を含んだ会社はあることを、ライブドア事件が露見しました。

ベンチャービジネスへの投資を考えておられる方は、この視点で判断されるのが良いと思います。勿論、「Core Competence」だけでは、事業の成功は保証されませんので、「経営戦略(経営者の資質)」「市場性」を加味して判断する必要があります。

落ち目の政党も、「最後までやりぬきます」などと、精神的なスローガンを連呼しますので、会社によらず、人は追い込まれると「精神論」で乗り切ろうとする習性を持つような気がします。

「頑張ります」を常用後として使う日本人は、「精神論だけでは虚しい」という感覚が希薄なのかもしれません。

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2007年7月28日 (土)

余程ひねくれ者で無い限り、自分にとって最も大切なものの一つが「自分の命」です。しかも、その命も無限に続くものではないことも承知していますので、一層、その大切さに重みがあります。

しかし、時として、人は、「自らの命」よりも「もっと大切」と思うもののために、死さえも厭わず行動することがあります。

人だけでなく、動物も、危険にさらされた子供を守るために、咄嗟に親は自分の「死」を考えずに本能的に身を盾にする場合がありますが、一方、ヒトは脳の中で作り上げた「抽象的な概念」のために、覚悟して身を賭することがあり、ヒトの大きな特徴の一つになっています。

「抽象的な概念」は、時に「愛する人のため」、「祖国のため」、「自らの名誉(プライド)のため」、「成し遂げたいこと(仕事)のため」、「信仰する神のため」と多様です。

本来、同じ基盤では、重みを推し量れない「命」と「他のもの」を比較して、「他のもの」を採るという行動は、「その人の価値感覚」によるものですから、他人が口を挟む余地はあまりありません。多くの場合、尊い行動と考えられますが、「自爆テロ」のように、多くの他人の命も巻き添えにするような行動は、いくら「信仰、信条に起因する価値観」のためとは言え、梅爺には、虚しい、悲しいものに思えてしかたがありません。

「命より大切なもの」があるかどうかは、成人した大人自身の判断に任せるべきもので、決して他人がそれを強要すべきものではないように思います。特に、脳の成長期にある子供に、そのような考えを植え付けるのは、親にも、教育者にも、為政者にも、神職者にも許されないことではないでしょうか。

梅爺の長兄は、もう少しで80歳になる年齢ですが、2年以上も、病に倒れた義姉のために、献身的な介護を続けてきました。老人が老人の介護をする過酷さは、他人には分からない困難があり、時に「自らの命」をも賭すことになりかねません。しかし、長兄が「自ら選んだ対応方法」に、梅爺は兄弟とは言え異論を挟むことはできませんでした。長兄の献身的な看護、介護にもかかわらず、義姉は、7月25日に他界しました。梅爺は、何も役に立てなかった自分を恥じると同時に、今は、ただ冥福を祈るばかりです。

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2007年7月27日 (金)

ネオダマ

1990年代の前半に、IT業界のこれからを表すキーワードとして、日本で『ネオダマ』という言葉が一時流行しました。

『ネオダマ』というのは、『Network』『Open System』『Downsizing』『Multimedia』の頭文字を、並べたもだけの言葉です。

この言葉を言い出したのは、誰かは知りませんが、梅爺は同じ業界で働く者として、苦々しく感じていました。言い出した人は、きっとシャレた言葉を思いついたと、得意満面であったのでしょう。

梅爺が、苦々しく思ったのは、この言葉からは、一貫したコンセプトが感じられなかったからです。一つ一つの言葉の本当の意味を深く考えずに、その時点で言われていた用語を、単に並べただけの、皮相的な言葉に過ぎないと感じました。大体日本語の語感として『ネオダマ』は、あまり良い響きではありません。

当時の梅爺の会社の偉い人に中にも、鬼の首をとったように『これからはネオダマに注力する』などという方がおられて、梅爺は閉口しました。

IT業界には、それまでも『OA(Office Automation)』やら『Paperless Office』やら『Multimedia』やら、胡散臭い言葉が流行したことがあります。『OA』に踊らされて、本当にオフィスが、T型フォードの工場のように、オートメーションになると信じた人がいたとすれば、オメデタイ人としか言いようがありません。

日本人は、流行語を皮相的に受け容れて、その本質は何かと疑わないところがあるような気がします。他愛の無い話なら良いのですが、この性質が、大衆扇動に用いられると危険極まりないことになります。

梅爺は、『ネオダマ』同様に、『一億火の玉』『万世一系』『骨太の政策』『美しい日本』『ユビキタス社会』などという言葉を聞くと、扱いにくい爺さんと言われるのを覚悟の上で、『何か胡散臭い』と、先ず疑うようにしています。

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2007年7月26日 (木)

智に働けば角が立つ

梅爺は、夏目漱石の『草枕』の最初に書かれた、以下の一文を思い起こすたびに、自分の人生を言い当てられたような気がして、苦笑いしてしまいます。

智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。

人が生きると言うことが、何たるかを、これほど見事に、簡潔に言い当て、しかも、上質のユーモアで表現する夏目漱石は、文豪の名に恥じない作家であることがわかります。

梅爺も、直ぐに『先ず本質は何かを問うべき』などと、小賢しい理屈を言い出し、周囲の顰蹙を買うことが度々あり、そのくせ、妙に情に脆いところがあって、他人を庇って自分も不利な立場に追い込まれ、どうでもよさそうなことに、意地を張って、これまた損をすることも少なくありません。

『まあまあ、堅いことを言わずに』と、物事を丸く治め、計算づくで『情』も適当に抑制し、つまらぬ自尊心などを捨て去れば、『人生の達人』になれるのかもしれませんが、今更自分の性格や、生き方を変えることは難しいとあきらめました。

従って、ここからは『ありのままの梅爺』に戻り、理屈を述べることにします。

『智』は、知識探究、論理追求の能力、『情』は抽象的な概念の把握能力、『意地』は自己愛に基づく自己主張と、いずれも、ヒトの脳に組み込まれた先天的なプログラムによるものであるらしいことは、前にも何回かブログに書きました。

従って、夏目漱石の表現は、普通のヒトなら誰でも持っている特性で、むしろ『人生の達人』になることは、打算でそうなるのは、少々のいやらしさがありますが、もし打算がないのなら、それは坊さんが修行で、ヒトを脱却することに近い、難しいことのように思います。

生命の起源である、単細胞生物から、自然淘汰による進化を繰り返し、ヒトのような、知性や感性を持つ複雑な生物が出来上がったということを考えると、『本当かなぁ』と思いたくなりますが、だから『神様がヒトを創った』と言われると、もっと『本当かなぁ』と言いたくなります。

梅爺の尽きぬ興味の対象ではありますが、これを続けていると、角が立ちますので、この辺でやめます。

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2007年7月25日 (水)

SNS(Social Network Service)

SNS(Social Netowork Service)という、インターネット上でのサービスが、話題になっています。会員になって、好きなジャンルを登録すると、会員間限定で、意見や情報の交換が出来るという、『仮想社交場的な会員クラブ』です。

ホームページやブログのように、原則一般公開でないところが特徴で、仲間意識が涵養されるところが、うけている要因なのでしょう。自分と同じ考え方や趣味の人を、広域に、それも容易に見出すことができるというのは、インターネットならではのしくみと言えます。

最近、アメリカで、インターネット上の交際だけでは、飽き足らない人を対象として、『現実の出会いの場』を提供する、新手のSNSが登場し、話題になっています。

インターネット・サービス運用者が、同好の士がまとまってきたところを狙って、『パーティ・イベント』を企画し、イベント・カレンダーをネットに掲示して、参加者を募るという手法で、Online-Offline Hybrid Model と呼ばれています。ゴージャスな雰囲気が味わえるディスコやラウンジを利用して、少し高価な参加費を徴収し、一部を運用者の収入にしようという企てです。

パーティ屋が本業で、SNSはプロモーションの手段で利用していると言っても良いかもしれません。デート・サイトと何が違うのか、というような批判もありますが、例えば、本の感想文を仲介とするようなサイトでは、感想文の中に、書いた人の人柄が現れるので、会う前から相手が理解できている、などと、それらしい理屈が述べられています。

日本でも、『お見合いサイト』『合コンサイト』として、この種のサービス提供者が、現れるような気がしますが、『出会い系サイト』と同様に、悪用したり、犯罪に繋がったりすることが起きて、社会的な問題になりそうな気もします。

『仮想社会』が進展すると、一層人は『現実社会』を希求するという、IT時代の特徴を利用した、この種のビジネスは、増え続けることでしょう。

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2007年7月24日 (火)

諸行無常

自分の周囲の事象を観て、本質を抽象化して理解できる人なら誰でも、『諸行無常(万物は常に変化して少しの間もとどまらない)』の考えに同意できるのではないでしょうか。そのために、『方丈記(鴨長明)』や『奥の細道(松尾芭蕉)』の、以下の有名な出だしの文章には、『本当にそうだ』と相槌をうちたくなるのでしょう。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し(方丈記)。

月日(つきひ)は百代(はくだい)の過客(かかく)にして、行(ゆき)かふ年も又旅人也(奥の細道)。

『無常』なのは、自然現象ばかりではなく、人の命、人の気持ちも例外ではありません。

それなのに、宗教が、信仰によって、『永久(とわ)の命』が与えられると、安請け合いしたり、愛する恋人同士が『永久(とわ)の愛』を誓ったりすると、『ひょっとすると、永久のものがあるのかもしれない』と、少し、心が動揺したりするのは、おかしな話です。

頭の中の『永久であって欲しいと願うもの』と、現実世界の『永久なるもの』は、必ずしも一致しないと、分かっていれば、いちいち目くじらをたてて、矛盾を言い立てることもないのかもしれません。

どうせ、移ろい行くものなのだから、何事も虚しいと、ネガティブに考えるか、存在を確認できる今を最も大切にしようとポジティブに考えるかで、『無常』への対応が異なるような気がします。

梅爺は、どちらかというと、ポジティブに『無常』をとらえようとする性格のように思います。変わって欲しくないと願っていたことが、現実には変わってしまったことを認識した場合(特に、その変化を食い止める力が自分には無かったと認識した場合)は、残念とは思いますが、『しかたがない』と受け容れようとします。

梅爺は『頑固爺さん』と言われますが、この点に関しては『寛容爺さん』または『いいなり爺さん』のような気がします。

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2007年7月23日 (月)

「全知」と「全能」は両立するか?

前にもブログに書いた、爺さん論争「仏教編」の議論が、その後もメール上で続き、その中で、「全知全能の神」というように使われる「全知」と「全能」は両立するかが、話題になりました。

「全知と全能は、論理的に両立しない」というのは、「無神論者」が「有神論者」に投げかけた有名な「命題」(実態は言葉尻をとらえて難癖をつけたという表現が正しいかもしれません)であることを、梅爺が、何気なく議論仲間に紹介したのがきっかけです。

梅爺は、「無神論者に近い懐疑論者」ですが、別に、この議論で、「神の存在を否定しよう」などと考えたわけではなく、純粋な論理ゲームとして、一種の頭の体操として提示しました。

論理ゲームですから、「神」とか「宗教」とかいう概念無しに、理性だけで、判断できるものと気楽に考えていました。

この「命題」の「正」「誤」を考えるために、以下のような簡単なモデルを想定しました。

「大阪へ向かおうと、東京を出発。名古屋で、路線を変更して福井へ向かう」

この旅の主体者が、「全知」であれば、東京にいる時から、名古屋で路線を変更して福井へ向かうということを知っていたことになりますので、結局、路線や目的地は知っている内容以外には変更できないことになり、この人は「全能」ではなくなります。また、東京から名古屋までは、大阪に向かうつもりで、名古屋で路線を変更することは、知っていなかったとすると「全知」ではなくなります。

というわけで、論理的に「全知」と「全能」は、両立しないというのが、梅爺の結論でした。

しかし、爺さん論争の仲間のお一人は、論理ゲームとは言え、このような小賢しい俗世のモデルを用いて、結局「神」を論ずることになるのは、「いかがなものか」と何回かにわたり、反論の発言をされました。

梅爺も、この世のことが全て「理」で片がつくとは考えていませんので、畏れ入ってこの議論は、打ち止めにしました。

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2007年7月22日 (日)

集中と分散(4)

一般的に、『集中』は、うまく機能する時は管理効率がよく、全体コストも抑えれますが、末端の参画意識が低下し、組織の柔軟さが失われがちです。一方、『分散』は、部分的な自治権限が付与され、広範な知恵の利用が可能になりますが、管理機能も分散しなければならず、コスト高につくことが多いように思います。

電力は、大きな発電所で集中発電した方が良いか、各家庭に小さな発電機を設置した方が良いか、東京と大阪の間は、新幹線のような大量移送手段に頼るのが良いか、各自が車を運転して移動した方が良いか、など、『集中』と『分散』を考える例題は、沢山あります。

梅爺たちが、『分散処理コンピュータ』を製品化した時には、管理コストの上昇を防ぐために、管理だけは一箇所から集中コントロールする機能を提供しました(コンピュータの専門家を分散配置する必要はない)。

政治の世界で、共産主義が目指した計画経済などは、『集中』の典型ですが、今や中国は、ソ連邦の二の舞を避けるために、一部の経済的な自由を『分散』しましたので、このコントロールを間違うと、中央政権の足元をすくう格差不満が爆発する危機を含んでいます。経済成長で華やかさだけが喧伝されますが、必ずしも安定な国家には見えません。中央政府は、危ないと思う時には、また『天安門事件』のような強権を発動するかも、しれませんし、最後は複数の国家に分裂する可能性も秘めているように思います。

日本でも、地方分権が叫ばれていますが、中央政府の負債減少が引き金になっていますので、地方は『自治』というアメを手にすると同時に、経済的な自立というムチも背負い込むことになります。対応の正否で、地方格差が、大きくなり、不人気な地方は過疎化が進行する可能性もあります。

中国にしろ、日本にしろ、『集中』と『分散』の試行錯誤が行われ、やがて、行き着くべきところへ行き着くことになるのでしょう。

結果を見て批評をすることは誰にもできますが、事前に正しく将来を見通せる能力は、ほとんどの人が持ち合わせていません。自分は、正しく見通しているような発言を、政治家や政党はしますが、梅爺は、あまり信用していません。

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2007年7月21日 (土)

集中と分散(3)

事業が好調に推移している時にこそ、経営者は、その事業が衰退するタイミングを推測して、次の手を打つべきだと、どの経営書にも書いてあります。今の状態は、いつまでも続かないと誰もが分かっていても、目の前で金の卵を産み続けるガチョウを見ていると、『まだ、当分はこのままいけるのではないか』と、考えたくなる誘惑に駆られます。

好調時にも、衰退の予兆はあるものですが、それさえも見て見ぬ振りをするか、見ようともしないことになります。

梅爺の会社の『分散処理コンピュータ』戦略は、コンピュータの市場が『Proprietary』技術を競うい合う『ホスト・コンピュータ』全盛の時代に、それにコバンザメのようにとりついて、成果をあげるというものでした、勿論、この『分散処理コンピュータ』自身も『Proprietary』技術をベースにしたものでした。

しかし、前にもブログに書いたように、市場の考え方は、『Proprietary』から『Open』へと大きく転換し、『ホスト・コンピュータ』事業の衰退と一緒に、『分散処理コンピュータ』も、衰退を余儀なくされました。

そうなったことが明白な今なら、どの時点にどのような予兆があり、何がターニング・ポイントになったか、を冷静に分析できますが、うねりの中に身を置いていたときに、その結果を確信できなかったことは、認めざるをえません。

人間の予測対応能力には、限界があり、国家や企業の歴史は、その対応能力に翻弄されてきました。

『ローマ帝国』や『ソ連邦』の崩壊、日本人にとっては身近な『バブル経済』の崩壊、ホスト・コンピュータ事業におけるIBMの衰退、米国自動車会社のビッグ・スリーの不調など、後になって分析できる素材は沢山ありますが、現実に、崩壊や衰退を回避できた事例は、沢山はありません。

今繁栄を誇る国家や企業も、いつか衰退する可能性を秘めています。

梅爺は、自分の経験から、『一時でも、自分が繁栄の中に身を置くことができたのなら、それは幸運なことである』と思うようにしてています。自分の運命を変えようとする努力は、意味のあるものと思いますが、運命の全てを自分の思うようにすることは出来ないと、感じています。

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2007年7月20日 (金)

集中と分散(2)

梅爺たちが考えた『分散処理コンピュータ』は、特徴である『分散』を強調しましたが、それだけで企業の情報システムを構築することは考えずに、既存の『ホスト・コンピュータ』との共存作戦を採用しました。

会社のある部門だけで完結できる情報処理は『分散処理コンピュータ』の中で行い、全社共通の処理は、『ホスト・コンピュータ』と連繋して動くというしくみを提供しようとしました。

これは、画期的なことでしたが、裏を返せば、『分散処理コンピュータ』は他社の『ホスト・コンピュータ』と連動できる『しくみ』を提供する必要があり、技術権利を前面に出して、他社を排除しようとする『ホスト・コンピュータ』会社との確執を覚悟する必要がありました。

梅爺たちは、最も市場占拠率の高い、IBMの『ホスト・コンピュータ』に焦点を絞り、技術権利の問題を起こさないように、細心の注意を払いながら、開発を進めました。

当時、IBMのホスト・コンピュータでは、処理が高価につくと考えられていた、日本語処理、漢字処理や、紙の伝票イメージを再現できる罫線処理などを、採用したため、梅爺たちの『分散処理コンピュータ』は、次第に市場で認められるようになり、沈没しかかった会社のコンピュータ事業を復活させる要因になりました。

その後、IBM自身が、『8100シリーズ』という彼らの分散処理コンピュータを市場へ投入したため、一時的に梅爺たちは、苦境に立ちましたが、日本語処理の徹底、ビジネス・プログラミング言語COBOLで書いたプログラムの実行効率の良さ(処理が速い)などが認められ、再び市場で大量に受け容れられるようになりました。

しかし、前にも書いた『オープン・システム』の考え方が、市場を支配するようになり、約15年位続いた、事業にも終止符を打たざるをえない、状況になりました。

事業の興隆と衰退を、サラリーマンとして、両方舵取りしなければならないという貴重な体験を梅爺は、したことになります。今となっては、全てが昔話ですが、人生の教訓としては、今でも梅爺の財産となっています。

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2007年7月19日 (木)

集中と分散(1)

『集中』か『分散』か、という議論は、政治、組織論、制御方式論として、人間の歴史の中で、繰り返し議論されてきました。

どちらが良いかという判断は、経済性、機能実現のための効率、個の尊重など、目的によって、基準が選ばれてきました。

しかし、多くの場合、現実的に、この議論は二者択一ではなく、両者のバランスをどうとるかという『共存のありかた』に帰結します。

コンピュータシステムの場合は、当初、非常に高価な製品であったことから、『集中処理』から歴史が始まりました。会社の、ガラス張りで、空調も行き届いた部屋に、コンピュータが設置され、名称も『ホスト(主人)・コンピュータ』と呼ばれました。最初は、その部屋の中だけで、『バッチ処理(一括処理)』で利用されていましたが、やがて、複数の利用者が『ダム・ターミナル(自己主張をしない末端装置)』の前に座って、『タイム・シェアリング』という方式で、ネットワークの先にある『ホスト・コンピュータ』を共同利用する方式へと移行しました。『ホスト』と『ターミナル』という言葉に象徴されるように、典型的な『中央集中処理』のシステムでした。

やがて、コンピュータの価格が下がり、技術も進歩して、特別の空調設備を必要としない製品実現が可能になりました、そうであれば、なにもコンピュータは会社の『奥の院』にだけ置くべきものではなく、組織構造にあわせて、支社、出張所、工場などに、分散配置し、その部署の特性に合わせて利用したらどうか、という考え方が芽生え、『分散処理コンピュータ』という新しいジャンルの製品が市場に登場しました。

当時、梅爺の属していた会社の『ホスト・コンピュータ事業』は、赤字続きで市場からの撤退を余儀なくされていましたので、起死回生策として、この『分散処理コンピュータ事業』への進出をすることにしました。梅爺は、当時主任クラスのエンジニアでしたが、実質的にこの新コンピュータ開発プロジェクトの推進役の一人になりました。上の人達が、寛容に『血気さかんな若いエンジニア達の情熱を支持した』といえば、格好のよい話ですが、実態は、『ホスト・コンピュータ事業』に失敗した負い目があって、自信を失い、若い人たちの行動を容認せざるをえなかったというのが実態ではなかったかと思います。

追い詰められた環境から、捨て身の反撃に転ずることは、よくありますが、梅爺も、自らが欲したわけではなく、逆境からの挑戦をせざるを得ない運命に身を託すことになりました。しかし、今になって考えてみれば、この経験が梅爺の人生を大きく変えたことは明白です。

『人生万事、塞翁が馬』とは、よく言ったものです。

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2007年7月18日 (水)

かったいのかさ恨み

江戸いろはカルタの『か』、『かったいのかさ恨み』の話です。

『かったい』も『かさ』も、現代では使われない言葉であることと、ブラックユーモアと言えば、それまでですが、内容が、気の滅入る病気に関わる暗い話ですので、日常的に引用される例も少なく、多くの方には、意味も分からなくなってしまっているのではないでしょうか。

『かったい(かたい)』は、癩病(ハンセン氏病)のことで、『かさ』は、皮膚病のことですが江戸時代には梅毒のことを意味したようです。『かったい』は転じて、乞食のことも意味しました。

現代では、対症療法やペニシリンのような特効薬が開発され、『かったい』も『かさ』も、不治の病ではなくなりましたが、江戸時代には、絶望的な病気で、庶民にとっては、恐ろしい病気であったことは、容易に想像できます。

従って、『かったいのかさ恨み』は、『絶望的な人(かったいの患者)が、同じく絶望的なかさの患者を見て、自分よりまだましだと羨ましく思うこと』、つまり、『(普通の人から見ると)両方とも程度が劣っているのに、本人同士は、自分の方が劣っているとか、勝っているとかを競い合っている』という虚しいおかしさを表現したものです。同じく、きたない表現ですが『目くそ、鼻くそを嗤う(わらう)』と同様の意味です。

『自分は劣っていないと思っている人』が、『自分より劣っていると思える人たちの争い』をみて、『どっちもどっち』とあざ笑う時の言葉と考えると、人は優越感を前提に、傲慢にふるまうものだということになります。

しかし、人は誰でも、つまらないことで他人と自分を比較して、優越感に浸ったり、劣等感に苛まれたりするものだ、という自戒の言葉と思えば、誰にも思い当たることが沢山あるのではないでしょうか。

自分をよりよく見せたいと思う心理は、誰にもある人の煩悩の一つで、人ばかりか国家の行動にまでに、それが現れることは、前にブログで紹介した『西欧の優越』で、著者の和田孝二氏が指摘されておられます。

『かったいのかさ恨み』を読んで、自分には関係ないことと思う人は、既に煩悩で自分を庇護していることになります。怖い話ですね。

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2007年7月17日 (火)

Open or not(6)

『Open』の考え方の裏側には、『誰かの知恵は、一人や一社で独占すべきではなく、人類皆で共有利用すべき』という高邁な志と、『あるものを、ほとんど無償で普及させてしまった方が、その周辺にもっと多くのビジネスチャンスを見込むことが出来る』という、極めて実利的な意図の二つが潜んでいます。

経営者は、実利的な意図を秘匿して、綺麗事を述べることがありますので、注意して峻別すべきです。

『Open』は、サブシステムの大量普及で『コモデティ化』が進む可能性があり、その結果、価格が下がったり、無償に近づいたりしますから、利用者からみると、一般的には歓迎すべき状況と言えます。

しかし、『Open』の世界は、何事も薔薇色というわけではありません。

利用者が、自分の都合の良いものを選択して使うということは、利用者自身が選択に責任を持つ必要が生じます。昔のように、IBMに全てお任せで、うまくいかない時の責任を、IBMになすり付けることができません。企業の情報システム部門を統括し、その会社のIT対応の責任をCEOの代理で負う、CIO(Chief Information Officer)という役職の重要性が、叫ばれるようになりました。

日本の会社も、アメリカの会社を見習って、慌ててCIOを任命することになりましたが、多くの場合、昨日まで人事の責任者だった人とか、総務の責任者だった人とかが、形式的に任命されたため、IT全般を見通す能力を欠き、 本来の役目を果たせないという、滑稽な事態になりました。

梅爺が、そういう『にわかCIO』のところに、コンピュータ・システムを売りに行くと、そういう人は、自分では判断が出来ないために、必ず『そのシステムを採用して成功した事例を教えろ』と迫られました。アメリカのCIOは、他社のマネだけしていたら、クビになるわけですから、大きな違いです。

本質を考えずに、『形式だけを整えれば、なんとかうまくいく』と考えがちなところが、日本の社会にはあるのではないでしょうか。

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2007年7月16日 (月)

Open or not(5)

『Linux』をOperating System(OS) として採用したPCは、その分が無償ですから、Windows を有償OSとして利用しているPCに比べて、安価に利用できることになります。

マイクロソフトは、これが普及すると最大の収入源を断たれることになりますので、『Linuxは共同無責任で保証がない』『Linux上で稼動する応用ソフトウェアが少ない』と喧伝して、対抗策に躍起になっています。一方、マイクロソフトの独占を快く思わない人たちは、『Linux上で稼動する応用ソフトウェアを、マイクロソフトより安い価格か無償で配布する』などの手段で、対抗しています。Microsoft Officeやインターネット利用ソフト(ブラウザやメール)だけなら、『Linux』PCでも十分ということで、一部の人のWindows離れが始まっています。

でも、一度マイクロソフト流の『PCお作法』に慣れてしまった人たちは、保守的になり、マイクロソフトの思う壺で、その世界からなかなか離れません。梅爺もその一人です。マイクロソフトの新しいOS『Windows VISTA』が発売されたと知ると、買わなければならないような強迫観念を持つことになります。

GPL(General Public License)に登録したソフトウェアは、プログラムの内容『Source Code』を公開しなければなりません。第三者は、これを無償で入手し、そのままの形で利用した場合は、その利用商品を自由に頒布する権利が与えられます。また『Source Code』に手を入れて、改造する権利も与えられますが、その場合は、その改造品もGPLの対象として登録する義務を負います。例えば『梅爺版Linux』を作った場合は、梅爺はこれを、自分だけのものとして独占することはできません。

企業の情報システムでは、少しでも導入コストや運用コストを引き下げることが重要ですので、GPLの対象となっているソフトウェアを出来るだけ多く利用しようという傾向が強まります。

サンマイクロシステムズも、永年多額の投資をして開発してきた、自社のSolaris OSを、GPLに登録する方針に転じました。慈善事業に共鳴しているわけではなく、この部分を無償にすることで、自社のサーバーや関連応用シフトが、今よりは沢山採用され、トータルでは、会社として得だと判断しているためです。

『損して、もとをとる』という、日本では昔からあった商法の考え方の実践版と言えます。

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2007年7月15日 (日)

Open or not(4)

オリジナルなアイデアや技術は、特許などで権利が保証され、一般には『金儲けの対象』になると考えている人たちには、『タダで手の内を公開する』意図が理解しにくいかもしれません。

ソフトウェアが主役を務める情報処理社会の新しい文化を、進展させるために、新しいアイデアや技術を、一部の人の金儲け手段とせずに、関係者が皆で『共有』するようにしようという考え方が、1980年代の後半にアメリカで芽生えました。発案者の著作権は認めながらも、利用に関しては制限を緩くしようという言うものです。この条件での著作権は、従来の『Copy Right』という表現に対抗して『Copy Left』と、エスプリの効いた名称で呼ばれるようになりました。

『Free Software Foundation』という団体が、GPL(General Public License)と呼ばれる、契約条項を発表し、これを遵守する『Open Source Code』のソフトウェアが、出現しました。最も有名なものは、『Linux』と呼ばれる、基本ソフトウェア(Operating System)です。

『Linux』は、フィンランド人のLinus Touvalds が、大学生の時に、自作のOperating System(Unix というOperating Systemと類似していることから、制作者の名前を利用して、Linuxと呼ばれる)を、研究のような目的で使うなら、無償で利用してよいと宣言して、公開しました。その後、世界中のソフトウェア・エンジニアの多くが、個人的にこの考え方に賛同し、無償奉仕で『Linux』の改良、改善に協力しました。ソフトウェアという、人の頭脳だけで出来てしまう製品ならではの話で、ハードウェア製品では、なかなかこのようなことは起きません。

現在、『Linux』は、GPLの契約条項を遵守する人(会社)なら、誰でも無償利用でき、多くのサーバー、PC、携帯電話、コンピュータ組み込み商品の中で、稼動しています。

金儲けが全てではないと考える人達が存在することは、梅爺には、嬉しい話です。

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2007年7月14日 (土)

Open or not(3)

市場の経済原則で、コンピュータを利用したシステムビジネス構築は、『Proprietary』から『Open』へと考え方が変貌しました。そのきっかけのとなったのが、PC(Personal Computer)とインターネットであることは紹介しましたが、PCの主要技術は、今でも一部の会社の『Proprietary』であるという、ややこしい状況にあります。基本ソフトウェアと呼ばれるOS(Operating System)はマイクロソフト社のWindows が、事実上の市場を独占していますし、CPU(Central Processor Unit)と呼ばれる、ハードウェアの中枢は、インテル社が市場の大半を独占しています。これらの商品は、外部仕様だけが公開されていて、技術の中身は公開されていませんから、第三者が、『同等品』を製造することは、極めて難しいために、競争相手の市場参入障壁になっています。

つまり、何を『Open』と呼ぶかの定義をハッキリさせないと、話は混乱します。

一般に、『Open』には、『Open Interface』と『Open Source Code』の2種類があります。『Open Interface』は、製品の外部仕様を定めて、内部の作り方は、自由な競争に任せるという考え方です。いわゆる『ブラックボックス』です。内部の技術で、価格や性能が異なりますので、優秀な技術を駆使した会社が、勝者になるということになります。家庭用のテレビ受像機などは、この方式で市場が出来上がっています。一見フェアなように見えますが、誰が『仕様』を決めるのか、変化の激しい時代に、その共同作業は迅速に行われるのか、といった現実の問題が生じます。

『Open Source Code』は、内部の技術内容の詳細までも、公開するという考え方です。つまり『手の内を公開する』わけですから、第三者がその技術を利用する時の『条件』が問題になります。

現在、世界のIT市場で(特にソフトウェアの市場で)、最も注目を集めていることの一つが、この『Open Source Code』の思想で供給される製品群です。『ある契約条件を遵守すれば、第三者がその製品(技術)を無償で利用できる』という、歴史上、類を見ない形式が、出現することになりました。

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2007年7月13日 (金)

Open or not(2)

コンピュータ・システムの世界で『オープン・システム』というのは、ハードウェア、ソフトウェアの『サブシステム』を、自由に組み合わせて、システムを作り上げることを指します。エンジンはコレ、ステアリングはアレと自由に組み合わせて好きな自動車を作るようなものですから、従来のメーカーお仕着せの専用車しか存在しないと考えていた人々には、画期的なことのように見えました。

選択可能ということは、『サブシステム』が競争の原理で市場に複数存在していることを意味しますので、個々の購入価格が下がり、システム構築のコストは、大幅に下がる可能性を秘めています。

『オープン・システム』の考え方が市場に導入されるに従って、市場の構造が一変することになりました。『サブシステム』の専門メーカが、群雄割拠で出現し、市場は、階層別の『分業制』に変貌しました。IBMに頼めば、全てことが足りるという時代ではなくなったわけです。

この『分業制』が、最も迅速に普及したのは、アメリカで、業界の巨人として君臨し、一切をまとめて提供することを特徴としていたIBMが、むしろ『めずらしい会社』になり、業績も振るわなくなりました。

日本市場は、IBM型事業を模倣して、ミニIBMである、『富士通』『日立』『日電』『東芝』が、『全てお任せ下さい』スタイルでビジネスを展開していましたので、『オープン・システム』への市場構造転換対応に、遅れをとることになりました。

梅爺も、この市場の転換期に、コンピュータ事業の責任者の地位にありましたので、つらい決断をいくつか迫られました。過去に自分が推進してきたことを全て否定する必要があり、成功体験があればあるほど、自己否定はつらい仕事でした。自分では、なんとか対応したつもりでしたが、社内では『お前が事業転換のタイミングを逸した元凶だ』とも言われました。以前、会社の業績に貢献した実績などは、この時点では、一切評価の対象ではなくなってしまいました。

『オープン・システム』に対応するためには、どの『サブシステム』メーカとも、仲良くする必要があるために、この頃から、梅爺のアメリカ通いが頻繁になり、お陰で、それまで体験したことがなかった『異文化』や、業界の優れた経営者の仕事ぶりを知ることになりました。50歳近い日本の典型的なオジサンにとって、この体験は貴重でもあり、つらいものでした。

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2007年7月12日 (木)

Open or not(1)

『オープン(Open)』という言葉は、日本語では『開放的』という意味にとられ、反対の『閉鎖的』に比べて、良い意味を包含しているように受け取られます。

ITの業界では、『Open』の反対の言葉として『Proprietary』が使われます。これは、『私有財産として所有される、専売の』という意味です。

ITの業界も、他の業界と同様、最初は各社の『Proprietary』な技術、製品の販売競争で始まりました。同じコンピュータでも、IBM とUnivacでは、異なったハードウェア、ソフトウェアを採用していましたので、システム的な互換性は無く、顧客は、IBMを採用したら、全てをIBM流で構築しなければなりませんでした。業界の言葉で言えば、『りんご』と『オレンジ』の戦いであったわけです。

この環境を、IBMはうまく利用し、企業の中に『情報システム部門』という、IBMの世界しか知らない『仲間』を育成し、IBMの世界から抜けられない、いわゆる『囲い込み作戦』を展開しました。IBMが自社の製品の名称を『3270』とか『3740』とか、数字だけで表現したのは、仲間だけに通じる『暗号』にして、仲間意識を強固にすると同時に、外からの介入を難しくするためであったと言われています。IBMはそのロゴの色で『Big Blue』と呼ばれていましたので、企業の情報システム部門で、IBMだけに洗脳された人を、業界では『Blue Shirt Wearer(青いシャツを着ている人)』と揶揄していました。

梅爺がその頃手がけていたコンピュータは、勿論IBMとは異なったものでしたので、企業顧客の売込みで、『Blue Shirt Wearer』を説得するのに、大変苦労をしました。彼らは、IBMさえ採用しておけば、うまくいかない時も『あのIBMでもうまくいかないのだから』と言って、会社の中で責任逃れができると考えていたからです。

しかし、情報社会が進展するにつれて、この『互換性の無い世界』は、効率が悪いという非難が当然起こってきました。車ならば、トヨタからホンダに乗り換えても、次の日から問題なく運転できるのに、コンピュータの場合は、そうでないのはけしからんというわけです。

コンピュータ業界のために弁護するならば、車でも最初から互換性があったわけではなく、長い工業化の過程の中で、標準化が行われ、互換性が実現したという経緯がありました。従って、コンピュータにも互換性が求められるようになったということは、それだけこの業界も成熟してきたということを意味しています。

ITの分野で、互換性が画期的に進展したのは、パーソナル・コンピュータ(PC)とインターネットの出現であったと思います。

PCは、Windows PC とMac PCの2種類に集約され、いずれのPCでも、購入してインターネットにつなげば、同様なサービスを受けられるようになりました。

しかし、これらの互換性は、業界で標準を定めて実現したものではなく、市場で強いものが、事実上の標準(De facto Stanndard)となったにすぎません。この意味で、他の工業製品とは異なった道のりを歩むことになりました。

この結果、事実上の標準を握った、マイクロソフトやインテルが、大儲けをすることになったのはご承知のとおりです。

互換性を更に推進するために、この後業界に『Open』という概念が生まれました。長くなりますので、続きは次回以降に書きます。

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2007年7月11日 (水)

コリン・パウエルの人生訓(3)

コリン・パウエルの『座右の銘』に関する、梅爺の感想の続きです。

(8) Check small things.
  些細なことに気を配りなさい。

『神は詳細に宿る』などと言われますから、重要なメッセージが一見些細なことに含まれていて、それを人は見過ごしやすいということは事実です。しかし、梅爺は、詳細をとことん理解するまで頑張る性癖ではないので、これは、大変耳の痛い話です。梅爺の大学時代の専攻は『精密機械工学』ですが、会社の先輩からは『おまえは、「精密工学」ではなく「大まか工学」だ』とよくひやかされました。マクロな物事の把握と、ミクロな理解は、ものごとを推進する時の両輪であろうと思います。詳細だけいくら突き詰めても、全体を見失えば、意味がありませんし、全体を把握しても、詳細部分の思わぬ落とし穴に気がつかなければ、これまた失敗に終わります。一人の人物の中で、これが両方出来る人は稀ですので、ビジネスのプロジェクトなどでは、補完する人材配置が重要になります。

(12) Don't take counsel of your fears or naysayers.
  自分の中の恐怖や、ノーと言いたくなる気持ちの言いなりになってはいけません。

これも、梅爺のような凡人には、難しい話です。責任を取ることの重圧から逃れたいと思うと、『ノーといっておけば無難』と逃げ出したくなるからです。パウエルは特に軍人でしたから、『ノーと言わないことは、自分の命をかけること』であったに違いありません。頭が下がるばかりです。

パウエルは、下で仕事をする人にとっては、太陽のような存在で、側にいるだけで、暖かさを感じ、勇気付けられ、自然に仕事に情熱がもてるようになったのではないでしょうか。本当のリーダーシップは、部下をカリスマ的に威嚇することではありません。

ブッシュ大統領(息子)が、パウエルを、使いこなす力量を欠いていた(ネオコンのほうを重く登用した)ことが、現在のアメリカの『イラクでの泥沼』を招いた原因の一つと梅爺は見ています。

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2007年7月10日 (火)

コリン・パウエルの人生訓(2)

前に紹介したホテル王ヒルトンと同様、コリン・パウエルの人生訓の底流にあるのは、あきれるくらいの『Positive Thinking』の姿勢です。一般的に『Negative Thinking』の人が、人生で大成功を収める確率は低いことは予想できますので、『Positive Thinking』は人生で成功するための必要条件である(十分条件ではない)と言う程度のことは言えそうです。

部下から見て、優秀な上司が、『楽観主義』であることは、勇気付けられますが、あまり優秀でない上司の『楽観主義』は、不安が増すものです。

コリン・パウエルの13の『座右の銘』の内、梅爺が特に興味を惹かれたものをいくつか選んで感想を述べます。

(3) Avoid having your ego so close to your position that your position fails, your ego goes with it.
  地位(立場)に付随するエゴ(地位がなくなったときに一緒に消滅する)は、持たないようにしなさい。

以前、梅爺は、アメリカの『Debate』『Position』についてのブログの中で、『アメリカでは、(同じ人間でも)Positionによって主張が変わる事は容認される』と書きました。しかし、パウエルはここで『それは良くない』と言っています。日本人としては、わが意を得たりで、『それみろ。やっぱりそうだろう』と言いたくなります。とは言え、梅爺の現役時代の自分のことを思い出してみると、立場によって、自分に都合の良い論理を展開していたことが、沢山ありましたので、これを読んでおそれいっています。

(6) Don't let adverse facts stand in the way of good decision.
  良い決断の障害になるようなものは、取り除きなさい。

これも、梅爺の現役時代のことを思い出して苦笑してしまいました。梅爺が『これをやろう』と提案すると、必ず、『頭の良い人』がいて、『それをやるには、これこれの障害があります』と、障害を並び立てました。どのような決断にも障害が伴うことは梅爺も承知していますが、決断の是非に対して意見を述べずに、障害だけを言い立てるのは、フェアではありませんので、『あなたなら、その障害をどうやって排除しますか』と問い返すと、『頭の良い人』は、それは自分の問題では無いといわんばかりに、黙ってしまうことが多かったように記憶しています。本当に『頭の良い人』は、必ず、障害を取り除くアイデアを提言するものです。

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2007年7月 9日 (月)

コリン・パウエルの人生訓(1)

コリン・パウエルは、非白人として、最初にアメリカ軍や政府の高い地位(父親ブッシュ政権下の統合参謀本部議長、息子ブッシュ政権下の国務長官)に登りつめた人物として有名です。

いくら実力主義のアメリカとは言え、貧しいジャマイカからの移民の子として、ここまで登りつめるには、周囲が納得する実務能力の他に、偏見に耐える強靭な精神と、尊敬を勝ち取る人格の持ち主であろうことが予測できます。

梅爺は、第一次湾岸戦争の後に発刊された『The Commanders』という本を当時読んで、コリン・パウエルのファンになりました。ちなみに、この本の著者は、ウォータゲート事件を告発したワシントン・ポストの記者ウッドワードで、米国のジャーナリズムの質の高さを感じさせます。

この本の中に、コリン・パウエルの13の『座右の銘』が掲載されていて、梅爺の興味を引きました。

長くなりますが、原文と梅爺の拙訳を以下に掲示します。感想は、次回以降に書きます。コリン・パウエルが、大人物であることがご理解いただけるはずです。

(1) It ain't bad as you think. It will look better in the morning.
    物事は、あなたが考えるほどひどくはありません。翌朝になれば、少しましに見えるものです。
(2) Get mad, then get over it.
  一度熱くなってみて、それから落ち着いて対処しなさい。 
(3) Avoid having your ego so close to your position that your position fails, your ego goes with it.
  地位(立場)に付随するエゴ(地位がなくなったときに一緒に消滅する)は、持たないようにしなさい。
(4) It can be done!
  やろうと思えば、出来たはずです(成せば成る)。
(5) Be careful what you choose. You may get it.
  選択は慎重に行いなさい。そうすれば、必ず良い選択ができます。
(6) Don't let adverse facts stand in the way of good decision.
  良い決断の障害になるようなものは、取り除きなさい。
(7) You can't make someone else's choices. You shouldn't let some one elase make yours.
  他人の選択を自分のものにはできません、他人に、自分の選択を任せるようなことはすべきではありません。
(8) Check small things.
  些細なことに気を配りなさい。
(9) Share credit.
  手柄は自分だけのものにせずに、皆と分かち合いなさい。
(10) Remain calm. Be kind.
  いつも冷静で、他人には親切でありなさい。
(11) Have a vision. Be demanding.
  ビジョンを持ちなさい、そしてその実現のために貪欲でありなさい。
(12) Don't take counsel of your fears or naysayers.
  自分の中の恐怖や、ノーと言いたくなる気持ちの言いなりになってはいけません。
(13) Perpetual optimism is a force multiplier.
  底抜けの楽観主義は、力を倍加します。

   

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2007年7月 8日 (日)

割れ鍋にとじ蓋

江戸いろはカルタも、ようやく『わ』まできました。『わ』は『割れ鍋にとじ蓋』です。

梅爺は、この意味を、『割れ鍋のような使い物にならないものに、使えていたときの習慣で蓋をする』つまり、『意味の無くなってしまったことなのに、それに関する昔の習慣を変えられない(人は、その本来の意味を考えずに、習慣で行動する)』かなと想像していました。

しかし、調べてみるとそういう意味ではないことが分かりました。

『割れ鍋のような欠陥品にも、丁度合う蓋が世の中にはある』、転じて、『しょうがない男でも、それ相応の嫁さんは探せばいるもの』という意味らしいのです。結婚相手探しに、難渋している人には、光明とも言える話です。

『割れ鍋にとじ蓋』は、誰が見ても羨ましい夫婦ではなく、ちょっと見には、『あの二人は、どうしてやっていけるのだろう、大丈夫か』と思える夫婦でも、よくよく見てみると『お似合いの夫婦かもしれない』と思える時に使う言葉のようです。褒め言葉ではありませんが、少々優越感を含んだ表現のようにも見えます。

他人夫婦を『割れ鍋にとじ蓋』と評している時、『そういう自分達夫婦はどうなんだろう』と自問はしてはいません(自問できる夫婦は、きっと立派な夫婦でしょう)ので、心の奥に、『自分達はあれよりはまし』という無意識の優越感が働いているように思えます。

江戸時代に、これが、どういう目的で使われていたのかは、梅爺にはわかりません。嫁さん探しは、大変だったので、『高望みするな』と戒める意味があったのかなと想像しました。もしそうなら、現代にも通用しそうです。

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2007年7月 7日 (土)

コンラッド・ヒルトンの人生10訓(2)

多くの人生訓がそうであるように、この10訓の基調は、『Positive Thinking』です。ヒルトンの場合は、キリスト教の影響も強く受けています。

どれも、滋味深い内容ですが、英語らしい表現もいくつかあります。(2)のBe big. は、文字通り訳せば『大物になりなさい』ですが、『大きな夢や希望を描いて、堂々と振舞いなさい』という意味であろうと梅爺は解釈しました。日本人にはむしろ Be humble (つつましく謙虚に生きなさい)の方が、受けるような気がします。Be big. は、少し間違うと、現在のアメリカのように尊大・傲岸になる恐れがあります。(5)の  Donn't let your possesions possess you.は、『あなたの所有物にあなた自身が所有されないようにしなさい』という洒落た言い回しですが、『地位や財産だけに目がくらんだ生き方は、おやめなさい』ということだと解釈しました。

梅爺が最も好きなのは、(8)Look up to people when you can -- down to no one.(周囲の人に敬意を払いなさい。決して軽蔑してはいけません)です。吉川英治の処世訓『人みな、わが師』に通じます。梅爺も、周囲の人に『畏敬の念を持つ』ように心がけていますが、時に尊大になって自己嫌悪に陥ります。

分かったようで分からないのが、(6)のDon't worry about  your problems(自分の問題にくよくよこだわるな)です。ヒルトンが関連して言っていることから推測すると、悩んだ時は、むしろグッスリ眠ったり、他の事を一生懸命やったりした方が、反って思いもよらない良い解決案が見えてくることがある、と言うことかなと思いました。本当に悩んでいる時は、『眠れない』し『他のことも手につかない』だろうと梅爺は思いますので、この底抜けの楽観主義が羨ましくなります。

皆様も、ヒルトンホテルに宿泊した時は、枕もとの引き出しに入っている『Be My Guest』を、貰い受けて、読まれたらいかがでしょうか。そして、時間があれば、『自分の人生10訓』を考えて見られたらいかがでしょう。

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2007年7月 6日 (金)

コンラッド・ヒルトンの人生10訓(1)

今から15年以上前のことですが、当時、梅爺は、アメリカのボストン近郊にある会社と技術購入の折衝をするために、足繁く出張を繰り返していました。ある時、同行した先輩の技術者が、時差で夜眠れないので、ベッドサイドに聖書と一緒においてあった、コンラッド・ヒルトン(ヒルトンホテルの創始者)の自伝本をなにげなく取り上げ、読み始めたら、『これが、結構面白いんだよ』と、翌日梅爺に教えてくれました。ボストン空港近くのヒルトンホテルに滞在していた時の話です。

そこで、梅爺は、チェックアウトのときに、ホテルの人の了解をとって、梅爺の部屋にもあった自伝本を日本へ持ち帰り、読んでみました。

この本のタイトルは、『Be My Guest』で、日本語にすれば、『ヒルトンホテルをどうぞご利用下さい』となりますが、英語のイデオムとしては、『どうぞ、ご遠慮なく、ご自由に』という意味ですので、Guest という言葉をうまく使った洒落たタイトルと言うことになります。

波乱万丈の人生で、アメリカンドリームを成し遂げた人の伝記ですから、面白くないはずはなく、梅爺は楽しみましたが、巻末に掲載されている『人生10訓』が、最も梅爺の印象に残りました。

以下に、梅爺の拙訳をつけて、原文を掲載します。

(1)  Find your own particular talent.
    (他人より優れた自分の才能を見つけなさい)
(2)  Be big.
  (堂々と振舞いなさい) 
(3)  Be honest.
  (正直になりなさい)
(4)  Live with enthusiasm.
  (熱意をもって人生に立ち向かいなさい)
(5)  Donn't let your possesions possess you.
  (地位や財産に振り回されないようにしなさい)
(6)  Don't worry about  your problems.
  (自分の問題に、くよくよこだわらないようにしなさい)
(7)  Don't cling to the past.
  (過去にしがみつくのは止めなさい)
(8)  Look up to people when you can -- down to no one.
  (周囲の人を尊敬しなさい、決して軽蔑してはいけません)
(9)  Assume your full share of responsibility for the woeld in which you live.
  (人生で自分に与えられた責務は何かを、よく考えなさい)
(10) Pray consistently and confidently.
  (絶えず一心に祈りなさい)

梅爺は、100%この10訓を受け容れるわけではありませんが、さすがに、偉業を成し遂げた人の言葉は、説得力があると感心しました。

長くなりますので感想は、次回以降に書きます。

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2007年7月 5日 (木)

荒井良二の絵本(2)

絵本作家の荒井良二氏が、依頼に応じて全国で開催している『体験教室(Work Shop)』の様子が、番組で紹介されていました。

相互に全く関係のない絵の素材20枚程度を、生徒に渡し、その中から好きな絵を3枚選んで、その絵と自作のストーリィでミニ絵本を創るという課題が、生徒に与えられます。

同じ課題なのに、大人を対象として『体験教室』と、子供を対象とした『体験教室』では、反応が全く異なるのに驚きました。

殆どの子供は、躊躇なく、自分の好きな3枚の絵を選び、自由な言葉使いで、即刻自由奔放に絵本を創り始めます。それにひきかえ、大人の教室では、先ず3枚の絵を選ぶ作業で時間がかかり、絵本のストーリィーを考えるプロセスでも四苦八苦します。その割りに出来上がったものは、ありきたりで、どこかで見たことのあるような内容でした。

これを見れば、ヒトは大人になる代償として、子供の時に持ち合わせていたものの失っていることに気づきます。子供の頭は柔らかいのに、大人は頭が固いと言えば、それまでですが、多分そのような単純な話ではないと思います。

芸術的な感性のことだけを考えると、発想を自ら制約しない子供の脳は素晴らしいものですが、現実の社会生活を円滑に行うためには、各自に自由闊達な行動を許すわけにもいかなくなります。子供は大人になる過程で、物事への対応ルールやしきたりを強く教え込まれると同時に、行動の結果予測能力が高まり、更に『自我』や『自愛の念』も強くなって、『あまりおかしなマネはできない』とか『笑いものにはなりたくない』とか考えて、自己抑制する傾向が強まるのではないでしょうか。大人は『上手に絵を書こう』と考え、『上手な絵とはこういうもの』と教わった規範に従おうとしますし、論理的に自分が理解できない概念は選択の対象になりません。荒井良二氏のような『たいようオルガン』や『ゾウバス』などと言う概念は、発想できません。

子供には、ある程度大人になってもらわなくてはいけませんが、どの子供も同じ型に押し込んで、同じ型の大人にしようとするのは、間違っているように思います。前にも書いた『Emotional Intelligence』の正しい教育方法が見つかれば、倫理観と豊かな感性を両方持ち合わせ、柔軟な発想も出来る大人が増えるのではないかと、梅爺の夢は、いつもここに戻ってきます。

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2007年7月 4日 (水)

荒井良二の絵本(1)

BSデジタル衛星放送チャンネル『BS-i』で、日曜日の夜放送される『超・人(Virtuoso)』は、毎回異なった分野の卓説した才人を紹介する番組です。梅爺は、面白そうな時を選んで観るようにしていますが、6月3日の、絵本作家荒井良二氏には、特に感動をおぼえました。

荒井氏(1956年生まれ、山形県出身)は、日本だけでなく、世界の有名な賞を数々受賞している、著名な絵本作家であることを、梅爺は初めて知りました。

テレビや幼児向け雑誌などが無かった時代は、絵本は、幼児が始めて出会う『知的冒険』の世界で、その後の人生にも少なからぬ影響を持つものでした。梅爺の幼児期は、敗戦直後で、しかも、我が家は爆撃で家も家財も全て失っていましたから、玩具や絵本などは、とても望めない生活でした。その中で、京都の伯父から送られてきた一冊の絵本は、梅爺の宝物で、全て暗記して、ボロボロになるまで読み返した記憶があります。テレビ、DVDなど、何でも最初から周囲にある、現代の幼児に、『絵本』とは、どんな意味があるのだろうと、興味にかられて番組を観ました。

荒井氏は、多くの絵本が、『大人の視点、価値観』で創られていることに、疑問を持って、絵本つくりを開始したと、述べておられます。そう言われてみると、確かに『子供のためになる』とか、『子供の世界に郷愁をおぼえる』とか、大人の視点や考え方で、多くの絵本が創られているように思います。大人が好きな絵本は、子供も好きなはずという先入観で、絵本を選んでいるように思います。

荒井氏は、絵本を開いただけで、子供が、感性で何かを感じ、目を輝かせて自分の空想の世界に没入していけるような絵本をを目指しています。つまり、子供の視点で、面白い絵本を作ろうとしています。簡単なようですが、雑念、煩悩に取りつかれてしまっている大人が、子供の視点を得るということは、『悟りを開く』ことに匹敵するほど難しい話のように梅爺には感じられました。

荒井氏の『たいようオルガン』という絵本の文章は、以下のように始まります。

『たいようオルガン たいようオルガン たいようが オルガンひいて あさがきた ゾウバスはしる みちせまい みちほそい』

ゾウバスというのは、主人公のゾウ(象)の形をしたバスのことです。大人は、理の世界で文章を解釈しようとしますので、まず支離滅裂な言葉(たいようウオルガン、ゾウバス)に戸惑い、さらに文法にあてはまらない表現(みちせまいでは、助詞を排除)に不自然さを感じます。

しかし、荒井氏は、この文章の方が、自由な発想をする子供の脳に、快いリズム感を与えることができる、と考えているわけです。

純真無垢に、自由な発想が出来る子供が、わざわざ『理の制約』や現実を徐々に受け容れて、最後は、発想の乏しい普通の大人になっていくには、それなりの理由があるはずです。純真無垢と引き換えに、大人が得た大切なものとは何なのでしょうか。

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2007年7月 3日 (火)

長と名がつくものになるな

梅爺の父親は、1990年に89歳で他界しました。新潟大学工学部精密機械工学科の教授を最後に、退官するまで、一貫して教育者としての人生を送り、退官後は、長兄の住む茨城県土浦市に居を構え、晩年を過ごしました。

梅爺は、高校までを新潟県長岡市で過ごしたのは、父の勤める工学部がその頃長岡市にあったからです。

父は、明治生まれの、決して世渡りがうまいとは言いかねる、無骨な性格でしたので、幼い梅爺には、『コワイ人』でしたが、幸いなことに、梅爺は、幼い頃、父からくどくど説教をされた記憶や、体罰で叱られた記憶はありません。梅爺が末っ子であったために、長兄や次兄より甘やかされていたのかもしれません。

小学生の梅爺には読めない漢字が沢山出てくる本を、『読め』といったり、習ったこともない幾何の問題を提示して『解いてみろ』といったりしたところを見ると、息子のその時点のレベルには無頓着ながら、梅爺の将来に、少しは期待をする気持ちがあったのでしょう。

梅爺が、分からない算数の問題などを教えてもらおうとすると、最初の一言が必ず『こんなことが分からないのか、バカだなぁお前は』でしたので、段々聞きに行くのが億劫になったことを覚えています。今考えてみると、父は教えを請いにきた息子は、かわいいと感じながら、口では愛想の無い決まり文句を言ったのだということが理解できます。

梅爺が、父の人生観や、男としての価値を、理解できるようになったのは、高校生になってからではないかと思います。

高校の時に、担任の先生から、生徒会長に立候補したらどうかと、言われ家に帰ってその話をしましたら、父は『私が話をしてくる』といって担任の先生のところへ出かけていきました。

後で、担任の先生に呼ばれて、経緯をうかがうと、父は、『我が家は、家訓として、自分から望んで長と名が付くものになるなと、息子に言ってあります』と言ったことがわかりました。担任の先生は、『いや、参りました』と頭をかいておられましたが、お陰で、梅爺は、生徒会長に立候補せずに済みました。

梅爺は、社会人になってから、『長と名が付く役職』をいくつか拝命することになりました。自ら願い出て、その役職についたことは、ありませんが、心の中で、それを願っていなかったか、と問われると、微妙な話になります。

天国で、父と再会したときに、『家訓とおりに生きた』とは言えそうもありませんので、どのように釈明すべきか、悩ましい話です。

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2007年7月 2日 (月)

塩野七生

文藝春秋にまつわる話が続いて恐縮ですが、7月号に、塩野七生さんのエッセイと『日本と日本人への10の質問』という文章が掲載されています。

塩野七生さんは、私が好きな作家の一人で、今までもかなりの著作を読みました。イタリア人のご主人とローマに住んでおられる日本人女性ですが、『理を用いて、独自の視点で物事を観る』という能力は、女性には珍しく、極めて男性的であるような気がします。そのこともあって男性の読者が多いのではないでしょうか。梅爺は、男女の特性の違いを言っているだけで、優劣の話ではありません。

『日本と日本人への10の質問』では、『格差社会』『働き方』『教育』『リーダー』『老い』『エリート』『経済』『愛国心』『中国と米国』『歴史』をテーマにとりあげておられます。

先ず、このテーマの選定そのものが、梅爺の興味分野と合致しますし、塩野七生さんのご主張にも、納得することはあれ、違和感を抱くことはありません。

知識は、知識として得ることが目的ではなく、それを自分の視点で考える時の道具として駆使することの大切さを、あらためて教えられます。塩野さんは、ローマやベネチィアの歴史を素材として著作をされておられますが、最大の興味は『人間』であることが分かります。

テーマ『老い』の中に、以下のような記述があります(失礼ながら抜粋です)。

私だったら、「老い」をあつかった記事や書物などは読みませんね。わかりきった事象を真面目なふうを装って論じているものを読む暇からしてもったいないから。他の人の老いまで考える精神的余裕があるくらいなら、六十歳までの人生で培った自分の個性に磨きをかける時間を送るべきです。(誰にでも通用するメソッドなど追い求めずに)老いなんて考えずに、それまで生きてきた自分に自信をもって、やりたいことをやればいいのです。

梅爺には、まことに有難いお言葉です。

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2007年7月 1日 (日)

文藝春秋

横浜フォーラムのMさんから紹介され、武田教授(中部大学)の「『不都合な真実』主犯は米国だ」を読むために、久しぶりに文藝春秋を購入しました。

梅爺は、40歳代の頃、文藝春秋を毎月購読し、巻頭の随筆や特集記事など、好きなもの興味のもてるものだけを拾い読みするのではなく広告記事以外は、隅から隅まで読むことを、自分に課していました。お客様との会話で、どんな内容にもある程度対応できるようにしようという、実益も念頭にありましたが、それよりも、知識が自分の興味本位に偏らないようにしたいと考えたからです。健康のバランスをとるために、好きなものだけでなく、何でも食べようというのと同じ発想です。

しかし、実際には、これは結構難業で、『興味の無い話題』『好きになれない文体』を読み続けることは、かなりの努力を要することでした。

一部の人からは、『そんな、右寄りの雑誌を読むなんて』と軽蔑されましたが、梅爺は、思想上のことで文藝春秋を選んだという意識はありませんでした。

その頃、梅爺はジョギングも続け、毎年青梅マラソンに参加していました。ジョギングも、単調で時に苦痛も伴うものですが、文藝春秋を読破するのと同様に、『そういうものに、耐えるある種の精神力が自分には希薄』という認識があったのではないかと思います。

『勝手気ままに生きること』が理想のように、よく言われますが、現実の生活はそれでは済まされません。『興味の無いこと』『嫌なこと』もある程度対応しなければなりません。だからこそ、『勝手気まま』の有難さが分かるので、『勝手気まま』だけでは、決して心からの幸せは得られないのではないでしょうか。

そうは思いながら、40年働いて現役を卒業した今は、『勝手気まま』の度合いを少しは増やしても、許していただけるのではないかという『甘え』で生きています。

従って、今回購入した文藝春秋は、面白そうなところだけを拾い読みしています。それにしても、適当なページを開いて読み始めると、ついついその記事は読んでしまうのですから、この雑誌の編集者は、読者の心理を知り尽くしたプロだなと感心してしまいます。700円程度で、こんなに楽しめるものは、そうはないことを再認識しました。

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