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2007年5月 9日 (水)

るりもはりも照らせば光る

江戸いろはカルタの『る』、『るり(瑠璃)もはり(玻璃)も照らせば光る』の話です。

『るり(瑠璃)』は、鮮やかな群青色の宝石、『はり(玻璃)』は水晶のことですので、『照らせば光る』のは当然で、一見当たり前の話のように思えます。しかし、諧謔の心や、ひねった表現を好む江戸庶民が、当たり前のことで満足していたとは思えません。

ひねった表現の真意を解くカギは、『照らせば』という言葉にあるのかなと梅爺は考えました。つまり、裏を返せば『照らしてみないと(暗闇の中では)、宝石でさえもその存在がわからない』という表現になりますので、そのように考えれば、なにやら意味ありげに見えてきます。

『どんな逸材でも、その特徴を活かした活躍の場を与えなければ、能力は発揮できない』と解釈すると、多くのサラリーマンは、自分が『逸材』であるという前提で、活躍の場を与えない上司を恨む材料にこの解釈を利用したくなるかもしれません。しかし、『外部から照らしてもらわないと光れない』のは、本物の逸材ではないという反論は、覚悟しておいた方が良いでしょう。

更に、解釈を膨らませていくと、『活躍の場を与えてみて(照らしてみて)、始めて、石ころか宝石かが分かる』という解釈になります。人の上に立つリーダーや指導者は、下の人の能力を見極める方法として、『チャンスを与えてみる必要がある』ということになります。野球やサッカーの名将といわれる監督の、部下掌握能力を見ていると、なるほどと肯けます。

梅爺は、現役の頃、尊敬する上司から、『世の中には、必ず具眼の士がいる』と教えられました。つまり、誰も自分に目をかけてくれない、評価してくれないとすねて、手を抜いてはいけない、必ず、しかるべきことをしていれば、誰かが見ていて評価してくれることを忘れるな、という意味ですが、これも、裏を返すと、いつまでたっても、誰もお前を評価する人が現れなければ、それは、周囲の人の問題ではなく、そもそも、お前に能力が無かったということだ、という意味にもなりますので、梅爺は苦笑してしまいました。

『るりもはりも、照らせば光る』も、色々都合よく解釈できるように、うまくできている、というのが梅爺の結論です。とりあえず自分に都合の良い解釈をしておけばよいのではないでしょうか。

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